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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
185/292

ヤーヌスの夢 6.

県内、民間総合病院。

出張から戻った都筑つづき院長の土産である名産品のお菓子を持ち、看護師が一人、個室病棟の廊下を歩いていた。

彼女が向かっているのは山本光一やまもとこういちの病室。

回診時間ではないのだが、お菓子のお裾分けをと考えて足を運んでいた。

病院側の者が患者に病院食以外の食べ物を配布するのは規律違反なのだが、摂取コントロールをしなければならないような病気ではないことと、担当看護師たちとは家族同然の間柄になっている光一少年にあり、時折こういった依怙贔屓がなされる。

それを都筑院長も黙認していた。

病室の前に来た看護師はドアに手を掛けたが、外出表示が掲げられているのを目にし、首を傾げた。


「あれ? 外出?」


ドアを開けて中を覗いたが、やはり光一はいなかった。

看護師は記憶していた光一の週間予定と違うような気がして、お菓子を持ったままナースステーションへ戻った。


「お疲れ。ねぇ、光一君、今日は学校だっけ。」

「違うでしょ。朝九時過ぎだったかな、石井さんが来られてお連れになったよ。」

「ふぅん。予定、あったっけ。」

「事前申請は無かったみたいだけど、別に、ほら、石井さんがいれば外出自由だし、あの子。」

「そっか。」


看護師は手元のお菓子を眺め、少し考えるとカウンター越しにお菓子を同僚に差し出した。


「これ、置いとくとあれだし、他の患者さんに見られたらまずいし、食べちゃお。」

「お、どうもどうも……あは、院長の趣味だなーこれ。」

「あははは。」


そして、光一の個室に戻ると、簡単な掃除を始めた。

乱雑に乱れたシーツ、半開きのノートパソコン、クローゼットまでが半開きだ。

身の回りをいつもきちんと片付けて外出する光一にしては珍しいな、と看護師は思った。

急な外出だったのだろうか。

石井という男性、光一が『おじさん』と呼んでいる彼は光一の母親の知り合いだという。

親戚でもないのに、入院費を負担している。

光一の母は精神病院で服役中という事情もあり、保護者代理を名乗り出た男性であるが、光一の母との詳しい関係は聞かされていない。

滅多に見舞いには見えず、光一の登校の日やその他の外出の時だけ迎えに来る。

高級なブランドスーツを着た紳士的な男性であることもあり、仕事の忙しい人なのだろうな、と看護師たちは深く気に留めていなかった。


…なんだろ。


光一の個室。

何か、どこか不穏な雰囲気を残している。


「身体の不自由な子だし、急がされたんだろうな。」


看護師は深く考えるのをやめ、シーツの交換を始めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


野神のがみさんは西玄関、喜多室きたむろはまた正面か。」

「しつこいな。」

「気付いているとも思えないが……ここにあるものに。」

「だからしつこいのだろう。ペニシリンでも食らわせてやるか。」

「そういうのは、私は好かないな。」

「良く言う。お前の方が本質は残虐だ。」


『赤茶色』と『灰色』の会話。

それは側から見れば美馬みまの独り言にしか聞こえない。

変な奴だ、と躁状態の帆海ほのみは思う。

また、あまりにも声のトーンや口調に変化がないため、演技しているだけなのではないか、とも思ってしまう。

やや紳士的な発言が『赤茶』、猟奇的だが包帯の男の意図を忠実に汲み取り行動に表す方が『灰色』。

焦りや迷いが少ないのも『灰色』の特徴で、『赤茶』の方が少し人間味があるな、と帆海は感じている。

そして、美馬本人が言うには、帆海といつも会話しているのは『赤茶』の方らしい。

精神感応での会話であればそれははっきり識別出来るが、口頭の会話では確かめようがないことだ。

だが、それは帆海にとって大した問題では無かった。

今話している相手が『灰色』の美馬だろうが、『赤茶』の美馬だろうが、美馬は美馬だ、と彼女は思っている。


「ひはは、二人とも、灰色の援護付きだな。あそこの刑事ども、アタシには誰が誰だかさっぱりわからん。」

「正面の喜多室に鏡水かがみずさん、西の野神さんには深谷ふかやさんだ。」

「かっはははは。なんでもいいや。根津ねづが来たら教えろ。幽霊にうじゃっと囲ませてやる! うじゃっと!」

「根津さんも、被害者だと思うが。」

「るっせーよ! 聞きたいことがあんだよ! 根津! ねづ!」

「黄緑の帆海さんは、前向きな人だと思っているのだが。」

「またそれかよ。前とか後ろとか。アタシはアタシ! あんたと違って一人だっつーの。」

「ああ、言い方が悪かった。過去ばかり見てしまう時の帆海さんは、どこか苦しそうだ。これからこうしたい、ああしたい、と言っている明るい帆海さんに、私は好感を持っている。」

「けっははは。狩野かのうはカッコイイって言ってたな。」

「狩野君は正直な少年だな。彼のように、帆海さんにも未来を見て欲しい、ということさ。」

「未来?」

「ああ。女性なのだから。」


会話中も美馬は、刑事たちの動きをクレヤボヤンスで追っている。

『灰色』の美馬がぶつぶつと呟き始めた。


「鏡水さんと深谷さんは入ってこない……外から援護か。集中豪雨と落雷でも食らわすか? 黒焦げにしたあの警官のように。」


伴瓜ともうり警視正の義父の葬儀、その後に刑事局の組対警官を落雷で殺害したのは『灰色』の美馬だった。


「やめておくんだ。」

「止めるだろう、雷くらい、彼らなら。」

「それなら尚更だ。無駄に精神力を消費するな。」

「私に向かって良く言うな。先に寝てしまうのはいつもお前だろう。」

「同時に寝てしまってはまずいだろう、と言っている。」

「それよりも野神さんと喜多室だな。懲りずに入ってくると言うことは、何か策を打ってくるかも知れない。」

「ここを帆海さんに任せ、私達は彼等の前に姿を出す、というのも手だと思うが。」

「野神さんの勧告は古見原こみはらの指示だ。従う気にはなれないな。また炙って追い出すか。」

「それこそ保つのか? 気温操作は相当に消耗するだろう。」


『灰色』の美馬は考える。

確かに『赤茶』の言う通り、高温を作り出すスピリウルは疲弊する。

そう何度も繰り出せる攻撃ではない。


「お互いに甘く見ていたな。熱の氷で諦めてくれると思ったが……水を使うか。」

「溺死はまずい。殺さないやり方で追い出すんだ。」

「死なないやり方だ。」

「あれ、か。」

「どうだ?」

「勘の良い刑事達だ、回避されるだろうが……その時は出るぞ、彼等の前へ。」

「出ずに済ませる。」


まとまったような、まとまらないような、二人の美馬。

『赤茶』は内心思った。

奈執なとりが来てくれれば……仔駒雅弓こごままゆみにかまけ過ぎではないのか、と。

片や『灰色』は思う。

部屋の中央で、包帯の男と重なるように佇む霊。

この霊の意識、記憶だけは絶対に暴かれてはいけない。

刑事局の手に堕ちてはいけない。

命に変えても守り抜くのだ、と。

美馬の『赤茶』と『灰色』が、二手に別れた野神と喜多室へ、ゆるゆると迎撃に動き出した。


帆海の頭には美馬の言葉が引っ掛かっていた。


ー 未来を見て欲しい。女性なのだから ー


美馬は女性に思いやりの言葉を向ける優しさを持っている。

帆海に対しても、篠瀬に対しても、気変わりしたらいつでも我々から離れて自分の生活に戻れ、と常々言っていた。

奈執は一見気遣い屋だが、どこか自利を優先するようなところがある。

仔駒の面倒を買って出たのも、出生を見ずに亡くした娘の代わりとしてという意識が強く介在していたことを帆海は知っている。

妊娠八ヶ月で流れてしまった娘だ。

流産を苦にした妻は重度の鬱状態に陥り、娘を追うように自殺した。

そのことによる奈執の心の傷の深さは計り知れないものがあるが、その原因への復讐に取り憑かれたように見えてしまうところがある。

穂褄ほづまには、女性に対する優しさはあまり感じた事がない。

篠瀬の死の原因を追い求める姿は情熱的にも見えたが、直情的に怒りに任せて動いていたようでもあった。

包容力、男の優しさ、それを持っているのは美馬だ、と帆海は思う。


未来を見ろ?

過去を見るアタシは苦しそう?

当たり前だ。

ゆうちゃんを忘れられるか。

アタシの能力は、どうしてゆうちゃんを呼べないんだ。

ずっと思ってる。

いつも思ってる。

ありがとう、って言いたいんだ。

ごめんね、って言いたいんだ。

あの時どうしてアタシは……

どうして逃げた……

ゆうちゃんを残して……

だって……

ゆうちゃんは……

物を壊せる、凄い力……

大丈夫だよ、って……

逃げて、ほのみ姉ちゃん、て……

どうして……

なんで……

なんで、私……


帆海のクレヤボヤンスが消え、視界が部屋の中だけになる。

無数に浮いていた金や白の光が、消えて見えなくなる。


ごめんね。

ごめんね。

ごめんね。

ごめんね。

ゆうちゃん。

ごめんね。

だって……

あ……美馬さん……

見えなくなっちゃった……

出来ない……

何も出来ない、私……

狩野くんも……見えない……

何も見えない……

美馬さん……

未来って?

未来って何?

未来、未来、未来、未来、未来……あ……


「……あ、コーヒー……」


未来って、コーヒーかな。

南條さんの、コーヒーなのかな。

日曜日。

また来てって言ってくれた。

聞きたいことあるって言ってた。

南條さん。

行くよ。

日曜日。

行かなきゃ。


「あ……まだ……使ってない……」


コーヒーメーカー買ったんだ。

モカブレンドも。

八十七度。

やらなきゃ。

コーヒー。

未来はコーヒー。

美味しいコーヒー。

あ……

八十七度で落としたら……

冷やすの何度かな……冷蔵庫、温度できたっけな……


弟の遊野ゆうやの死。

一時も忘れたことのない、弟の死。

それを、刹那、忘れさせてくれたもの。

美馬の思いやり。

南條のコーヒー。

狩野との買い物。


未来って、そういうこと?……

でも……

忘れたら……

忘れてしまったら……

もう私……私じゃない……

両方……

過去と……未来と……

両方で、私……

孤児院……

孤児院から逃げようって言ったの……私……なのに……

死んだ……死んだの……


「ゆう……う……ちゃん……う、うう……」


帆海は零れだす涙を止められなかった。

あの時のように、止められなかった。

消えてしまった、『緑』の光。

遊野の魂。

四歳の自分の心が、寸分違わず、今もここにあった。

そして、鈴木という男性に拾われ、尚子という名をもらい、死ねばいいのか、生きればいいのかを自問自答し続ける十二年間が走馬灯のように一瞬で駆け抜ける。

十六歳の時に、逃げた孤児院の事、意味もわからず襲ってきた大人と子供の事、それを知った。

まだ死んではいけないのだ、と思ったのはその時だった。


「あ……」


涙で滲む帆海の目に、包帯の男が映る。


「そうだった……」


帆海は思い出した。

今、ここにいる理由。


『遊野さんのように、刑事局に殺されてしまった能力者が五人います。遊野さんには帆海さんがいますが、死んでしまった彼らには、思い出してくれる肉親すら、もういないんです』


包帯の男から聞いた言葉。


「あ……あ、の……美馬さん……」

「ん、どうしました。」

「私、出れない……ここ……」

「ああ、お帰りですか。少し待って下さい。今手が……」

「あ、違う……」

「ん?」

「やらなきゃ……って……思って……」

「はい?」

「ここ、から……廊下に……刑事の前に……出れない……」

「え? 帆海さんが彼等と? 対峙する気か?」

「う、ん……」

「それは帆海さんの能力が活きない。出る必要はない。」

「近付くと……見える……」

「え、まさか……あれ、やる気、ですか。」

「多分……あ……皆んな出て行く……」

「いや、あれは、彼も、」


美馬はチラッと包帯の男へ視線を向け、戻した。


「彼もそこまでして、とは考えていないよ。」


ある意味、相手を死より恐ろしい状態にしかねない能力を、帆海は持っていた。

第二階層にしか出現出来ない『黄緑』の、最も恐ろしい能力。

美馬は、二つの『光の帯』で野神と喜多室を捉えつつ、帆海への説得の文句を考え始めた。

使わせてはいけない。

あの能力だけは……。

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