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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
184/292

ヤーヌスの夢 5.

城下桜南高校、本校舎一階。

一年D組に立ち寄った桐山きりやまは、一年リーダーの鈴原千恵すずはらちえに大方の事情と千恵自身の考えを聴いた。

千恵はやはり舞衣まいが原因だと見ているようだ。

筋トレやストレッチの仕方からシュートフォーム、手首の角度まで、とにかく舞衣は一年全員に口うるさい程指摘して回っているらしい。


「まあ、でも、ちゃむは悪気無いんです。上手くいかないーって言ってる人に助言してる系? それが、皆んなにはうるさく感じてるみたいで。」


部活中、舞衣がそれほどお節介を焼いて回っているようには見えていなかった桐山は小首を傾げた。


房生ふさお、私には自分の練習に集中してるように見えるんだけれど、それ、そんなに、そうなの?」

「んー、回数って言うか、タイミング? 今それ考えてたのに言うかなー的な? あと、同じこと何回も言われると、やっぱイラオコ入っちゃったり。」

「そっか……それで、鈴原的には引き止めてあげたい、なのね?」

「はい。ミサキは本当にバスケ好きだし、さくちゃんは気が強い分ちゃむに言いたいこと言えてたり、メンブレ入った時は優しかったり、私よりリーダーっぽい。りんりんはさくちゃんの親友だし。」

「まあ。」


横で聞いていた湖洲香こずかが小さな声を上げた。

千恵と桐山が同時に湖洲香を見る。


「りんりんさんて、どんなお名前ですの?」


どこに食いついているんだこの人は……と思いつつ、紅河くれかわは外方を向いたまま欠伸をした。


寿すずだからりんりん。つきがせ寿すず。」

「まあ、美しい名前ね。」

「なんか、本人は小さい『ケ』と踊り字? 『ク』みたいなの、名前に両方入っててなんかヤダって言ってますけど。」

「まあ。ご両親に頂いた名前が嫌だなんて、いけませんわね。」


…関係ねーから、今それ。


内心毒ずく紅河。

学校というものが初めての湖洲香にとって、あらゆるものが興味をそそるのは分からなくもないのだが、何かと話が脱線し勝ちな湖洲香には少々疲れるな、と紅河は感じ始めていた。

ピアノの件も然り、だ。

ピアノを弾くのは構わないのだが、その時に本来の仕事、使い手の監視に問題は起きないのか。

校内で常に行動を共にしていると、どうしてもその人のクセや悪い所が見えてきてしまう。

紅河の未熟さ、と言えばそれまでだが、特に彼は興味の無いことに付き合わされることが苦痛なタイプだった。

湖洲香に限らず、人はそれぞれ独特な方向に思考が脱線していくことは紅河にも解ることだが、湖洲香はそれをストレートに悪怯れることもなく表に出す。

紅河にとって湖洲香は疲れるタイプの女性だった。


「だいたいわかった。三人のところにちょっと行ってくるね。鈴原が今言ったことは言わないでおくから。」

「お願いします。高島たかしま先輩は来ないんですか?」

遙香はるかは話をこじらせることがあるし、なんか柔道にハマってるみたいで、柔道部の子となんかやってる。」

「柔道?」


千恵は目を丸くした。

紅河がチラッと桐山に視線を向ける。


「うん。須崎すざき君とワンオンワンした後、空気かお前は、とか言われたらしくて、腰を重くするんだって。」

「えー、きつっ。サッカー部のレギュラーの人にポジション争いで勝てるわけないですよー。」

「いつか勝つ気みたいよ。それが遙香なんだよ。」

「すごい……」

「じゃ行ってくる。」


桐山は湖洲香と紅河を連れ、E組を覗いた。

千恵がミサキと呼んでいた部員、柳井美岬やないみさきのクラスである。

百六十九センチの美岬みさきは、三年の津田つだの次に背の高い部員だった。


「いないな。」

「なんか一年生って皆さん可愛いですわね。」

「そすか。」


美岬がいなかったE組を後にし、A組に向かう。

りんりんとさくちゃん、月ヶ瀬寿々音と大瀧咲良おおたきさくらのクラスだ。


「あ、いたいた。三人ともいる。大瀧おおたき!」


咲良さくらの席に、彼女を囲むように寿々音とE組の美岬もいた。

三人は桐山キャプテンの声にビクッと反応し、顔を見合わせている。

困ったような、迷惑そうな表情で、咲良がゆっくりと立ち上がった。

彼女は寿々音と美岬に何か言うと、一人で廊下の方へ歩いてくる。


「あ、部のこと、ですか。」


冷めた口調の咲良は、後ろに紅河がいることに気付き、表情を一層暗くした。


…紅河先輩まで、めんどくさ。


「うん。黙って休むのやっぱり良くないし、ちょっと心配になって。」

「千恵ちゃんには言いましたけど。もう出ないかもって。」

「そっか……柳井と月ヶ瀬とも話したいから、呼んでくれる?」

「はい。」


咲良は面倒そうにだらだらと歩いて戻り、二人を連れて廊下へ出て来た。

すかさず湖洲香がお辞儀をする。


「斉藤知子と申します。紅河さんと同じ三年A組ですわ。」


…ですわ?

…誰。

…何この人。


咲良たち三人は怪訝そうな表情で、湖洲香に頭を下げた。

改まった話の時は教室から離れた方が良い、との紅河の言葉に、六人は食堂へ移動する。

途中で湖洲香が250mlのりんごジュースを買い込み、皆に配った。

三年生の三人と一年生の三人が向かい合うかたちで、テーブルに着く。

りんごジュースをしげしげと眺めている一年生三人に、湖洲香は言った。


「りんごが赤くなると医者が青くなるって言いますわ。それだけ体に良いのよ。」


咲良が薄く作り笑いを浮かべて言う。


「お婆ちゃんの知恵袋系?」

「博士に聞いたのよ。りんごは乳酸を分解してエネルギーに変えるんですわ。疲労回復で元気になるのよ。」

「はくし?」

「いろいろ教えてくれる大好きな博士がいるの。」


咲良は白い髭の老人を思い浮かべたが、それ以上聴かなかった。

不思議系お嬢様キャラが少し面白いな、と思ったが、これから部の話をすると思うと気が重い。

それは寿々音も美岬も同じ心境だった。

頬杖を付いて眠そうな顔をしている紅河が、妙な威圧感を三人に与えている。

それは、姿勢の良い不思議系お嬢様の斉藤とは対照的だった。

真ん中に座った桐山が話し始める。


「キャプテンとして、最初にはっきり言うね。退部して欲しくない。理由は二つ。三人にもバスケの本当の楽しさを知って欲しいことと、今の練習プログラムを維持していきたいから。」


桐山の言葉には真剣味は感じられるが、落ち着きのある話し方だからか、後者の理由だけが一年生の耳に説教のようなザラつきと共に残る。

今の練習プログラムを維持していきたいから。

結局そこか。

今辞められたら困る、部が困る、そういうことだろう。

咲良が桐山に斜めの視線を向けながら言う。


「部が困るんだろうけど、辞めるの、自由ですよね。」

「それは、そう。けど、辞めたいの? どうして辞めたくなったの?」

「つまらなくなって。前はゲームが多くて楽しくやってたのに、パスとかドリブルの練習も大事だってわかるけど、なんか、上手い人に邪魔みたいに言われるし。」

「え? 何を言われたの?」

「そうじゃない、違う、こうだ、って、こっちも考えてるのに。」

「え、それって、邪魔とは違うんじゃない?」

「言いかた、聞いてればわかる。下手、って言われてるようなもんだよね。」


咲良は寿々音に同意を求めるように視線を向けた。


「え、うん、教えてくれるのはいいけど、なんか、同学年に怒られてるみたいで、やんなってくる。」

「ああ、そういう、ことか……」


どうやら問題の核は自尊心の迫害のようだ。

桐山は思い切って実名を出した。


「それは、房生?」


一年生三人は目を合わせたが、黙っている。


「誰にも言わない。ここだけの話にする。大事なことだよ、誰?」


咲良が口を開いた。


「良い人だよ、舞衣は。性格良いし、友達想いなのもわかる。だけど、バスケのことになると、アツ過ぎって言うか、温度差半端ない。」


背の高い美岬が言葉を挟む。


「ビュンビュン先行っちゃう。なんか自分がのろまに感じる。舞衣は本当にバスケ上手い。こだわり方も、なんか、紅河先輩みたいな、そこ? っていうところを突っ込まれたり、わかるんだけど、ちょっとペース合わない、です。」


紅河は一瞬美岬の目を見たが、何も言わなかった。

何も言わなかったが、思った。

美岬の目には悔しさの色がある。

舞衣をライバル視しているのか、単純に同年代から指摘を受けることがプライドに触るのか……

どちらにしても、その目は悪くない。

スポーツ選手が悔しさを感じることは当たり前であり、且つ必要な感情だ。

悔しいから伸びる、と言っても言い過ぎではない。


…この柳井美岬って子は残るな。一度辞めても、必ず女バスに戻ってくる。


紅河がほんの少し目を細めたのに相反し、桐山の目が何かを思い詰めたように険しくなった。

言うべきか。

封印してきた言葉を。

仲良く楽しくまったりと、の桜南女子バスケ部にあり、数々の禁句としてきた言葉を、言うべきだろうか。

これまでの桜南女バスは、言わば徒競走で全員手を繋ぎ、一緒に走り、同時にゴールのテープを切る、そういう方針だった。

何度心の中で叫んだことか。

それが徒競走?

競争の意味知ってるの?

走りが得意な選手を潰して何が教育?

優劣を付けることが生徒を駄目にする? 逆じゃないの?


「ペースが合わないなら、柳井、合わせる努力はしたの?」


言ってしまってから、桐山の全身に震えが来た。

恐ろしい。

努力しろ、という言葉。

部員を潰してしまうのは自分なのではないか。

こんなこと言われたら、言われた方はどれだけ傷付くのか。

横で、ごそっと紅河が動いた気配。

見ると、彼は頬杖を解いて椅子に座り直していた。


…ああ、あつし、助けて、言っちゃいけないことを、私……


美岬に言い返されたら、キャプテンが房生の肩を持つなら辞める、さよなら、と言われてしまったら……勇気を! 誰か勇気を分けて! と桐山は心の中で叫ぶ。

美岬は、真っ直ぐ桐山の方を見た。


「努力は……まだ、やり切ったとは言えない、です。舞衣は凄い。足とか手にしょっちゅう湿布貼ってるし、風邪で熱あるのに真っ赤な顔でランニングしてたし、すいません、ちょっと、嫉妬、かな、言われてみれば、私、足りないかも、です、すいません……」

「え、あ、謝るとか、じゃなくて、あ、え、と……そっか、そう思ってるんだ。」


心臓が止まりそうだ、と桐山は思う。

好きで楽しくやっていたバスケ、それに水を刺し、奪い取ってしまうかも知れない自分の発言。

謝らせてしまった。

後輩に、自分のペースで楽しく活動出来ると聞いたはずの桜南女バスに入部してきた後輩に、謝らせてしまった。

咲良が、テーブルに目を落としたまま、だが強いニュアンスで言った。


「私は着いてけない。努力とかしなきゃとは思うけど、あんな風に上から目線で言われたら、なんか、平和に暮らしてたらいきなり戦争? 銃の撃ち方知らないの? 的な? 話が違う気がする。」


…ズレてんな。


咲良の言葉に、紅河は、自分の力不足や弱さを他人のせいにしているだけだ、逃げたければ好きにしろ、と思った。

湖洲香が口を開く。


「桐山さん、私もいい?」

「え、あ、うん。」


終始表情を変えず、背筋をすっと伸ばして聞いていた湖洲香、斉藤知子が、その温和な童顔に似つかわしくない言葉を放った。


「平和にいきなり戦争、って言いましたわね。それのどこが話が違うんですの? 銃が撃てなかったら死ぬだけ、当たり前のことですわ。」


咲良は顔を上げて湖洲香をまじまじと見た。

寿々音も美岬も、少なからず驚いた表情を湖洲香に向ける。

紅河が少し苦い顔をした。


…それもちと唐突だな、湖洲香さん。


湖洲香の日常を考えれば、それでもオブラートに包んだ物言いなのだろうが、ユトリだのサトリだのと言われている世代には全く実感の湧かない、モニターの中のフィクションにしか聞こえないだろう。


「さくちゃんさん、」

「え……あ、はい。」

「今、バスケット部の皆さんは、勝つチームに変えていこうとしているとお聞きしましたわ。そうなんですの?」

「え、それは、はい。」

「変える、って、どういうことかしらと考えたら、平和? 戦争?」

「え、意味が、よく……」

「私が教わったお話。世界を大きく変えるのは、平和より戦争なのよ。戦争が良いということじゃなくて、結果として、何かを短い時間で変えようとしたら、戦争のような破壊が伴うんですわ。クラッシュアンドビルド、ですわね。」

「はぁ……」

「平和の時は閉じていて、戦争の時は開いている扉、ご存知?」


紅河も桐山も、湖洲香へ視線を向けた。

一体何を言い始めたのだろうか。


「知らない、です。」

「ローマ神話だったかしら。物事の始まりを司る神、ヤヌスが守っている扉ですわ。」


ローマ神話という言葉に一年生三人は、なんだ作り話か、とも思ったが、なぜか妙に好奇心をくすぐる湖洲香の話に聞き入り始めた。


「バスケット部の皆さんに始まりが訪れたのですわね。じゃあ、その扉は開かれた方がいいのか、閉じていた方がいいのか……ヤヌスは二つの顔を持っていて、未来を見据える若者の顔と、過去を見据える老人の顔。房生さんはきっと、未来を見る若者、扉を自分の手で開けたんですわ。それが戦争だと判っても、ですわ。」


抽象的ではあるが、なんとなくニュアンスは判る。

不思議お嬢様の言いたいこと。

それは理不尽なまでに険しい道、気を抜けば命を失うような荊の道へ続く扉、それを舞衣が、部を変えるために開いた。

ヤヌスの始まりを一度受け入れたなら、開いた戦争の扉を進むべきでしょう、というようなことなのだろう。

一見現実味のない世界観が、斉藤が穏やかな顔で話すと、なぜか実際に身の回りに降り立った話のように感じる。

紅河も意外だった。

それはもしかしたら、現実に死と隣り合わせの世界に身を置いている湖洲香の言葉だからこそ、そう感じるのかも知れない。

しかし、それが、湖洲香を知らない一年生たちにどれだけ伝わるのかは疑問だ。


「舞衣もキツイ、ってこと、かな。」

「そうかも。」

「でもなー……」

「一回話する? 舞衣と。」

「その方がいいかな。」

「そうだね。私達がハブった感じになるのいやだし。」

「今日は?」

「別に。」

「うん、出るか。」

「桐山先輩、」

「ん?」

「今日、部活出ます。舞衣と話してみる。」

「そっか。うん、ありがとう。」


桐山は咲良の言葉を聞き、どっと疲れが出るのを感じた。

こんな緊張感もう嫌、と眩暈すら感じる。

それにしても……と桐山は湖洲香を改めて見た。


…この転入生、ほんと何者かな。なんで淳といつも一緒?

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