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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
175/292

焦熱の氷牙 7.

警察庁で開催された極秘捜査会議から県警へ戻った遠熊とおくま赤羽根あかばねは、諸星もろぼし博士に今朝依頼しておいた案件について説明を受けていた。

それは、『熱傷を伴う氷の作り方』である。


「……従って、この無秩序な表層、擬似液体層と呼ばれる層の性質により、ウール生地が炭化する程の高温は維持出来ません。ただ、気化したH2O、水蒸気が確認されたのであれば、融点を超える温度、少なくとも百度以上に達していたという事になります。この矛盾を解消するには……」


スクリーンに映し出されていた結晶氷の分子構造はズームアップし、氷の表面付近が拡大された。


「これは分子動力学計算によって得られる構造模型ですが、先ほど説明したこの擬似液体層、こいつを取り去ってやり、秩序的な分子配列を剥き出しにする。そこに空気摩擦、酸素分子でも窒素分子でもいい、一定以上の摩擦係数を掛けてやると……」


分子模型画像の右隅に表示されていた折れ線グラフが拡大される。

横軸の単位はケルビンになっており、諸星がポインタを移動させるとグラフ内に別表示されている変数が上がったり下がったりした。


「……ここ、結晶内部の温度を遥かに超え、融点に達する。しかしこれは理論値であり、結晶氷の表面には低温でも必ず無秩序な分子配列が存在するため、まずこの擬似液体層を取り払うことが困難です。結論から言うと、百度を超えたのは氷の表面ではなく、氷と接する空気層だと考えられます。」

「その状態は簡単に作れるの?」

「いえ、それも簡単ではない。外気の中で、という条件下だとすると、原子の熱振動を誘発する何かしらの外部媒体が必要です。それも、言うまでもなく熱エネルギーは結晶氷に吸収される現象も起こるので、継続的な媒体。」


赤羽根は内心で思う。

熱振動の継続的な媒体、まさにマルサンか、と。


「氷はただの氷、その表面を高温の空気の膜が覆っている、そいう構造ってことね。」

「それが最も現実的な構造です。」


…次から次へと、厄介なものを考えるわね、脱走者たちは。


現場であるN病院の正面玄関前を調査させたところ、氷の柱はコンクリート部分にも突き刺さった跡が見られた。

ただの氷ではコンクリートには突き刺さらない。

その為の、熱の膜か。

それも百度や二百度ではないだろう。

スラックスが焦げ、コンクリートを粉砕貫通させたのだから、もしかしたら千度近いのかも知れない。

それは突き刺さったコンクリート部分の現物サンプルが届けば、その状態から温度推測に至れるだろう。


「ところで、」


諸星が椅子に座りつつコーヒーを手にした。


「これは何の事件です?」


赤羽根と遠熊は一瞬目を合わせ、逸らした。

諸星には使い手関連のことは話せない。

だが、事象については知らせておかなければ、これから届くN病院の現場サンプル分析にも着手出来ない。

赤羽根が慎重に言葉を選び、話す。


「都内の廃病院で、奇妙な物音が通報された。現場に向かった捜査課の刑事が氷の柱の様な物を確認、それに触れたスラックスが焦げた。その柱は蒸気を伴い見る見る溶けて無くなった。可能性から立てた仮説の一つです。」

「何とも奇妙な事件だね。」


ああ、一刻も早く引き入れたい、この諸星博士も能力者案件に携わって欲しい、と赤羽根は思う。

もしかしたら穂褄の炎の構造も、紅河少年より早く突き止められたかも知れない。

今現在、特査に来る依頼の九割を占める能力者とは関係ない事件、その検証査定のほとんどをこの諸星暁もろぼしさとしがこなしている。

なかなかに目を見張る業務処理能力だ。

それでも納期遅延は二件あった。

だが、それは無茶な納期、不可能な期限を付けられた案件だ。


…私だって納期遅延しまくってる。


そもそも特査業務の納期設定は基準が人命保護に偏る。

人の命を脅かす可能性のある案件は、我々を過労死させる気かと言いたくなる納期が付いてくる。

それを、納期遅延無きこと、が正規採用の条件とは、いささか酷というものだ。

一体誰が決めた採用基準なのか……


…あ、私だ。


自分で自分に突っ込みつつ、正規採用を早める申請を本部に出そう、と赤羽根は思った。

それとも、待つか。

今日の会議で通達された件……全警察機関へ能力者関連情報を開示する方針、とやらを。

これは光が丘署の一件、湖洲香こずかが堂々と一般警官の前で披露してしまったテレキネシスに端を発する。


…光が丘署再建費用三十億とか、嫌味ったらしく言ってたなぁ。


湯水の様に税金使いたい放題の警察庁が今更なんだ、絶対あれは特査へのあてつけだ、と赤羽根は憤りすら感じた。

中代沢の倒壊したデパートも然りだ。

ゼネコン入札がどうのこうのと、いちいち金額まで報告に盛り込み、それと使い手問題とどういう関係があると言うのか。

ゼネコン大いに結構、市民の血税が一般労働者に還元されるという経済効果が生まれているではないか。

寄ってたかって特査の『赤い使い手』を批難したいらしいが、言わせてもらえるならば、湖洲香がいなければ推定死傷者は百人は下らない。


…コズカは数十億の金なんか霞むほどの働きをしているのよ。特査の誇りだわ。


遠熊が手元の書類を揃える仕草をし、言った。


「諸星さん、よう判りました。この件は一旦ここまでにしましょう。私と伊織いおりちゃんは別室で打ち合わせしましょか。諸星さんは仕掛かり業務に戻られて下さい。無理せんといてね。」

「はい、どうも。」


既に姉御肌ぶりを発揮している遠熊倫子だが、本日付で『県警本部特殊査定班 班長代理』の辞令が降りた。

正規採用は先日の佐海さかい警視監による能力者情報開示の折、辞令が出ている。

遠熊と赤羽根は階段を降り、特査生活施設の食堂に入った。

湖洲香も雅弓もいない生活エリアは物静かで、どこか寂しい感じが漂う。

遠熊が書類を一部抜き出した。


「これは、どうなんやろね。」

「ああ、これ、数ヶ月前に提起された案件なんだけれど、保留になったのよ。私も忘れてた。」


その書類には『銃刀法違反改定草案』とあり、その内容は銃刀に匹敵する凶器を取り締まる適用範囲の拡張、である。

つまり、テレキネシスを取り締まる事が出来る表現へ改定しよう、といった内容だ。


「所持するなと言っても、能力者にとってそれは無理なことでしょう。」

「そう。で、うちに降りてきた指示が『後天的に能力を使えなくする施術の確立』で、蓮田はすだ班長とは少しやりあったのよね……」

「それを可能にする施術があったとしても、倫理の問題が大きいねぇ。」

「大脳辺縁系の扁桃体が『光の帯』発現時に独特な血流を見せることは判っているのだけれど、こんな器官を壊したら人は人でなくなるわ。」

「記憶とか情動に関わるとこやね。」

「うん、主に感情かな。」

「神学的に言うなら、個の存在意義を脅かす支配衝動の矛先となり得る不可侵領域、かなぁ。脳は神の住まう場所やしね。」

「こうして草案が出されている以上、根拠の明瞭な修正案を返さなければならないわね。」

「これは湖洲香ちゃんや喜多室きたむろさんにも手を入れてもらいましょ。」

「そうね。」


シーンと静まり返った生活エリアの食堂は、言葉が途切れると、赤羽根の脳裏には自然とあの子の言葉が過ぎり出す。


『コズカいいな』

『学校いいな』


辛い目に遭っていなければいいが……赤羽根は重く沈みかける気持ちを顔に出すまいと、努めて表情を取り繕っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


狩野かのうくんは十四歳。

ゆうちゃんは生きていれば十九歳。

狩野くんは怒りっぽい。

ゆうちゃんは明るくて優しい。

狩野くんは青緑。

ゆうちゃんは緑。

似てるかな。

似てないかな。


鈴木尚子すずきなおこは会社の事務所が入ったビルの屋上で、ブラックの缶コーヒーを飲みながらタバコを吸っていた。

手元のスマホにはコーヒードリップ器具の通販サイトが表示されている。


南條治信なんじょうはるのぶ

ちゃんと調べてくれた。

私が武儀むぎだって、ちゃんと気付いてくれた。

敵じゃなかった。

南條さんも弟さんを守りたい人。

コーヒー。

コーヒーメーカー。

八十三度。

ゆっくりドリップ。

時間をかけて。

酸味をもっと抑えたいなら七十八度。

もっとゆっくりドリップ。

もっと時間をかけて。


根津尊ねづたけるさん。

十歳。

今は二十七歳。

罪は無い。

でもゆうちゃんを殺した。

でも罪は無い。

悪いのは刑事局。

皇藤満秀こうどうみつひで

蓮田忠志はすだただし

蓮田は抜き取った。

包帯の男が抜き取った。

蓮田が命令した。

根津さんに命令した。

蓮田。


「う、ん……ん……」


鈴木はピクッピクッと身体を震わせると、眼鏡をゆっくりと外した。

そして、咥えていたタバコを突然プッと吐き捨て、靴で踏み躙った。


「なんで煙草なんか咥えてんだ! ざけんなテメェ! 煙いだろうが! 蓮田テメェ! なに勝手に死んでんだ! ゆうちゃんに何しやがった! 知ってたらアタシがぶち殺してたってんだ!」


彼女はグリグリと煙草の吸殻を踏み続け、持っていたコーヒーの空き缶を屋上の隅に投げつけた。


「狩野! 狩野佳洋! もう捕まるなよ! くひっ、カッコつけのガキが! 臆病なくせに強がって! 笑うとかっ、かっ、か……」


再びビクッと震える鈴木。


「か、可愛い……ゆうちゃんみたい……あ……」


彼女は眼鏡をかけ直し、屋上の隅に落ちていた缶コーヒーを拾いに行った。


「あ……」


そして、今いた場所に戻ってくると、粉々になった煙草の吸殻を丁寧に拾い、携帯灰皿へ入れた。


「あ……あった……」


スマホの画面に治信が使っているというコーヒードリップ器具を見つけると、購入画面に進む。


南條さん。

探してる人って誰だろう。

知ってれば言うよ。

味方になってなんて言わないから。

味方になってなんて。

迷惑。

きっと迷惑。

あ。

根津さん。

伴瓜ともうりの警護に変わったんだった。

根津さん。

伴瓜。

根津さん。

伴瓜。


「んか……ん……ん! 根津と伴瓜だぁ!? 良い度胸だ! きひはっ! 風見紗夜! 邪魔邪魔邪魔! 危ない! はひはは! 伴瓜から離れろかざっみっさっ……やっ……ん……や、紗夜さん、危ない……根津さん……罪はない……伴瓜……う、うう……コーヒー……南條さんのコーヒー、飲みたい……あ……休憩……終わり……」


辛い。

悲しい。

私は独り。

ゆうちゃん、どうして。

ゆうちゃん、どうして死んだの。

私は独り。

また飲みたい。

南條さん。

南條さんと。

南條さんとコーヒー。

また来るかな。

狩野くん。

来なくてもいいよ。

でも来るかな。

気が向いたら来て。

狩野くん。

狩野くん。


『全然変じゃないっすよ。明るい時の武儀さん、なんかカッコイイです。いつももっと変な女の子と勉強とかしてるんで。普通ですよ、武儀さん。服のお礼、必ずしますから!』


狩野の言葉を思い出しながら、鈴木は事務所に戻った。

デスクに着き、パソコンを立ち上げる。

どこか母性本能をくすぐる狩野が、どうしても亡くした弟と重なってしまう。

経理データ処理をしながら、鈴木は思う。

この職場に警察の手はまだ伸びてこない。

南條治信は守秘義務を守ってくれている。

知らせてあげたい。

弟の南條義継にも危機が迫っているかも知れないことを。


…何もしなくても、摘発、連行、拘束。


掴んでいるのだ。

包帯の男が。

刑事局で策定された『銃刀法違反改定草案』を。


名前を変えて。

戸籍を変えて。

隠れないと。

私はまだ大丈夫。

南條さんが裏切らなければ。

まだ大丈夫。

美馬みまさんも名前を変えた。

能力者狩り。

今も続く、能力者狩り。

危ないよ。

南條さん。

義継くん。

危ないよ。

伝えたい。

でも。

南條さんは特殊査定班と癒着。

なら大丈夫かな。

弟を守るために、何でもする南條さん。

日曜日。

また会ってくれる。

話してみよう。


ガタッ


鈴木がデスクで小さな音を立てた。

経理主任の男性が鈴木にチラッと視線をやる。


…お、仕事モードかな。


鈴木は眼鏡を外すと、猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。

ポインタ移動もマウスを使わず登録したショートカットで全てキー叩き処理していく。

鈴木は会社では一言もしゃべらず仕事処理にもムラがあるが、経理主任が内心で名付けたこの『仕事モード』に入ると非の打ち所がないデータが次々と上がってくる。

気分屋っぽいところを除けば優秀な事務員と言えた。

躁鬱の差が激しいと感じるところもあるが、それが仕事に支障を来したことはない。


…今日は早く帰れそうだ。


鈴木から視線を外した経理主任は安心そうな表情で、自分の仕事に戻った。

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