偽悪の重力 1.
『そんなんね、なんでもかんでもうちに振らんといて欲しいわ。だいたい、高山病の症状なら低気圧でしょ、それとネオンガス滞留の相関なんか白楼で調べてや。伊織ちゃん倒れるわ。』
「あの、倫子ちゃん、済まない、悪かった、ちょっと落ち着こうか。」
電話口の遠熊倫子の関西訛りがかなり強くなっている。
これは危険信号だ、キレ掛かってる、と古見原は思った。
道警捜査課とSAT、そして警察庁刑事局の根津が遭遇した『鮮やかな発光を伴うボート爆発や人体裂傷』は道警を経て刑事局へ報告され、その実態調査及び分析は県警の特殊査定班に降ろされてきた。
それに対し、特査の遠熊班長代理が指示者の古見原警視へ差戻しを訴えているのだった。
組織的にはあり得ない物言いである。
『落ち着いています。とにかくね、うちはまだ諸星博士が使えないし、現象の分析まではそっちでやってもらって、どうしても解析不能なところだけ流して頂けます? 白楼にも科学屋さん居るでしょ。』
「うん、まあそれが筋だけど、指示書は私の名ですが上から特査へ至急降ろせと……」
『なんなんそれ! 上の指示を素通し? それが警視様の仕事? 成実君のご判断はどこいったん!』
「いや、あ、その、下の名前は勘弁してもらえますか……」
『先に倫子ちゃん言うてるのそっちでしょ!』
これが警視と特殊部署代表の会話か……と古見原は肩をすくめた。
古見原成実と遠熊倫子は双方の親が刑事局の特殊部署で働いていた関係で幼馴染である。
そして、お互いに親の仕事内容は全く知らされずに育ったという共通点を持つ。
古見原成実の方が九つ歳上であるが、元々穏和な性格の古見原と気の強い遠熊にあり、何か口論になると譲ってきたのは古見原の方だった。
だが、遠熊も警察組織の一員となった今それは組織上許されることでは無い。
「そうでしたね、申し訳ない。遠熊班長、おっしゃる通り白楼でも分析に当たらせますが、特査も動いて下さい。諸星博士の正規採用と能力者情報共有の件は何とかします。お願いします。」
『班長ではなく班長代理です。諸星さんのこと、大至急お願いします。』
…全く、どちらが指示を受けているのやら。
「判りました。それと……どう? 蹴蘭山の所長から何か情報取れた?」
『何かご存知のようではあるけど、話してもらえんね。』
蹴蘭山研究所の所長は古見原成実警視の母親、古見原啓子であるが、息子の成実の手で情報を取ることが難しいことは遠熊にもよく解る。
刑事局の秘匿部署に所属する者は、その家族に一切業務内容を漏らしてはならないといった誓約書を書かされているからだ。
刑事局捜査課長という立場からであれば、という見方もあるが、秘匿部署の所長へ情報開示を求める行為はそれこそ刑事局長の佐海の許可が必要で、それは既に要請している。
だが、止められているのか、回収出来ていないのか、降りてこないのだった。
古見原が遠熊に依頼した情報収集は『能力者狩りについて』『無人テロ事件の背景について』『皇藤満秀の札幌の旧友について』であるが、佐海局長がそれに関する情報を古見原捜査課長に降ろさない、ということは考えにくい。
つまり佐海も古見原啓子から情報回収が出来ていないと思われる。
もしくは、古見原啓子は本当に何も知らないということかも知れなかった。
「知っている、と感じる、その根拠は?」
『聞いた時の、会話の間やね。』
「会話の間、か。」
『そう。でももしかしたら何もご存知ないかも知らんし、もう少し別のアプローチでやってみるけどね。』
「倫子ちゃんには話してくれると踏んでいたんだがな……」
『また倫子ちゃん言うて。別にいいけど。』
「す、すみません……」
受話器を置きつつ古見原は、全てが後手に回ってしまっているこの状況はどこに問題があるのか改めて考える。
廃病院の捜査に臨んだ時、脱走者たちの真の目的とその正義の拠り所を見極めるべく当たったはずだったが何も得られず、皇藤満秀直筆の要求文書というかたちでその目的が杉浜光平に宛てられて来た。
大きなヒントとなり得る狩野佳洋は結果的に塞ぎ込んでしまい、ある高校生に面会させる事で突破口を開こうとする運びにある。
奈執志郎は尻尾を掴むどころか、道警の捜査力と根津という戦力を削がれる損害を被った。
仔駒雅弓失踪の手掛かりは県警から進捗報告が上がっているが、これも決め手にはまだ手が届いていない状況にある。
…やはり現場捜査のプロではない警察庁が動いていること自体が問題か。
それも他責に変換しているだけの逃げ口上に過ぎないか、と頭を振る古見原。
どこか、一枚上手である。
脱走者たちの方が。
「紅河淳、と、房生舞衣、か。」
紅河は野神との面会日程が出た。そこに古見原も同席する予定だ。
房生は今週、十九日の土曜、狩野との面会協力に承諾が取れた。
「ん?……もう夏休みじゃないのか、彼らは。」
紅河の城下桜南高校サッカー部はインターハイ出場だと聞く。
こんな事でいいのか。
高校生に頼る捜査など、有っていいのか。
「七月二十九日、十五時四十二分、か……」
この日時と時刻、碓氷の調査はどうなっているか。
まだ十日以上あるとは言え、事件の背景を知る重要な手掛かりとして急がせなければならない。
我々には何が足りないのか。
何を補えば被害を抑え先手を打てるのか。
「ん。」
古見原のデスクに県警本部からの申請書が回送されてきた。
データを開き、古見原は目を細める。
…皆月岸人の外出許可だと? 押塚警視、か。
ある意味常識外れな申請だ。
簡単に承認されるような内容では無い。
だが、古見原は思った。
我々に足りないのはこれか、この非常識な発想か、と。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
赤羽根は日本統合医療学会会合からの帰路、都筑院長の民間総合病院へ立ち寄った。
相変わらずオーバーワーク気味な特査業務に追われてはいたが、研究仲間であった都筑と帰路を共にしたことと、ある事をふと思い出したからだった。
病院の正面玄関を潜る二人。
「あの脱臼の子はどうだ、若邑君は。」
「ええ、お陰様で。」
「そうか。仔駒雅弓君は? 何か手掛かりはあったのか。」
「はい、多少は。」
「多少、か。君らしくもない曖昧な表現だな。」
「私の失態だから……」
「手配書は院内に通達した。情報が入ったらすぐ回すから気を落とすな。」
「はい、ども。」
仔駒雅弓の話を出すと赤羽根は目に見えて表情を曇らせる。
無愛想な赤羽根だが、その人一倍強い責任感をよく知る都筑は少し心配になった。
話題を切り替える。
「山本光一君だったね。」
「はい。」
「まだ言っているらしいぞ、空から降りてきた黒い服の女の人のことをね。」
「病床でうたた寝して病床の夢を見ることは頻繁にある、と話したんですけどね。」
そう言いつつ、赤羽根は思う。
機会は無いだろうが、山本光一の所に湖洲香は連れてこられないな、と。
言って聞かなくなるだろう。この人だ、と。
「コーヒーでも飲んでからにするか。」
「いえ、あまりのんびりもしていられないので、すぐ。」
「そうか。」
赤羽根の言葉を受け、都筑はそのまま山本光一の病室へ赤羽根を連れて行った。
ドアの前まで来ると彼は病室には入らず、院長室へ戻った。
「ども。」
表情を繕わず疲れた顔で病室に入ってきた赤羽根だったが、それを見た光一の顔は明るくなった。
「あれ、この前の! 心理学の赤羽根博士でしたよね!」
「うん。調子、どう?」
「調子って、義手?」
「いや、いろいろと。」
「いろいろとって、まあ、元気ですよ。」
「そう。」
「なんか、この前もだけど、テンション低いよね、赤羽根博士。」
「まね。」
赤羽根は椅子を寄せてベッドの脇に座った。
「皆んなさ、初めて来る人って僕に気を使うんだ。そういうの無くて気が楽だな。」
「なに、お世辞?」
「違うよ。自然体の人っていいなって話。」
「そ。」
「今日は、えっと、何も聞いてないけど、何か検診?」
「なわけないでしょ。この病院の関係者じゃないし。」
「だよね。遊びに来てくれたの?」
「うん、ちょっと近く通ったから、どうしてるかと思って。」
「おお、なんだ、赤羽根博士は素っ気ないからもう忘れられてると思ったよ。」
「うん、まあ、忘れてたけど。」
「えええ、あはははは。」
…いい子だな。障碍とは、それ自体は性格を暗くする主要因ではない、の好例ってやつかな。
人は他者と比べることにより劣等感や自己嫌悪を持つようになる。
劣っていること、努力ではどうにもならないと思い知ること、それらが不平等を意識させる。
実は赤羽根には少し腑に落ちないことがあった。
それは、なぜこの光一少年からはその劣等感が感じられないのか、である。
元々素直で明るい性格をしているのは分かるが、看護師に聴いても劣等感を持つ様子を感じさせたことが無いと言う。
頭の良い子ほど他者と自分の違いを強く認識し、負けまいとする意識が働くものだ。
そしてこの光一少年は賢く、学問の成績も良い。
少年心理学的にも十三歳という年齢は必要以上に劣等感を増幅させてしまう時期でもある。
赤羽根の研究心をくすぐる少年だ。
だが、それは今日の訪問の趣旨ではない。
「光一君、オンラインゲームをしてたわね。」
「あ、うん。」
「ゲームの動画や音響と、やっている時の姿勢ね、神経疲労に関係してくるの。成長ホルモン分泌に干渉しないかどうか少し心配でね。」
「ああ、そうなんだ。でも人一倍寝てるし、心配ないと思うけど。」
「素人が判断するな。」
「おお、博士っぽい言い方!」
「なによそれ。まあいいや。ちょっとさ、ゲームやってる画面、見せてもらえる?」
「あ、いやあ、人が見てるとやりにくくて。」
「デモ画面的なものとか、無いの?」
「ログイン前の画面で良ければ。」
「うん。見せて。」
「いいよ。」
光一はノートパソコンを開きサイトへアクセスした。
ゲームタイトルが大きく表示される。
…お。
赤羽根は目を細めた。
『精霊憑き魔道戦記』……門守にあるユーザーを追わせているゲーム、それであった。
「光一君のキャラクター、見れる?」
「それは駄目だよ。」
「なんで。」
「MMORPGは匿名性があるからその世界を楽しめるんだ。キャラは秘密だよ。パラメーターとかは絶対見せられない。それが他の人に知られたら対人戦の駆け引きがなくなるよ。手を打たれちゃう。」
「私はやらないよ、こういうの。」
「えー、結構やってたりして。」
「やらん。」
「でもさ、神経疲労? キャラが何か関係あるの?」
「装備やスキルのエフェクト、グラフィックの視覚効果が関係するかな。」
「ふぅん。でも、ちょっと見せられないなー。」
「いいじゃない。」
「だめ。」
赤羽根が知りたいのは門守に調査させているキャラ『Guang』というプレイヤーの手掛かりが無いかどうかだ。
「フレンドデータって見れる?」
「んー、それは僕のキャラデータを開いた後に見られる登録だから、ちょっと無理かな。」
「そう。」
聞くか。
Guangという知人登録を持っているかどうかを。
いや、自分のキャラを頑なに隠しているのだ、それも教えてもらえないだろう。
そもそもまだそのGuangというゴールドスピリウル装備を持つキャラのプレイヤーが金色の使い手と関係しているかどうかも定かではない。
同じゲームをしているからといってここで無理に調べようとする必要も無いか。
「いいや。どもね。あまり長時間プレイしては駄目よ。」
「うん。そういうのも運営から使用上の注意とかあるから。でも守ってないけど。」
「守れ。」
「あははは。そうだね、なるべくね。」
「目、悪くなるぞ。」
「うん、気を付ける。ありがとう。」
「じゃ、そろそろ行くわ。」
「え、もう? また来てね。」
「どうかな。暇じゃないから。」
「うっわー、大人気ない冷たさ! 社交辞令とか、普通言うでしょ。」
「社交辞令なんか言われて嬉しいの?」
「あははは。嬉しくない。」
「でしょ。じゃあね。」
「うん、またね、赤羽根博士。」
赤羽根は椅子から立ち軽く手を振ると山本光一の病室を出た。
改めて、明るくて健気な少年だな、と思う。
血の繋がった父親である杉浜光平に超能力者の慰霊碑を要求するといった文書が届いているなど、夢にも思っていないだろう。
そんな事件には出来ることなら関わらせたくない、と赤羽根は思う。
都筑院長に挨拶しタクシーを呼んだ赤羽根は、その到着まで携帯電話の着信履歴をチェックした。
治信からの通話着信を見つけ、折り返す。
「……え、うん……そう。崎真さんは何て?……そう、わかった。」
それは、雅和希の自宅もフェイクで雅弓本人を見つけることは出来なかったという内容だった。
治信は似広悟が務める会社に張り付くという手段に出ると言っていた。
赤羽根は病院受付前のフロアーで携帯電話をポケットにしまいながら額に手を当てた。
…どこにいるの、マユミ……。




