震える帯
県警本部。
捜査一課の押塚警部は、刑事部長室に呼ばれていた。
警察庁刑事局から、局長が直々に出向いての面談要請、とのことであった。
警察庁刑事局長…つまり、警視監である。
押塚は刑事部長室をノックし、入った。
部長は自分のデスクの横に立っており、部屋の中央に向かい合って配されたソファの片側に、警視監が座っていた。
室内には、押塚を含め、三名である。
「捜査一課、第2強行犯捜査一係、押塚です。」
…一兵卒の俺に、キャリアが何の用だ?
押塚が警視監と直接話すのは初めてである。
押塚より一回り以上若い警視監は、ソファから立ち、軽く頭を下げると、再びソファに腰を下ろした。
「城下桜南高校での一件、報告は読ませて頂きました。『能力者』である犯人の確保、おみごとでした。」
「は。」
丁寧過ぎる口調が鼻に付く。
「まぁ、掛けてください。」
警視監は右手の平を上に向け、押塚へソファを進めた。
「いえ、このままで。」
押塚は座らなかった。
刑事部長が立っているのに、座れるものか。
部長は表情一つ変えず、黙って見ている。
「どうです?『能力者』は、我々能力を持たない者でも、渡り合えるものですか?」
押塚は一瞬目を閉じ、フン…と鼻で息をすると、
「ありゃあ、無理ですよ。我々には。」
と答えた。
「でも、警部は取り押さえ、連行までやって退けられた。一発、発砲もあったとのことですが、お怪我もされていない。」
押塚は犯人…深越美鈴との対決を思い返した。
あの場にあの少年がいなければ、無傷では済まなかっただろう。
「『能力者』ってのは、相手を知れば知るほど、手の打ちようが無いことを思い知らされる怪物です。」
「ですが、我々も、その怪物を一人飼いならしていますよね。」
若邑湖洲香に特殊査定班の職務席を与えたのは、この警視監であった。
そして、監視役に赤羽根伊織を充てたのも、彼である。
「その能力は驚異ですが、同じ人間、『能力者』にも弱点はあるでしょう?」
…弱点?
…見えない刃物がいきなり飛んでくる恐怖、体験しなきゃ解らんだろう。
「理屈で割り切れるような相手ではありません。」
押塚は語尾を強め、言った。
警視監は少し考え、
「そうですか。では、こちらも怪物を捜査に投入しますか?」
と、表情を緩めず言った。
どうやら冗談ではなさそうだ、と押塚は感じた。
「若邑、でしょうか。」
警視監は答えず、刑事部長の方を向くと、デスクの固定電話を指差し、顎をクイっと上げた。
「は。」
刑事部長は内線番号をプッシュし、受話器を上げた。
「私だ。様子はどうだ?……そうか、そのまま続けてくれ。」
内線の相手は、特査の蓮田班長である。
警視監の話が若邑湖洲香に読まれぬよう、別の仕事に『光の帯』を使わせておくよう指示していた。
「問題ありません。」
警視監は部長の言葉を聞くと、押塚に振り向き、言った。
「若邑君ではありません。彼女を外へ出すのはまだ時期尚早です。精神面が弱すぎて危険だ。」
彼は足元の鞄から大型封筒を抜き出し、クルクルっと紐を解くと、中身の書類を半分出し、封筒ごと押塚へ差し出した。
押塚は警視監に歩み寄り、受け取る。
写真付きの履歴書である。
「こいつは…!」
「そうです。押塚警部、あなたが以前確保した殺人犯…喜多室祥司です。」
「彼は、喜多室は、『能力者』なのか?」
「ええ。」
喜多室の事件は痛ましいもので、彼は目の前で強盗に母親を殺されており、その報復として強盗犯を殺害したのだった。
逮捕の際は抵抗もせず、自らの罪を認めての受刑であった。
…確か今年で10、いや11年になるか。
押塚は書類を改めて見た。
喜多室は今年で32歳、事件当時は21歳の学生だった。
「どうです?使いこなせますか?」
警視監のこの口ぶりから、初めから喜多室を投入するつもりで訪れたことに、押塚は気付いた。
「いや、私には…」
「あなたしかいないのですよ、直接『能力者』と対峙した経験のある者は、ね。」
押塚の頭に、嫌な憶測が浮かんだ。
押塚は今年で定年退職である。
…問題が起きたら擦りつけて切り捨てるには、俺はもってこい、という訳か?
「これは、指示、ですか?」
押塚は絞り出すような声で聴いた。
「いえ、相談ですよ。」
警視監が答える。
押塚は刑事部長の顔を見た。
その表情は、
…指示だ、諦めろ。
と言っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
床に不自然なヒビが入り、机が一つ真っ二つに割れた2年A組の教室。
分断された机は警察が押収、その現場保存は解かれたが、その場に居合わせた教員と生徒達は、学校の視聴覚室を使い、事情聴取が行われていた。
事情聴取は全員を対象としていたが、警察の真のターゲットは二人、紅河淳と皆月岸人であった。
紅河は、なぜ自分が襲われたのか、の心当たりを中心に聴き取り。
だが、これは建前である。
なぜなら、加害者である深越から動機は回収済みだったからだ。
警察側の狙いは、紅河も『能力者』である可能性を探ることだった。
「…そうですか。ご協力ありがとう。もしかしたら、署に来て頂いて書類にサイン等をもらう可能性もあります。その時はお願いします。」
聴取係の言葉を最後に、紅河は終了。
だが、警察は水面下で、必ず紅河を署に一度来させる算段を付けていた。
百発百中の嘘発見器、若邑湖洲香に、紅河の正体を確認させるためである。
そして…最も聴取が長かったのは、皆月岸人であった。
犯人深越が『彼も能力者』だと明かしたからである。
「クラスメートの話では、紅河君が突き飛ばされた時、君は動きもしなかった、と、不思議な指摘が出ているのですが、その時のことを教えて下さい。」
「さぁ、どうでしたか、ね。」
皆月は無表情で答える。
「皆月君、君は彼に『手』を、出した?」
…出した、と答えれば『光の帯』を出したと指摘、出さなかった、と答えても、念動力の指摘…幼稚な誘導尋問だ。
皆月は動揺もせず、紅河淳がこの件をどう答えているか、聴取係の思考を読んだ。
紅河は、『皆月に手で押され、体制を崩して大きくよろけてしまった。』と答えていた。
…へぇ。
「手、出したかな。」
「具体的に、『手』とは?」
…しつこいな。
「先輩、僕の右側にいたからね。右手だったと思いますよ。」
「そうですか。床のヒビ、『何が』当たったんです?」
「さぁ。」
「君のすぐ横で起きたのに、さぁ、は無いでしょう。」
皆月は黙秘した。
「割れた机について、何か気付いたことはありますか?」
無言で首を傾げて見せる皆月。
「…そうですか。わかりました、ありがとう。」
聴取係は、皆月も署に呼ぶことは決まっている、その時でいいだろう、と考えた。
その思考を読んでいた皆月は、思考の背景の中に、驚くべき名前を読み取り、危なく表情を変えるところであった。
…若邑!?若邑湖洲香は警察に居たのか!
それは、長年探し続けている憎悪の対象…岸人の母親である皆月陸子の命を奪った3歳の幼女の名であった。
…見つけたぞ、湖洲香!!
皆月は、湧き上がる殺意を必死に抑え、震える身体を聴取係に悟られまいとした。
コントロールを失い、この三次元に現れたり高次元に戻ったりし、黒く、青く、全体を明滅させる『光の帯』を、どうにか身に収めた。
この状態で『光の帯』が物体に触れると、ランダムに物体を破壊し…深越美鈴が紅河淳を目の前に認めた時に起きた『ガラスの破片が舞う』ような事態が起こる。
皆月が聴取係の頭に『光の帯』を触れさせていたら、大惨事であった。
…警察署?喜んで同行してやる。
皆月は、無意識に固く握り締めていた両の拳に気付き、静かに緩めた。