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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
172/292

焦熱の氷牙 4.

湖洲香こずかの席は紅河くれかわのすぐ隣である。

いつも背筋が伸びており真っ直ぐ黒板を見る姿勢は、頬杖をつき猫背の紅河とは対照的だった。

だが、今日は終始うなだれている。

文字通り上司に叱られ落ち込んでいるOLの様だ。

警察官が受ける教育というものをよく知らない紅河には、『犯人の足を切断しろ』と指示された警官の心理状態は推し量りかねる。

拳銃による発砲は相手がどんな凶悪犯であれやはり良心の呵責がある、と崎真さきまに聞いたことがある。

だが、穂褄ほづま確保現場での湖洲香の様子を見た限りでは、そのこと自体に対する動揺は大したものではないように見受けられた。

おそらくはこの学校への潜入が解かれるかも知れないこと、その一点が彼女をここまで落ち込ませているのだろう。

伴瓜ともうり警視正への憤りも介在しているかも知れない。

紅河はチラリと湖洲香へ横目を流した。


…それって公私混同だよなぁ。


気持ちは分からないでも無いが、本業が警官である以上、湖洲香のこの落ち込みは子供っぽいわがままだと見えてしまう。

紅河はふぁっと欠伸をした。


タンッ!


彼の欠伸とほぼ同時に、湖洲香が両手で机を軽く叩いた。

紅河は、授業中に欠伸はいけませんわ、とでも言われるのかと思い、反射的に湖洲香の方を見た。


ブワッ……


紅河の視線は二度見をし、そのまま湖洲香に釘付けになってしまった。

湖洲香の髪とシャツの襟が風圧を受けたかのように軽く踊ったからだ。


…え、ちょ、まじか。


紅河には判る。

これは湖洲香が複数の赤い『光の帯』を放出した瞬間だ。

彼女の放出には独特のクセのようなものがある。

通常、『光の帯』は第二階層に現れる為、髪や服などには物理干渉せず揺れ動くことは無いのだが、湖洲香は複数の帯を放出する時、第一階層にも直接出現させるのである。

それはほんのコンマ何秒かであるらしく、伸ばす方向にある障害物を透過させるために直ぐに全て第二階層に戻される。

この、湖洲香の次元変換操作は、全ての使い手の中でずば抜けて速く正確である、と赤羽根あかばね博士に聞いたことがある。

ただ、その弊害もある、とも聞いた。

それは、湖洲香は深く考え事をしていたり焦りや動揺を抱えている時、閉じているドアにそのまま歩いて額をぶつけてしまったり、酷い時は壁に向かって歩き、ゴツン、とやってしまう事もあると言うのだ。

『光の帯』と『自身の肉体』を混同してしまうらしい。


…来てるのか? 使い手が。


紅河は淡々と授業を進めている教師をチラッと見て、そして教室を見渡した。

特に異常な雰囲気は見られない。

聞くか、湖洲香に。

何が起きているのか、を。

小声で言う。


「どしました。」


湖洲香は両手の指先を机に乗せてやや俯いたまま答えた。


「紫。地面の下。」


紫?

奈執なとりか?

紅河は頬杖をゆっくりと外し、全身に緊張を走らせる。

湖洲香は物静かに俯いているが、机の上の指はランダムにピク、ピク、と動いている。

それを見て紅河は、今朝のB組の小川との会話に出てきた言葉と関連付いたことを想起してしまった。

まるでピアノの運指練習でもしているみたいだな、と。


…なんてことを考えてる場合じゃないな。


湖洲香が『光の帯』を出した、と言うことは、その『紫』は何かしらのアクションを起こしていると見るべきだろう。

一体どういう状況なのか。

待つしかない。

湖洲香の次の言動を。

実際は、その『紫』は単なる偵察であり、『光の帯』を接近させているわけではなかった。

第三階層テレキネシス、スピリウルによる空気環境操作を始めたわけでもない。

いつもの湖洲香なら迂闊に手出しせず様子を伺うだけだっただろう。

だが、今日の湖洲香はいつもの湖洲香ではなかった。


…本体を捕捉すれば、相手の意図を知れば、まだまだ紅河さんの警護が必要だって主張できる!


湖洲香が追跡に出た理由は一つだった。


…まだこの学校にいたいの! 私は!


『紫』の根元、本体のいる方向、それが視えないのはなぜなのか。

『紫』は途中から消えており、その先が視えない。

第三階層に在る、ということは間違いなさそうだ。

『光の帯』の先端を切り離し、尚且つ操作する、そんな事が可能なのか。

穂褄の時もそうだった。本体まで辿り着けない。

テレポーテーションや物質転送と何か関係があるのだろうか。

湖洲香にはわからない。

だが、彼女は簡単には諦めない。

この学校の生徒を続けることを。


『あなたは奈執さん? どこにいるの? 言いなさいっ!』


精神感応を仕掛けるも、返答は無い。


『何が目的なの? どうして紅河さんを探っているの!』


返答無し。

徐々に、湖洲香の落ち込んだ気持ちが苛立ちに変わってくる。


『何とか言いなさいっ! 聞こえてるんでしょ! 触れないと思って! 何よ! マユミちゃんもあなたなの!? 返しなさいっ! 誘拐ですわ! マルサンが何よ! 掴んでやる! えい! えい! 何とか言いなさいっ! 誘拐犯! 誘拐魔! えい! えい!……』


湖洲香の思念が殺気立ってくる。

地面の地殻の中で、『紫』に絡むように暴れる湖洲香の『赤』。

『紫』の本体、奈執には伝わっている。

べったりと、湖洲香の思念が。


…今日の赤い魔女は殺気立ってるなぁ。


奈執の目的は、今は紅河ではなく湖洲香の動向だった。

まだ紅河に着いて潜入学生をしているのかどうか。

穂褄が確保され、警察の捜査配置に何か変化があったのかどうか、それを調べていただけであった。

収穫はあった。

警察は仔駒雅弓こごままゆみの失踪について何も掴めていないようだ。

自分が既に仔駒と接触し、仲間への引き込みが順調に進んでいることも知らない。


…紅河君は厄介な子だが、私は彼を襲う気は無いことを告げて去るか。


いや、待て。

どういう表現を使うにしても、赤い魔女に無用な情報を与えてしまうのはどうなのか。

『私は襲わない』という表現では、他の仲間との意思疎通はしていない、といった行動背景の推理に繋がってしまう可能性もある。


…黙って去ろう。今日の魔女さん、なんだか怖いし。


奈執は紫のスピリウルを消した。


ダンッ!


直後、湖洲香が机を両手で強めに叩いた。

教師が、生徒達が、一斉に湖洲香に視線を向ける。

「逃げられた」とつぶやくと湖洲香は、ガタン、と音を立てて席を立ち、言った。


「お手洗いですわ!」


そして、ツカツカと歩いて廊下に出ると、県警に報告のメールを打ち始めた。

紅河には、憤慨しながら両手で机を叩いて離れていった湖洲香の挙動が、荒々しい不協和音を叩き残して去っていくピアノ奏者に見えた。


三時限目まで続いた湖洲香の不機嫌は、四時限目前の休み時間に豹変した。

満面の笑みで紅河の腕を掴み、廊下に彼を引きずっていく湖洲香。


「なんすか。」

「継続が決まりましたわ! 潜入護衛。博士とくまりんさんが上を説得してくれたって!」

「そすか。」

「さっきね、『紫』察知の報告したのよ。その目的と、本体まで追えない原因を突き止めることが優先業務ですわ。」

「本体まで追えない? それ、どんな状況?」

「『光の帯』が途中で途切れているの。あとね、伴瓜ともうり警視正の護衛は交代ですって! ふふふ。」


…そこは喜んじゃ駄目っしょ。不適任で外されたんだろうから。


「誰と交代?」

根津ねづさんですわ。」

「ふぅん。」


根津という名をよく知らない紅河は興味なさそうに相槌を打った。


「『光の帯』が途切れてるって、マルサンを使わない使い手でもそういう見え方、あるんですか?」

「初めてよ、そういうの。必ず本体まで繋がっているもの。」

「その消えている境目、どんな風に見えるんです?」

「いきなり無いの。すぱんと切れてるみたいな感じですわ。」

「ふん……あの、ほら、『光の帯』って部分的に第一階層、部分的に第二階層っていう出し方、出来るんですよね。」

「出来ますわ。」

「その境目ってどんな風になってます?」

「んー、別に、途切れもしないし、普通に繋がって見えますわ。」

「ふぅん……」


…それはそれで、妙な話のような気もするんだよな。


高次元理論は紅河にはわからない。

と言うよりも、現代科学では解明されていない。

様々な検証実験と仮説理論から追うしかないのだが、なんとなくあの物理現象が関係しているような気がする。


「シュレディンガーの猫……」

「え?」

「二重スリット実験。」

「あ、ええ、それは知ってますわ。」


紅河は少し考えてから、つぶやくように言った。


「三種類の目を、使ってみますか……」

「え?」

「第二と第一を自在に使いこなす目、第二しか使えない目、それと、霊が見える目。」

「なんのこと?」

「湖洲香さん、京子、それと愛彩いとあちゃんです。」

「え、マルサンを? 今、マユミちゃん、いないですわ。」

「いえ、第一と第二の境目です。湖洲香さんの『光の帯』で。」

「それとマルサンの途切れと、何か関係ありますの?」

「わかりません。関係無いかも知れない。サンプリングを試すだけです。」

「ああ、そっか。紅河さん、なんだか蓮田はすだ博士みたいですわ。」

「一緒にしないで下さい。俺、学者じゃないし。」

「学者じゃなくて、魔術師さんですわね。」

「は? なんすかそれ。」

「穂褄さんの炎を消した時、ほんとびっくりでしたわ。刑事局も大騒ぎなのよ。」

「大騒ぎ?」

「うん。水鉄砲一個で炎使いを取り押さえたスーパー高校生。」

「ああ、いや、水鉄砲だけってわけじゃ……ほとんど治信はるのぶさんが仕込んでくれたんですよ。ガソリンスタンドの水とか。」

「でも紅河さんが考えて実行したんですわ。あ、博士がね、言ってたの。私と紅河さんのコンビは最強なんですって。」

「いえいえ、最強はあれでしょ、湖洲香さんと京子のコンビでしょ。」

「あら、ふふふ。両方とも私が入ってる。凄いでしょ、私。」


湖洲香は両手を腰に当てて自慢げなポーズを取った。

嫌味を全く感じないその仕草に、年上だが素直で可愛らしい人だな、と紅河は感じる。

とにもかくにも機嫌が直ったのは何よりだ。

だが、紅河はまだ気が重い。

女バス一年生のトラブルと、京子の書のことが残っている。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


県警、特殊査定班。

喜多室きたむろ巡査の報告書を前に、遠熊とおくまと赤羽根は調査分析方針を話し合っていた。


「熱を帯びた、氷……」

「凍傷ならまだしも、スラックスは焦げて煙が出たというんは、なんとも難解やね。」

「氷でも摩擦が強ければ熱を発するけれど、触れただけで、ってところもね。」

「セオリーからすれば現物サンプルの回収が第一やけれど、溶けてなくなったとあっては……まず、それが突き刺さった地面の状態、穴ごと回収させたらどやろ。」

「ですね。それは必須だわ。まぁ、あそこを掘り返すのは気が引けるけど。」

「いろんな噂のある廃病院やしねぇ。」

「患者の臓器をあちこちに埋めたっていうのは事実だからね……」

「でも玄関先やし、そこは大丈夫でしょ。」

「どうかしらね。臓器なんかもう溶けて無くなってるだろうけど、しかし警察の報告書も変わったなぁ、堂々と『浮遊霊』なんて言葉が挿入されているんだから。」

「それも分析には無視できない要素の一つ、やね。」

「なんだかもう、頭おかしくなりそうよ。」

「愚痴らないのよ、伊織いおりちゃん。」

「もう一つのアプローチは『灰色』の使い手、かな。」

「そやね。古見原こみはら警視のチームが動くようやから、その納期を指定してやろか、ね。」


赤羽根はふっと笑った。


「おかしな話ね。上層部である刑事局捜査課に県警の特査が納期指定するなんて。」

「無茶なこと押し付けられてるんやし、当然の権利でしょ。」

「警視と、野神のがみさん、それに深谷ふかやさん、か。」


この上下関係がひっくり返ったような指示系統の基盤を作ったのはあの蓮田忠志である。

その名残は、良くも悪くも、特殊査定班の立ち位置を複雑な組織系統線で結ぶかたちになっている。


「それに、湖洲香ちゃんの任務継続、捩じ込めたのも特査だからやね。」

「ああ、助かりました、遠熊さん。」

「いいえ、私は本当に継続の必要性を感じたし……湖洲香ちゃんは私の妹みたいなもんやしね。」

「コズカ、遠熊所長に育てられたからね。」

「うん、あの話し方、母にそっくりやわ。」

「お母様? 遠熊さんの?」

「あの、ですわ、っていう語尾、関西のそれではなくて標準語のイントネーション、母がそうなのよ。」

「お母様もコズカの教育に携われたの?」

「直接ではないけれどね、礼儀作法なんかは母をビデオに撮って湖洲香ちゃんに見せていたらしいのよ。」

「そうでしたか、それで。」

「湖洲香ちゃんは素直で本当にいい子。間違った使い方しないよう気をつけないとね。」

「純粋過ぎて免疫ないからなぁ、コズカ。」

「うふふ。」


明日、午前十時、警察庁の会議室で極秘捜査会議が行われる。

議題は『仔駒雅弓こごままゆみ及び狩野佳洋かのうよしひろ失踪捜査』『皆月岸人みなづききしと指名手配方針の修正』『パイロキネシスに関する構造報告及び対策』、そして急遽追加されたのが『熱傷を伴う氷塊の調査分析方針』である。

併せて警察の使い手、その人員配置も見直されるだろう。

伴瓜警視正の警護を解任された湖洲香は、紅河の警護を除く時間帯において新たな業務指示が出される可能性もある。

ともかく、使い手警官は数が足りない。

本来ならば明日の議題には『使い手脱走者の捜査方針修正』が真っ先に上がるはずであるが、それが無い。


赤羽根の手元にある脱走者情報。

治信からもたらされたそれは、奈執志郎なとりしろう似広悟にひろさとるの偽名にてその現住所と勤務先が判明していること。

そして、武儀帆海むぎほのみ鈴木尚子すずきなおこへの改名にて現住所と勤務先が判明。

ただ、この武儀帆海の正体の方は、警察にはまだ報告しないで欲しいと治信に言われている。

赤羽根が捜査課の人間であったならば、報告しない訳にはいかない。

だが、これも特殊査定班ならではのある種の特権で、知り得た全てを報告しなければならないという義務付けがなされていない。

犯罪の抑制、防止という部署目的からすれば報告するべき案件であるが、穂褄確保にも一役買った治信が雅弓捜索関連で考えがあって止めてくれと言っていることであり、ここは治信に従っておこうと赤羽根は考えている。

赤羽根に警察への背徳意識は無い。

止めてしかるべき情報として、止めている。

今、帆海を警察へ引っ張ることは得策では無い、と治信は考えているのだ。

もちろんそれは、目の前にいる遠熊倫子博士には伝えてある事だった。

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