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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
181/292

ヤーヌスの夢 2.

せめて喜多室きたむろの所まで『光の帯』を伸ばせれば……と野神のがみは思う。

精神感応を割り込ませることが出来れば、少なくとも喜多室が動けない理由くらいは分かるはずだ。

思い切って突っ込むか。

『黄緑』に抑えられている喜多室はすぐ眼と鼻の先だ。

だが、その野神も『灰色』の接近を許し、囲まれている。

喜多室が助かるならば自己犠牲は厭わない、と考えている野神だが、それは目的をはたせることが大前提だ。

体内にどんな薬液を注入されようが構わないが、数メートル先の喜多室に辿り着く前に倒れてしまっては話にならない。

野神は手袋を被せた左手にチラッと視線を向けた。


…灰色は私の手に『光の帯』を透過させたはずだが、気付かなかった。


視えない、ということはない。

ただ、やはりマルサンはどこか遠い。

第二や第一階層にいる『光の帯』であれば手に取るように接近度合いを察知出来るのだが、自分の肉体と接触していた瞬間を不覚にも見逃すとは……経験値の差なのか、第三階層に入れるのと入れないのとでは気付き方にも差が出てしまうようだ。


…どうする、どうする……確実に喜多室巡査を救い出す方法は。


階段にいた子供の使い手の霊は、侵入者四名に同時に精神感応ビジョンを見せていた。

だが、『黄緑』は野神にはまだ仕掛けてこない。


…私の始末は『灰色』が付ける、と割り切ってのことか。


自分を阻む相手は『灰色』。

野神は紺色の『光の帯』を数本、第一階層へ勢いよく放出した。


ビュルッ、シュルシュルッ!


勢い余って燃焼でボロボロになったスーツの一部がパラパラと野神の周囲を舞う。

そして耐熱マスクをガバッとフードごと頭の後ろへ脱ぎやった。


『何があろうと、進まなければならないんだ!』


野神は『灰色』へ一言精神感応を投げると、第三階層にあるそれを自分の第一階層の『光の帯』で引っ掻き回し始めた。

『灰色』を透過し空を切る『紺色』。

第一階層テレキネシスはスピリウルに対しては全くの無力、それを知らない訳でもないだろう、と『灰色』は思った。

それでも野神という刑事は意外な行動を取るということを今し方見せつけられた。

予期していなかった大爆発に隙を見せてしまったばかりだ。

まんまと野神は地下一階に降り立っている。

虚しく空を切る『紺色』にも何か意味があるのではないか……『灰色』は緊張を解かなかった。

少しづつ振り回す半径を広げていく野神の『紺色』が、左右の壁を削り始めた。


ビシッ……ビシッ、ビシッ……


そして、ある瞬間、一本の『紺色』が唐突に伸び、喜多室の頭上の天井を砕いた。


ズガァッ!


…ん、狙いはそれだったか。


頭上が崩れる音に気付いた喜多室は、薄緑の『光の帯』を第一階層に出す。

そしてやっと気付いた。

視界に入った『紺色』を視て、野神が背後にいることに。

崩れた天井は喜多室の頭上でフッと止まり、ズルッと彼の横へ落ちる。

それでも喜多室の前には、相変わらず母がいた。

あたかもそこに自縛している霊のように。

周囲は現実の廃病院の通路だ。

その現実感が、逆に喜多室を惑わせる。

本当に母の霊なのか、と。

野神が叫ぶ。


「喜多室さん! 身体へ『灰色』の透過を許すな! 体内へ毒物を転送される!」


その言葉に、背後に『灰色』が再接近していることも察知した喜多室は、眉間にしわを寄せつつ『母』へ振り返った。


…母自身なのか武儀むぎの作り物なのか、それは今考えることではない!


前進か、後退か。

一階ナースステーションの看護師の霊、キーパーソンかも知れないあの霊が先か。

このまま数十メートル先に見えている黒い空間へ向かっても、今のままでは脱走者たちに阻まれるだろう。


…自分がやろうとした事を見失うな!


喜多室は『黄緑』と『灰色』をかい潜るように野神の方へ後ずさると、床に潰れている車のスクラップに飛び乗った。

野神のボロボロのスーツ姿に驚きつつ、天井へ穴を開けると、自身の身体と野神を引っ張り上げる。


「助かった、すまない、野神さん。」

「私は天井を壊しただけです。」

「その服、炎、ですか。」

「これくらいは想定していたじゃないか。」


二人は一階の通路へ降り立った。

数メートル先、左側にナースステーションのカウンターが見えている。

『灰色』は眼下に蠢いていた。まだ地下一階にいる。

『黄緑』は消えていた。

つい、喜多室はクレヤボヤンス視界に母の霊を探してしまったが、徘徊する浮遊霊は視えるものの、どれだったのかは既に判別がつかない。

人間の心とは弱いものだな、と喜多室は思う。

あんな会話では、あんな別れ方では、笑顔を向けてくれていた母に申し訳ない、とつい考えてしまうのだ。

だが、それと同時に怒りもこみ上げてくる。

自分にとってこれ程までに大きい存在である母を盾に使う脱走者たちへの怒り。

片手で拭った額の汗が飛び、濡れた床にピチャッと小さな音を立てた。


「死角ですが、壁の向こう、女性の看護師の様な霊、視えますか。」


喜多室の言葉に、野神は意識をナースステーション内へ向ける。


「よく、分からないが……」

「我々が『光の帯』を出しているとほとんどの霊はこちらに意識を向けるでしょう。そうしない霊が一人います。」

「味方につける、と言っていたが、何をさせるのです?」

「この一階にうろついている浮遊霊たちを我々に付いてこさせる。」


喜多室の言葉に、野神はぞっとした。

痛みや苦しみを精神に感染させんばかりに訴えてくる霊たちを、付いてこさせると言ったのか。


「それは、目的、は?」

「脱走者たちと同じですよ。盾です。付いてこさせると言うか、あの黒い空間に向かう時に、霊たちも同時に向かわせる。そこへ脱走者の『光の帯』が仕掛けてきた場合、おそらく浮遊霊たちは脱走者の精神へ意識を一斉に向けるでしょう。効果的な煙幕になるのでは、と思いましてね。」

「ん、ん……」

「ですがそれも、あの看護師の霊と会話が成立するかどうか、可能なことなのかはまだ何とも言えません。」


喜多室の考えは判ったが、野神には恐怖心が先立つ。

必死に無視し続けることで、矛盾した表現だが意識的に無視することで、やっと正気を保っていられるような状況の中、その見境のない怨念の塊を引き連れて黒い空間へ向かう。

出来るのだろうか。

自分の精神は耐えられるのだろうか。

断片を見てしまった霊たちの凄惨な記憶を、冷静なまま客観視し続けられるものだろうか。

白楼のラボ教育を二十一年間も受けてきた野神が、彼がそう恐れてしまう程、この廃病院の霊の怨念は深くドス黒い。

魂が裸になった『光の帯』が、これも魂が裸になっている霊と精神接触する。

剥き出しの神経に錆び付いた刃物を当てられるような感覚だ。

野神の目の表情からその不安を感じ取った喜多室は、言った。


「ここから先は私一人が先行しましょう。離れてバックアップを……」


野神は焦げて千切れ掛かっていたネクタイを襟元から解き、投げ捨てた。


「私は……僕は、五才でした。軽度でしたが、自閉症だった。対人恐怖です。他者が怖かった。大人も子供も。それなのに、なぜですかね、『ゆかり』と、僕の方から声を掛けた。」

「ゆかり……篠瀬しのせ、ですか。」

「はい。辛そうな、悲しそうな佑伽梨ゆかりさんの顔が、今でも思い起こせます。僕にも、この年上の女の子にも、幸せというものは訪れないのだろうな、そう思った。それで、楽しかった思い出を分けてあげたいな、と考えて、母に折り紙を教わった時間を思い出したのです。」


…母、との思い出。


「それで、とりあえず折り鶴を折った。出来上がった折り鶴を見たら、なにか勇気が湧いてきた。本当は、一緒にこれを折ろう、と話し掛けたかったのですが、佑伽梨さんの名を口にして、その折り鶴を手渡すのが精一杯だった。」

「そんなことがあったんですか。」

「はい。僕は、あと一歩が踏み込めず小さな後悔を沢山してきている。僕も……私も連れて行って欲しい。地獄の百鬼夜行に。」


最後の言葉は冗談めいた表現だったが、野神の目は真剣だった。

喜多室は思う。

自分の弱さを見せた男、これ程心強い相棒はない、と。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


…空振りだったのか?


南條治信なんじょうはるのぶは探偵事務所のデスクで、フゥーと煙草の煙を深く吐いた。

似広悟にひろさとる、その奈執志郎なとりしろうの偽名の周辺からは、なかなか仔駒雅弓こごままゆみの気配が出てこない。

小学校に向いていたという雅弓の気持ち、それがそもそも見当違いなのだろうか。

奈執に関係する地域、現住所、過去の住所、出身校、その小学校という小学校全ての転入記録を洗っているが、ヒットしない。

似広という苗字なのか、或いは全く別の名で住民票を作っているのか、七歳の少女の編入は一件あったが、別人だった。


…情報が足りん。


今治信の手元にある奈執情報は、あとは詐欺の前科があることくらいだ。

刑事局保有の個人データを洗いざらい欲しいところだが、突破出来ていない。

あの特査の門守かどもりという青年が掛けたデータプロテクトを。

この事が治信のプライドに障っており、軽く苛立つ。


武儀帆海むぎほのみとの面会を早めてみるか……」


灰皿で煙草を揉み消した時、携帯電話が鳴った。

着信表示は湖洲香こずかである。


「はい南條……ん、紅河くれかわ君か。……金は?……なら他を当たってくれ。……うちは慈善事業ではない……え? 皆月みなづきの父親? どうしてまた。」


依頼を受ける受けないに関わらず、一応依頼者の意図を聞く。

何かの情報が隠れていることもあるからだ。


「……なるほどな。」


紅河は理系的な思考をするな、と治信は改めて思った。

両親のいない皆月岸人みなづききしとが母を亡くした後、緑養の郷にそのまま入らなかった理由。

刑事局に拘束されなかった理由。

方程式のxに挿入する代数の候補が彼の父親というわけだ。

だが、これは今抱えている雅弓失踪に繋がる案件だろうか。


「皆月の捜索はまだ崎真さきまさんが抱えているはずだ。悪いがそっちを突いてみてくれ。え?……無理だな。……ああ、手を貸してやりたいが、私は雅弓ちゃんの行方を優先しなければならない。ちょっと湖洲香さんに代わってもらえるか?」


穂褄ほづまの一件から知らず知らずのうちに、利用価値ありと見ている紅河に、逆に利用されているような感覚を覚える。

門守といい、紅河といい、面白くないな、と苛立ちがつのる。


「……南條です。湖洲香さんが幽閉されていた施設の設備と職員について知りたいのだが……ええ、それは承知の上で……伊織いおりさんはお立場上そういう情報は出せないですよ。……え?……ええ、雅弓ちゃんに関わる調査の一環です。……え? 喜多室さんが? 例の廃病院ですか……ええ、はい……そうですか、わかりました。」


治信は通話を切ると、再び煙草を咥えた。


…ま、湖洲香さんも組織の人間、仕方なし、か。


まだ労せずして刑事局の極秘情報入手は難しいようである。

であるならば本気を出すしかないか、と考えながら治信はライターを着火した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「マユミちゃんのこともお兄さんに聞いたのね。何でも知っているのね、お兄さん。」

「なんか冷たかったですけど、今の電話。」


授業の準備休憩時間に湖洲香と紅河が廊下で話していると、女生徒が一人近付いて来た。

隣のクラス、B組の桐山聡美きりやまさとみである。

聡美さとみはチラッと湖洲香を見やり、そして紅河へ視線を向けた。

湖洲香にはその聡美の表情が、どうしていつも一緒にいるの、と何かを勘ぐっている顔に見えたが、両手を前に添えて笑顔で頭を下げた。


「こんにちは、桐山さん。」

「あ、こんにちは……あ、ね、あのさ、あつし、」

「ん。」

「一年生が三人、来なくなっちゃって……」

「ん、どこに。」

「どこにって、部活。」

「それが?」

「それがって……」


…めんどくせー。


部活の入部退部は生徒の自由だろ、いちいち知ったことか、と紅河は思う。


「……どう、しよう、かな、って……」

「どうもこうも、退部禁止、なんてそれこそ横暴だろ。」

「禁止とかじゃなくて、今の練習、監督にやめさせられちゃうし……」

「あのなぁ聡美、そういうことは監督と話し合え……」

「ダメよ紅河さん! ちゃんとご相談にのってあげるのよ!」


…これまたウザいのきた。


「そう言われても、練習強化は女バスの意志で始まったことだし、俺は練習方法を提案しただけで……」

「クマ先生が言ってましたわ。解決出来なくても一緒に考えてあげる、そうやって人は繋がっていくんですわ。」

「くま、先生?」

「そうですわ。私の前の先生ですわ。」


…あ、遠熊っていう偉い所長のことか。


「いや、考えてもどうにもならないと……」

「あ、だよね、ごめんね淳、いいや、自分でなんとかしてみる。実はね、また交流試合が近くて、一年生は皆んな試合させてあげたくて、と思って。」

「ふぅん。ま、がんばっ……」

「まあ! バスケットの皆さん試合ですのね!? 来ない一年生はどなたですの!? 一緒にお話しに行きましょ、桐山さん!」

「え、あ、んー、とりあえず、自分で……」

「せっかく他の学校と戦うんでしょ!? 城下桜南高校の皆んなで頑張らないと!」

「え……あ、でも、公式戦じゃないし……」

「青春ですわね! 頑張りましょう、一緒にっ!」


…せ、青春?


聡美は少し困った顔をしたが、紅河には少し違う温度の風が心に吹いた。

湖洲香の空気読めない感やお節介焼きなところは全て、同年代の人と接さずに過ごしてきた生い立ちに起因していることを知っている紅河の目には、純粋に湖洲香の人の良さとして映る。

女バスを取り巻く環境、その何かを変えていかなければならない事は漠然と思ってもいた。

湖洲香のこの暑苦しさ……いや、熱意。

それは問題の難しさも知らずに感覚だけで発せられたものかも知れない。

だが、今の女バスに必要なものは、その感覚だけの熱ではないのか。

言い換えると、根拠の無い自信、というものか。

自信というものは、実績と、他者評価から芽生えてくる。

褒められること、熱い応援を受けること、これらも自信を成す因子だ。

自信が付くと、気分が沈んでいる時こそバスケで憂さ晴らししてやれ、という感覚にもなる。

紅河自身、自分で思う。

試合に勝てなければ、多分とっくにサッカーを辞めていただろうな、と。

無気力だの適当だのと自己評価していたが、まぁ勝てるかな、という感覚が自分にもどこかにあったような気がする。


「なに、どこと試合?」

城東槍塚じょうとうやりのつか。」


…う。


紅河でも知っている。

サッカーはそれ程強くない高校だが、バスケは有名な高校だ。

まあまず勝てないだろう。

練習方法を変えて数週間かそこらの弱小校が全国常連校に勝ったら、それはマンガだ。

現実にそんな奇跡は絶対に起こらない。


「どうしてまた、城槍じょうやりと?」

房生ふさおがね、中学時代のチームメートがいるらしくて、試合したいね、みたいな話したらしくて、そしたらその城槍の一年の子が、向こうの上級生にそれを言ったらしくて、なんか、向こうからどうですかって。」

「……」


…舞衣ちゃん、相手選べよ……


「んまあ! 房生さんたら宿命の対決ですのね! こうしちゃいられませんわねっ!!」


相手によっては女バスに自信を付けさせるチャンスか、とも思った。

だが、城東槍塚と聞き、早くも紅河の現実的な思考は、心を折った。


「ま、その、あれだ、頑張って……」


ガッ!


のそっと教室に戻ろうとした紅河の背中のシャツを、湖洲香が掴んだ。


「今日のお昼休みはバスケットの一年生訪問ですわね、紅河さん!」

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