テレパス
昼休み。
房生舞衣は、今朝の不信な男性のことで小林京子に会いに1年A組の教室へ行った。
教室を覗くと、京子は席に座ったままうつむいている。
舞衣はため息をつくと教室に入り、京子の席へ行った。
「京子、お弁当?学食?」
京子はチラッと舞衣を見ると、
「お弁当。」
と言い、ゴソゴソと鞄から弁当を取り出した。
舞衣は両親を亡くしており、弁当は自分で作らなければならないのだが、今日は用意していなかった。
「私、作ってきてないから、それ持って学食行かない?」
「行かない。ここで食べるから。」
あちゃー、自閉モードだわ…舞衣は、やれやれ、と思う。
「じゃ、パンか何か買って来るから、待ってて。」
そう言うと舞衣は購買へ向かった。
京子は舞衣に今朝の男のことをどう伝えればいいか悩んでいた。
どう説明したものか、『詐欺』と発言してしまったことを悔いた。
しばらくして舞衣が1年A組の教室に戻ってくると、京子は弁当を開けてもいなかった。
「あれ、待っててくれたの?ごめんね。」
舞衣はそう言うと京子の前の席に座った。
舞衣は思う。
京子は教室の中では、なぜこうも塞ぎ込んでしまうのだろう?
中学の時からそうだ。
まるで、誰とも接したくないとでもいうように、見えない壁を張り巡らせ、席から全く動かない。
かと言って、一人で本を読んだり何かをしているのかというと、そうでもない。
「ね、京子、新しい学校で友達もいなくて寂しいかもだけど、もっと人と話してみたら?」
京子は黙ってうつむいている。
「あ、ね、書道部、入るの?私は今日バスケ部見に行くんだ。」
「うん。入るかわからないけど。」
「入りなよ。きっと部活の方が友達できるよ。」
京子が中学で書道部を選んだ理由は、小学生の頃からやっていたからだけではなかった。
書に向かう人の思念が、凛として美しいものだったからだ。
人の心が読めてしまう京子にとって、書道に向かう人に囲まれている時間は心安まるものであった。
もちろん、集中力を欠き猥雑な意識に囚われながら書く生徒もいるのだが、それでも筆を走らせているその瞬間は、誰もが書写に真剣に向き合う。
教室の中、授業中は、『意識の手』を出さないように、塞ぎ込んでいないと…苦痛なのだった。
舞衣さん、まだ話題に出さないけど、朝の男の人のこと、聴きたがってるな…
京子はやっと弁当を開け、一口食べると、思い切って言った。
「舞衣さん、あのね、朝の人、電話借りたら、借金させようとしてた。」
「え?」
「あのね、電話番号、掛けた先に残るでしょ。その後、舞衣さんの携帯電話に、借金取りがしつこく掛けてくる。」
「え、どして?借金なんかしないよ。」
「んと、お金借りたことにされて、しつこくされる。」
「ええ…やだ、タチ悪いね。京子、やられたの?」
「ううん、やられてないけど、んと、えと、そういう詐欺あるって、テレビでやってて…。」
京子の『テレビで』は嘘であった。
今朝、あの男の思考を読んだのだ。
「そっかぁ、危なかったね。止めてくれてありがとう。」
「うん…。」
京子は舞衣の思考に『手』を伸ばした。
舞衣は京子の話を何一つ疑っていなかった。
舞衣さんに嘘をつくの…辛い。
京子は気が重くなっていく。
今朝、逃げた後もあの男が自分達の顔を思い返していたこと、怒りを向けられていたこと、これをどう伝えるか。
舞衣を、自分を、どう守ればいいのか。
わからない…
怖い…
放課後、舞衣は女子バスケ部の体験入部に行った。
京子は書道部の見学を見送り、下校することにした。
昇降口で靴を履き替えた後、正門に向かう前に、今朝の男が待ち伏せしていないか『意識の手』を伸ばしてみた。
京子の全身を恐怖感が襲った。
正門の外側に、今朝の男がいる!
京子の容姿を思い浮かべ、商談が決裂したと脅し、名前や住所を聞き出そうと考えている。
正門の外の男からこの昇降口の中は見えない位置にあるが、京子は昇降口の影に身を寄せて、座り込んでしまった。
恐ろしくて立てない。
どうしよう…どうしよう…
その時、京子に声を掛ける者がいた。
「どした?」
男性の声。
恐る恐る声の方を見ると、制服を着ている。生徒のようだ。
しゃがんだまま見上げると、胸の校章が青い…三年生だ。
一年の校章は緑、二年の校章は赤である。
京子はゆっくりと立ち上がり、上目遣いに、その男子生徒の顔を見た。
なんだか不機嫌そうな表情をしており、背がすごく高い。
京子と20cm以上身長差がありそうだ。
「気分でも悪いのか?」
京子は黙ったまま、『意識の手』をこの男子生徒に向けた。
意外であった。
京子を見る男子生徒の意識はたいてい、暗い女、目つき悪い、可愛くない、髪はきれい、胸小さい…などである。京子の裸を想像する男の子もいる。
だが、この背の高い三年生は違った。
『一年か。保健室に連れて行くか。大丈夫そうなら駅まで送るか。』
京子の容姿や印象に対する感想が前に出てこない。
本当に京子を心配している。
更に、その思念からは、不機嫌そうな表情とは裏腹に、人を気遣う温かさも感じる。
「あ、あの…」
京子は言葉を発することが出来た。
「あの、えと、え、駅、駅まで…」
どもってしまいまともな言葉にならない。
だが、それでもその男子生徒は答えた。
「おう、歩けるか。駅まで一緒に行こう。」
京子は驚いた。
こんな親切な人、いるんだ…
暗いとか、気持ち悪いとか、思わない人、いたんだ…
そして、京子は気持ちが落ち着くと、冷静に考えた。
自分と一緒に行ったら、必ずこの人もあの詐欺男に絡まれる。
こんな良い人、巻き込んだらダメだ。
「あ、んと、あの、いいんです。少し休んだら、一人で帰るので。」
そう言って京子は下を向いた。
すると、その男子生徒は京子の左手を優しく掴んだ。
「ふん。君さ、この震え、その汗のかき方、怖い奴が目の前にいる、って震えだな。」
「え…」
「この学校の奴か?そいつ、どこにいる?」
「正門の…」
しまった。
思わず言ってしまった。
「正門か。トラブルは早く終わらせた方がいい。一緒に…」
「あの、危ないので、その、いなくなってから…」
「危ない?いなくなってからって、ここから正門は見えねぇぞ。」
男子生徒は京子の手を放すと、少し考えてから、言った。
「君、テレパスか?」
京子は腰を抜かしそうになった。
自分の誰にも言えない秘密を見抜かれた、のか…?
「ここから見えない場所にいる奴の存在を、君は察知してるってことだよな。まだいる、と。」
京子は返答出来なかった。
まさか、この人も…
「誰にも言わないよ。俺の知り合いにテレパスがいる。そいつから、自分の能力が知られるとほとんどの人間は離れていく、二度と会ってもらえない、と聞かされているからな。」
「あの、もしかして…」
「いや、俺にそんな能力はない。平凡な人間さ。」
京子は、今朝の出来事と、自分が心を読む能力を持っていることを全て話した。
「そうか。辛かったろ、今まで。」
この男子生徒は発言に裏表がない。
時折、発言以外のことが思考に混ざってくるが、それは発言を矛盾させる思考ではない。
こんな人ばかりなら、『意識の手』を抑えつけておく必要はないのに…
京子は無意識に、ボーッと男子生徒を見上げていた。
「んじゃ、行くか。俺は君の2〜3メートル後ろを歩く。怖いだろうけど、俺を信じて普通に正門を通り過ぎるんだ。」
「うん。」
信じるも何も、どう助けてくれようとしているのか、全部読めてしまった。
京子は、迷惑を掛けてしまうな、と思いつつも、ここはこの男子生徒に甘えよう、と決めた。
京子が正門を出た直後、今朝のサラリーマン風の男が呼び止めて来た。
男は二人連れだった。もう一人仲間を呼んでいたようだ。
「やあ、君のせいで1億円の取引が破談になった。君の親御さんと話がしたい。ご自宅の電話番号を教えて下さい。おっと、その前にお名前を。」
呼び止められた京子の背後から、背の高い男子生徒がヌッと現れた。
「ん?何?俺の妹が何か?」
「おや、ご兄妹?ちょうど良い、妹さんのせいで弊社は1億の損失を出しましてね。親御さんとお話しが…」
「ああ、そうなんですか、それはまた。お話し聞きますよ、俺が。」
相手の言葉にかぶせるようにそう言うと男子生徒は京子の方を見て、
「お前、先に帰ってろ。」
と言った。
京子はペコリと頭を下げると、駅の方へ、満開の桜並木を歩いて行った。
「さて、おたくの会社名は?役職は?名刺見せて。」
男子生徒はズイッと男に近寄ると、顔を覗き込むように言った。
身長180cmはあろうか、その男子生徒の威圧感に、サラリーマン風の男は少し後ずさり、言った。
「おい、聞いてるのはこっちだ。家の電話番号を…」
「会社が損失を出したのでしょう?『あなたの』ヘマのせいで。どこの会社?あなた、何?名刺も持たされないヒラ社員?」
もう一人が声を荒げて言った。
「おい、小僧、調子に乗るなよ。事務所に連れてくぞコラ!」
「あんたらさ、携帯電話を忘れて商談に向かったんだって?どこの間抜け会社だよ、その事務所って。」
男子生徒の狙いは挑発して相手に手を出させることであった。
ここは学校の正門前である。
男子生徒は、少しづつ正門から校庭内に後ずさりながら挑発を続けた。
男二人も校内に入ってくる。
「てめぇ!」
サラリーマン風の男が男子生徒に掴みかかった。
「うわー助けてー誰か先生呼んでー。」
男子生徒は無表情なまま大声を出した。
「ちっ!」
男二人は正門内にいることに気付き、慌てて出ようとした。
サラリーマン風の男が掴んだ手を放した瞬間、すかさず、男子生徒は突き飛ばされたように見せかけるため後ろに倒れるフリをしながら、サラリーマン風の男の足を蹴り、転ばせた。
「うっ!」
サラリーマン風の男は尻もちをついた。
もう一人は正門から出て、中の様子を伺っている。
男子生徒は、転んだ男の左足首を素早く踏みつけて、小声で言った。
「おっさん、逃がさねぇよ。」
そこへ陸上部の顧問教師が駆けつけてきた。
「なんだ!おい、どうした!」
男子生徒は踏んでいた足をスッとズラし、
「先生、いきなり胸ぐら掴まれて、暴力振るわれたので、俺、怖くて、つい手で押しちゃったんです。怖いよぉ。」
「んん?どちら様です?」
「ふざけんな、お前が蹴ったんだろうが!」
「いやいや、皆んな見てましたよ、先に手を出したの、このおじさんです、なぁ、皆んな。」
正門の周りにいた下校中の生徒達は、口ぐちに証言した。
先に掴みかかったのはこの倒れている男の方だ、と。
「校内で暴力は困りますよ。原因は何なんです?」
陸上部顧問が聞くと、
「おたくの生徒が、携帯、いや、うちの会社が損失…いや…」
理由が理にかなっていない。
だからこそ子供をターゲットにした詐欺行為なのだ。
サラリーマン風の男は自分で充分に解っているが故に、口ごもってしまった。
男子生徒が言う。
「あれ?ハッキリ言って下さいよ。『自分が携帯を忘れて生徒に借りようとしたら断られたから逆恨みで襲いに来た』ってさ。」
「この…ぐ…」
私立高校の敷地内で、教員がいる場で、サラリーマン風の男は捨てゼリフすらも言うことが出来ない。
陸上部顧問が言った。
「とにかく、部外者は基本的に許可なく校内に入ってはいけません。」
サラリーマン風の男は立ち上がり、スゴスゴと正門から出て行った。
陸上部顧問は呆れ顔で男子生徒に言った。
「おい、紅河、夏のインターハイまでサッカー続けるんだろ?問題を起こすな、バカタレ。」
「起こしてませんけど。」
「お前が悪くなくても、正当防衛でも、相手を転ばせたりするな!もっと自覚持てと言ってるんだ。」
「はい。」
紅河と呼ばれた男子生徒…紅河淳は、軽く頭を下げると、そのまま正門を出た。
そして、さっきの詐欺二人組を追った。
『学校が警察に通報したので戻ってきて下さい』と言う為だ。
詐欺行為を行っている場合、こう言われて学校に素直に戻ってくることはない。
何故なら、不法侵入でも傷害でも、警察沙汰になると組織から切られるからだ。
また、この学校の近辺にはもう近付かないであろう。
「あれ?あの程度で不法侵入になるんだっけ?」
紅河は少し自信が無くなってきたが、とりあえず矛先はあの一年の女の子から自分に向いたし、なんとかなるだろ、と考えながら、
「あの、ちと待って下さいよ。」
と、サラリーマン風の男の肩に手を掛けた。