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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
186/292

ヤーヌスの夢 7.

なぜ上手くいかないのか。

篠瀬しのせ美馬みまも、自分が第三階層へ呼び込まれた時とはまるで違う狂気の様相を呈している医師の地縛霊を前にし、ただただ恐怖する以外には無かった。

二人は、腕組みをして顎を少し上げた高圧的な姿勢の十六歳の少女を見て、そして包帯の男に視線を向ける。

顔も包帯で覆われているがためにその表情は読めないが、じっと状況を観察し原因に思考を巡らせているであろうことは伺えた。

包帯の男が、テレパシーで静かに言葉を発する。


帆海ほのみさん、「光の帯」を一旦消してもらえますか』


十六歳の少女は、組んでいた両腕を、やれやれ、と言わんばかりに解いて両手の平を上に向けて言った。


「けっ、またかよ。スピリウルだか何だか、アタシはどうでもいいんだがな。」


少女が黄緑色の『光の帯』を自身の身体へすうっと収めると、奇怪な姿で悶え苦しんでいた医師の地縛霊が、元の人間の姿に戻っていく。

霊の姿はその霊が発する精神感応のビジョン。

腹部から別の頭が突き出し、胸部からは腕と足が生え、背中、太腿、肩、あらゆる箇所から臓器とも肉塊とも付かない赤黒く濡れたものがブクブクと湧き出し、その霊の身体中を這い回る。

これが、この医師の地縛霊の生前の記憶だとはとても思えない。

一体何がこの様な不気味なビジョンを作り出すのか。

包帯の男が、篠瀬と美馬にもテレパシーを送った。


『この医師の霊とまた会話してみます。私の同時感応が耐え難いものでしたらすぐに「光の帯」を私から離してもらって構いません。ですが、原因を掴みたい。出来ることなら一緒に探って下さい』


美馬が神妙な表情で頷く。

篠瀬は悲しげな表情で呟いた。


「この霊、私を連れて行ってくれた時とても優しい感じがしたのに……」

『はい、この廃病院の中で最も理性的な霊です。それが、帆海さんと精神が向き合うと怨念に取り憑かれた化物に変わってしまう。その理由が知りたい』


篠瀬は黒いジャケットの前を合わせる様に襟を滑らせながら両手を前に置き、眉間にしわを寄せて小さく頷いた。

たった今、武儀帆海がこの部屋へ招かれる直前に、篠瀬佑伽梨はスピリウルを身に付けたばかりであった。

包帯の男も、美馬という男性も初対面。

テレパシーでは何度も会話を繰り返していた相手とは言え、やはり直接会う男性二人にどこか警戒心は拭い切れていない。

そこに加えて、自分を第三階層という空間へ優しく導いてくれた医師の霊が、悍ましい姿で苦しみ出したのを目の当たりにしている。

武儀帆海という少女、その第二階層の『黄緑』には一体どんな秘密があるのか、篠瀬自身も見極めたいと思うのだが、非日常に突然飛び込んでしまった恐怖感がじわじわと彼女を襲い始めていた。

包帯の男の、医師の霊へ向けたテレパシーが、美馬と篠瀬にも流れてくる。


『ドクター、何が視えているのです? そのビジョンは何かの記憶の投影ですか?』


医師の霊は、元の人間の形に戻っていた。


『……う……俺の腕……麻酔もせず……う、う……』

『何かの記憶、なのですね?』

『う、う、む……わ、私、む、違う、切らなければ……』


包帯の男、そして美馬と篠瀬も、必死に医師の霊の意識、その断片を読むことに集中する。

美馬が口を開いた。


「一人称が、違うな……」


まだ混濁の深い医師の意識に『俺』という一人称があり、それは次第に『私』へと戻っていく。

包帯の男は知識と思考を巡らせた。

帆海と医師の霊は精神感応での接触をしている。

クレヤボヤンスに映る像は、帆海の黄緑の『光の帯』と医師の生前の姿だ。

それ以外は視えない。

語りかけているのは、呼び込んでいるのは医師の霊の方からである。

語りかけが始まると、医師は異形の姿に変化していく。

そして、帆海は何もしていないと言う。

何もしていない。

何も、していない。

ただ『光の帯』で精神感応の受信を……


…ん。


もしや、と包帯の男は思った。

これは……


『帆海さん』

「なんだ。」

『もしかして、霊媒、ですか?』

「れいばい? なんだそれは。」

『帆海さんの「光の帯」が霊を呼び寄せる媒体となって、口寄せが行われていませんか?』

「口寄せ、ああ、そんな言い方もあるな。きはは、この医者の幽霊、患者を引き寄せちまってるな。手や足をちょん切ったやつ、懺悔か? 悪かったって気持ちだな。」


やはり。

武儀帆海の黄緑の『光の帯』は、精神感応を発信した者が心にしこりとして残す故人を呼び寄せてしまう『霊媒』の能力があるのか。

霊媒師、いたこ、そのほとんどは依頼主が非能力者であるために自身の能力で特定の故人の霊を呼び込むものだ。

だが、依頼主、という表現は不適格かも知れないが、語りかけた者がテレパスである場合、その精神感応が帆海の『黄緑』に作用し、呼び込んでしまうのだろう。

トラウマ、或いは願望、その原因の故人の霊を。

そして、帆海は本当に何もしていない。

言わば、提供しているだけだ。

故人を呼ぶ媒体、通り道として、その『黄緑』の精神感応を。


『……という仮定が実態だったとしましょう。問題はここからです。患者の霊を呼び寄せたのなら、疑問が二つ。その呼び寄せた霊が我々に視えないのはなぜか。そして、患者の精神に触れただけで怨念と不気味な姿に取り憑かれるのはなぜか、です』

「けははははひひひひ! え? 視えてるじゃねぇか、患者の霊。ふひひははは!」


けたたましい笑い声と共に、帆海が言い放った。

美馬と篠瀬は視線を帆海に向ける。

包帯の男は姿勢を動かさなかったが、包帯の巻かれた顔をほんの少し上げた。


『同化、ですか』

「どうかどうか、どうかなぁ、きししししひはははははは! くっついちゃってんだよ、医者と患者の精神が。他人とくっついて一人になるって、くひひひ、きもっ、気持ち悪いいぃ! かははははは!」


身体中から別の頭や手足が生え、ブクブクと赤黒い肉塊が浮き出てくるそのビジョンは、医師と患者の同化の像だった。

他者の意識と同化する。

それも痛みや苦しみ、怨みや怒りを抱えた患者との精神同化。


…え、う、うえ……


篠瀬は想像しただけで吐き気を催した。

ろくな痛み止めも出来ぬまま壊死した部位を切除する医師の苦悩、それと、その施述を受けて苦しむ患者自身の想像を絶する苦痛、両方を自分の感覚として抱える。

これを地獄と言わずして何と表現するか……


『帆海さん』

「あ? もういいよ。いらねぇし、スピリウルとか。」

『いえ、なぜでしょうか。帆海さんの意思や操作に関係なく、あなたが「光の帯」を使ってテレパシーを受けた場合、霊を呼び寄せて同化させてしまうならば、なぜ、私からのテレパシーではそれが起こらないのでしょう』

「ああ、細かく言うとな、何もしてないわけじゃない。」

『と、言うと?』

「視えちゃうんだな。相手の願望、それに関係してる死んだ人。」

『どういう、ことですか』

「相手の記憶とか、いろいろ見えるからな、テレパシーは。たまたまアタシがその記憶に気付いちゃうと、その霊を呼んでしまう。けどな、くふふ、呼んだだけじゃくっつかないな。」

『やはり何かしているのですね?』

「してるっつーか、してないっつーか、穴があんだよ、呼ばれた幽霊が入り込む、呼んだやつに穴が。」

『精神に、ですか?』

「精神て言うなら精神だろうし、魂って言うなら魂だろ。呼ばれた幽霊がその穴に気付いちゃうと、入っていくのが視える。アタシがその穴をちょっとでも視ると、呼ばれた幽霊はもう気付く。だってさ、くひはは、呼ばれた幽霊はアタシの『光の帯』と重なってんだから、そりゃあ気付くよな。けへへははは!」

『穴というのは、具体的にはどう視えるものなのですか?』

「穴ってか、弱い感じのとこだな。色が違うんだよ、少し。上手く言えねぇ。」


包帯の男はこの時初めて知った。

口寄せの能力者は、魂の弱い部分、『光の帯』の弱い部分を視る能力を併せ持っているということを。

『光の帯』の精神部分が明滅する光の部分であることから、その穴は光る部分であり、そして他と色調が少し違うらしい。

医師の地縛霊の『穴』も見出せたとすると、オレンジ色の輪郭を持つ白い光、死者の魂にも色調の違う部分があるということなのか。


『その穴は、誰にでもあるのですか?』


愚問かも知れない、と包帯の男は思った。

なぜなら、精神が全てムラなく完璧に整っている人間などいないのだから、当たり前とも言えることだ。


「あー、知らね。近付いて、この目で見ないとわかんね。この目で見ないと。」


帆海は自分の肉眼を指差して言った。

篠瀬は両手で口を抑えて震えている。

彼女は思った。出来れば二度とここに身体ごと来るのはよそう、と。

美馬は、目を細めて思った。

死者の精神と同化させてしまう能力……口寄せの霊媒師が時折重病人のように伏せってしまうのは、もしかしたら自身がこの状態に陥ってしまうという現象ではないだろうか。

意識が混在する、のではない。意識が同化するのだ。

自分が呼んだ死者そのものになる。自分の意識に、それが足される。

記憶も共有となり、自我は崩壊するかも知れない。

美馬は想像してみるが、想像すら追いつかない恐ろしさであることに気付かされるだけだった。


2009年2月。

廃病院の外には、冷たい霙が降り続いていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


鏡水かがみず巡査、君は耐熱防火服を着ていない。玄関の外から援護だが、それでも炎や熱気を感じたら必ず退避だ。最優先の命令はな、自分が無事でいることだ。いいな。」

「は! お心遣い感謝致します。」


古見原こみはらは念を押したが、それでも気が揉まれる感覚は否めない。

『灰色』の使い手は敵前逃亡という人間らしい存命の切り札を奪われているのだ。

今更、父である古見原一成の仕事にケチを付ける気は無い。

だが、やはりこれまでのラボ教育の最大の欠陥は使い手の人権を奪ったことだろう、との思いが心の奥底に靄のような憤りを漂わせる。

だからと言って先天色の野神のがみ喜多室きたむろだけを敵地に送り込む訳にもいかない。

『灰色』の二人には『光の帯』で突入させ、物理攻撃の回避率だけでも最大限まで上げてやる……こんな扱いの難しい部隊を淡々と指揮してきた伴瓜ともうり警視正は何を思い指示を出してきたのか。

車尾くずも枝連えづれの死は、本当に不可避だったのか。


…いかん。非能力者の警官も同じだ。考え過ぎるな……


鏡水が正面玄関へ向かう後ろ姿を凝視しながら、古見原の意識は隣に立つ狩野かのうへ向く。

この純粋な少年が守る美馬恒征たちの正義とは何なのか。

表面的には器物損壊、傷害、殺人未遂、と穂褄ほづまが犯してきた罪が存在する。

仔駒雅弓こごままゆみ失踪も関係しているなら、誘拐も付く。

それを、彼ら脱走者達はどう考えているのか。

それを正当化する理屈があるとでも言うのか。


…人間同士、なぜ話し合いで解決できない。


こう考えるのは温室キャリアの平和ボケ思考なのか。

何かヒントだけでもいい、見せてくれ、狩野佳洋……と、古見原の顔は険しさをより深くしていった。


正面玄関から三度目の突入をした喜多室は、背後に鏡水の『灰色』を感じながら、すんなりと一階ナースステーションまで通してくれた脱走者たちに不気味なものを感じた。

これが相手の疲弊による間合いならいいのだが……

眼下、地下一階には『赤茶』が近付いてくるのが視える。

『灰色』はどうしたのか、『黄緑』は……


シュッ……タンッ……


喜多室はナースステーションのカウンターを飛び越え、中に入った。

なんでもいい。今のうちに精神感応を試みる。

あの看護師の霊と。


…やはりな。動物的な反応ではない。人の理性を残している証拠だ。


接近させた喜多室の『光の帯』に、その霊の意識は向けられた。

だが、何かを盲目的に求めるだけの他の霊と違い、例えるなら「忙しいのに誰だ」といった感じの反応を看護師の霊は見せる。

喜多室は自分の『光の帯』をその看護師の霊に透過させた。

そして、問いかける。


『何をされているのですか』

『…………………………』


何かを言っているようだが、具体的な言葉や文字として入ってこない。

聴覚的に例えるならば、小声で早口の様な感じである。

だが、傷だらけのフィルムが何枚も重なっているようなビジョンが、薄らと視えてくる。

これは相当に集中しないとコミュニケーションが取れないと感じた喜多室は、背後の鏡水の『灰色』にテレパシーを送った。


『鏡水さん、霊との交信に力を集中したい。下に視えている敵、頼みます。危険は警告を下さい』

『了解。逃げろと言ったら逃げて下さいよ、喜多室さん』

『頼みます』


喜多室は念じた。


何をしているのですか

患者さんはどうですか

何をしているのですか

患者さん達はどうですか

何をしているのですか

患者さんはどうですか……


…えしてあ……

…るし……いほう……

…かえしてあげ……

…くるしみ……いほうして……


哀しみに暮れ、ひたすら患者の浮遊霊に同情の意識が向けられていることを、喜多室は改めて感じた。

看護師の姿が、次第に明確になってくる。

薄らと視えていたビジョン、それは……切断された手や足を運び出す手元、看護師自身の主観視点だった。

それは幾重にも重なり、血で汚れた包帯や両手に抱えられた薬の瓶などのビジョンもある。


…手を、足を……返してあげたい……苦しみから解放してあげたい……


苦しみからの解放、それは毒物による安楽死であることが彼女を葛藤させ、追い詰めている。

その精神が直に喜多室に流れ込んでくる。

あたかも自分の感情のように、看護師の苦悩が内側から湧き出してくる。


…当てられてはいけない。


喜多室は剥き出しの精神との対峙に一瞬怯んだが、必死に良心の呵責を押し殺した。

逃げても、心に壁を作っても、今は前へは進めない。ならば……


…無慈悲なこちらの要求を思念から強く送り出す。


『地下一階のあの場所へ、その患者の手や足を持っていくんだ』

『え……』


初めて、看護師の霊の意識が真っ直ぐに喜多室へ向いた。

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