焦熱の氷牙 2.
都内私鉄沿線の駅で降りた喜多室は、手帳を開き待ち合わせ場所を確認すると改札を出た。
簡易メモ機能付きの携帯端末も持ち歩いているが、彼は紙にペンで書くという記録方法を最近やり始めたところだった。
上司である押塚警部の影響である。
これをやり始めて最初に気付いたことは、うろ覚えの漢字が多いこと。
読めるが、書けない。
そして、自分の字の荒さ、汚さを思い知らされる。
自分が読めりゃいいんだ、とは押塚の言葉だが、その自分さえも読めない字があり、記憶を辿ることしばし、である。
「こういうのも老化というのか、な。」
学生の頃は当たり前に筆記をしていたものだが、殺人罪で留置されて以来、古見原所長の指導ではものを書くという作業がほとんど無く、三十二歳の今、こうも書くという動作が苦手になっているとは思ってもみなかった。
左脳への刺激にもなるという筆記、それに、思った以上に書くと記憶に残る。
喜多室はしばらく手帳にペンで書くという記録方法を続けようと思っていた。
彼は待ち合わせの喫茶店、そのドアを押した。
声を掛けてきた店員に待ち合わせであることを告げると、喜多室は第二階層クレヤボヤンスで店内を見渡した。
最も奥まった壁際の席に、灰色に明滅する魂の光を見つける。
そちらへ視線を向け、軽く頭を下げると、彼はその席へと向かった。
写真では何度も見ているが、直接会うのは初めてである。
「県警の喜多室です。」
喜多室の挨拶に、その女性は火をつけたばかりのタバコを右手に持ったまま、中腰になり頭を下げた。
「刑事局捜査一課、鏡水です。すみません、今、火、つけたばかりで……」
「お構いなく。」
刑事局の使い手刑事データが喜多室の頭を過る。
被験者ナンバー09、鏡水心春、女、二十八歳。
活発そうな捜査二課の風見とは対照的に、鏡水は一見おっとりとして柔らかい印象を受ける女性である。
ややふくよかな体型と下がった目尻がそういう印象を与えるのだが、気性はキツく相当に気が短い、と喜多室は聞いていた。
ややブラウン掛かった黒系スラックスタイプのレディーススーツを着こなしている。
喜多室がアイスコーヒーをオーダーし店員が離れていくと、鏡水はオレンジジュースを一口飲み、タバコの煙をくゆらせながら話し始めた。
「私達への印象は悪くされているでしょうけれど、しがらみは無しで、ご相談したいんです。」
「ええ、あの件は、局課刑事に罪は無いと思っています。ご連絡頂いた野神さん、電話口でいきなり謝罪されておりまして、逆に恐縮してしまいましたよ。お会いする度に頭を下げられてしまって。」
「主任は当事者でしたからね……」
「その話はもうよしましょう。私の方も、特査の仔駒捜索、進展がなくご意見を伺いたいと考えていたところです。」
「やはりマルニ透視で?」
「はい。手掛かりは『小学校』なのですが、空振り続きです。」
「仔駒は、瞬間移動を身に付けたのでしょうか。」
「可能性はありますが、県警ではそうは考えておりません。もし身に付けたのなら、あの子の事ですからひょっこり帰ってきて自慢でもするのではないか、と。」
「なるほど……ご存知かも知れませんが、刑事局から私達に『テレポーテーション及びマルサン修得』という計画書が古見原課長に降りています。その計画書自体はまだ目にしていませんが、仔駒のマルサン開眼の経緯は開示されていますので、おおよその見当はつきますね。」
「霊との接触、ですか。」
鏡水はタバコの火を消した。
「はい、それで……という訳でも無いのですが、私の任務の方で、その霊と関連しそうな情報を掴んでおりまして……」
「そちらは狩野佳洋の捜索でしたね。」
「はい、ちょっとこれをご覧頂けます?」
スマホに指を滑らせ、画面を喜多室に向ける鏡水。
そこには個人サイトが表示されており、『廃病院の怪奇 心霊スポット エメラルド色と白の光の群れ』と表題がついていた。
「N病院……ここから近いですね。」
「はい、画像がないのでガセネタかも知れませんが、エメラルド色と白の光の群れって、狩野君の『光の帯』にそっくりだと思いまして、駄目元で探ろうと考えています。」
「読ませてもらえますか、それ。」
「どうぞ。」
更新日付は昨日になっている。
心霊スポット巡りの一環で訪れた旧日本陸軍管理管轄のN病院、敷地内に点在する結核患者病棟に見える幾つもの人影、その人影が突如現れたエメラルド色と白のまだら模様のような光の群れに吸い寄せられるように、本館に集まっていくのを見た……とある。
また、本館の中から何かが崩れるような物音がし、サイト管理者とその知人は恐ろしくなり逃げた、とあった。
「……なるほど。このサイトの管理者への接触は?」
「まだです。身元を洗っているところ。」
「使い手、とも思いましたが、違うかも知れませんね。」
「そこなんです、ご相談したかったのは。『光の帯』を視認できる非能力者というのはいるのでしょうか。」
「います。いえ、正確に言うと、いません。」
「え、え?」
鏡水は喜多室の言葉が瞬時には理解できず、目を白黒させた。
彼女が上司である野神を通じて喜多室へ相談を持ちかけた理由は、喜多室は元々霊感が強い体質だと聞いていたからだった。
「正確に言うと、いない、って?」
「ええ、『光の帯』が見えるという時点で、その人は能力者です。非能力者ではない、という意味です。」
「ええと、今、使い手ではないかも知れない、と……」
「はい。『使い手』ではないが、『能力者』。そういう人が世の中にはいます。」
「どういう、こと?」
「クレヤボヤンスには二種類あると遠熊所長は定義付けられておりますね。」
「はい。」
「千里眼と、そして霊視。千里眼という能力は『光の帯』を使わないと発揮されない能力で、霊視という能力は『光の帯』を使わなくとも発現する場合があります。」
「アストラルビジョンのこと?」
「世間一般で言うアストラルビジョンは、肉眼を用いずに大脳に映し出される像を読む能力とされていますが、では、どう読むのか、と分析してみた時に出てくる表現が『五感を使わず魂で読み込む』というもの。つまり、肉体から『光の帯』として放出はしていないが、『光の帯』と同等の働きを『魂』で行える人、その能力、ですね。」
「なるほど。それ、その霊視の能力者は、魂の光は明滅しているの?」
「していないでしょう。肉体に固着した魂は安定していますので、非能力者のそれと同じ状態にあると思います。」
「そうですか。安定……私や喜多室さんの魂は不安定、ということ?」
「第一階層での生死の観点から言うと同様に安定ですが、第二階層においては『出てはいけない肉体という器から簡単に溢れる』不安定な状態と言えるでしょうね。」
「そうか……ああ、なんだか、ちょっと怖くなりました。」
「鏡水さんも遠熊所長に教わっているでしょう。『光の帯』を放出し切ってしまうと肉体は死にますよ、と。」
「ああ、ええ、まあ、はい。」
「魂の明滅は危険信号、とも考えられますが、私はそれほど危険な状態だとは考えていません。第一階層で起こる事故や病気による肉体の死よりは遥かに自己制御が効きますから。」
「ああ、そうか、そうね。」
「ただ、リスクが上がる行為はあります。それが霊視修得、雅弓ちゃんが体験した霊との接触ですね。」
「自分の意思に反して幽体離脱が進行してしまう、ですか。」
「はい。」
「紗夜が言っていました。オーブリカバリーのやり方も解らないまま、局長に『出来なくてもやれ!』と言われたって。」
鏡水は苦笑して見せた。
喜多室も口元を緩める。
「佐海局長は二重の保険を打って事に当たられたようですね。風見さんの責任感、そして赤羽根博士の情愛。」
「それと、紗夜はこうも言っていました。導いてくれたのは車尾君の霊だった、と。」
「はい、雅弓ちゃんは運に恵まれていたのかも知れませんね。もしマルサン修得の計画が実行に移される時が来たら、善い霊を味方につける何か、手段を講じる必要があるかも知れませんね。」
「ふむ、どんな計画書なのかしら……」
しばし会話が途切れ、喜多室はアイスコーヒーを口にした。
そして、考える。
灰色という『光の帯』の色。
気質が反映される精神の色。
それが、生まれ持ったものとは違う色に塗り替えられた刑事局の使い手、鏡水心春。
話した感じでは、不自然さや違和感は感じない。
人間的な表情を普通に持ち、大きく偏った思想のようなものも今のところ感じない。
喜多室が知る限り、先天的な『色』に戻ったのが野神と風見だけだとすると、『灰色』の刑事は五人いることになる。
新渡戸瑛教、根津尊、深谷寿、碓氷保延、そしてこの鏡水心春。
灰色とはどういった気質が反映された色なのか。
遠熊所長や古見原所長、そして蓮田忠志が施した精神矯正は如何なるものなのか。
喜多室自身も約十年に渡り遠熊と古見原の指導を受けているが、精神色が変化しなかったのはなぜなのか。
教育カリキュラムが違うものなのだろうか。
喜多室の場合、正確に言うならば二十一歳当時よりかなり薄い緑色に変わった。
だが、緑は緑である。
「それでね、喜多室さん、」
鏡水が喜多室の目を覗き込むように口を開いた。
喜多室は、無意識のうちに鏡水の顔に視線を向けっ放しにしていたことに気付き、瞬きすると目を軽く伏せた。
「はい。」
「N病院に話を戻すのですが、ここからだいたい三、四キロの位置にあるので、マルニ透視をお願いしたいんです。」
「何か、あるのですか?」
「本館の地下一階、ある一箇所が、穴があいたようにぽっかりと黒いんです。」
「黒い? 第二階層、ですよね。」
「そう、通常は白い空間の第二。視てもらえれば判ります。」
「そこ、マルイチ透視はやってみました?」
「いえ、まだです。マルイチはその場所に侵入しなければなりませんよね。その前に、迂闊な侵入をしていいものかどうか、ご意見を伺いたくて。」
「マルイチはそこに能力者がいた場合、気付かれる上に『光の帯』に物理攻撃を受ける可能性がありますからね。」
「ですね。」
「わかりました。」
喜多室は目を半ば閉じ、第二階層クレヤボヤンスを発動した。
…南西、約三キロ。
マルニ透視にはその白い空間に人や動物の様々な『光』が映る。
それらはそれぞれの速さで動き、或いは留まり、それぞれの生活を営んでいる。
そしてもう一種類、視えたり視えなかったりする存在がある。
それは肉体を持たない存在、霊である。
第二階層の属性を持つ霊もあれば、第三階層属性のものもいる。
喜多室の経験では、それはお互いに見合った時に、視えることが多い。
相手がこちらの『光の帯』を見て、そしてこちらもその霊を視ようと意識した時。
問題の座標に喜多室の視点が近付く。
…む、これは、白楼の比ではないな。
いる。
かなりの数の浮遊霊。
喜多室は無視する。
それらの霊を見ないようにする。
「ん、あ、こ、これか……」
「視えましたか?」
例えるなら、白い宇宙空間の中のブラックホールか。
「ん、これは、感覚的、に、感じることですが、」
「はい。」
「これ、第三階層じゃないのか?……」
「黒いところ、ですか?」
「ええ。」
「どうしてそこだけ第三階層になってしまっていると思うの?」
「なんと言うか、視える奥行き感、と言いますか、解像度、あ、いや、上手く言えないが、第三階層の霊と同じ明度、解像度、んん、ボキャブラリーに乏しくて申し訳ないですが、あの黒い部分は第三階層の存在に視えるんです。」
「そう……仮にそこが第三階層だとして、これは何が、どんな現象なのでしょう。」
「うん、ん、何だ、これは……」
喜多室も第三階層へ意識的に潜行したことは無い。
未知の領域だ。
関係の近しい故人の魂に呼ばれないと開かないと遠熊の文献にある第三階層。
なぜそれが開いているのか。
或いは、これは第三階層では無い別の何かなのか。
「……いえ、わかりません。私にも、あの黒い空間が何なのか、判りません。」
「そう、ですか。」
鏡水はテーブルの上のタバコケースに触り、そして取り出すでもなく、また手を放した。
「いると思いますか、狩野君。」
「どうでしょう……居るとしても肉体は第一階層です。マルイチで視てみるしか無いか……」
「リスク、は?」
喜多室は半目を開き、そして目を細めた。
…クレヤボヤンスは便利ではあるが、これは身体ごと行く方が安全かも知れない。
「わかりません。鏡水さん、提案です。」
「はい。」
「行ってみましょう。あそこへ。」
「え?」
「この場合に限り、『光の帯』で第一階層を視るより、身体ごとあの場所へ行ってみた方が安全な気がします。」
鏡水は再びタバコケースに手をやり、ケースを持ってトンとテーブルを小さく叩いた。
そして、ニヤッと微笑む。
「お声をかけて良かった。その言葉、待ってたのよ。」




