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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
195/292

紫の煙霧 6.

七月も後半に入り、肌を刺す様な暑さが腕まくりをした治信はるのぶの前腕を容赦無く焦がす。

宅配業者に扮した彼は小さな小包を小脇に抱え、帽子のつばを軽く下げると、そのマンションを上がって行った。


…似広、ここだ。


以前突き止めた似広悟本人のマンションとは別の、おそらくは偽装家族の一室。

あの時の調査に引っ掛からなかったということは、住民票が申請登録されていないか、つい最近入居したかのどちらかだ。

今時前者は考えにくい。後者だろう。

コールブザーを押す。

インターフォンから男性の妙に明るい声が返ってきた。


『はいはーい、どちら様?』

「ディメンション通販です。お届け物です。」

『はあ?……今出まーす。』


ドアにはビュースコープが付いている。

治信は見られる事を意識しつつ、帽子を脱いでパタパタと顔を扇ぐ仕草をした。

ドアが少し開き、中年男性が顔を覗かせた。


…小太り、細目、愛想笑い、なるほど、似てはいないが特徴だけ話すなら奈執なとりと同じになる。


「どうも、こちらに判子をお願いします。」

「ええとぉ、これ、何ですかね。」

「はい?」

「何か買ったっけかなー、と。」

「ああ、中身は、と……DVDですね、ほら、ここに書いてあります。」

「どれ。」


男は半開きのドアから身体を半ば出した。

小包を手に取り、貼られている送り状を見る。

その仕草に治信の観察眼が働き始めた。


…素手で躊躇なく、指紋採取も警戒しない素人か。


話す時の表情、物を見る時の表情、落差がある。

ニコニコした雰囲気は作り物、だが、結構自然に見える。

演技が出来るということは……営業職か、舞台役者か、ステージを張る音楽奏者の可能性もある。


「観賞用DVDって、映画とかですよねぇ……あれ、まゆみ宛か。」


男は小包を治信へ返すと、室内へ戻って行った。

ドアが自然に閉まりかける。それを治信は手で止めた。


…玄関内にも廊下にもまだ生活臭が無い。間違いなく入居したばかりだ。


奥から声が聞こえる。


「まゆみ、DVD買った?」

「え。」

「映画か何か。」

「買ってない、です。」


いる。

似広まゆみという小学生の女の子。

今の会話、少なくとも似広まゆみは小学生とは言えパソコンを扱いネットでの買い物くらいは出来る子だ。

そして、敬語。

父親に敬語を使う小学生、いなくはないだろうが、それは躾が厳しい家庭か、養子か……実は赤の他人かだ。

もう一歩深読みするなら、敢えて敬語を使わせ、本物の似広悟と仔駒雅弓らしい関係を演出させている、か。


…だがな、使わんよ、雅弓ちゃんは。誰に対しても敬語など。


白楼はくろうで雅弓を初めて佐海さかい警視監に引き合わせた時、その下準備に苦労した事を思い出す。

丁寧表現、敬語、これらを全く知らない雅弓に、とりあえず『です、ます、ません』を付けなさいと教えたのだが、結局は語尾に不自然にくっ着いただけの言葉となったものだ。


…二人とも、どこかの劇団員、か?


そんな洞察をしていると、男と一緒に女の子も玄関先へ出てきた。

ピンク色のゴムで止めたツインテール。

本物の雅弓も愛用しているデニム生地のオーバーオール。

顔もぱっと見似ている。

だが、雅弓を知っている者なら一眼で他人と判る。

雅弓より少し釣り目でキツイ顔立ちだ。


…そうか。決定的に違うのは黒目の大きさ。写真は黒目を修正していたのだな。


雅弓の方が黒目が大きい。

そして、鼻も本物の方が小振りだ。


「ちょっとそれ……ほら、まゆみ。」


男は治信の手から小包を受け取ると、女の子に手渡した。


…指紋、二人とも回収。ちょろいな。


女の子はまじまじと小包を見回し、言った。


「買ってないです。これ。」

「そう言われましても、住所も名前もこちらですよ……中、開けてみます?」

「え、でも、間違いだったら……」

「大丈夫です。着払いですし、間違いならそのまま持って帰ります。代金もいりません。多いんですよ、買うつもりは無かったのに間違えてクリック、とか。」

「あ、じゃあ。」

「ちょっと貸して下さい。」


治信は女の子から小包を一旦受け取ると、外装を丁寧に開けた。

包んでいた紙をショルダーバッグにしまうと、厚紙の箱を開いて女の子に手渡した。


「ひ? てん? の、雪?」

「どれ。」


男がDVDのタイトルを覗き込む。


「炎天の吹雪か。ミステリーだね、確か、去年の今頃ロードショーになった映画かな。」

「怖いやつ?」

「んー、怖くはない、いや、ある意味怖いかな? 誘拐ものだね、流産した女性が他人の赤ちゃんを盗んでしまうやつ。」


治信は男の表情をじっと見ている。

演技でも混ぜてくるはずだ。奈執の心の傷を抉るような設定の映画を選んだのはその為だ。


…表情を変えない。ふむ……


「すみません、この子も、タイトルすらも知らなかった映画ですから、間違いっぽいですかねぇ。」


男の言葉に、治信は敢えて反応せず、女の子の顔を覗き込んだ。


「あれ、君、どこかで見たことあるな。」

「え。」


カマかけを始める治信。


「どこだったかな……テレビに出てる子?」


女の子はキョトンとし、首を左右に振った。


「あれ? んん……雑誌、だったかな……」


彼女は困った表情になり、男に助けを求めるように見上げる。


「ははは、うちの子は美人だから、見間違えでしょ、子役の女優とかと。」

「あ、や、児童養護施設、この前配送した……」


そう治信が言い掛けた時、明らかに男と女の子の表情が変わった。

男が少し慌てた口調で言う。


「まま、そゆことなんで、間違いですね。それじゃ、ご苦労さんでーす。」


そして、DVDを治信の手に戻すと、そそくさと玄関を閉めた。


…児童養護施設、か。


小学校への編入手続きを完了させている親子なのだ、フェイクとは言え一旦は戸籍も登録しているだろう。

考えてみれば、劇団や舞台俳優ではおいそれと今の戸籍から移すのは困難か。

いや、中年男性の方はありか。独り者ならそう難しくはない。

女の子は孤児の線で当たるか。

素性が判れば、それは奈執の人脈へと繋がり、ついてはあらゆる偽装の手口も浮かび上がる。


…この煙幕、逆手に取ってくれる。


治信は、奈執の偽装に紛れて、逆に奈執に気付かれぬよう接近してやろうと考えていた。

手っ取り早いのは似広本人の自宅マンションに盗聴器とカメラを仕掛ける事だが、なんと言っても相手は使い手だ。留守中のいつ何時に自宅にクレヤボヤンスを向けているか分からない。

また、フェイクはこれだけとは限らない。

雅弓の所在を隠す為に敷いている偽装を全て見破っていかなければならない。

それに関わってくるのがヤツの人脈だ。

偽装も詐欺も、関わる人物が必ず存在する。一人では成せないのだ。

それは私立探偵である治信が一番よく知っている。


…さて、どうだ。


治信はバイクに跨るとスマホを取り出した。

メールを開く。

私立小学校の編入試験受験者、その個人データが添付されているメールには本文記述があった。


『個人的に目に付いた生徒名を抜粋してみた

名取志保

駒込真美

雅祐実

本郷真弓

お前なら全データを洗うだろうが参考までに』


治信は軽く口元を緩めた。

仕事は早いがいつも参考にならない所見をくっ付けてくる知人だ。


…類似した少し違う名前というのは一番正解から遠いのだがな……ん!


一つの名が治信の目に留まる。


…雅祐実、だと?


ミヤビユミ。

ミヤビという苗字。

治信は県警の崎真さきまへ電話を掛けた。


「……南條です。崎真さん、共同戦線、乗ってもいいですよ。調べて欲しい指紋もあってね。」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


人生初のヘリコプターは、想像以上に恐怖だった。

なぜここまでガラス張りなのか。

真下が見える。

高所恐怖症では無いのだが、とにかく足がすくみ、遠熊倫子とおくまりんこは飛行中何度もシートベルトを締め直しては固く目を閉じた。


…帰りもこれ? 二度と乗りたくない……


着陸したヘリコプターから降りると、本州のまとわりつくような湿気は無く、涼しいくらいの心地よい風が遠熊の首筋を通り過ぎた。

札幌市南区、余市岳。

その中腹にある刑事局関連施設、蹴蘭山けらんざん研究所は、建物の構造こそ複雑そうな見た目であるが色は白一色に塗られており、今は清潔で涼し気なイメージだが冬場は寒々しい外観だろうな、と遠熊は思った。

彼女は両手に紙袋を下げ、迎えに来た所員と共に研究所の玄関を潜る。


「お疲れでしょう。」

「死ぬかと思いましたよ。」

「ははは、大袈裟な。」

「道路作って下さいよ、道路。」

「それは難しいでしょうね。何と言っても札幌市で見れば最高峰の海抜になる余市岳ですから。起伏が激しい土地柄、陸路は絶望的です。」

「どうしてこんな所に作りはったのです?」

「それはまあ……誰も入ってこれないように、でしょうか。」


…誰も出られないように、の間違いではないの?


東京で施設目的と運営概要を聞いてきた遠熊は、内心ため息をついた。


「少し休まれます? 所長が挨拶は後でもいい、と。横になれる部屋もありますよ。」

「いえ、先に大事な用を済ませてしまうわ。」


遠熊は右手の紙袋を軽く持ち上げて見せた。


「案内、お願い出来ます?」

「はい。」


白を基調とした殺風景な廊下を進み、電子ロックの扉を幾つか抜け、『所長室』と表示された一室に入る。

中は書類棚は多いものの綺麗に清掃が行き届いており、所長の几帳面な性格が伺えた。

奥のデスクには老年に入りかけた白髪の女性が座っていた。

鼻に引っ掛けたような小さな丸眼鏡の上から、入ってきた所員と遠熊をその目が見る。


「いらっしゃい。ご無沙汰ね、倫子ちゃん。」

「北海道でお仕事って、まさかこんな所でなんて……つい最近知りました。」


老女は所員に目で、下がりなさい、と合図した。

所員は頭を下げ、


「私はここを出て最初の左側の事務所にいますから。」


と遠熊に告げ、出て行った。

老女はデスクから立ち、棚から書類ファイルを抜き取ると、遠熊にソファを勧める。

その立ち振る舞いは容姿とは似つかぬ若々しさで、背筋はすっと伸びており、歩き方もきびきびしていた。

この辺りは老女の旦那を思い起こさせる。

人懐っこい話し方は、息子が受け継いでいるか。


「一応ね、これ、健康状態と精神状態、脳波、あとは特記事項、そうね、発言もいくつか記録されているわ。」


遠熊はソファに腰掛け、ファイルを受け取る。

老女も遠熊と向かい合うかたちで座った。


「ありがとうございます。これが深越美鈴ふかごしみすずさん、で、こっちが……」

「そうね。」

「深越さんは彼と同時に、と伺っていますが、ご本人の希望でここに?」

「ご希望もあったけれど、半々ね。私がね、腕が治るまで、ちょうど夏場だし、ここでの療養を勧めたの。」

「そうですか。」

「ここはね、何か不思議な磁場でも働いているのかしら、穏やかな気持ちになれるのよ。」

「そうですか。後で、湖洲香こずかちゃんの部屋も、いいですか?」

「どうぞ。あの子、どう? 私達の自慢の娘さんなんだけれど。」

「とてもいい子です。湖洲香ちゃんと話していると心が洗われます。」

「でしょう?」


目を通した書類には、深越、そして『彼』、二人分のデータがあった。

共に問題は無さそうだ。

遠熊はファイルを閉じると、ソファを立った。


「早速会ってきます。後ほどまたゆっくりと、古見原こみはら所長。」

「はいはい。」


所長室を出ると、遠熊は歩きながら考えた。

所長の息子である古見原警視からの話、皇藤こうどうが言ったという『旧友』とは誰のことなのか。

警察の力添えが無ければ来れないこの研究所の関係者ではない、それは容易に想像が付いた。

皇藤もみやびという謎の男も警察にはアプローチしていないからだ。


…父の仕事も知らなかった私では、皆目見当が付かない。


遠熊は先の所員と合流すると、まず深越の自室を訪れた。


「東京では一度、その節はろくなお話も出来ずに。」

「こちらこそ。遠熊所長の件、お悼み申し上げます。」

「恐れ入ります。」


深越は療養ももちろんあるだろうが、『彼』の監視が主な役割である。

この研究所には、他には『光の帯』が見える者がいないからだ。

『彼』は東京の白楼に拘留となっていたが、深越がこの北海道に移ることを了承したことで『彼』も移された、が実情である。


「今、ヤマハハコという野草に夢中みたいです。」

「そうですか。」


遠熊は再び紙袋に視線をやった。


「ちょっと行ってきますね、深越さん。後でまた。」

「はい。」


所員と連れ立ち、深越の個室を出る。


「犯罪者の留置所としては贅沢なのですがね、このエリアです。」


通された区画は、留置所というよりは病院のような雰囲気だな、と遠熊は思った。

だが、一つ一つの部屋のドアは所員でなければ開けられない電子ロック式だ。

もっとも、『彼』なら電子ロックだろうが鉄格子だろうが、あっさり開けられるのだが。


「失礼します。」


遠熊は通路のインターフォンへそう呼び掛けると、


「後は一人で。」


と所員に告げ、ドアを開けた。

遠熊一人が、その部屋へ入る。

二十畳くらいの広さだろうか、風呂、トイレ、簡易キッチンもあり、さながらワンルームマンションの様だ。

『彼』は開いていたノートパソコンを半ば閉じると、黙って小さく頭を下げた。


「用件も伝えていなくて、ごめんなさいね、工藤君。」

「いえ、その名は……」


二十代の若い『彼』は、どことなく緊張した面持ちだ。


「ああ、いろいろ聞いたのよ、県の切り花卸売センターで。働き者で心優しい青年だ、って。工藤という苗字、あなたの亡くなったお母様の姓だったのね、穂褄庸介ほづまようすけ君。」

「はい……」


一体何の用だ……そんな表情で返事をする穂褄。


「改めて、県警特殊査定班の遠熊です。あのね、ちょっとね、個人的な用なのよ。」


…個人的?


穂褄は更に眉をひそめた。

初めて会う、県警本部の女性警官。

白楼の偵察透視をしていた時も一度も見かけたことが無い。

だが、苗字だけはよく知っている。

あの憎むべき遠熊、その娘。


「これなんだけれどね……」


遠熊は紙袋から一株の小さな観葉植物を取り出した。

それを見た穂褄は、思わず「あ!」と声を上げてしまった。


「なんだかね、ほら、こことか、茎が萎れて、葉もしわしわなって、手に負えないんよ。」


遠熊はしゃがみ込んで、まるで腫物にでも触れる様にその観葉植物を触りながら言った。

穂褄には一眼で判った。

その観葉植物、赤いフィットニアは、穂褄が卸売センターを辞める時に貰ってきた、それだった。


「これ、なんで……」


穂褄も思わず遠熊のすぐ横にしゃがみ込み、フィットニアの様子を見た。

葉が茂り過ぎて根元の通気性が奪われ、蒸れて腐食仕掛けている。

ハダニも付いてしまっていた。

だが、判る。

葉の表面を見ればはっきりと判る。

ちゃんと直射日光を避け、水も毎日与えられていたであろう事が。


「これ、あの、誰が、その、世話を……」

「私。押収品ね、これ、あまりにも可愛らしかったし、捨てたらいかん思ってね。でも、どんどん元気なくなって……」


穂褄は遠熊の横顔を見た。

美人だが気の強そうなその横顔が、愛おしそうにフィットニアを見ている。

もうとっくに枯れているか、捨てられていると思っていた。

それほどフィットニアは手が掛かる。


…こいつ、まだ大丈夫だ。生きてる。治せる。


ありがとう、と言わなくては。

こんな我儘な植物を世話してくれてありがとう、救ってくれてありがとう、そう言わなければ……

だが、穂褄の口から出た言葉は皮肉混じりだった。


「フィットニアは寒さにも弱い。15度以上を保たないと、それを北海道まで持って来るなんて……」


違う、違う……

わざわざ飛行機とヘリで、俺の所まで……


「うん、卸売センターでも聞いたし。でも、センターの方がね、治せるのは工藤君だけだって言うんよ。」

「世話するならちゃんと調べないと……」


違う……

俺は何を言ってるんだ。

せっかくこいつと再会させてくれた人に、今まで世話してくれた人に……


「この部屋の中なら暖房完備やし、駄目なの?」

「だ、あ、いや……」

「こんなにしてしまって、本当にごめんなさいね。駄目だったら持って帰るわ。」

「いや、まだ、治せるけど……」

「必要なもん何? 市街まで出て買うてくるよ。」


なに謝らせてんだ俺は。

ここまでしてくれた人に。

必要なものを買ってきてくれる?

どうしてそこまで……


「それじゃ、まだしばらくここにいるから、買うもん言うてね。お邪魔してごめんなさい。」


そう言って遠熊は立ち上がり、部屋を出て行こうとした。

それを見て穂褄は慌てて言った。


「え、これ、これだけの為に、俺の部屋へ?」

「うん。ごめんね、またね。」


何かを聞き出そうと来たのではないのか。

包帯の男や美馬、奈執の情報の聴取に来たのではないのか。

フィットニアの為だけで、非能力者のあんたが犯罪を犯した使い手の個室に入ったのか。


遠熊は穂褄の個室を出た。

ドアが閉まり、電子ロックが掛かった音が小さく鳴る。

穂褄は、フィットニアの余分な葉をちぎり取りながら、目頭が熱くなるのを感じていた。

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