鏡映反転 2.
「なるほどなぁ。」
険しい表情で頷く押塚の口から言葉と共に煙がいくらか漏れた。
組んだ腕の右手はやや上腕から浮き、人差し指と中指がタバコを挟んでいる。
「ですから、裏を取るべきはこの矢印とここ、そして全く情報が得られていない皆月真人の当時の動きです。」
崎真がパソコンに表示しているのは1997年当時の人物相関図で、治信と擦り合わせて二人で整理した図だった。
押塚は刹那両目を閉じ、すぐに開く。
右手のタバコの灰が落ちそうに伸びていた。
「やはりなぁ、こいつだな、不自然なのは。」
押塚がタバコを持ったまま右手の小指で指したのは美馬詠泉だ。
タバコの灰がポロっとパソコンのキーボードに落ちる。
「皇藤の下に古見原一成、その下に美馬詠泉、これが医療班。」
「はい。」
「で、研究班は皇藤の下に遠熊蒼甫、その下に蓮田忠志だ。」
「はい。」
「蓮田の能力者潰し、これが独断てぇのはまあ確定的だろ。それはいい。だが、美馬だ。独断でテロは無ぇだろ。彼女には何の利益も無いからな。とするとお前の言う通り杉浜光平からの指示と見るのは相関図の構造上は成立するが、テレパスである古見原が上司だぞ? 古見原が美馬のテロを全く知らなかったってのはどうも、な。それに、だ……」
「はい。」
崎真は表情を変えぬままキーボードに落ちた灰をティッシュで摘み取っている。
「お前と南條の読みでは無人テロの実行犯、直接トラック暴走やガス爆発を起こしたやつは白楼の昏睡状態被験者、つまり白楼事件で亡くなった『透明帯』の使い手達、だったな。」
「そうです。緑養の郷の孤児もいますが、彼等の数名は何かしらの犯罪者で、逮捕された後に使い手だと判った者たちです。推測では『能力を取り去ってやることで非能力者となり、確定となっている犯行の不可能を起訴し刑期を無くしてやる。テロ実行犯だとも特定されない』と交換条件を提示されたと見ています。それで臨床実験を承諾した理由も説明が付きます。」
「そこだ。」
「は。」
「それなら古見原一成がその経緯を知らないってのはどうなんだ? 知らないままあんな危険な臨床実験を自らの手で行う男か?」
「あ、ああ、そういうことですか……ん……。」
崎真は取り切れない灰を途中で諦め、丸めたティッシュをキーボードの横に置いた。
押塚が自分の右手に目をやり、タバコを携帯灰皿に押込む。
「引張られたな、これは。」
「ん、引張られた?……ああ、警部がよく言う……や、失礼しました、警視がよく言う偽悪の重力というやつですか?」
押塚は黙ったまま相関図をしばらく睨んでいたが、右手をモニターにかざし始めた。
一部の名前や矢印を隠して見ているようだ。
そして唐突に手を止めたかと思うと、人差し指を立ててモニターに近付けた。
「例えばな、こいつとこいつ、それと、こいつとこいつ、この二箇所の名前を入れ替えると、どうだ?」
「え、な……」
崎真は驚きの目でモニターを凝視する。
そこの人物を入れ替えたら、根本的に……元凶と見ていた人物が違うということではないか。
押塚が入れ替えを示した人物は、美馬詠泉と皆月真人、そして杉浜光平と皇藤満秀である。
つまり、無人テロの主犯は皆月真人となり、元凶と見ていた『能力者狩り』の指示者、起点は杉浜ではなく皇藤ということになる。
「待って下さい。命を落とした能力者達の慰霊碑を要求されたのは杉浜で、要求したのは皇藤です。皇藤が直接の指示者だったとしても、指示させたのは杉浜と見るのが……」
「なんで鵜呑みにするんだよ、あの皇藤直筆の要求文書をよ。」
「ん、いえ、それでしたら杉浜はシラを切るのではなく怒りを見せるのではありませんか? 身に覚えがない濡れ衣だ、と。」
「おそらくな、部分的に噛んでるんだよ、杉浜も。だが、能力者狩りのオリジナル意思は皇藤が発したものだろうな。狡猾だよ、脱走者達を取りまとめてるボスはな。杉浜を元凶と見せかけて、その裏取りに俺たちを走り回らせる。皇藤は逆に利用された被害者に見せかける。」
崎真は相関図データをコピーし、押塚の言う通りに名前を入れ替えたもう一つの相関図を作った。
一旦頭をリセットし、それを食い入る様に見る。
「それとよ、赤い魔女誕生の研究に杉浜が投資しているんだったよな。」
「そうです。」
「南條の推理に、杉浜は更に第二の赤い魔女を作らせ、それが『金色』だ、というのがあったな。」
「はい。」
「裏取りはまだらしいが、息子である伴瓜警視正を『異性親を亡くして発現した使い手』にしようとしたのなら、杉浜は自分が操れる能力者を増やそうとしていたわけだ。それが能力者狩りに結び付くか?」
「独占欲、自分の手元以外にはあってはならないものにしたかった、と見ています。」
「じゃあ、ゆくゆくは遠熊蒼甫も古見原一成も、蓮田も、野神達すらも消す予定だったってことか?」
「そうなります。」
「良く考えろ。杉浜は衆議院議員を経て今は国家公安委員だ。刑事局の予算合議に関与、もう十七年もその刑事局の使い手刑事たちを殺そうなどという動きは全く見当たらない。逆に彼らを育てる白楼建設には膨大な予算が組まれただろうよ。ラボ教育生は杉浜が自分で操れる部下でもない。今の佐海慶一郎刑事局長のように人為力の及ばない世代交代が起これば尚更遠のく。」
「……」
「そこから見ても皇藤だろう。手元で飼い慣らせる使い手以外は全部消したい、と考えたのは。」
崎真はモニターを見つめていた目を外し、小さく泳がせた。
「とすると、杉浜が伴瓜警視正を支配し、警視正を通して使い手刑事を操ろうとしていると見るのではなく……」
「そうだな。そこは逆になる。伴瓜警視正が杉浜を支配し、当時の一学生が警察庁へ入り三十代で警視正、飛ばされてもあっさりカムバック……ってこったな。」
「伴瓜警視正は母親が杉浜の指示で襲われた事実を掴み、それを弱味として握った、が順当な推測ですか。」
「そんなとこだ。……まあ、あれだ、俺の言ったことも裏が取れるまでは絵に描いた餅だ。皇藤の捜索強化と……」
「テロの主犯かどうかを確かめる為に皆月真人、ですね。」
「美馬恒征のガキがもし母親の無実を知って敵討ちとでも考えてるなら、皆月の坊主も襲う可能性があるな。」
「岸人君に残したテレパシー、必ず助ける、という言葉をどう捉えるか、ですね。」
「白楼から連れ出してどうするか、だが、ここだけ引っ掛かる。どうも俺の目には美馬のガキが皆月の親父を仇と見ているようには思えねぇんだ。」
「ふむ。」
「人の心情ってのは一筋縄じゃいかねぇ。母親が濡れ衣を着せられたからその真犯人を恨む、と数学の方程式のように単純にはならないもんだ。美馬恒征、あいつも知っていることと思っていることを話してくれりゃあな……刑事ってのは敵ばかりじゃないと教えてやりたいが、な。」
この目。
押塚慎吾の目。
どんな凶悪犯にでもふとした時に向ける温かい眼差し。
…私にはまだ出来ない、な。
崎真は捜査の強化部分を頭で整理し始め、捜査方針修正の作成に取り掛かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ちょっとー、いとあー、パス私じゃないでしょ。」
「え……あれ、あれれ?」
たまたまだった。
演劇部が二学期の文化祭で使用する大道具、巨大な鏡……といっても銀紙に透明のアクリル板を押し付けただけのものだが、それが体育館の角に立て掛けてあり、運動部はボールをぶつけてしまわないよう天井から吊られているネットで仕切っていた。
明日に城東槍塚高校と一年の交流試合を控えている桜南女子バスケ部は、午後の練習をポジション役割の再確認に絞り、PGの愛彩から右へ展開したSFの寿々音へパスを出し、寿々音はそのままクイックジャンプシュートに入るパターンをやっている。
ネット越しの大鏡は、愛彩がゴールリングに向かって立つと右側の奥の角にある。
「見ねで出そって……だって、あれ、りんりん外から走ってきたから……」
「なに、勘違い? 外から来てたの千恵で、私内側走ってたし。」
「最初そうかなと思ったけど、鏡に、あれ、あそこに映ったの、千恵ちゃんが内側なの見えたから……」
寿々音と千恵は愛彩の右サイドを後方から走り込んでいた。
足を止めた三人はネット越しの大鏡を見る。
千恵が言った。
「あー、そっからだと斜めに置いてあるからね。鏡って右と左が逆に映るじゃん。」
それを聞いて愛彩と寿々音は目を丸くした。
寿々音が右手をパタパタ振る仕草をしつつ言った。
「いやいやいや、右は右だし、左は左っしょ。じゃないとメイク出来ないじゃん。」
「あー、あのね、曲がり角とかの、カーブミラー? あれだけ右と左がひっくり返るんだよ。」
「はぁ?」
「え?」
愛彩も寿々音も千恵が何を言っているのか判らない。
「いみふめー。」
「カーブのって特別な鏡?」
千恵はボールをダンっと一度つき、愛彩へ投げて戻した。
「それじゃさ、見てみればわかるよ。愛彩はそこいて。りんりん、ちょっと戻ろ。」
「ほいん。」
千恵と寿々音はコートの中央辺りまで戻った。
千恵がネットの向こうの大鏡を指差して叫ぶ。
「いとあー、鏡見てて。私たち歩いて行くから鏡に映ったらストップって言ってー!」
愛彩はボールを持ったまま頷き、先と同じように背を向けた。
「いくよー、ごー!」
「あいん。」
愛彩が見ている大鏡に二人の姿が入って来た。
鏡には、やはり外側に寿々音が映っている。
「すとっぷ!」
愛彩の声に、千恵と寿々音はだるまさんが転んだの様に手の動きまで止めて立ち止まった。
千恵が言う。
「こっち見てみてー。」
愛彩は二人へ振り向き、驚きの声を上げた。
「えええええー、なんでなんでなんで? なんで?」
もう一度鏡を見る。
鏡の中の千恵は内側におり、寿々音は外側にいる。
だが、実物の方へ振り向くと、千恵は外側におり、寿々音が内側だ。
完全に左右が入れ替わって映っている。
寿々音は息も止めているのか、顔が真っ赤で震えていた。
「りんりん、死ぬよ。」
「ぷっはー。」
「ね、愛彩、逆に映ってるでしょ。」
「なんで? 不思議。」
寿々音は深呼吸すると言った。
「まじ逆な風味? 私もやってみたい。」
「あ、じゃ……」
愛彩はボールを足元に置いた。
「りんりんとこ行く。そしたらこのボールのとこ来て。」
「ほいーん。」
愛彩は寿々音の立っていた所に行き、寿々音はボールの所へ行った。
寿々音は愛彩が内側で千恵が外側にいるのを確認すると、大鏡を見た。
「にゅわっ! なにこれっ! まじ逆スーパーエスプレッソ!」
寿々音は実物と鏡を交互に何度も見て驚いている。
「ね。」
「なんでだろ。」
「ねねね、これさー、私が愛彩に近付いてったら、鏡の中のだとあっちから私が来るのかなー。」
寿々音は千恵の更に向こう、コートの外を指差した。
千恵は首を傾げる。
「え、なぞ。」
「なんか怖い。」
「やってみていーい?」
「どーぞ。」
「どぞ。」
千恵と愛彩は同時に右手の平を上に向けて差し出した。
「ふいん。鏡の恐怖。ミラーキョーフ、発進。」
寿々音は鏡を見ながら横歩きで愛彩に近付いて行く。
千恵は愛彩の二メートル向こうに立っているが、鏡の千恵は寿々音が『こちら』と認識する手前にいる。
「ででん、ででん、ででん……あ、私が映った。なんか上の方から私出現。」
大鏡は倒れないよう上が紐で壁に固定されており、若干前傾していた。
寿々音視点では、寿々音自身が足から鏡の上の方に映り始める。
「でん、でん、あ、お、おお……」
寿々音は鏡面から愛彩が外れて見えなくなるギリギリの所で止まった。
「あー、なんか解った風味。そういうことかー。」
「なに?」
「なになに?」
「あのね、前と後ろが反対。」
「え?」
「え?」
「んーと、鏡ってさ、右は右で左は左だけど、自分が自分を見てるでしょ。」
「うん。」
「うん。」
「そのまんま映るとしたら、頭の後ろ見ることになる。」
「え?」
「奥行きが逆ってこと?」
「それー、愛彩天才。」
「奥行き?……あ、前後は逆に向いてるって意味?」
「そそ。」
「当たり前な感じする。」
「奥行き逆だとなんで左右が?」
「あそこから見た鏡だとー、んーと、千恵が前で愛彩が後ろ。だから前後が逆転風味。」
「ん?」
「わかんない。」
「だーかーらー、あのさー、鏡に真っ直ぐ向かってないじゃん。こっちのあそこだとコートのラインに近い千恵が鏡に近いのー。内側の愛彩が遠いのー。だからミラーキョーフだと愛彩がそとがわー。」
「こっちのあそこ?」
「あ、ちょっとわかったかも?」
「愛彩てんさーい。」
愛彩は頭の中で鏡の映り方を想像してみた。
奥行き反転で少し解りかけたと思ったのだが、想像の中で左右が逆に映っている寿々音と千恵に近付いてみると、途中でわからなくなる。
「あれ、あれれ……」
突っ立ったまま口論しているように見える三人に、反対コートで反復練習をする咲良達を見ていたキャプテンの桐山が感極まった声を出した。
「ああもお! 先輩がランニングに出ると喧嘩ばっかり! 明日なんだからちゃんとやって! 一年!」
千恵、愛彩、寿々音はビクッとして桐山の方を振り向いた。
それぞれ内心でつぶやく。
…してません。
…してません。
…ミラーキョーフゲット。




