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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
169/292

焦熱の氷牙 1.

紅河くれかわの頬を幾筋もの汗が流れ落ちた。

穂褄ほづまの炎が消えた今、初めて足の震えに気付く。

際どかった。

恐ろしかった。

そして、まだ完全に安心というわけではない。

ここからは心理戦だ。

精神を強く保ち、穂褄の戦意を砕かなければならない。


穂褄の帽子は、そのツバまでもがびっしょりに濡れていた。

頬を伝う汗は、紅河の比ではなかった。


…なぜだ、て、転送は……出来ている、のに、どうして……ん、あ!


穂褄は気付いた。

炎が消えた後、自分の『光の帯』から滴る湯気を伴った液体に。


…まさか、み、水、なのか……


穂褄が物質転送していた付近のガソリンスタンドのタンク内の液体、それが水だったことに、やっと気付く。

ガソリンは水より軽い。

最初に炎が出たのは、僅かに残っていたガソリンが水の表面に浮いて残っていたものだった。


…しかし、どうして営業中のスタンドのタンクに水が……


考えている猶予は無い。

目の前には拳銃を持った不気味な少年がこちらを睨んでいる。

穂褄は警察の車両に目を向けた。

ほんの十リットルで良い。

可燃性の液体さえあれば、この状況をひっくり返す事が出来る。

湖洲香こずかが叫んだ。


「車に『青』が! 離れて!」


穂褄の青い『光の帯』が車のボディを透過し、ガソリンタンクをまさぐる。

紅河が叫ぶ。


「無駄だと言っただろ! タンクは空だ! この半径四キロメートル以内に燃える液体は無い! 車の一台足りともだ!」


組対警官はやっと理解した。

紅河が車両に穴を開けた、その理由を。

単なる足止め、車を走れなくするだけかと思っていたが、穂褄のパイロキネシスを封じる為に必要なことだったのか、と。

車両通行規制もこの為だった。

危険区域になるから、ではない。

ガソリンを運んで来て欲しくなかったからだ。


…ボールを持たないと、シュート出来ない。


パイロキネシスのロジック。

穂褄は炎を発する時、『光の帯』を三重に重ねていた。

一つは第三階層に置き、発火に必要充分な高温を作る。

もう一つは、可燃性の液体を他の場所から転送してくる。

そしてもう一つ、第一階層に置き、転送した液体の受け皿として、放射のポンプとして使う。

最初にゆっくりと火を起こすのは受け皿の上で液体を燃やす工程、途中で炎が急加速するのは燃えている液体を噴射する工程だ。

だから、水を掛けると第一階層にある『光の帯』を伝って樋を流れる雨水のように流れ落ちることになる。

他の『光の帯』が張った第一階層の『壁』を透過するのは、噴射された先の炎のみである。

穂褄の『光の帯』を根元から斬り払うことをすれば、空中を漂う炎は地面に落ちるだろう。

だが、それは根本的な対処にはならない。

いたずらに地面を火の海にしてしまうだけだ。

可燃性の液体を次々と転送しているのだから、第一階層の『帯』も次々と出し続ければ攻撃は繰り返せる。


…つまり、ボール自体を持たせない。これしかない。


風見は、なるほど、と思う。

半径四キロメートル。

この範囲は、個人差はあるものの、使い手が三百六十度を一度に透視探索出来る範囲だ。

直線で一本伸ばすのであれば何十キロメートルかは探索可能だが、一点探索では欲しい物を探し出すのに膨大な時間が掛かる。


紅河は握り込んだ左手を下ろし、右手の拳銃を穂褄へ向け、言った。


「逮捕状は後ろのおっさん達が持ってんだろ。観念して下さい、穂褄さん!」


…くっ……


穂褄は必死に考える。

紅河に第一階層テレキネシスが通じれば、風見だけでも助ける術はある。

だが、だがしかし……


…あのスナールは、スナールには、くそっ、手が、だ、出せない……


あの車を持ち上げて紅河の上から落とすか。

いや、車道の外にいる『白』、あれは南條義継だ。

防がれるだろう。


「く、くれ、紅河ぁ……」


穂褄は歯ぎしりをしつつ、自身の『光の帯』を身体に巻き付け始めた。

義継から紅河へテレパシーが来る。


『テレポーテーションの初動だ。逃げるぞ』


すかさず紅河は叫んだ。


「テレポーテーションの初動には致命的な隙がある! 第一階層と第二階層に同時に身体が存在する瞬間だ! その瞬間は『光の帯』が第二階層にある! 銃弾は透過して身体に当たるぞ!」


これは白楼で蓮田忠志はすだただしに蹴りを入れた時に偶然経験したことだった。

穂褄は中途半端に青い『光の帯』を身体に巻いたまま、その動きを止めた。

そして、観念したように青い『光の帯』を全て消すと、紅河に歩み寄って来た。


「紅河……負けだ。教えてくれ。篠瀬しのせさんへ発砲させたのは、お前なのか?」


紅河は右手の拳銃を下げた。

その背後から風見が、組対警官が、駆け寄って来る。

湖洲香と伴瓜は、まだ距離を取ったままだった。

伴瓜に同行する三人の役目は、彼を無事に県の所轄署へ送り届けることにある。

犯罪者である穂褄に簡単には近付けられない。


「いいえ、俺ではありません。」


憶測を話すか。

伴瓜が怪しい、と。

いや、立証していない事をこういう場面で軽々しく話してはいけない、と紅河は考えた。

組対警官が穂褄に手錠を掛ける。


「器物損壊、傷害、そして殺人未遂の現行犯だ。」


穂褄は大人しく手錠を受けた。

紅河は、ふうぅ、と大きく息をはくと、持っていた拳銃を風見に渡した。

風見が言う。


「こんなもの、貰ってもねぇ。」


そして、その拳銃を紅河の顔に向けると、引き鉄を引いた。


ピュッ


その拳銃の銃口から水が飛び出し、紅河の頬に当たった。


「つめてっ……」


穂褄は目を丸くする。


…み、水鉄砲。


木々の陰で、義継はザバァッと水を捨てた。

そして、ガス欠の原付バイクのシートをポンと叩く。


「どうやって帰るのかねぇ、これ。」


紅河たちの背後で、伴瓜の落ち着いた声と湖洲香の興奮気味の甲高い声が聞こえてくる。

別車両の手配の電話を終えた風見と、穂褄の腕を掴んでいる組対警官が、伴瓜と湖洲香の方を同時に見た。

紅河も目を向ける。


「なぜ従わなかったのですか?」

「どんな凶悪犯でも無傷で確保が基本だと教わっていますわ。」


話の内容を聞き、組対警官は穂褄をガス欠の車に乗せ、覆うタイプの耳栓を被せるとアイマスクも着けさせた。


「そういう事を言っているのではありません。なぜ私の指示を実行しなかったのか、と聞いています。」

「だって、穂褄さんだって怪我をしないに越したことはありませんわ!」

「テレポーテーションで逃亡された場合、若邑君、君では責任が取れないでしょう。最悪の事態を想定して私は指示を出しています。」

「だからって足を切れだなんて、そんな恐ろしいこと出来ません!」

「そもそも、君が穂褄との一次接触で取り逃がしたから、新渡戸にとべ巡査の悲劇が起きたのではありませんか?」

「それは……そうかも知れませんけど……」

「デパート損壊の惨劇、光が丘署は君自身が倒壊させた。人命ももちろん大切ですが、経済的な損失もよく自覚しなさい。」

「だって、デパートの雷は止められなかったし、光が丘署は消さないと近隣に燃え広がっていましたわ。」

「上官判断は絶対です。それが解らないようなら白楼の能力者教育を受けなおしなさい。」

「絶対って、そんな……」

「君は自分が如何に危険な能力を持っているか本当に理解していますか? 罪状付きの使い手は尚更です。使い手犯罪者から身体能力を一時奪うことも、有効な犯罪抑制手段です。それが理解出来ないなら警察をお辞めなさい。」

「わかりましたわ! 人を怪我させるくらいなら辞めますわ!」

「若邑さん、待って下さい! 警視正も気をお鎮め下さい。」


風見が割って入る。

どうやら穂褄がテレポーテーションの動作に入った時、伴瓜は湖洲香に「穂褄の足を切断して逃亡を阻止しろ」と命じたらしかった。


「今の若邑さんのご発言は取下げでお願い致します。若邑さんは特殊査定班であり対強行犯要員ではありません。若邑さんのご指導は県警本部長に私から進言致しますので……」

「いいえ、結構です。警視正に意見したのです。それ相当の覚悟があるのでしょう。処遇は追って通達させます。」


…んまあ! 何この言い方!


湖洲香は内心で憤慨した。

紅河がボソッとつぶやく。


「まるで使い手を負傷させることが目的みたいに聞こえるなぁ。新渡戸って刑事ももしかして……」

「紅河君!!」


風見が顔を真っ赤にして紅河を咎めた。

伴瓜が紅河を見る。

その大きな目は黒いガラス玉のように表情を変えず、まるで物でも眺めるかのように、じっと紅河を見つめていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「お約束の三日まであと数時間ありますが、ひとまず報告書をお納め下さい。」


南條探偵事務所を訪れた鈴木尚子すずきなおこは、ブラックのアイスコーヒーをテーブルに置き、代わりに調査報告書を手に取った。

表題には『武儀帆海むぎほのみ遊野ゆうやに関する調査報告』とある。


蓮田はすだ根津ねづ


武儀遊野の死因報告部分を見た鈴木は、両腕の力が抜けたようにパタリと膝へ報告書を下ろした。

小刻みに身体を震わせている。


「ん……ん……」


そして、しゃっくりをする様にビクッ、ビクッと二度身体を大きく震わせた。

その時、治信はるのぶの携帯が振動した。


「ちょっと失礼します。」


治信がメールを見る。

この事務所の別室にいる義継よしつぐからだった。


『薄い黄色から黄緑に変化 明滅を始めた』


治信はメールを閉じると、優しい口調で鈴木に言った。


「大丈夫ですか。」


鈴木は眼鏡を外し、胸のポケットに押し込むと、バッと顔を上げた。

その表情は、若干目が吊りあがり、口元は笑っている。


「ひはは! 大丈夫だ。蓮田と根津がやったのか、ゆうちゃんを。くひひ。」


暗くうつむいて話す低血圧のような鈴木尚子は、そこには居なかった。

治信は軽く微笑んだ表情を崩さず、努めて冷静に言った。


根津尊ねづたけるは当時十歳、おそらく強制されたのでしょう。」

「あひはは、そうか。蓮田に指示したのは誰だ?」

「そこまでは掴めていません。蓮田の独断の可能性もありますね。」

「蓮田は二十五歳、勝手に根津を連れ出せるのか? 上司がいただろ。」

「当時の蓮田の上司は報告書に記載してあります。」


鈴木はサッと報告書を覗き込み、ペラペラとめくった。

遠熊蒼甫とおくまそうすけを含む数名の名が記載されている。

だが、当時の特殊研究班幹部は既に他界していた。


「なんだ、みんな死んでるのか。きひっ。」

「はい。」

「当時の刑事局局長は誰だ?」

皇藤こうどう氏です。」

「どこにいるんだ?」

「後に次長を経て警察庁長官に着任していますが、今は現役を退いており、所在までは調べていません。」

「次はそいつを調べてくれ。」

「ん、その前に……」


治信はタバコを一本取り出し、咥えた。

鈴木が顔をしかめる。


「煙草はやめてくれよ。」


治信は「これは失礼」と言うと、直ぐにタバコをケースに戻した。

吸うつもりは無かった。

確かめたかっただけだ。


…人格も習慣すらも豹変、か。


「一つ確認したい事があります。イエスかノーで結構です。」

「なんだ?」

「この報告書には欠落があります。それは姉の帆海ほのみさんの所在です。お知りになりたいですか?」

「イエス。」

「ではお答えしましょう。」


治信は軽く腰を持ち上げて座り直し、言った。


「武儀帆海さんは私の目の前にいます。あなたです。」


ほんの数秒、鈴木は息を止めたかのように治信を見たまま固まった。

そして、ん、ん、と身体を震わせると、ガクンと頭を垂れた。


「ひう、う、うう……」


そして下を向いたまま、ガサゴソとバッグをまさぐり、タバコを取り出した。


「うう、あの、一本、いいですか……」

「どうぞ。」


鈴木はタバコに火を点けると、震える手で胸のポケットから眼鏡を取り、掛けた。

思い出したようにアイスコーヒーをすする。


「い、いろいろ、有難うございました……フゥー……」

皇藤満秀こうどうみつひでの所在、どうして知りたいのです?」

「フゥ、あ、いいです……」

「そうですか。」


再び義継からメール。


『黄緑から薄い黄色に変わった 明滅してない 非能力者と同じ光り方』


「では、調査はここまでで宜しいでしょうか。」

「コーヒー、おいしい……」

「気に入って頂けたのなら、また飲みに来て下さい。出来ればご依頼を持って。」

「商売上手……」

「あはは。」

「あ、の。」

「はい。」

「変な人だって、思ったでしょ……」


…ん、人格が変わった後も記憶は繋がっているのか?


「何がです?」

「私、変わるんでしょ、人柄……」


…そうだ、黄緑の時に出た皇藤の話が、黄色の時も伝わった。


「ご自覚、あるのですか?」

「はい……でも、自分では変わったとは思ってなくて……」

「そうですか。そうですね、タバコ、先程は嫌がっておられました。」

「はい、嫌になったり、吸いたくなったり、変ですね……」

「どうでしょう。変かどうかは私には判りません。心理学の学者さん、紹介しましょうか?」

「あ、いいです……」

「そうですか。」

「あ、の。」

「はい。」

「南條、さんのような、人、好きです……」

「お、これは光栄です。」

「コーヒーのドリップ、教わりたい……」

「そうですか。レシピを書いてメールでも送りましょう。」


鈴木はチラッと一瞬治信の顔を見て、またすぐに顔を伏せた。


「嬉しい……」


鈴木のアイスコーヒーが無くなるのを見て、治信は言った。


「申し訳ありませんが、仕事が立て込んでおりまして、そろそろ、宜しいですか。」

「あは、はい……あ、の。」

「はい。」

「南條、さん……」

「はい。」

「ゆうちゃん、遊野、どうして死ななければならなかったのかな……」

「緑養の郷、その裏の顔を事実に基づいた範囲で記載してあります。そこに原因のヒントがあるかも知れません。」

「あ、はい……あ、の。」

「はい。」

「私、悲しくて、辛くて、あ、こんな、探偵さんに、あ、ゆうちゃんはよく笑う弟で、とても可愛い笑顔で、私は、私を、逃げてって、逃がして、逃がしてくれて、言葉も、私が教えて、やっといろいろ言葉覚えて、可愛くて、あ、こんな話、迷惑……」

「帆海さん。」

「は、い。」

「私との会話、気持ちが落ち着いたりしますか?」

「あ、ん、あ、はい、好き、です、南條、さん……」

「そうですか。大サービスです。今日は時間が取れませんが、来週の日曜にまたお話ししませんか? 費用はいりません。」

「ああ、ええ、いい、んです、か……」

「はっきり申しましょう。私も探している人物がいます。帆海さんなら何かご存知ではないかと思いまして。」

「知ってれば、はい、言います、日曜、次の、あ、あ、の。」

「はい。」

「コーヒードリップ、使ってる器具、も、メール、欲しい……」

「ええ、いいですよ。」

「ああ、来て、良かった、南條さん、私、あ、帰ります……」

「お疲れ様でした。お気を付けて、武儀帆海さん。」


うつむき加減の鈴木の顔、そのチラリと見えた口元は、引きつらせたように『への字口』と『笑み口』を繰り返していた。

治信は感じた。

鈴木尚子……武儀帆海は何か救いを求めている。

それが弟の仇に対する怨みだけであるならばどうすることも出来ないが、別の何かであるならば、依頼人を助けるのも探偵の仕事だ。

偏見や先入観を捨て、親身に話を聞こう、と思った。

書斎にしている部屋のドアが開き、義継が出てきた。


「不思議なもんを見たなぁ。あれが武儀帆海か。」

「ああ、能力発現の謎と、能力消失の手掛かりを握っているかも知れないな。」

「紅河クンも言ってるけどさぁ、いないんだよな。」

「何が。」

「使い手に、根っからの悪人。」

「逮捕された穂褄は?」

「真逆。あれは正義感のかたまりだよ。」

「そうか。……てことは、相対的な悪人はどこのどいつだろうな。」

「どいつだろうね……」


義継は大きなあくびをし、コロンとソファに横になった。

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