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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
202/292

偽悪の重力 3.

似広悟にひろさとるの勤める印刷会社、その事務所があるビルに到着した治信はるのぶは、車道を挟み向かい側にある喫茶店に入った。

喫煙席に座るとサンドイッチとコーヒーを注文し、イヤホンを耳に挿す。

前回インク業者を装い訪問した時に取り付けた盗聴器の受信機だ。

だが、受信機はノイズしか発しなかった。おそらく気付かれ取り除かれたのだろう。

喫茶店の窓から似広の会社のビルをチラッと見る。

ブラインドが降ろされており中の様子は判らない。真夏の午後にあり、当然と言えば当然だ。

治信は携帯電話を取り出した。


「……南條です。今、似広悟の会社の前。ビルの出入口を見張る。根津ねづ巡査は北海道でのヤツの動きを監視出来る状態にありますか?」

『難しいようだ。腕と足の外傷はさほど深刻では無いが、頭痛と吐気の後遺症的な症状でまだ安静とのことだ。身体の各所に内出血も見られるらしい。概要報告ではあの時の余市湾海上付近に気圧異常、酸素濃度の偏り、ネオンガス滞留といった特異な環境が作られていたらしい。』

「ふむ……深越美鈴ふかごしみすずによる奈執なとり監視はどうでした?」

『それも札幌全域を、というのは無理のようだ。クレヤボヤンスが届かないらしい。深越は蹴蘭山けらんざん研究所から出られないからな。』

「奈執の全行動パターンを追跡、はやはり困難か……ひとまず私は会社への出勤状況を追う。」

『こっちは空家だったと言う雅和希みやびかずきの自宅マンションに何か動きがないか一人張らせている。それからな、南條さん、』

「ん。」

『公立小学校の方、もう一度当たってみてくれないか。』

「なぜ。」

『賢永学園の方、面接の映像が手に入ったのだが……面接を受けていたのは似広まゆみ、偽の子だった。』

「なんだって?」

『賢永の編入試験合格を蹴ることは考えにくい。そちらに似広まゆみ本人が姿を見せている以上公立には行かないだろう。となると、公立が仔駒こごまである可能性が……』

「すまん、崎真さきまさん、奈執がビルから出てきた。一旦切る。」


振り回されている。

雅弓まゆみの捜索も皇藤こうどうの追跡も、奈執一人に振り回されっ放しだ。

その奈執が、似広悟の名で勤めている会社のビルから出てきた。

尾行はしない。

今の治信の目的は会社を出入りした時刻の記録を取ることだ。

ヤツは東京の会社を出た直後に札幌に現れる、という事が出来てしまう男だ。

行動パターンを断片でも掴んで皇藤満秀の居所、そして雅弓の居所を推察するのだ。


ビルを出て左へ歩いて行った奈執の姿が視界から外れた。

タクシーならビルの前で拾うだろう。

社用車ならビルの地下から車で出てくる。

電車か、徒歩による近所の用事か、はたまた……札幌へ飛ぶのか。


サンドイッチを平らげ、コーヒーカップを口に運んだ治信の手が止まった。

喫茶店の入り口にその視線が釘付けになり、入ってきた男の目と合う。


…奈執!


意表を突かれたが、あり得ない事ではない。

奈執は使い手、非能力者の治信であってもその魂の光の色は固有である。

盗聴器が処理されていたことから、会社の訪問者記録から変装治信にも盗聴器設置の疑いが掛かって然り。

その変装治信の魂の光の色を奈執が記憶していれば、会社の近くに現れたその魂の光を確かめに来るのはむしろ自然なことだ。


「相席、宜しいですかねぇ。」


汗をタオル地のハンカチで拭いながら、人懐っこい笑顔で、似広悟は堂々と治信に声を掛けてきた。


「ええ、どうぞ。」


これは最終対決になるのか。

それともまたヒラリと交わされるのか。

治信はタバコに火を点けつつ、穏やかな笑顔を奈執に返した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「あれ……諸星もろぼしさん、すみません、ユウキ君は?」


県警へ戻った赤羽根あかばねはデスクに門守かどもりがいないのを見て眉をひそめた。

新たに作成しなければならない報告書が山積みだ。


「あそこです。」


諸星はパソコンモニターから目を離さずに、事務所の一角に据えてある監視モニターを指差した。


「ん?」


モニターを見遣る赤羽根。

雅弓失踪から常にオン状態にしてある一つ、雅弓の部屋に門守の姿があった。

部屋の真ん中で胡座をかいて漫画本を読んでいる。

赤羽根はツカツカと監視モニター群に歩み寄り、音声出力フェーダーを目一杯上げ、マイクに向かって怒鳴った。


「おら! お前! マユミが帰って来たらコロされるわよ!」


モニターの中でビクッとして監視カメラを見上げる門守。


『お、おか。ちこっと報告が。』

「事務所に戻ってこい!」

『でか……音、でかいっす。』

「いいから戻れ!」


諸星が、ふっと小さく笑った。

数分後、門守は事務所に戻ってきた。

読んでいた漫画本は持ったままで、手には白手をしている。


「これは止まらないっすねー、続き読みたくなるわ。」


赤羽根はギロッと門守を睨みつけると、顎で予備室に入るよう促した。

予備室に入ると赤羽根は門守と彼の手の漫画本を交互に見て眉間にしわを寄せた。


「んで、なに、報告って。」

「んーと、あー、ちょっと見て欲しいものが。」


門守は一旦予備室を出てノートパソコンを持ってくるとLANケーブルを繋いだ。

カチャカチャッとキーを叩き、モニターを赤羽根に向ける。


「これ、まゆみちゃんの部屋っすね。ちと分かりずらいけど、ここ、机んとこ。」

「ん? なに、漫画?」

「うん。」


湖洲香こずかに借りたものだろう。机に漫画本が七冊、少しづつずれて重なって置かれている。


「よく見てて。」


赤羽根はモニターの中の漫画本を凝視した。


「あ……」

「ね。」


部屋には誰もいない。

だが、ある瞬間、漫画本の一冊の位置がすっとズレた。

それは、一瞬消えて、数センチずれて現れた、といった感じである。

時刻は深夜一時十二分が表示されている。


「六巻から十三巻なんすけど、十一巻が無いんすよね。」

「これ、テレキネシス……あ、いや、物質転送か。」


おそらく消えたのが十一巻で、現れたのは十巻だろう。


「ですかねー、いやー、光の帯? 羨ましいっす。便利っすねー。十巻がさ、良いところで終わるんすよ、これ。」


門守は手に持っていた漫画本をパラパラと開いた。


「そんなことどうでもいいわよ。」

「そうすか? まゆみちゃん、十一巻読み終わったら、十二巻いくんじゃないすか。」

「十二巻はまだ部屋にあるの?」

「うん。んで、位置が動いたのがこれ、この十巻。大抵、漫画って製本された時シュリンクパックされるから、表紙に触るの、本屋の店員と買った人くらいっすよね。」


赤羽根にも門守が何が言いたいのか分かってきた。


「指紋、か。」

「着いてないかなぁ、誘拐犯の。」

「わかった。調べさせよう。」

「十一巻が帰って来たら、それもっすね。」


門守の『十一巻が帰って来たら』という言葉に、赤羽根は少し気が楽になった。

少なくとも雅弓は呑気に漫画本を読んでいられる環境にいる、ということだ。

そして、雅弓は律儀な一面を持っており、他人に借りたものを大切にするところがある。

失くさないように一冊づつ持ち出しているところが、どこか遠くに消え去ってしまった雅弓の存在をまた身近に感じさせた。


「まゆみちゃん、テレポーテーション出来ないんすよね?」

「失踪前は出来なかった。」

「んー、これさぁ、まゆみちゃんじゃなくて、まゆみちゃんに頼まれた誘拐犯が転送してたら、あれっすね、少なくともこの日のこの時刻には誘拐犯とまゆみちゃんは一緒にいるってことっすね。」

「ん、手掛かりになる、かな。」

「光の帯って指紋みたいなの、着かないんすかね。」

「つかないね。」

「万引きとかし放題っすねー。」

「マユミの前でそんなこと言うんじゃないわよ。」

「もちろんす。」

「あれは? グアン。」

「まだっす。」

「真剣に調査してるの?」

「だから難しいんだって。プレイヤーにリアルの事を聞いて回るとウザがられて干されるし、運営の個人情報はセキュリティがっちがち。なんで、まずGuangと直接フレンド登録を狙ってみるっす。」

「会えるの?」

「ランド間戦争には必ず現れる。んで、そこでGuangを戦闘不能に追い込む。その為の強化チームを作ったっす。」

「なんだか知らないけれど、それ、遊んでるだけじゃないでしょうね。」

「ちょっと、そのパーティー作る為に俺どんだけ睡眠削ったと思ってるんすか。職種も属性も精霊加護もGuangを倒す為に特化して、チームのスキル上げと装備……」

「ああ、わかったわかった。もしグアンと接触なりチャットなりする時は全て記録して。」

「了解す。」

「あ、それとね、マユミの部屋、光の帯が侵入していると判った以上、もう勝手な入室は禁止。君が危ないわ。」

「いやー、テレパシーとか来ないかなーと。」

「禁止と言ったら禁止。」

「はい。」


湖洲香も喜多室きたむろも出払っている今、この県警本部の監視やガードが無いに等しい。

白楼のラボから教育生を県警に回してもらうことは出来ないだろうか、と赤羽根は密かに考えていた。

手元には三名の使い手データを抑えてある。

安来凌平やすぎりょうへい棚倉仁たなくらじん天草羽多あまくさうた

いずれも第二ラボの教育生で、心療診断という名目で既に面談要請を出してある。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


県警の総合受付に、一人の男性が訪れていた。

腰を庇うように歩くその男は、ピンク色の胡蝶蘭を差し出しながら受付の警官に必死に頭を下げていた。


「お願い致します、どこにいるのか教えて下さい。面会したいのです。やっと食品衛生責任者と防火管理が取れたんです、どうかお願い致します。」

「ええと、そう仰られましても、栂井翔子とがいしょうこという人物はデータに無く……」

「私ね、ここで話したんですよ、押塚おしづかさんという警部の方と。お願い致します、どうか、お願いします。」

「押塚は外出中です。捜査課の者はお約束が無いと会うのは難しいですよ。」

「では、どこで聞けばわかるでしょうか、翔子ちゃんの居場所は。」

「ここに記録が無いとなると、別の管轄でしょうね。どこの地域で起きた犯罪関係者か分かりますか?」

「え、えっと、会ったのは、ああ、都内でした。あそこは新宿区になるかな。」

「それはここに来られても……警視庁ですね。もしくは新宿警察署か、管轄によっては四谷、牛込、戸塚になりますね。」

「ええ? でも翔子ちゃんを連れて行ったのはここの押塚さんですよ。」

「ここは県の本部で、押塚は警視ですから他の管轄とも絡みはあるかも知れませんね。」

「そんなこと言われても……なんとかお願い出来ませんか。」

「申し訳ありませんが、今日のところはお引き取り下さい。押塚との面会を取り付けましょう。お名前と電話番号をこちらにご記入下さい。」

「はぁ。」

「日時が決まり次第ご連絡します。で、まことに恐縮ですが、このお花も受け取ることは出来ません。お持ち帰り下さい。」

「そう、ですか……」


男は名前と連絡先を記入すると、胡蝶蘭の鉢を持ち、すごすごと県警正面玄関を出た。

『柴山生花店』と書かれた白いライトバンの後部ドアを開け胡蝶蘭をしまっていると、一台の覆面パトカーが入って来るのが見えた。

何気無く見ていると、運転席から若い私服警官が、助手席からは女子学生が、後部座席からは四十代くらいの警官と男子学生が降りてくる。


「んん? あれは……」


男子学生に見覚えがある。

あの身長、横顔。

男は思わず声を張って叫んだ。


「おおーい、桜南の、紅河くれかわ君じゃないか!」


学生が振り向く。

そして警官と何やら話した後、男に向かって歩いて来た。

その学生に付いて二人の警官と女子学生も来た。


「どうも、柴山さん、でしたよね。」

「おお、やっぱり紅河君か。調子はどうだい。緒戦は確か、広島の高校だったか。」

「はい、来週からです。」

「今日は警察なんかに、どうしたんだい?」

「ちょっと刑事の人と話に。別に悪い事なんかしてませんよ。」

「わかってるよ。スポーツマンが悪さなどするもんか。……そうだ、な、紅河君、翔子ちゃんの居場所、知らんか。」

「え?」

「ほら、翔子ちゃんだよ。スタジアムで押塚さんが連れて行った。」

「あ、ああ……」


栂井翔子のことか、と紅河は気付いた。

おそらく白楼だろうが、自分の様な一般人がそんなことを話していいものか。

すぐ後ろには警察庁の古見原こみはらという偉い警察官もいる。


「ええと、んーと……ちょっと待って下さい。」


紅河は振り返り古見原に小声で柴山という男性について簡単に話した。

古見原は頷き、柴山に歩み寄る。


「古見原と申します。どうも。栂井翔子に、何か?」

「柴山と言います。翔子ちゃんがジュースを扱う店をやりたいと言ってましてね、飲食の、食品衛生と防火、資格を取ったんです。それで、それを伝えるのと……」


柴山はライトバンからごそごそと何か取り出した。

保冷水筒だった。


「あと、作ってみたんですよ、味を翔子ちゃんに見て欲しくてね、いちごジュース。」


古見原は軽く頷き、横にいる野神のがみをチラッと見た。

野神は無言で首を左右に振っている。

『使い手か?』『いいえ』というやりとりだろう、と紅河は思った。


「面会をご希望、ということですね?」

「ええ、はい、そうなんです、知ってますか、翔子ちゃんを。」

「栂井翔子との面会は私の一存では判断出来ません。押塚でも無理でしょう。ちょっとその、お作りになったジュース、一口頂けませんかね。」

「え、あ、ああ、良くドラマで見る毒味、ですか。」

「ははは、違います。お店に出そうとしているジュースと聞いて、これは運がいいな、と。喉が渇いておりまして。」

「あ、はは、ああそうですか、いいですよ、どうぞ。」


柴山は紙コップを取り出し、いちごジュースを注ぐと古見原に渡した。


「……ん、む、なるほど。」

「どうです?」

「身体に良さそうですな。果肉も少し入っていて、いやこれは美味い。」

「そうですか。」


古見原は紙コップを返しつつ、柴山の嬉しそうな表情を見た。

優しそうでとても人間味のある顔をしている。

水筒をしまう様子を見るに、腰が悪そうだ。

その腰痛をおしてまでわざわざ警察まで栂井翔子に会いに来た。

彼女の言葉を親身に受け止めて、食品衛生と防火の資格も取ったと言っている。

栂井翔子は十一歳の少女だ。

殺伐とした能力者教育に晒されてきた翔子にとって、この人間らしい触れ合いは心の育成に良い影響を与えるだろう。


「柴山さん、事情はわかりました。この古見原が一肌脱ぎましょう。」

「え、会えますか、翔子ちゃんに。」

「先も申しました通り、なにぶん私には権限がありませんので保証は出来ませんが、栂井翔子との面会、掛け合ってみます。」

「おお、お願い致します。」

「そのジュースに愛情を感じました。あの子にも飲ませたいですな。」

「ああ、いや、はは、どうも。」


古見原の背後で女子学生、湖洲香こずかが紅河に耳打ちした。


「古見原さん、親子なのにコミハゲと大違い。良い人ですわね。髪もふさふさ。」

「しっ、聞こえますって……」

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