紫の煙霧 1.
県警捜査一課。
デスクの固定電話が鳴ったのは、押塚が微糖の缶コーヒーをしゃかしゃかと振りながら喫煙所へ行こうと立ち上がり掛けた時だった。
内線であることを確かめると、ふん、とため息を落とし、受話器を上げる。
「はい。」
ドスの効いた無愛想な一声の直後、押塚は眉をひそめた。
…サッチョウの古見原警視から外線だと。
「おう、繋げ。」
この県警の捜査一課強行犯2係は押塚が配属されてから警察庁刑事局の捜査課との相性が悪い。
2係が、というよりは、押塚が、と言った方が実情に近い。
書かされた始末書は数知れず、それでも押塚が警部まで上がれたのはその検挙率の高さからだった。
管理統括の刑事局捜査課にしてみれば、結果を出している押塚に対し問題のある荒々しい捜査行動を叩くに叩けず、といったお荷物的な感覚もある。しかも違法捜査をしている訳でもない。
そんなこともあり、前任の伴瓜警視正は直接連絡を取ってくることは一切無く、伴瓜に限らず押塚へ直接接見してくるキャリア官僚はほとんどいなかった。
皮肉交じりの行動修正指令書が県警本部長経由で降りてくる、それが常である。
だから眉をひそめる。
キャリアが、それも警視が、俺に何の用だ、と。
『刑事局捜査課の古見原です。』
「押塚です。」
『多忙なところ申し訳ありませんな。死亡した使い手脱走者のことでちょっと確認したいのです。』
「ん?」
…死亡脱走者だと?
『今、県警本部に回されている死亡者情報を見ているのですがね、警部は、武儀遊野の死因と加害者はご存知ですか?』
何を今更、と押塚は思う。
「死因となった傷はデータが来てる。司法解剖詳細と加害者については無い。変死体で発見された、とされてるな、確か。加害者が判明したのか?」
古見原は、やはりな、と眉間にしわを寄せた。
『ひとまず開示情報の確認です。では、御笠一巳は?』
「情報レベルは同様だな。死亡が確認された脱走能力者はみな変死体で発見、とデータには記されていたはずだ。」
『そうですか、判りました。……警部、今夜、お時間頂けませんか?』
「今夜? ま、張込みは無ぇが、皆月岸人の件で逆に人手が欲しいくらいでな。仔駒雅弓も手掛かりの似広悟が尻尾を出さん。それにな、警視、うちは超能力者対策本部じゃ無ぇんだよ。他にもヤマは抱えてる。説教したけりゃ本部長でも誘ってくれ。」
『うははは。本部長が人身御供ですか。さすが押塚警部だ。事実上、県警刑事部のボスですな。』
…ほお、なかなか人間味のある笑い方するじゃないか。
「馬鹿言え。俺はぺいぺいだよ。話がお済みなら……」
『武儀遊野は変死体で発見されたのではありません。加害者も特定されています。』
…なに?
『実態をお伝えしたい。警部に直接、です。こんな大組織だ、連絡書なんか起こしてもどこで改竄されるか判りません。出来れば崎真警部補にもお越し願いたい。』
「ふん……崎真は無理だな。何時に行けばいい?」
『十八時以降にしましょう。警部がお越しになれる時間がはっきりしたらメールを下さい。何時でも構わない、お待ちしてますよ。』
「はいよ。」
警察庁刑事局捜査課デスク。
受話器を置いた古見原は、腕時計をチラッと見て立ち上がった。
「深谷君。」
「は!」
呼ばれた深谷はスーツの上着に袖を通した。
「行くぞ。皇藤邸だ。」
脱走者捜索の指揮を取っていた当時の刑事局長、皇藤満秀。
後に警察庁長官を経て今は現役を退いている。
話してもらえるかどうかは判らない。
だが、出来るなら県警の押塚と会う前に聞き出しておきたい。
抵抗、逃亡をした脱走者は殺処分……この方針が打ち出された根拠、理由は一体何なのか。
現局長である佐海警視監には、全身凶器の使い手、しかもそのほとんどが社会的判断力の無い未成年、稚拙な感情の揺れから簡単に人を殺してしまう危険因子としての排除、とその根拠が伝えられていると言う。
治安維持の観点からは一見理解出来るものの、この方針を打ち出した張本人である皇藤氏にしてみれば、罪を犯していない人間の命を法外に奪う行為に伴う様々な問題点に頭を悩ませたはずである。
当時の国家公安委員会は関与しているのか?……ここにも不透明な闇がある。
緑養の郷運営資金が国家公安予算から出ていながら、当時の刑事局特殊研究班の方針書の中には『能力者の殺処分』に関する記述は全く存在しない。
そもそも、能力者や研究員に施された臨床実験すら刑事局の内々的な独断行為だと古見原は聞いている。
果たして、全て皇藤刑事局長の判断なのか。
…当時の杉浜議員との関係性も探っておきたい。
杉浜は今現在、国家公安委員の一人である。
杉浜出馬当時に起きた対抗立候補者事務所が次々と襲われたテロ事件が、古見原の頭を過る。
手口はプロパンガスのガス爆発や、事務所に4tトラックが突っ込むなどであったが、いずれも深夜の犯行で犯人は手掛かりを残さず実行犯が未だに特定されていない。
死傷者が一人も出ていないことと、トラックの運転者すらも特定出来ない、まるで透明人間の仕業の様な痕跡に、その事件は『無人テロ事件』と称された。
事務所を襲撃されていない立候補者として杉浜氏も取り調べを受けているが、記録にはシロとある。
警視庁の捜査により主犯者の特定に至り解決、と建前上は公表されているが、実際に主犯者を特定したのは佐海藤吉氏のクレヤボヤンスだった。緑養の郷の院長である。
その『無人テロ事件』の主犯者の名は、美馬詠泉という。
先日逮捕となった脱走者、美馬恒征の母親である。
…この構図だけ見ると、佐海院長と美馬詠泉は敵対、と見えるが。
皇藤氏からどこまで聞き出せるか。
何も語ってもらえない可能性もある。
深谷の精神感応による読心は使えない。
それを使わない、という前提での接見の実現だった。
「止めるべきは金色の君、か。」
深谷の運転する車中で、古見原は独り言ちた。
金色の使い手とはどこの誰なのか。
穂褄からも美馬からも、その情報は取れずにいる。
任意同行に応じない似広悟を引っ張る手立てもそろそろ講じなければならないだろう。
警視庁の捜査課を動かしたいところだが……そんな事を思案していると、古見原の携帯電話が鳴った。
鏡水巡査からである。
「古見原だ。……そうか、ご苦労様。君はしばらく局長の護衛には戻らなくて良いそうだ。別途指示があるまで狩野君を頼む。少しは優しく接してやれ、な。」
電話を切った古見原の表情は険しかった。
狩野佳洋は白楼に戻された後、一言も口を聞いていないらしい。
彼が廃病院から武儀帆海の遺体を抱いてテレポートした先は、警察庁の刑事局捜査企画課だった。
「武儀帆海さんが! 死んだ!!」
庁内に突然現れた狩野はそう叫ぶと、帆海の遺体を床に降ろし、そこに座り込んだという。
それ以上何も言わず帆海の前で泣き続けていた彼は、古見原達が戻った後の事情聴取でも一言もしゃべらず鏡水を苛立たせた。
廃病院の一件ではずっと古見原の横にいた為、特に必要な証言があったという訳でもなく形式的な聴取だったが、帆海の最期の言葉を全て聞いていたのは狩野だけであり、その部分は後日再聴取となる。
古見原がふと見た車窓の外は、ギラついた夏の太陽は身をひそめ、空には灰色の雲が敷き詰められていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「なるほど、九月から編入か。まだ情報が拾えなかったわけだ。」
都内公立小学校の編入者、その一覧に『似広まゆみ』という名を見つけた治信は、その学区域を検索した。
似広悟の自宅は当然学区域外にあり、とても通える距離ではない。
「ん……」
学区域内のアパート、マンション、その他賃貸家屋の新規入居予定者へ調査の手を進めるが、結構な量だ。
治信は知人へ調査依頼のメールを打った。
…ひとまず、『似広まゆみ』の学校提出用証明写真からか。
小学校へ直接出向こうと身支度を始めた時、携帯電話が振動した。
赤羽根伊織、と表示されている。
「はい、南條。」
『要点だけ報告。武儀帆海が亡くなった。』
「なんですって!?」
『美馬恒征を確保、取調べ継続中、精神鑑定は私に回ってきた。これから。廃病院に当たった古見原警視、野神、深谷、鏡水、喜多室、全員無事。現場に居合わせた狩野佳洋は心療検診を要するらしいけれど、これはまだ私には来てない。』
「武儀の死因は?」
『詳しくはまだ。右頭部損傷、話によると美馬の放った分断テレキネシスに巻き込まれたらしい。』
「美馬は無傷ですか?」
『ピンピンしてる。美馬は異例の精神構造が発覚したわ。光の帯を二つ有している。解離性同一性障害の可能性がある。色は赤茶色と灰色。』
…多重人格者だというのか。
『それからね、本体不明の使い手、金色の光の帯と遭遇したとのこと。気を付けて。義継君にも金色の存在は伝えてあげて。』
「そうですか、ありがとう。」
『マユミ、何か判った?』
「手掛かりの片鱗がチラッと、ね。雅弓ちゃんの件は追って連絡します。」
『うん、宜しく。』
通話が切れると、治信はその場にしばし立ち尽くした。
武儀帆海が死んだ。
別れ際の彼女の表情が頭を過る。
日曜日にまた時間を取ると話した時、心なしか帆海の瞳が艶めいたように見えたことを思い出す。
口元を歪めたり微笑んだりを繰り返す様は異様ではあったが、どこか助けを求めているような雰囲気は鬱の時も躁の時も一貫してあった。
そして、少なからず思ったのだ。
助けられることなら手を貸そう、と。
前回、安くはない調査料を滞ることなく現金で支払った彼女。
弟の死に関わった人物を知り、それで目的は遂げられたのだろうか。
言い様のないいたたまれない気分に、治信は襲われていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私立城下桜南高校、本館一階、一年A組の教室。
二時限目が終わり、トイレに行こうと教室を出た京子の視界に、こちらに真っ直ぐ向いている男子生徒の足元が映った。
下を向いて歩いていた京子は、その男子生徒を避けるように、床を見たまま廊下の端へ方向を変える。
「京子、さん。」
…え。
その男子生徒から聞き覚えのある声が発せられ、京子は反射的に顔を上げた。
「え、あ、皆月、さん……」
そこに立っていたのは皆月岸人だった。
京子は側に紅河や湖洲香も一緒にいるのではないかと思い見回したが、通りすがる一年生以外は岸人一人だった。
「あ、あの、でも、よかった、学校、来れるようになったんだ。」
「いや、退学、多分。」
「え……」
「あの、さ、もう来ないし、一応、迷惑かけたし、もう、会うこともない、し。」
…え? なに? 別れの挨拶? わざわざ?
京子は岸人に歩み寄った。
「挨拶に来たの?」
「挨拶ってか、あれ、いろいろとごめん。」
「え? なに? 何で、助けてくれて、なんで謝ってるの?」
「助けてないし。」
「え、だって、皆月さんいなかったら、私、埋まって死んでたかも、あの、瓦礫とか落ちてきたり、助けてもらった、たくさん。」
「そんなら、ま、それで。じゃあ。」
岸人は京子に背を向けると昇降口の方へ歩いて行った。
「え、あ、待って……」
京子の言葉に岸人は立ち止まり、振り返った。
「あの、紅河さんとは、会った?」
「いや、会う気ない。」
「え……」
再び昇降口に向かって彼は歩き出した。
歩きながら思う。
やはり会っておいて良かったな、と。
嫌われている様子も無いし、声も聞けた。
この高校に入学して、生徒の中では初めて出逢った『光の帯』の使い手、小林京子。
それだけで、岸人の中では京子に対し特別な親近感があった。
進級直後の四月だったか、詐欺師の一件では驚かせてしまった。
まあそれは、いきなり蛍光灯を破って見せたというやり方がまずかった、と自分でも反省している。
不器用な言葉しか出せなかったテレパシー。
ただ、もっと強く、自分に自信を持って生きればいいのに、と思った。
書道部の部室では、本当に怒らせてしまった。
どうにも不器用だな、と自分でもつくづく思う。
でも、今になって感じることは、あの自信なさげなままで、あの子は良いのだろうな、ということ。
房生の様に活発な性格は似合わない、と思う。
自信なさげなのに、芯が強い。
それが小林京子、あの子の……
…魅力なのかな。
教師に見つかったら警察に通報される。
早く人目の無い所に行って飛ぼう……と、岸人が下駄箱に手を伸ばした時、チョン、とその手を恐る恐る触る手があった。
「あ、あの、あ、待って……」
京子だった。
追いかけて来ていた事に気付かなかった岸人は、驚きの目を彼女に向けた。
「……なに。」
「なに、って、あの、だめだよ、やめちゃ、学校、事情ちゃんと話して、先生にも、それで、学校、やめちゃ、だめだよ……」
岸人は、おどおどと言葉も途切れ途切れに話す京子を見て思った。
…ああ、そうか。僕は……京子の黒い瞳と、透き通る様な声が好きなんだ。




