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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
171/292

焦熱の氷牙 3.

喜多室きたむろ鏡水かがみずは喫茶店を出るとタクシーを拾った。

腕時計を見つつ手帳を開く喜多室の姿に、鏡水が興味を示す。


「あら、筆記をされているの?」

「ええ、上司の真似ごとです。」


今記入した部分を鏡水に見せる。


十九時四十二分 ◯◯喫茶を出て旧N病院へ移動 刑事局鏡水巡査同行


「上司って、崎真さきま警部補?」

「いえ、押塚おしづか警部です。崎真主任は最新の電子装備をお使いになる方です。」

「亡くなられた谷元たにもと警視がよくおっしゃられていました。府県警や所轄の捜査員が使う道具はよく見ておけ、って。」

「ほお。」

「我々は全国の刑事事件捜査を管理する立場だから、その地域性や事件の性質にあったツールがある、闇雲に最新鋭装備を押し付けるのは良くない、って。」

「なるほど。」


白楼事件で車尾くずも巡査の手により死亡した谷元警視。

喜多室から見た彼の印象は、せっかちで部下に厳しいが、個を重んじる細やかな気配りも見せる警官だった。

キャリアには珍しく、人それぞれの価値観の違いを見る、といったところがあった。

ただ、その視点は時に俯瞰的な判断を鈍らせることもある。


…谷元警視は、警察庁よりも警視庁の方が力を発揮出来た方だったのかも知れないな。


鏡水の言葉は、実は喜多室に対するカマ掛けもあった。

彼女からすると最も謎の多い使い手刑事、喜多室祥司きたむろしょうじ

被験者ナンバー04を充てられ、旧特殊研究班や白楼ラボには関わらない場所で警官教育を受けていた男、喜多室。

被験者ナンバー01若邑湖洲香わかむらこずかが素性や教育課程を刑事局内で開示されているのに対し、喜多室の情報はと言えば殺人の前科がある事くらいだ。

そして、湖洲香と同様に『光の帯』の色は先天的な精神色のままである。

喜多室も刑事局局長である佐海さかい警視監が握っていた手札であることに間違いないのだが、どういった意図で育てられた刑事なのか、鏡水達には詳細を知らされていない。

県警捜査課に配属されて数ヶ月、その実績や報告文献を見る限りでは、喜多室は実直であり高い行動力を持つ刑事だ。

刑事局はこの喜多室に何を託しているのか。

鏡水はチラッと横目で喜多室の顔を盗み見た。


…どこか陰があるのは母親が殺されているからか……なかなか男前な横顔。


大雑把な組織的関係を言うならば、警察庁の鏡水は管理者であり、県警の喜多室は作業者。

マネージャーとプレイヤーの関係にある。

管理者に求められたのが『灰色』という後天的精神色、プレイヤーに与えられたのが先天的精神色、単純にそういうことなのか、と鏡水は考えてみる。

白楼ラボでは、入館した一年後に『国家公務員Ⅰ種の資格取得意思』を問われる。

この喜多室という男もその選択は迫られたのだろうか。

そして蹴った結果が、今の地方公務員なのだろうか。


「刑事さん、あの、この辺でよろしいですか?」


タクシーの運転手が道幅の広い車道で車を停めて言った。

N病院へは、まだ歩くと十分くらいはある。


「N病院です。そこの路地を入って下さい。」


鏡水の言葉に、運転手がか細い声を出した。


「あの道、夜はあまり通りたくないんですよ。見通しは悪くないのに事故多くて、刑事さんならご存知でしょ。」


鏡水と喜多室は目を見合わせた。

仕方なく、タクシーを降りる。

降りた直後、二人は第二階層クレヤボヤンスを発動した。

それぞれの首筋から肩の辺りに『薄緑』と『灰色』の明滅が浮き上がる。

病院に近付くにつれ、霊感の無い鏡水にも視えてくる。

こちらに意識を向け始めた人型のもや、浮遊霊が。


「無視することです。意識から外せばいい。」


喜多室の言葉に、ふと彼の顔を見上げる鏡水。

所々癖っ毛をはねさせた野性味のあるその横顔が、頼もしく見える。

二人は鉄の柵で閉ざされた門の前に着いた。

鏡水が言う。


「敷地内に狩野かのう君の『青緑』は見当たらないわね。」

「ええ、あの黒いかたまりの部分以外には。」


雅弓まゆみちゃんのピンクも無しか。


喜多室の右手の人差し指がピクッと動いた。


ジャラッ……


鉄の柵に掛けられていた南京錠が外れてズレる。


ゴリッ、ゴゴ、ゴゴゴゴゴ……


そして柵がひとりでに動き、開いた。


「行きましょう。」

「あ、ええ、で、でも……」


喜多室が鏡水を見ると、何かから目を背けるように彼女は顔を斜め下に向けている。

無理もないか、と喜多室は思う。

なぜなら、柵の開いたところに、男性がじっと佇んでいるからだ。

薄いシルエットだが、病衣を着ていることと、その病衣の胸元が黒いシミで汚れているのが判る。

手の先と足の先は消え入るように、無い。


「第二階層の存在と我々第一階層の存在は、透過してすり抜ける。」


喜多室は軽く笑みを作りそう言うと、鏡水の手を握った。


「え、ええ、言われなくても。」

「彼らは何もしません。通る時に少し冷気を感じるかも知れませんが、蒸し暑いですし、丁度いいでしょう。」


喜多室が鏡水の手を引き、男性の霊を無視するようにそこを通り抜ける。


…ひっ!


鏡水は心の中で小さな悲鳴をあげてしまった。

なぜなら、ただ佇んでいるだけの動かない男性は病院の外を向いていたのに、通り過ぎて敷地に入るとこちらに体を向けていたからだ。


…精神のビジョン、精神感応のビジョン、実体は無い、実体は無い……


内心自分に言い聞かせる鏡水。

見たくなくても見てしまう。

意識するなと言われても、そう簡単ではない。

彼女は喜多室の手をぎゅっと握り返し、身体を彼に寄せた。


「鏡水さんのような聡明な方なら解るはずです。恐怖心の正体は未知です。得体が知れないこと。でもあれは未知じゃない。肉体を失っただけの、我々と同じ人ですよ。」

「え、え、言われ、なくても……」


さきほどと同じ言葉しか出てこない自分に、小さな苛立ちを覚える鏡水。

情けない。

しかしここの探索を一人で行う勇気が無かったのは事実だ。

今もクレヤボヤンスに映る黒い空間。

あれは未知そのものだ。


廃病院本館、その正面玄関の前に立つ二人。

割れたガラスは既に取り払われ枠だけになっている扉が半開きになっている。

通常、使われなくなった施設は浮浪者などが住み着かないよう入り口は塞ぐ処置が行われる。

なぜ、ここはそれが行われていないのか……


…ん?


「鏡水さん、あれ。」


喜多室が正面玄関内の床を指差した。

木製合板が幾つかに割れ、落ちている。

大きさからすると玄関扉に応急的にネジ止めでもされていた合板のようだ。

鏡水も見る。


「あ、この切断面は……」


綺麗な弧を描いている。


「ええ、電ノコの可能性もありますが、切り口が綺麗過ぎる。まさかこんな所で日本刀は振り回さないでしょう。」


使い手の次元変換分断、その切り口にそっくりである。

暗いため、二人は第一階層クレヤボヤンスの併用も始めた。

光が全く届かない場所でこの三次元空間を視認できるマルイチ透視だ。

受付カウンターへ続くロビーの床に、不自然な穴が幾つかあいているのが視える。

これも、第一階層テレキネシスの打撃跡に見えなくもない。


「鏡水さん、この場所で使い手同士の戦闘など、そんな報告はありましたか?」

「いえ、無いわね。」


鏡水が喜多室の手を放し、その手を頬に当てて考える仕草をする。

この捜査の発端である例の個人サイトを見つけた時、同時にこのN病院の怪奇現象記録も調べたのだが、あからさまなテレキネシスを思わせる現象は結構多い。

突然窓ガラスが割れた、独りでにドアが閉じる、何かが崩れる物音、などである。

しかしながら、使い手同士の戦闘となるとまず間違いなく怪我人が出るはずだが、その怪我人の記録が無い。

強いて挙げるならば、気分が悪くなった者、突然気を失った者、それくらいか。


喜多室が本館の中へ踏み入ろうと片脚を上げたその時、灰色の『光の帯』がロビーの空中に音もなく現れた。

彼は鏡水が伸ばしたものだろうと思い足を踏み入れた直後、鏡水が叫んだ。


「私じゃない!」


ヒウゥゥ……ザンッ!ザンザンッ!ザンッ!ザンザンッ!


何か先端の尖った柱のような物が空中に次々と現れ、喜多室を囲うように地面に突き刺さった。

その一本に喜多室の腕が触れる。


「つっ!……」


喜多室は現れた柱のような物の隙間を抜け、門の方へ後ずさる。

その時、スラックスの一部がそれに触れた。


「な、なんだ……」


喜多室と鏡水は現れた『灰色』と『尖った柱』を観察しつつ後退した。

柱は半透明で、ガラスのような見た目だ。

鏡水が言う。


「同僚の『灰色』は見慣れている。あそこまで白っぽい灰色は、うちにはいない。」

「しかし、体調の変化で濃淡は変わるぞ。」

「いえ、見れば判る。質感とでも言うの? あの『灰色』は刑事局の使い手ではないわ。それに、こいつは『白』が混在している。男性使い手の教育中には見られる状態だけれど、適合者とされた刑事にはもう白は混在しない。」

「ん?」


喜多室が後ずさる足を止め、尖った柱を凝視した。

目の錯覚ではなかった。

それは見る見る細くなっていく。

表面には液体が垂れ、蒸気のようなものが立ち上っている。


「こ、氷、なのか……」


喜多室は触れてしまった腕を見た。

その皮膚は赤くなっており、じんじんと鈍い痛みが走る。

鏡水が目尻から入った汗に片目をつむり、言った。


「暑い、異常な暑さ……下がりましょう、喜多室さん。」


喜多室はそれには答えず、氷の柱に触れたスラックスを見た。

煙が出て黒ずんでいる。


…炭化、だと? 焦げたのか!?


「喜多室さん!」


既に門の付近まで下がっていた鏡水が叫ぶ。

だが、喜多室は立ち止まり考え込んでいる。


…氷、あの溶け方は氷だ。だが、触れた手は火傷のようになり、スラックスは焦げた……


ガシッ!


走ってきた鏡水が喜多室の腕を背後から掴んだ。


「喜多室巡査! サッチョウ刑事の言うことが聞けないか! 下がるぞ!!」


喜多室はハッと我に返り、鏡水に手を引かれながら門へ引き始めた。


「どけぇ! 邪魔だ!!」


鏡水が門の柵にいる男の霊に叫ぶ。

二人は門を出た。

本館の正面玄関の方を見ると、既に氷の柱は溶けてなくなっており、地面には濡れた穴が幾つも残っていた。

白っぽい『灰色』は消えている。

そして、本館地下一階に視えていた黒い空間は、無くなっていた。

その場所にも幾つかの浮遊霊の光が、他の場所同様に蠢いている。

息を荒げている鏡水と喜多室を、柵の霊がぼーっと見つめていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


月曜、早朝。

朝練を終えた紅河くれかわは、どこか表情の暗い湖洲香と共に三年A組の教室に向かっていた。

湖洲香の意気消沈、それはこの学校への潜入護衛の任を解かれるかも知れないことだった。


「あーあ、楽しい高校生活も終わるんですわ……」


紅河は、何しに来てるんですか、と突っ込みたかったが、余りにも落ち込みの激しい湖洲香の様子に何も言わなかった。

まだ決定ではないらしいが、この解任検討の原因は伴瓜ともうり警視正の指示に従わなかったことのようだ。

気休め程度の言葉を掛けてあげたい気もするが、警察の内情のことにはさすがに紅河も口を出せなかった。

ふと、三年B組の前で足を止める湖洲香。

入り口に立ち、しばしB組の中を見渡すと、誰かと目が合ったようで、右手を顔の横でチョイチョイと動かし呼ぶ仕草をしている。

紅河も湖洲香に近寄ると、B組から出て来たのは眼鏡を掛けた男子生徒だった。

湖洲香が両手を前に添えて丁寧にお辞儀をする。


「おはようございます、樹生みきおさん。」

「あ、お、おはよう……え、なに。」


彼を見て、確か小川、だったか、と紅河は思った。


「なんでもないの。ピアノ部、頑張ってね。」

「ピア……合唱だってば。」

「そっか、そうでしたわね。」


小川は湖洲香の背後を見た。


…うわ、紅河だ、苦手だこいつ。


いつにも増して不機嫌そうな顔で、湖洲香の背を見下ろしている。


…紅河の新しい彼女って、この斉藤っていうお嬢様だったのか。


「なんでもないなら、じゃ……」


そう言って小川は自分の席にそそくさと戻って行った。

チラッと入り口に視線をやる。

その視線を待っていたかのように、斉藤知子が深々とお辞儀をした。

そして、やっとA組の方へ歩き出した。


…なんなんだ? 朝の挨拶だけで、なんであんなに仰々しいんだ。


小川は斉藤の表情を思い返す。

第二音楽室で会った時の明るい雰囲気は全く無く、何か落ち込んでいるようだった。

それにしても、友人でもない自分にわざわざ挨拶に来るとは……お嬢様という生き物は全くわからない、と小川は思った。

しかし、頭から離れなくなってしまった。

今の斉藤の、あの愁いの瞳。

まるでラフマニノフのヴォカリーズの様な……

紅河と喧嘩でもしたのだろうか。


…ピアノ、弾きたがってたな。


もしかして、少しはピアノが弾けるのだろうか。

お嬢様だし、あり得る。

もし頼まれたら、見てやってもいいかな。

あ、いや、しかし……


…紅河はおっかない。放っておこう。


小川は一時限目の教科書を開き顔を埋めた。


紅河と湖洲香がA組の教室の前に着くと、廊下に房生舞衣ふさおまいがいた。

駆け寄ってくる。

これまた落ち込みの様相だ。


「紅河さん、あのね、来なかった、マリモちゃん、来なかった、朝練、どうしよう、私、どうしよう……」

「千恵ちゃんは? なんて?」

「うん、体調かも知れないし、様子見ようって。」

「んじゃ、そうしなよ。」

「でも、きっと私のせいで、土曜日泣いてたし、辞めるって言ってたし……」

「学校へは来てんの?」

「まだ見てない……」


舞衣は肩を落とし、視線を床に落とした。

ふと横を見ると、湖洲香も同じポーズを取っている。

二人ともこの世の終わりの様な表情だ。

紅河はため息をついた。


「高島さんは?」

「あ、マリモちゃんが学校には来てたら、えっと、午後は顔だけでも出す様に連れてきてって。」

「うん、それでいいんじゃね?」

「でも……」

「ここで悩んでても仕方ないだろ。」

「うん、でも……」

「そんな、女みたいにいじいじしててもさぁ。」

「女です、私……」


これは参った。

湖洲香の件も、舞衣の件も、両方とも手に負えない気がする。

穂褄ほづまとの戦いの方がよほど楽だった。


「んー、まぁ、わかったよ。そのマリモちゃんが来てたら教えて。昼休みに話しに行くか。」


舞衣の表情がパァっと明るくなった。


「うん、ありがとう、紅河さん。」


そして踵を返し、小走りで一年の教室へ去って行った。


「はや……」

「房生さんは元気ですわね……」

「ソウデスネ。」


紅河は棒読みで答えた。

彼には彼の、未解決の難関がある。

まだ、京子にデパートから取ってきた書を返していないのだった。

泣かれたらどういう顔をして何を言えばいいのか。


…誰か助けてくれ……

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