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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
209/292

偽悪の重力 10.

紅河くれかわはほんの一瞬、天井の隅に設置されている監視カメラを見てすぐ視線を落とした。

半球状のカメラカバーの周囲に小さな黒いブロックが付いている。

もう見慣れてしまった音声も拾うタイプの監視システムだ。

睨むように瞳を向けている狩野かのうだが、その眼圧は弱い。

それでも全てに絶望した者の目ではないな、と紅河は感じた。


「判ったっつーか、余計わからなくなったっつーか、俺はさ、蓮田はすだ独りの画策で、それに伴瓜ともうりも手を貸してたのか、と思ってたんだけどさ、三十六歳の伴瓜、十七年前は十九歳、まだ大学生だったから、その当時の蓮田との繋がりもちょっとはっきりしない。」


狩野の目から更に力が抜けた。

その目は、結局何も判らないのかよ、と言っている様だ。


「けど、いろいろな状況とか経緯とか聞いて、三つ不可解なことがある。」

「……不可解?」


…これがお前への手土産だ、言葉の裏を読めよ、狩野君。


紅河は静かに深呼吸し、続ける。


皇藤満秀こうどうみつひで。元刑事局局長、遠熊とおくまや蓮田の上官に当たる人物。北海道で奈執志郎なとりしろうと一緒にレストランや貸しボート屋にいたところが目撃されているらしいのに、未だに誘拐扱いだ。奈執から脅迫文とかあったならわかるけど、そういうのは無い。どうして刑事局は誘拐だと決めつけたままなのか。これが一つ目。」


狩野は視線を紅河から外し、目を細めた。


「二つ目。国家公安委員の杉浜光平すぎはまこうへいに脱走者の仕業と思われる要求文書が届いているのに、警察庁は未だに杉浜へ心当たりの聴取を行う動きが無い……いや、やってるのかも知れないけど、下にその情報が降りてこない。」


これは古見原こみはら警視に紅河が伺いを立てたことだが、古見原にも情報が降りていないとの事だった。


「三つ目。美馬詠泉みまえいみの死因。無人テロの主犯として逮捕された直後に死んだ、となっているが、刑事局の記録は自殺となっているらしい。おかしいだろ。情報が錯綜してる感もあるが、記録は記録だ。」

「……おかしい?」

「確保された犯罪者は自害しないよう徹底的に保護される。保護って言うか、自殺出来ないような拘束をされる。」

「牢屋の犯人とか自殺、とか、テレビとかで……」

「それだけじゃない。杉浜の対抗馬が支持率を落とすテロを起こした動機は何だ? 杉浜本人か、もしくは杉浜に加担する人物が美馬詠泉にやらせたなら、逮捕の後に見返りがあるはずだろ。どうして自殺なんかする必要がある?」


狩野の目がわずかに泳ぎ始めた。

紅河は再び天井の監視システムをチラッと見て、すぐ逸らす。

不可解なこと、と前置きした以上それは憶測に過ぎないという意味だが、紅河には改めて狩野に示したかったことの意味合いも含めたつもりだった。

それは自分自身に言い聞かせたことでもある。

自分は刑事局の味方でも脱走者の味方でもないが、傍観者でいるつもりもない、という事を。


「ごめんね狩野君。」


部屋のドアが開き、舞衣が大きな皿を抱えて入って来た。

その後ろには湖洲香こずかが、ガラスのピッチャーとコップを持っている。


「あれ、椅子足りないね。」


舞衣はキョロキョロと部屋を見渡した後、持っていた皿を狩野のいるベッドに置き、自分もベッドの縁に座った。

狩野は不愉快そうな表情で皿を見る。

透明のラップの中におにぎりが並んでいた。


「まあ、どうしましょう。」

「湖洲香さん椅子座って。あ、台、どうしよ。」

「んー、この机、引き寄せようかしら。」

「あ、そうだね。」


ベッドの向かい側の壁に着けてあった何も乗ってないデスクが、独りでにズリズリと動き出し、ベッドに寄っていく。


「わ、久し振りに見た、テレキネシス?」

房生ふさおさん、私の『光の帯』、本当に見えないんですの?」

「うん。でもいいんだ。使えなくなって良かったなって思ってて。」

「まあ。」

「あ、変な意味じゃないよ。いらないの、私。」


無神経、土足、そんな言葉が狩野の脳裏を過ぎり思考の邪魔をする。

狩野の思考は様々な断片的な情報が繋がりを探してフワフワと漂い、関わる人物達への先入観がその思考空間に重力場を作り歪めていた。

標的はどれだ、武儀帆海むぎほのみ遊野ゆうやを死に至らしめた元凶は、それを見えなくしている重力場はどれだ。

その重力場を操り整理しようとしている狩野へ、舞衣の言葉が、湖洲香の言葉が、ズカズカと割り込んで来る。


「……るせーな……」


ボソッとつぶやいた狩野に舞衣が目を向けた。


「あ、しゃべった。」


湖洲香も、引き寄せたデスクにピッチャーとコップを置きながら言う。


「まあ。狩野さん、聞きましたわ、やっぱりお昼食べてないですわね。房生さんがね、厨房でご飯分けてもらって握ったのよ。」

「これがおかか。これが梅干し。これはスズキ焼いてお醤油まぶしたの。シャケなかったから。でもね、これがオススメの塩握り。」

光里ひかりちゃん流、でしたわね。」


…ひかりちゃん流?


紅河が眉をひそめた。


「あとね、だし巻き卵も。出汁とか取ってる時間なくて粉末出汁と味醂……」

「るせーって言ってんだろ!」

「まあ! 狩野さん、そんな言い方、房生さんがお腹空いてると思って狩野さんにも……」

「いらねーよ!」

「んまあ!」

「いいよ湖洲香さん。二人で食べよ。この人いらないって言ってるし。」


舞衣は少し口を尖らせている。


「そうですわね。十二個だから六個ずつですわね。さ、頂きましょ。」


…へ?


紅河は目を丸くした。


「え、なに、湖洲香さん、それ六個、食うの?」

「ええ、狩野さんはいらないらしいし。」

「いや、てか、弁当食ったばかりでしょ……」

「三時ですもの。おやつですわ。」


…おやつ? おにぎり六個を?


そう言えば、と紅河は思い出した。

以前、治信はるのぶに誘われて深夜にピザ屋で会食をしたことがある。

湖洲香の食べっぷりは想像を絶する豪快さであった。

はっきりと数えていた訳ではないが、記憶が確かならば湖洲香は大食いの紅河よりも食べていたかも知れない。

それ程大きいおにぎりではないが、舞衣も六個いくつもりだろうか。


「あ、湖洲香さん、お弁当食べたなら無理しないで。私が八個いくから。」

「平気ですわ。小腹がすいてしまって。」

「八個?……」


思わず声を出したのは狩野だった。


「そうよ。お腹空くんだから、部活。高校入ってから特に。この前なんかね、学食で天丼食べて足りなくてカレーライスも食べて、まだ足りなくてラーメンも食べたよ。」


…部活。


狩野は感じた。

住んでいる世界が違う。

オレンジの君、房生舞衣は外の世界の住人なのだ、と。

何の面会だか不思議に思っていたが、嘲笑いに来たのだ。

義務教育を全て白楼で受けた穴倉の住人である自分を、蔑みに来たのだ。


「……部活とか、平和ボケのあんたが、バスケだか何だか、遊びの合間に馬鹿にしに来たのか……」

「遊びじゃないよ!」

「遊びじゃねーよ。」


舞衣と紅河の言葉はほぼ同時だった。


「あ、遊びだろ! そんな、学校とか行って友達とか作って、ぬくぬく、死んでんだよ! 人が! 武儀さんが! 出ていけ……」

「そういうの、やってみてから言ってよね! ムギさんて人は気の毒と思うけど、そういうのバスケと比べるの違うよ!」


湖洲香はコップに冷たい緑茶を注ぎながら舞衣と狩野に交互に目をやっている。


「っせぇ! 出ていけ!」

「え、えっとね! 私ね……」

「おい、狩野君。」


何かを説明しようとした舞衣の言葉に、紅河が被せた。

のそのそとベッドへ近付き、狩野の側へどさっと腰掛ける紅河。


「多くの未熟な人間に囲まれて、自分も未熟で、力を比べられて、比べて、神経擦り減らして戦ってんだよ、俺も、舞衣ちゃんも。部活ナメんなよ。競技を、スポーツを真剣にやるってな、キツイんだよ、すげぇ。」

「な、なんだよ、そんなの、命落とすわけじゃないだろ。」

「負けて、潰れて、逃げるように部を辞めて、それを一生引きずって下を向いたまま顔を上げられないで生きてく人もいるんだよ。真剣にやってればやってる程な。」

「そんな負け犬の話してんじゃ……」

「遊びだって言ったこと、撤回しろ。」


紅河の声のトーンが低くなってくる。

まずいな、と湖洲香は思った。

舞衣も紅河も所詮は高校生、子供だ。

こんな言い争いをしに来たのではない。止めるべきか。


「なんでだよ。遊びだから遊びって言ったんだ。」


狩野は目を据わらせ、ベッドの上であぐらをかいた。


「知りもしないで、偏見だって言ってんだ。撤回しろよ。」


凄んでいるような紅河に、舞衣もさすがに矛を収め目を泳がせる。


「もういいよ、紅河さん。狩野君、知らないで言った……」

「ちと言わせてくれ。舞衣ちゃんはな、明日、大事な試合があるんだよ。チームの中では針のむしろだ。チームメイトに陰口叩かれてるの知ってて、それでも強いチームにする為に矢面に立つことをやめない子なんだよ。どうして今日ここに来たかって言うとな、狩野君、君が塞ぎ込んでいるってことは、君も矢面に立ち続けてるってことだと知ったからだ。」


…え、私そんなこと言ったっけ。


紅河の言葉に軽い買い被りを感じたが、舞衣は黙っていた。


「そうなんだろ? 警察に、美馬にも疑心暗鬼になって、それでも大切な人の死を無駄に出来ない気持ちの表れが、今の君なんだろ。」

「……だからって、あんたらに俺の気持ちなんか……」

「ああ、判らねーよ。判らないから来たんだよ。同じように何かと戦ってるから、判ろうとしてここに来てんだ。」

「世界が、違う……」

「世界? 何の世界だ?」

「普通に、学校とか行って、俺はそうじゃないし……」

「なんだ、逃げてるのは君の方か。」

「にっ、逃げてなんか……」

「うん。わかってるよ。本当に逃げたやつは飯も平気で食って、ヘラヘラしてるだろうな。」

「ん……」


狩野はあぐらの両膝に手をつき、下を向いて言った。


「……じ、じゃあ、何しに来たんだよ。」


その言葉を聞き、紅河は舞衣と湖洲香に目配せした。

もう話せるぞ、という意味合いを含めて。

湖洲香は安堵の息をもらし、四つのコップに緑茶を注ぎ始めた。

舞衣が口を開く。


「あ、あのね、まずね、狩野君はどうしてうちの学校に来たの?」

「どうしてって、それ、あ、あれ、別に、武儀さんも、美馬さんも、好きにしろって言うから……」

「何しに来たの?」

「何って……なんだよ、そんなこと聞きに来たのかよ。」

「そうだよ。」


…そうだよ?


狩野は顔を上げて舞衣の目を見た。

端整な顔が、真っ直ぐこちらを見ている。

その顔は真剣味を帯びており、からかっているようには全く見えなかった。


「そ、あ、ん、と、服、買ってもらったし、房生、とか、あれ、紅河とか、学校とかどんな所か、見てや、見ようと思って……」

「そっか。」


…なんだよ、こんな返答でいいのかよ。


「ちゃんと話してくれたし、あ、じゃあ、あのね、ムギホノミさん、最後に話したの、狩野君だって聞いたんだ。」

「え、そうだけど。」

「どんな話したの?」


舞衣の問い掛けに、勘の良い狩野の目付きが少し変わった。


「なんだよ。やっぱそれか。警察に言われたんだろ、それ、聞き出せって。」

「そうだよ。」


…そうだよ?


狩野は改めてまじまじと舞衣の顔を見た。

美人だ、と思うと同時に、その真っ直ぐな目が少し怖くなってきた。

警察の手下としてここに来たのか、それとも警察の要求はもっともだと考えて自分の意思で来たのか、読めない舞衣の表情がまるでマネキン人形のように見えてくる。


「手下かよ、警察の。」

「え、違うよ。」

「どう違うんだよ。」


湖洲香は椅子に姿勢正しく座ったまま、紅河はベッドの縁で姿勢をやや崩し、狩野と舞衣から視線を外して黙って聴いている。


「最初は警察の赤羽根さんに頼まれたの。それで、私思ったの。私ね、狩野君と同じで両親いないし、ムギさんて人が亡くなって悲しい気持ちも、去年お父さん亡くしたばかりだし、何か分かってあげられそうな気がしたんだ。」

「……親、いないの?」

「うん。小一でお母さん死んで。」


…てっきり平和で幸せな生活してるとばかり……


「ん、んと、え、わかるって、分かってどうすんだよ。」

「え?」

「だから、何しに来たんだって。」

「ムギホノミさんの言葉を聞きに来たんだよ。」

「なんで、房生が。」

「警察に頼まれたからだよ。」


なんだこの堂々巡りは。

狩野は若干イラっとした。


「え、あ、あのな! 警察が知りたいようなことなんか何も言ってねーよ。弟に謝って、ずっと謝ってて、俺を弟と勘違いしてて、それで、また私の弟に、おと、私の、おとうと、に……」


狩野の目に、見る見る涙が溢れ出してきた。


「……私の弟に、また、次も、うま、う、う……生れてきて……て……う、今度は守るからって、そ、そんだけ、だよ……」


瞬きし、大粒の涙が零れた狩野の目に映ったもの。

それは涙を滲ませた舞衣の黒い瞳だった。


「そっか……ごめんね、話してくれて。」


…嘘は言ってねーな、これは。


紅河は横目で狩野を見て、視線を戻す……と、舞衣よりも狩野よりもだらだらと涙を流している湖洲香が視界に入った。


「まあ……帆海さん……なんて優しい……う、う……」


湿っぽい空気に紅河は頭を掻いた。

だが、これで一つ判った。

脱走者の一人である武儀帆海に、警察の特定人物に対する復讐心は無かったようだ。

と言うことは、これは推察になるが、弟の遊野に直接手を下した使い手と捜査員の背後、別のターゲットの存在を聴いて武儀帆海は脱走者達に手を貸していたと考えられる。

要求文書の宛先、やはり杉浜ターゲットに共感していた、ということだろうか。

廃病院で武儀と美馬が守っていたと見られている存在、金色の使い手は、その守る価値とは何なのか。

紅河の推理が揺らぐ。

『金色』が杉浜によって作られた使い手ならば、武儀も美馬も命を賭してまで守ろうとするだろうか。


「まぁ、不味くはない。腹減ってたし。」

「美味しいですわよ、んむ、どうしてそういう言い方するの狩野さん、んむ……」

「お腹空いてると何でも美味しいね。」


考え事をしていた紅河は周囲の状況に気付き、顔をしかめた。


…三人とも食ってるし。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「なにここ。」

「気にしないことだ、岸人きしと君。」


美馬逮捕の突入時ほどではないが、廃病院の一階はやはり徘徊する浮遊霊が多かった。

確信とまではいかないが、喜多室きたむろは自分の勘があながち外れではない事を感じている。

四国の養老で『金色』が連れ去った芳明医科大学施設にいた人物、その非能力者がここに転送されたであろうことを。

その根拠は……


「あれが黒い空間だ。消えたり現れたりする。何かが、何かを隠し続けているのだろう。」


やはりあの黒い空間の中だけは魂の光の有無が確認出来ない。

喜多室には気掛かりな、と言うか心残りが他にもあった。

一階ナースステーションにいた若い女性看護師の霊。

廃病院の正面玄関は、先日の喜多室達の激しい攻防の爪痕を荒々しく残し、怪しい妖気のようなものを漂わせている。

廃病院を包み込む蝉の声は、前回よりも騒がしく重なり合って響き続けていた。

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