偽悪の重力 6.
どうも腑に落ちなかった。
脳の身体機能に及ぼす起点細胞と反射神経の相関研究、あの二人の研究内容がこれだけなのか。
旧特殊研究班の班長であり後に白楼の研究所長となった遠熊蒼甫と、人の脳の使われていない部分に関する研究論文を発表している若邑兼久の残した研究成果が、本当にこれだけなのか。
難航を極めている白楼θ棟地下十一階の掘り起こし、その進捗を聞きつけて訪れていた県警の崎真は、遠熊蒼甫が管理していた紙資料の復元物を隈なく当たっていた。
この掘り起こしは崎真の要請から県警本部を通し警察庁刑事局に上がって動き始めたのだが、伴瓜警視正の警護に付いていた新渡戸という使い手が負傷し白楼入院となったことにより、彼の能力でピッチが上がったのは不幸中の幸いと言えるかも知れない。
第二ラボの安来凌平という二十歳の教育生がクレヤボヤンスとテレキネシスで掘削参加しているが、やはり教育訓練を終えた新渡戸と比べると能率は悪かったからだ。
「……ん!」
崎真が目を留めたのは遠熊の研究履歴の中の、使用研究施設一覧だった。
「蹴蘭山研究所、1993年……やはりあった。」
1993年とは今から二十一年前、遠熊と若邑が都内研究施設で共同研究を行っていた記録と年が一致する。
その年、札幌の研究所も使っていたという証拠だ。
崎真はインデックスを当たり詳細内容を探す。
だがその詳細は見つからず、札幌への出張記録としてしか現段階では意味を成さなかった。
若邑博士との関連も探したが、白楼の資料には若邑のわの字すら出てこない。
その使用研究施設一覧ファイルを抱えたまま、崎真は回線電話の受話器を取った。
「……県警捜査一課、崎真です。特査の遠熊班長代理をお願いします。」
崎真がかけた先は蹴蘭山研究所だ。
「……穂褄と面談中、ですか。申し訳ないが、至急呼び出して頂きたい。緊急です。」
出張前、遠熊倫子は穂褄から情報を取ることはしないと言っていた。
下手に刺激して脱走意思を生じさせてはいけないからだ、と言っていたが、事情が変わったのだろうか。
『遠熊です。』
「ああ、お忙しい所申し訳ありません、崎真です。そちらに記録が残っていないか至急調べて頂きたい案件があります。」
崎真は遠熊蒼甫博士の施設使用年月日を告げ、その研究内容と共同研究者や助手など関連人物を洗って欲しいことを告げた。
「……それで、可能であれば1997年含む以前の遠熊博士の使用情報を全て当たって頂きたいのです。それと、警察庁組織の人物ではないのですが、若邑兼久、彼に関する記録がないかどうかもお願いします。」
『承知しました。』
「お願いします。ところで……穂褄と面談中と聞きましたが、彼、どんな様子ですか。」
『高山植物の生態を調べるのに夢中です。脱走なんかの気配は感じません。』
「そうですか。それは、奈執が現れてからも変わりませんか。」
『変わらんね。その辺は触れていないけれど、脱走者達は組織的に動いていたんでは無さそうです。時折、何かを考え込んでることもあるので目は離せんけど、深越さんおるし、キリスト教の話なんか持ち出す私より深越先生の方が工藤君と上手くコミュニケーション取ってくれてます。』
「そうですか。」
工藤君という呼び名が、遠熊倫子の穂褄に対する気遣いを感じさせた。
彼女にはその人の大事にしている価値観を見抜く力があるのだな、と崎真は感心する。
電話を切った後、そのまま南條治信へ報告と状況伺いをしようと刹那考えたが、もう少し白楼の紙資料を洗ってからにしようと受話器から手を離した。
崎真はまだ知らない。
今、奈執を目撃したという治信がその奈執本人と直接対峙していることを。
『崎真警部、碓氷です。テレパシー失礼致します』
唐突に崎真の頭に言葉が入り込んできた。
『ん、美馬の行方、掴めましたか』
『いえ、別件です。古見原課長の指示で能力使用しています。報告です。皇藤氏の要求文書、七月二十九日十五時四十二分という日時の件ですが、1998年の杉浜光平アリバイが崩れました』
『98年……十六年前だな』
『はい。当時衆議院議員の杉浜はその時刻、秘書を伴い事務所にて公務とされていましたが、その秘書が休暇を得ており自宅に居たことが秘書の家族の供述で判りました』
『その時刻に杉浜が事務所に居たことを証明できるものがない、ということですか』
『はい。ここから先は調査目的を伏せ警視庁の捜査課を使います。追って当時の杉浜の足取りを報告します』
問題となっている十七年前、1997年の翌年である。
…たまにはうちの2係も使うか。
崎真はそのまま受話器を取り、県警捜査一課へ電話を掛けた。
「……崎真だ。ああ、ちょっと調べてくれ。1998年7月29日、その日の事故履歴、犯罪履歴、全てだ。……ん? 傷害? 後回しでいい。……そんなもの他の者にやらせろ。頼んだぞ。」
受話器を置くと復元資料の山に再び目を向ける。
…1998年、蓮田忠志が皆月陸子を殺害した年。
…皆月陸子、旧姓は鹿島陸子、1994年に皆月真人と入籍、問題の1997年に岸人を出産。
…ん、蓮田喜美の全身不随事故も1997年だったか。
関連付く人物や事象から崎真の思考が推察の深淵へダイブする。
蓮田喜美。
蓮田喜美の事故のきっかけとなったのは若邑美湖の心臓破裂、それが当時二歳の湖洲香の能力によるもので、蓮田忠志と蓮田喜美によって行われた能力発現メカニズムの分析中に起こった。
蓮田夫妻は両名とも能力者、使い手である。
そして、遠熊蒼甫の部下。
遠熊蒼甫。
遠熊蒼甫の研究予算、つまり刑事局の研究予算は国家公安委員会の監修が入る。
国家公務予算。
杉浜は当時衆議院議員。
皇藤刑事局長と杉浜議員の関係如何でこの予算操作は変わってくる。
刑事局内で研究予算案を作成するのが遠熊蒼甫だとすれば、予算内訳となる遠熊が申請した研究計画内容を皇藤は目にしている。
…表面上こういう関係にある皇藤から杉浜へ、死亡能力者の慰霊碑の要求?
繋がらない。
関係性から見るとどう考えても皇藤の名での要求文書は不自然だ。
だから、皇藤は書かされた、と警察では推測している。
逆に、あの要求文書が皇藤の意思を反映させているものだと考えるとどうなるか。
文章を表面的に捉えると、皇藤は死なせたくなかった能力者たち、その命を奪ったのは杉浜、と読み取れる。
そして杉浜は七月二十九日、何かに関わっている。
何か、とは何だ。
要求内容は七月二十九日に『悪業』を国営放送にて公表しろ、だ。
それは何だ。
能力者達の死は年、日時共にバラバラだ。
悪業とは一体何だ。
M.M.とは誰のことだ。
それが皆月真人だとすると……皆月真人と皇藤が繋がるとすれば、それは遠熊蒼甫を介した関係と見るのが現実的だ。
遠熊蒼甫は刑事局組織における皇藤刑事局長の部下である。
皆月真人は美馬詠泉と共に遠熊蒼甫の研究補助をした経緯がある。
美馬詠泉。
美馬詠泉は特殊医療班の班員で、1997年当時四十歳、古見原一成班長の部下。
そして無人テロ事件の首謀者として逮捕されている。
無人テロ事件。
この事件で襲撃された議員立候補者たちは支持率が低下、杉浜に有利な状況が出来上がり、結果も杉浜当選。
何だ。
この構図は一体何なのだ。
仮に、皇藤刑事局長の示唆で美馬詠泉が杉浜を有利にさせる為にテロを起こしたとする。
更に、尻尾切りとして美馬詠泉一人が人身御供として犠牲になったと考えてみる。
美馬詠泉がテロの主犯だと特定したのは佐海藤吉、あの緑養の郷の院長だ。
皇藤、杉浜、佐海、この三名が結託して美馬詠泉を裏切った、と見えるではないか。
この背景から理解出来るとすれば詠泉の息子、美馬恒征の恨みと復讐くらいだ。
解らない。
皇藤が杉浜に要求する『悪業の公表』、これが全く浮かんで来ない。
浅い。
情報が足りない。
歪みのポイントが見えない。
往々にして事件の真相を読み違える場合、どこかに偽りの悪があり、それを悪と固定してしまうが故に見失うケースが多い。
それは単純に冤罪だけを指すのではなく、法に触れた行為を実際に行っているが関わる人間関係の中で見れば人として正しい行いだ、というものもある。
見せ掛けの偽悪はどれだ。
そして真の元凶はどこなのだ。
もし、逃げた使い手を殺せと命じたのが皇藤ではないのであれば、それは誰なのか。
脱走者捜索に当たった蓮田忠志たちの独断で起こった殺人なのか。
その贖罪の矛先が杉浜に向いているのは正当か、それとも逆恨みか。
見えてこない。
正体が見えない。
杉浜も、佐海藤吉も、皇藤も、そして遠熊蒼甫ですら裏の顔があるように見えてしまう。
白楼事件直後に出ていた結論、蓮田忠志の単独凶行で片付くならば、伴瓜警視正が襲撃されたりはしない。
雅和希と名乗った奈執志郎が連れ去った皇藤元刑事局長は、脱走者達にとってどういう位置付けの人物になるのか。
そして、廃病院で一瞬現れた『金色』の使い手……。
未だ思考の堂々巡りから抜け出られない崎真は、深呼吸すると再び復元資料の山に挑んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「言ってるでしょ、雅弓は自分の意志で警察に帰らないんです。南條さんを会わせる意味がないですよ。」
奈執はペーパーナプキンで口を拭いながら不機嫌そうに言った。
治信も端からすんなり雅弓を渡すだろうとは考えていない。
目を細め、治信は思う。
奈執はここに来た目的を『会社への盗聴器仕掛人かどうかの確認』と『警察に自分の情報を流すという邪魔立てを止めて欲しい』という意思表示だと言った。
義継や紅河が関わってくれば負傷に巻き込む、といった半ば脅しのようなことも言っている。
だが、それは本当の目的ではないだろう。
無論パンケーキを食べに来たのでもない。
…私を足止め、何かの時間稼ぎか?
であるならば、今席を立てば引き止めてくるか。
「そうですか。では自分で探すとしよう。」
治信は立ち上がる仕草を見せた。
「あ、あ、まだ話は終わってないんですよぉ。」
急に愛想笑いの顔になり引き止めてくる奈執。
上げ掛けた腰を下ろし、やはりか、と治信は思った。
自分を足止めする目的は何か。
これまでの自分の行動から、奈執は次にどこに向かうと予測しているのか、考えてみる。
小学校なら公立から私立と周り、雅和希の届出住所へ向かい、空振りだった。
崎真の言う通り、公立を再び調べられることを止めようとしているのか。
それとも偽の似広悟のマンションを再び当たられたくないのか。
先程ほのめかした児童養護施設や結婚相談所で新たな仕込みを進めているのか。
いや。
いずれにしても、今この時間だけ足止めするのはほとんど無意味だ。
何を企んでいるのか。
「私も暇ではない。なんです?」
「実はですね、探偵の南條さんだとわかったので、依頼したい事があるんですよ。」
普段ならアポ無しは即断るのだが、目の前の相手は奈執志郎だ。
少しでもヒントや情報を得ておきたい。
「どのような?」
「いやあ、武儀さんがね、とても親切な探偵さんだと言ってましたのでね、ああ、武儀さん、残念です、本当に……あの子、変わってたけど実は優しい子なんですよ。なんであんな良い子が……」
「暇ではないと言いました。どのような依頼です?」
「あ、はは、すいません。ええとですね……」
奈執はスラックスのポケットに手を突っ込み、小さなメモ帳を取り出した。
そしてシャツの胸ポケットに手をやる。
「ん、およ、あれ。」
手探りの仕草から見るに、胸ポケットにペンを探しているようだ。
だが、そのポケットには何も入っていない。
「ありゃ、うそぉ、ああ、ペンが無い……」
わざと苛立ちを誘っているのだろうか。
営業マンが例え休憩時間だったとしても外出中に筆記用意を怠るなど普通は考えられない。
治信は無言でボールペンを差し出した。
「あああ! これはどおも! いやはや、お恥ずかしい……いえね、人捜しなんですけれど……」
奈執は文字を書きそのページをピッと切り取ると治信へ向けて差し出した。
舟岡莉歩、と書かれている。
「ふなおかりほ、という女性なんですけど、今は三十三歳か三十四歳。」
そう言いながら奈執は治信のボールペンを自分のシャツのポケットに刺した。
メモに目を落としたまま治信は右手を差し出した。
「え?」
「ペン。」
「あ、ああああ、これは、しまった、いや、ごめんなさ……」
「緑養の郷の職員。十六年前、1998年に退職。当時十八歳。」
治信の言葉に、ボールペンを手渡した奈執の表情がすっと締まった。
「はい、やはり調べてましたか。この人、皆月岸人君のお母さんが亡くなられた直後に辞めてるんです。就職して一年も経ってないのに。知りたいことは……」
「使い手かどうか、か。」
「さすが南條さんです。」
奈執の言葉には真剣味があり、これは真面目な依頼なのだろうな、と治信は感じた。
だが、刑事局に復讐すると公言している奈執の依頼など受けられるはずもなく、また受ける気も無い。
「申し訳ありませんが、この依頼は受けられない。」
「そうですか。……冷たいな、雅弓を預かっていることを正直に明かしたのに。」
「まずご自分の立場を理解することです。返して下さい、仔駒雅弓を。」
奈執は席を立った。
「必ず、雅弓は幸せにします。」
そう言うと奈執は治信の会計伝票も手に取り、店のキャッシャーへ歩いて行った。
…足止めではなかった、のか。
治信はテーブルに残された盗聴器を見るともなく見ながら、奈執の目から見た自分を整理した。
彼は自分と義継をどこか中立的な位置付けに見ている様だ。
それは白楼事件の時の立ち振る舞い、刑事局と対立していたことが印象深く残っているかららしい。
だが、油断や隙は見せない。
奈執は今、敵味方を確認してまわっているのかも知れない。
と言うことは、例の要求文書のリミット、今月二十九日に要求が満たされない場合、何か大きな動きを刑事局へ仕掛けてくると考えた方がいい。
…その時に雅弓ちゃんが利用されないよう動かなければならない。
治信は喫茶店の窓越しに奈執が会社へ戻るのを確認ししつつ、何度か振動したスマホを取り出した。
「ん!」
そこにはGPS検索にも掛からなかった雅弓の携帯電話からの着信が混ざっていた。




