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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
178/292

焦熱の氷牙 10.

陽は徐々に高くなり、植樹の多い廃病院には蝉の声が重なり合いこだましている。

今し方溶けて無くなった氷柱が造出した霧を本館の中に見ながら、古見原こみはらが誰にともなく聞いた。


「黒い空間はまだあるのか?」


喜多室きたむろが答える。


「はい、あります。先日と同じ場所です。」


彼は被っていたフードをゆっくりと首の後ろへと外しつつ、何かを思案している様に目を細めている。

古見原は拳銃をホルダーへ収めると、タオル地のハンカチを取り出し額をグイッと拭った。

そして深谷ふかやの様子をチラリと見遣る。

平常心の目に戻っているな、と見た古見原は、ハンカチを上着のポケットに押し込んだ。


「ふん。『灰色』はどこから伸びていた?」


野神のがみが答える。


「黒い空間からです。間違いありません。」


古見原もフードをガバッと外した。


「そうか。あの氷の作られる速さ、表面の異常な高熱、奴らの気温操作能力は氷なんかで脅さなくとも我々を殺そうと思えば簡単に出来るのだろう。蒸焼きでも冷凍でも、な。」


近年、この廃病院では変死体が見つかったという報告は無い。

侵入者を殺さずに追い出している、ということだ。

やはり脱走者たちは大掛かりな調査や建物の取り壊しといった手が入ることを懸念しているのだろうか。

『灰色』の人物特定、仔駒雅弓こごままゆみの手掛かり、どちらか一方だけでも掴まなければならないが、これでは埒があかない、と古見原は眉をひそめる。

野神が腰を落として焦げたスラックスの裾を指でなぞると、屈んだまま本館玄関を見据えて言った。


「私が『光の帯』での潜入を試みましょう。」


古見原が腕を組んで顎を引く仕草をする。


「いや、それも容易ではないだろうな。精神攻撃も周到に用意されていることを見せつけられたばかりだ。とにかく奴らは我々の事を調べ尽くしているようだ。」

「では、いっそ本館を粉々に倒壊でもさせますか?」


野神の言葉に古見原は意外そうな顔を向けた。

そして目尻と口元を緩め唐突に笑い出す。


「うはははは。野神君、君は県警の魔女かい。」


古見原は、あの真面目一辺倒で荒事を嫌う野神が変わったな、と思うと同時に、良い変化だ、とも思った。

遠熊とおくま研究所長と古見原医療所長亡き今、ラボ教育カリキュラムの改変と適合者基準の改定にはこの野神と碓氷うすいという使い手刑事が立会っている。

その監修を自ら行っている佐海さかい刑事局長が、先の極秘捜査会議の折、改定は順調だと良い表情をしていたのはこの野神の働きによるものか……そんなことがふと頭を過る。


不意に喜多室が、靴底の溶け具合を確認しながら言った。


「私が、一人で、再度突入、よっと……行きましょう。」


三人が一斉に喜多室に視線を向ける。

古見原が緩んだ表情を険しくし、聞いた。


「一人で? 何か掴んだのか。」


喜多室は革製の特殊安全靴のつま先で地面をトントンと突く仕草をすると、両手でややクセのある髪をグイッと後ろへ撫で付ける仕草をした。


「ご存知かも知れませんが、私は……筒波つつなみ医院の第三病棟に拘留されていました。」


三人は少なからず驚きの表情を見せた。

筒波医院とは警察庁の関連医療機関で、精神病院である。

第三病棟とは猟奇的な殺人を犯した犯罪者の中でも、特に『幽霊に指示された』『共犯者は幽霊だ』といった霊に関連する妄想に取り憑かれている者が集められている病棟。

古見原も野神も、県警に配属された直後の喜多室の健康診断詳細は見ている。

心身ともに健康、つまり、精神にも何ら異常は見られない健全な状態。


「心霊考古学をかじるにはうってつけの場所でした。詳しい先生もおられました。」


再び喜多室は目を細め、第二階層クレヤボヤンスで廃病院本館を見据える。


「心霊考古学には、グラストンベリー遺跡の発掘調査という、世間ではあまり知られていない記録が残されています。今から百数年前のイギリスの記録ですが、おそらく『能力者』が関わった調査です。『霊との交信で遺跡を正確に掘り当てた』との内容が、非現実的だと考古学学界に非難され世間に公表されることは無かったようですが、その記録に浮遊霊や地縛霊の性質のようなものも記載されていました。」


喜多室の少しハネた後ろ髪を、湿気を帯びた夏の風が小さく揺らす。


「霊は生前の遺恨でその精神が満ちており、基本的には会話が成立し難い。ですが、さっきの子供の霊の様にこちらの問いに反応出来る、言わば精神にゆとりの余白を多少でも残している者もいる。思ったんですよ、一階に会話もままならない遺恨だけの霊が、その数が多すぎるな、と。」

「どういう、ことだ?」


古見原は再びハンカチを取り出し、額を拭った。

喜多室が続ける。


「霊の配置です。一階に怨念を振りまく霊を多数徘徊させ、地下への階段の前には門番のように子供がいた。これが人為的な操作によるものなら、どうやって霊をそこへ配置させたのか、と。」

「人為的……霊が誰かに従っていると言うのか?」

「確証はありません。ですが、グラストンベリー遺跡の記録には故人である修道士の霊を呼び出したことにより様々な情報を得て遺跡発掘が進んだとあり、それは会話出来る霊と交信出来た場合、他の霊の阻害を抑えられるという事例とも取れます。そもそも、脱走者と言えど彼らも普通の人間です。こんな場所を拠点のようにするには、廃病院の地縛霊たちと折合いを付けなければならないはずです。」

「理屈はわかるが……それで、喜多室君は一人で何をしようと言うんだ?」

「味方につけるんですよ。」

「ん?」

「彼ら、あの浮遊霊たちを。」

「ん……会話の出来る霊を探す、ということか。」

「はい。」

「それならば『光の帯』だけを潜入させたまえ。身体ごと突入することはない。」

「いえ、私のこの目、肉眼は、もしかしたら第三階層クレヤボヤンスの能力を持っているのかも知れません。他の使い手より霊が視える。どんな条件が揃えば視えるのかはよく判らないのですが、『光の帯』を出していなくても霊を見ることがあります。それなら連れて行く、この肉眼を、です。」


古見原は腕組みをしつつ喜多室に睨む様な視線を向けた。


「危険、だな。許可出来ない……」

「古見原警視、やっと奮い立たせたのです。臆病な自分を。実は足が震えています。焼き殺されるかも知れない、氷漬けや、窒息死させられる可能性もある。怖いです。怖くてどうしようもないです。ですが、失踪した仔駒こごまはその比ではない。凍死や衰弱死の恐怖と、三才から四年間ずっと戦っていた。たった独りで。雅弓ちゃんの無事を確認すること、それが私に勇気をくれる。三十過ぎの私が臆病風に吹かれて退く訳にはいきません。許可が頂けないなら警察手帳をここで返上し、勝手に行きます。」


喜多室の鋭い眼差し。

その眼圧は本物の覚悟というものを宿し古見原に突き刺さった。

自分は死しても仔駒雅弓の手掛かりは掴む、そう言っている目だ。

ふと、県警の押塚おしづか警部の眼差しを思い出す。

この目をする現場刑事は、何を言っても決して退かない。


「喜多室君、我々はチームで動いている。野神主任とバディを組め。二人で行くんだ。いいな、主任。」

「は。」


野神の短い返事、その表情は心なしか嬉しそうであった。

彼には彼の、心に秘めた強固な意志がある。

胸ポケットの警察手帳に挟まれた黒い折り鶴。

篠瀬佑伽梨しのせゆかりを死に追いやったこの不毛な使い手抗争を一刻も早く終わらせるのだ。

刑事局捜査課の主任ともなると現場へ赴くことはほとんど無くなり、他警察署刑事部のマネージメントに明け暮れる毎日だ。

歯痒い。

自らの手で解決したい脱走者の案件が、ともすれば遠退き置き去りになる。

警視庁への転属を希望もしたが、使い手の配属は検討中の段階だという。

ならば今だ。

ここへ来てやはり一時撤退、それでは納得いかない。

必ずこの手で結果を出し、次の段階へ進めるのだ。

弱冠二十六歳の野神の胸中に、静かに闘志が燃え始める。


喜多室と野神は頷き合うと、廃病院本館への再突入を踏み出した。


「喜多室巡査、ここで借りは返させて頂く。」

「借り? そんなものありましたか?」


喜多室の横顔は軽く笑っている。

偽証を捏造し、喜多室を陥れた片棒を担いだ野神。

だがその喜多室は、白楼はくろうの地下十五階で、昏睡被験者の病室に捕らえられた野神を助け出そうとしてくれたという。


…今度は私があなたを助けます。喜多室さん。


古見原は二人に『バディを組め』と言った。

刑事にとってのバディ、その意味するものを、二人はよく解っている。

運命を共にする者。

一人が行くなら、もう一人も行く。

撤退は、二人が同意した時のみだ。


「来た、灰色!」


喜多室が叫ぶ。

正面玄関から数步立ち入った所で、灰色の『光の帯』が音もなく空中に出現した。

と同時に、天井から氷柱が伸びてくる。

二人は自らの身体を『光の壁』で覆った。


ビキビキビキ……バキバキ……


氷柱は『光の壁』で砕け、熱だけが『光の壁』の内側に伝導してくる。

高温ドライヤーを向けられたような感触が二人の顔を襲った。

耐熱服のフードの内側からマスクを引き出し、顔全体に被せる。

多少は緩和されるが、それでも熱く、そして息苦しい。

立ち止まると高温に曝される。

二人は各々『光の帯』を伸ばして壁などに突き刺し、引き寄せては飛ぶように移動した。


…一階だ。一階にいる可能性が高い。霊をここに集めている『会話出来る霊』が。


喜多室はこれまでの自分の心霊体験を思い出しつつ、理性を残している霊を探す。

喜多室に追従するように、野神が彼を追って動く。

ドアの開きかけたエレベーターの前を右に曲がると、診察室が連なっていた。

ナースステーションも見える。

喜多室はナースステーションの中に、徘徊している浮遊霊とは異質な雰囲気を持つ霊を見た。

ぼんやりとした黒い点画のように見えていたその霊が、徐々に人の形を成していく。

女性の看護師のようだが、こちらに意識を向けていないようだ。

だが、それにしては輪郭がはっきりと見える。

喜多室は足を止めた。

その時、喜多室の背後で野神が叫んだ。


「赤……いや、茶色か、マルニだ! 分断攻撃に備えろ!」


喜多室が振り返ると、『灰色』のマルサンと『赤茶色』のマルニが蠢いている。


「これは、美馬みまか!」

「二人! 敵は二人だ!」


野神も喜多室も思った。

脱走者の生存者は五人。

穂褄ほづま奈執なとり武儀むぎ、死亡した篠瀬、そして美馬。

青、紫、黄緑、黒、赤茶色。

では、灰色は、この灰色は誰なのだ……


『赤茶色』が二人の身体に透過してくる。

飛び退く野神と喜多室。

だが、『赤茶色』はその『帯』の幅を広げ、逃げ場が無くなってくる。

天井付近に浮いて逃れていた野神は、そのまま天井に穴を開け、二階へ飛び上がった。

喜多室は床に穴を開け、地下一階へ逃れる。

それでも面積を増大させて迫る『赤茶色』。

野神は回避行動を取りながら『赤茶色』に精神感応を試みた。


『お前は美馬か? 話をしに来た。灰色の者にも会いたい』


返答はすぐにあった。


『ここから出て行って下さい。あなた方と戦いたくない。殺そうと思えばいつでも出来たことにはお気付きでしょう。お願いします、出て行って下さい』


…殺意は、無い。


言葉だけではない。

精神感応による容疑者聴取を繰り返してきた野神には判る。

この精神感応の感触は、自分に敵意が向いていない。

熱病にうかされたような病的な意識でもない。

どちらかと言うと物静かな、理性的な感情である。


『話をしてもらえるなら出て行こう。私と会ってくれ』

『穂褄君と話したでしょう。篠瀬さんとも話したはずです。警察を辞められないのなら、大人しく管理業務だけしていて欲しい。私たちと対峙しても野神さんには何の得もない』

『穂褄が殺人未遂を犯した以上、関連人物は事情聴取しなければならない。それが警察であり、そこに籍を置く私の使命だ』

『それでは、私は力尽くで追い出すしかなくなります。お願いです。出て行って下さい』

『頼む、話をさせてくれ。地下のあの黒い空間は何だ』


それには答えず、通路一杯に押し込められた巨大な布のように広がっていた『赤茶色』は、スッと消えた。

『灰色』が不気味にゆらりと揺れる。

良く見るとその『灰色』は、混在する『白』とは別に、白い筋が糸のように縁取っている。

野神は足に圧迫感を感じた。


…!


見る見るうちに野神の足が凍りついていく。

その透明度の高い氷は、時間をかけてゆっくりと付く冷凍庫の霜と違い、凄まじい急冷であることが判る。

ズキズキと冷たさを通り越した痛みの様な感覚が、耐熱服越しに襲ってくる。

野神は足から紺色の『光の帯』を放出させ、内側から氷へ圧力を掛けた。


ピシッ……ビキビキ……


氷は砕け、足から剥がれ落ちていく。

野神は『灰色』にも精神感応を投げた。


『お前は誰だ。完全に傷害罪だぞ!』


だが、『灰色』から返答は無い。


ボゴオォンッ!


野神は床に穴を開け、一旦一階へ飛び降りた。

第二階層クレヤボヤンスで喜多室の様子を視る。


…ん、あれは!?


地下一階にいる喜多室の周囲を、黄緑色の『光の帯』がゆらゆらと漂っていた。


「武儀、帆海ほのみなのか……第二階層に出している。」


喜多室の元へ降りようと再び床に開けた穴が、氷で次々と塞がっていく。

そして、『灰色』は一瞬闇のように黒ずんだ。


ボッ……メラメラメラ……


野神の眼前、空中に、炎の帯が現れる。


…くっ!


野神はエレベーターの方へ戻るように走り出した。

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