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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
187/292

ヤーヌスの夢 8.

あたかもそこに実在する生きた人の様に、急激に看護師の霊は鮮明な姿を現した。

それは、彼女の霊が喜多室きたむろの『光の帯』へ意識の全てを向けた証だった。

その看護服のデザインは最近のものではない。おそらく昭和初期のものであろう。

彼女は喜多室の方へ顔を向けつつ、立ち上がった。

幼さの残る顔、細い首、かなり若い看護師の様だ。

半透明に視えていた手足の先までもが、徐々に鮮明になっていく。

これが生前の姿であるならば、この看護師はなぜこの様な若さで命を落としたのか……ふとそんなことを喜多室は思った。


『……地下……一階……あの場所……』


看護師の霊の思念が、喜多室の投げ掛けに反応している。

聞き入れて、思考までしているのだ。

心霊考古学の文献には、まるで生者同士の様に霊と会話したという記録が残されているが、半信半疑だった喜多室は感動にも似た驚きを感じる。

論理的、概念的に思考するために必要なもの、理性。

理性は、肉体の脳と幽体の魂が一体化している時にだけ在るもの、では無い、という証拠が、今まさに喜多室の前にあった。


…会話が成立した。いける。


『そうです。あの場所へ』


あの場所、という言葉に、喜多室は黒い空間を想起して念じた。

だが、喜多室の念を読む気配よりも早く、看護師の霊の思念にも同じ場所が浮かんでいる。

彼女にとっても何か重要な意味を持つ場所であろうことを、喜多室は感じ取った。


『……兵隊さんの……手を……足を……あそこへ……』


看護師の霊は、ゆっくりと両手を、何かを受け取る様に手の平を上に向けて胸の辺りまで上げた。

彼女の目はその両手の平を覗き込んでいる。

その白い手の平に、見る見る赤い液体が満ち始め、それが床に滴り落ちた。

そして、真っ赤にぬるぬると染まった両手に、人の腕が現れる。

肘の辺りから切断されたその腕に視線を落としたまま、看護師の霊は、その腕を愛おしそうにゆっくりと撫でた。


ポタッ……


彼女の目からは涙が溢れ、その腕に落ちる。


…人の痛みを、まるで自分の痛みの様に、なんと心優しい女性だ。


その姿と同時に、彼女の記憶も流れ込んでくる。

苦痛に口元を歪めつつも、感謝の念をたたえた目を向ける若い男性の顔。

献身的な看護をしていたのだろう、男性の目がそう語っている、と喜多室は思う。

看護師の霊の手に、腕に加えて、切断された足が現れた。

更に、もう一本、腕が現れる。


ごろ……どちゃっ……


持ちきれなくなった腕が、彼女の手から転がり落ちた。

それでも、次々と腕や足、削ぎ取った皮膚、臓器のようなものが看護師の手に現れ、そして床に落ちていく。

床に落ちた人体の部位が積もっていき、彼女の足元に赤黒い山を作っていく。

その山は見る見る高くなり、看護師は首元まで血生臭い山に埋もれてしまった。

それでも人体の部位は現れ続け、ついに、完全に看護師の姿を覆い尽くす。

彼女の思念は、それでも思い続けていた。


『……返してあげたい……楽にしてあげたい……』


喜多室は、不覚にも涙してしまった。


…これが、この看護師が自ら負った業なのか。


怨念を抱えた浮遊霊に多い死の直前の恐怖や絶望、その意識がこの看護師には見られない。

やはり……


…この看護師も、自分の死に気付いていないのか。


過労死なのか、病死なのか、突然訪れたのかも知れない。

苦しむ患者へ真っ直ぐ向き合う忙殺の毎日、その最中、ある日突然、彼女にも死が訪れたのかも知れない。

死して尚患者へ意識を向け続ける彼女を、その深い慈悲を、脱走者達は利用したというのか。

この一階ナースステーションに彼女を置き、患者の浮遊霊達を引き寄せ続ける役目をさせ続けているのか。

確証はまだ無いが、やはり不自然なのだ。

これほどの業を背負う看護師が、ナースステーションの中で動かずにいること、それが不自然だ。


『ナースステーションを出ろ! 喜多室巡査!!』


突如飛び込んでくる鏡水のテレパシー。

ハッとして周囲の状況に意識を向けると、赤茶の『光の帯』が壁のように喜多室を囲い掛けていた。

マルイチ、第一階層テレキネシスだ。

まだ一部が閉じ切っておらず、そこを鏡水の『灰色』が同じくテレキネシスで抑えていた。


「ちっ!……」


喜多室は『赤茶』の壁の切れ目から飛び出し、通路へ転がり出た。

よく見ると、鏡水の『灰色』の他に、もっと白っぽい別の『灰色』も漂っている。


…やつも、か!


バシャアァ!


「な、なんだ……」


床に、やけに水が溜まっている。

先の氷による攻撃の時はここまで水浸しではなかった。


…!


白っぽい『灰色』。

そいつから水が湧き出している。

喜多室が考えるよりも早く、鏡水のテレパシーが言った。


『そうだ! 溺れさせる気だ! 赤茶で囲い、灰色が水を吹いている! 出来る限り赤茶を斬るが、マルサンの灰色は体内へ直接液体の転送も出来る! 肺胞に突っ込まれたら溺死だ! 一旦そこを離れるわけにはいかないか!』

『もう少しだったのだが……』


喜多室も『薄緑』を第一階層へ出し、『赤茶』への斬り払いを始めた。

こうして相手の精神を削れば、『赤茶』は引くかも知れない。

だが、マルサンの『灰色』はどう対処すればいいのか。

身体に透過させたらまずい。


…くそっ、何か手立ては無いのか!


斬っても斬っても次々と『光の壁』を繰り出してくる『赤茶』と対峙しつつ、既に滝のような勢いで水を吹き出している空中の『灰色』を見て、喜多室は頭をフル回転させて突破方法を考えていた。


西玄関の方へ伸ばしていた『赤茶』が、今、深谷ふかやの『灰色』によって封じ込められようとしていた。

深谷は追える限りの『赤茶』の根元、黒い空間のすぐ側まで自身の『光の帯』を伸ばし、斬り払うや否や黒い空間に向けて『壁』を形成していた。


ギシッ……ギシギシギシ……


深谷の灰色の『壁』の上下、地下一階の床と天井に触れている部分が、それぞれを圧迫し亀裂を生じさせている。


野神のがみ主任、やはり黒い空間の外郭は「光の帯」と性質が同じです。突破出来ない壁があり入っていけません』

『了解だ。無茶はするなよ。あの中に何があるのか判らない以上、無謀な特攻は命取りだ』

『はい。しかし、なぜ敵の「光の帯」は外へ伸ばせるのか……内側と外側では性質が違う壁だと見るべきでしょうか……』


野神は、敵の『灰色』が散々振り撒いていった床の水に視線を落としつつ、正面玄関の方角へクレヤボヤンスの意識を向けた。

二つの『灰色』、『赤茶』、『薄緑』が入り乱れている。

喜多室と鏡水のことだ、この程度は凌いでくれるはず……と野神は意識を地階へ向け直す。


『課長が二手に分けた意図は、敵の攻撃の意識を分散させるためだ。このまま降りるぞ、地下一階へ。援護を頼む』

『はい』


ボゴオンッ!


野神は足元に穴を開けた。


地下一階の一室、黒い空間の部屋で、美馬みまは両手で髪をズアッとかき上げた。


「まあ、こんなもんだろう。深谷さんの『壁』が目の前に張られたのは予想外だったが、第二階層を潜る瞬間移動には問題無い。」


赤茶の美馬の言葉に続き、同じ口から灰色の美馬が呆れたニュアンスを含んだ声を出す。


「結露生成は止めた。疲れるだけだ。」


そして美馬は帆海ほのみへ振り向いた。


「と、言うことで、私が出て話を付けてくる。『霊体同化』の破壊力は強大ですが、帆海さんが出る必要は無い。」


帆海は右手で眼鏡の縁をたどたどしく触り、下ろすと、今度は左手で触り、そして下ろした。


「あ……でも……あ……」

「あの刑事たちは手強い。帆海さんを危険に晒したくない。大丈夫、私に任せて下さい。もしもの時の為に、帆海さんはここで『彼ら』を守って下さい。」

「あ……あ、の、あ……ほんとは……」

「ん、何です?」

「あ、の、が、み、さん……野神、さん、あ、二十一年前から、あ、いたから……」

「ん、二十一年……緑養りょくようさとのことですか?」

「うん、あ、根津ねづさん、来たら、とおもっ、おもっ、おっ、もっ……んっ……んっ……んねづ! 根津は! ゆうちゃん呼ぶよ、あいつは絶対! あいつに殺されたんだからさぁ! 十七年前に! でもさぁ!……」


…そうか、帆海さんは遊野君の霊に会いたい。あの事件よりも前からいる野神さんも、遊野君の霊を呼ぶ可能性があると考えているのか。


「野神にアタシ達の記憶探して! その記憶使って! やってみたいんだよ! 出せよここから! 頼むよ美馬! 霊がくっつくのなんかしないよ! ゆうちゃんが同化なんて! アタシは死んでもそんなことしない! 本当は野神と向かい合いたいんだよ、嘘ついて悪かったよ、今しかないだろ、野神。」

「いや、嘘をつかれたとは思ってないさ。ただ、やはり我々の役目は刑事達をここから追い出すことだ。遊野君との再会は別の機会にしよう。」

「そう言って、そんなこと言って、誰もゆうちゃんを呼べないじゃないか!」


帆海は椅子から立ち上がり、つかつかと溶接されたドアまで歩くと、ガアン! と蹴った。


「ちくしょう! テレキネシス出来れば! くそっ! こんなドア!」


ガアン! ガアン! ガン! ガンガンガアン!


ドアを蹴り続ける帆海に、美馬は穏やかに、優しく言った。


「そこを蹴破っても、出られない。彼の結界の中だからな。」

「『光の帯』は通り抜けんのに! じゃあ解けよ! 包帯! 結界解けこの野郎!」

「やめるんだ帆海さん。我々が事実を知って、ここまで行動してこれたのは彼のおかげだ。」

「わかってるよ! くそっ……ゆうちゃん……じゃあ、美馬、あんた出るんだろ、野神のとこに。」

「ええ、行きます。」

「連れてってくれよ。」

「いや、交渉と言っても穏便に済むかどうかは判らない。私は刑事達を決してここに……」

「頼むよ……夢、なんだよ。今まで生きてこれたの、ゆうちゃんにごめんねって言うの出来るかも知れないって、そう思って、包帯にいろいろ聞いて、出来るかもって、頼むよ、美馬、あんたも言ったじゃないか、やりたいこと言ってるアタシ、未来を見るアタシ、ゆうちゃん、過去じゃなくて、未来なんだよ、アタシの、夢、夢なんだよ……」


美馬は初めて見た。

躁状態の黄緑の帆海が、その瞳に涙を浮かべているところを。


…ん。


美馬の『灰色』のクレヤボヤンスに、地下一階へ降りてきた『紺色』が映った。

この部屋への侵入が出来るとは思えないが、これ以上近付けさせるわけにはいかない。

今の帆海は野神を追い返すことよりも遊野を呼ばせることを優先してしまうかも知れない。自らの役目を忘れて。

一階への迎撃の手を緩めた今、喜多室が降りてこないことも気にかかる。

あそこはナースステーション付近か、喜多室は一体何をしているのか。


…どうする。


帆海の説得が理想的だが、ぐだぐだとやっている時間は無い。

連れて出るか……武儀帆海を。

自分は野神を殺すかも知れない。

だが、それを口にしても、帆海の反感を買うだろう。

殺したくはない。それは今までもこれからも一貫した気持ちだ。

それでも、刑事局の刑事をこの部屋に入れる訳にはいかないのだ。

包帯の男の計画、それもある。

それに加えて、亡くした母、美馬詠泉みまえいみの無念を晴らすという個人的な目的もあるからだ。

利害の一致、期せずして紐付いた包帯の男との共通したターゲット、杉浜光平すぎはまこうへい


だが、だがしかし、もし、もしも、連れて出た帆海が自分に牙を剥いた時、果たしてあの『黄緑』の精神感応を交わすことが出来るのだろうか。

どうする。

どうする……


突如止んだ攻撃に、鏡水へ監視を任せた喜多室は再びナースステーションへ入る。

看護師の霊は、今も尚、喜多室に意識を向けていた。

霊とは本来、自分に気付いてくれた人間にある種の執着のようなものを持つ性質がある。

それは死霊だけでなく、生きた人間も同様のことで、全ての魂が持つ性質とも言えるものなのだが……彼女の霊が喜多室に意識を向け続けているのは、どうもそれだけではないようだ。


『……あの場所……あの場所へ……』


あの場所。

黒い空間。

このキーワードが、看護師の意識を浮き沈みしながら喜多室へも流れ込んで来る。


『何があるのか、知っているのですか』


どろどろの山となっていた人体の部位は消え去り、静かに佇む白衣の看護師へ問いかける。


『あの場所には……私はここで……看病……兵隊さん……私を探して……私を待って……ここにいれば……兵隊さんもここに……苦しみながら歩いて……ここですよ……私はここ……』

『その役目は、ここに居るという役目は、誰に指示されたのです?』

『あの場所……あの子……あの子も……手と足を失って……兵隊さんも、あの子も……』


…あの子?


戦災孤児か何かのことか。

手足を失ったあの子、それが何なのか。


『ここでお仕事をされている、それはご自身の意思で?』

『あの場所……今日も……あの子が……』


『喜多室巡査! 新手だ!!』


鏡水のテレパシーと同時に視界に入ったそれに、喜多室は言いようの無い恐怖に襲われた。

新手。

喜多室と看護師の霊が向き合う、その斜め上方から、巨大な『手』の様に数本に枝分かれした『何か』が迫って来る。

透明で、所々が金色と白に光るそれを『何か』と表現したのは……それは帯では無かった。

空間的な厚みを持った、例えるなら花弁を開いた花の化物、否、細長い胴体を持ったヒトデ、否、先端に複数に別れた首を持つ大蛇、否……

その『何か』はあっという間に看護師の霊に覆い被さると、彼女を掴み上げ、ズルンと弧を描き床を透過して消えた。


呆気に取られる喜多室に、鏡水のテレパシーが入る。


『今のは一体……「帯」では無かった。黒い空間から伸びてきたのは確認した。霊を一体飲み込む様に掴み上げたが……』


鏡水のテレパシーをよそに、喜多室は考えていた。

今のが何であれ、黒い空間からであれば脱走者の仲間だ。

そして、看護師の霊は、喋ってはいけない何かを発したのだ。

だから消された。

何だ。

看護師の、どの言葉が……


看護師の霊が消えた一階のナースステーション付近は、辺りを徘徊していた浮遊霊たちが、指標を失ったかのようにバラバラの方向へ散り始めていた。

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