懐疑警護 10.
『やはり使い手など大したことはない。
自然放電は起こせても、落雷自体を操作出来る訳ではないようだ。
所詮はこけおどし、デパートは壊せても、俺には怖くもなんともない。
警察は護衛にと俺に若邑警官を付けているが、逆に俺が守ってやっているようなものだ。
パイロキネシスがどうのと騒いでいたが、傘で防げる程度の火など、笑わせるな、と思う。
明日は風見紗夜という使い手の実力を見てやろう。
風見は伴瓜の護衛で下洛山四丁目付近を通る。
県道を通り掛かったところで計画を実行する。』
穂褄は眉間にしわを寄せ、険しい表情をした。
紅河宅に伸ばした青い『光の帯』は、紅河本人をキャッチ出来なかった。
外出先の手掛かりを探そうと紅河の部屋を透視した時、机の上にページの開いたノートを見つけた。
日記、とは少し違うようだ。
穂褄は『光の帯』の先端を伸ばし、ノートに触れてその表紙を視る。
『使い手の実態 No.4』とある。
…紅河淳、やはりお前……いや、あからさま過ぎる。何かの罠か?
穂褄は考える。
使い手を観察し、嘲笑うかのような記録文。
若邑に『腕を切り落としてしまえ』と指図していた紅河。
火災の発生したデパートの五階に躊躇なく入ってきたのは、スピリウルの炎操作能力を甘く見ている現れか。
あの時の紅河の表情は恐怖に引きつっていたかに見えたが、それでも懲りていないのか。
やはり篠瀬を死に追いやったのはこいつなのか。
…下洛山四丁目、県道。
伴瓜が明日、県の所轄署へ外出することは穂褄も調べていた。
そして、その護衛として確かに風見が同行することも判っている。
紅河のノートにある『計画』とは何なのか。
風見の実力を見る、とあるが、何をするつもりなのか。
まさか、警察車両を襲う気ではないのか。
全国大会出場を決めたサッカー部に所属する高校生が、その様な馬鹿げた行動を取るとは思えない。
紅河という少年は、一見表情の読めない常に不機嫌そうな印象の高校生だが、非常識な行動を取るようには見えない。
だが……だがしかし、警察庁に無断侵入したり、あの白楼に入館したり、篠瀬を尾け回したりと、使い手絡みでは不審な行動が見られる。
…考えようによってはチャンスか。
伴瓜と紅河を同時に手に掛けるチャンス。
紅河には、篠瀬尾行の真意をまだ問いただしていない。殺してしまうのは早計だ。
だが、伴瓜襲撃に巻き込まれた事故であれば、それは自業自得だろう。
のこのこと伴瓜に近付く方が悪いというものだ。
…何かの罠かも知れないが、遠隔火炎なら関係ない。
もし紅河が警察車両に何か仕掛けようとしているなら、車両炎上の事故が起きても紅河が疑われるように見せかけることも出来よう。
穂褄はふと、透視の視界にチラつく腹立たしい紅河のノートを燃やしてしまいたいという衝動に駆られた。
だが、年下の子供の挑発に乗るようで面白くない、とも思い、青い『光の帯』を収めた。
日曜、午前八時十二分。
県道は下洛山四丁目付近を中心に上下五キロメートル、合計十キロメートルで交通規制が敷かれ、車両の通行は無かった。
鳥のさえずりの中、県道脇の山林に隠した原付バイクから義継が手動灯油ポンプでガソリンを抜き取って捨てていた。
「紅河くーん、ちょっとくらい残さないか、帰りの分。」
「いや、悪いけど全部捨てて。空っぽでよろしく。」
紅河はツルハシの金属部分を木柄へ固定し、バットのスイングのように横向きに素振りしている。
…もう少し重いのが良かったかな。
チラッと義継の原付バイクに目をやる。
義継がその視線に気付いた。
「え、おい、いやいや、試すのは勘弁してくれよ。結構大事にしてるんだ、これ。」
「あ、そ。」
紅河が残念そうな声を出して肩にツルハシを担いだ時、義継の目が急に据わった。
「ん、来たぞ。運転は非能力者の知らないおっさん、助手席に湖洲香さん、後ろに伴瓜と風見さんだ。」
「車種は?」
「調べたあれと同じ。覆面パトカータイプ。」
「ほい。宜しく。」
「了解。」
義継は灯油ポンプを原付バイクから抜き取りつつ、目を閉じた。
…時速七十キロってとこか。空走距離とブレーキング距離で五十メートルは滑るな。
義継の表情が真剣になる。
心の中でタイミングを計る秒読みをする。
…五、四、三、二、一……ここだ!
スパアァンッ!キイキキキキキィィ……
義継が白い『光の帯』で前輪をパンクさせた。
湖洲香と風見に事前に知らせていなければ、それはあっさり防がれただろう。
路面とタイヤが擦れる悲鳴が長閑な山間に響き、覆面パトカーは県道上に斜めに止まった。
「ナイス。後はそこで見てて。んじゃ行ってくる。」
紅河は義継にそう言うと、覆面パトカーに向かって歩いて行った。
車道脇の木々の間からツルハシを担いだ体格の良い少年が現れ、運転していた警察庁組対の警官は懐の拳銃に手を差し入れる。
運転席から出ようとドアに手を掛けた時、現れた少年が誰なのかに気付いた。
伴瓜も気付く。
白いTシャツにジージャンを羽織り、下はジーパン姿だが、顔を見れば一目瞭然、湖洲香が護衛している対象の紅河少年だ。
組対警官は窓ガラスを下ろし、険しい目を向けた。
「何の真似だ、紅河君。故意の器物損壊は君と言えど見逃せないぞ。」
「そすか。」
紅河は平然と車の周りを歩き、後部の給油口を確かめると、手で車のボディを撫で下ろした。
「んーと、この辺だったかな。」
涼しい顔でツルハシを真横に振り被る。
「やめなさいっ! 紅河さんっ!」
助手席から聞こえる湖洲香の芝居掛かったセリフに、紅河が内心ツッコむ。
…そのコント台詞をやめなさいよ。笑って力が入らん。
ドガアァン!ガァン!……ギギギ……ガアァンッ!
あろうことか、紅河は車のボディにツルハシを打ち込み始めた。
フルスイングよろしく、車に大穴が開く。
ジョポッ、ジョポッ、ジョボジョボジョボ……
開いた穴からガソリンが漏れ始め、周囲に臭いが立ち込める。
「おい! 何を! やめるんだ紅河君!」
組対警官がドアを開け、紅河を抑え込もうと外に飛び出した時、風見が後部ドアを開けながら叫んだ。
湖洲香もほぼ同時に声を出した。
「青出現! マルサン! 車体八時方向! 警視正! 降りて私の背後へ!」
「青ですわ! 左後ろ!」
義継にも視えている。
原付バイクの横でゆっくりと立ち上がり、腕を組んで成り行きを見守る。
打合せ時の紅河の言葉が頭を過る。
『最優先で守るのは湖洲香さんだぞ』
…わかっているさ。けどね、今の僕は紅河クンのガードを任されているのでね。
義継は貯水池の位置を素早く確認した。一キロメートルくらい離れた場所にある。
いつでも組み上げて放水出来るよう、白い『光の帯』を待機させた。
組対警官は拳銃を抜き出し、周囲に目を泳がせている。
そして紅河は、ガラーンとツルハシを投げ捨てると、ポケットから拳銃を抜き取った。
…もたついたらやられる!
組対警官の「何をする気だ」という声をよそに、紅河は素早く風見に近寄り首に手を回した。
風見の女性用コロンの香りが紅河の鼻を軽くくすぐる。
すかさず湖洲香が伴瓜の手を引き、紅河と風見から離れた。
紅河は拳銃を風見のこめかみに当て、小声でささやく。
「お願いします、風見さん。」
「うん、やってみる。」
風見はクリーム色の『光の帯』を青いマルサンに絡ませ、テレパシーを試みた。
『穂褄さん、ここは退きなさい。危険な少年に銃を突き付けられた。この状況に便乗するなど愚かな罪の上塗りよ。ゼロ距離拳銃では私は死ぬかも知れない。でも若邑さんだけは守りたいの。使い手をこれ以上死なせたくない。あなたは退きなさい!』
『青』からの返答は無い。
脳に直接干渉する精神感応と違い、伝わっているかどうかの感触が判らない。
だが、風見は経験上知っている。
『光の帯』同士の接触による精神感応は次元の壁を超えて鮮明に伝わることを。
穂褄は刹那考える。
風見が、あの風見紗夜が、使い手をこれ以上死なせたくないと言っている。
白楼のθ塔を破壊した狩野を説得し、幽体離脱した雅弓を助けた風見。
指名手配されているであろう自分に対し、退け、と言っている。
…いいえ、風見さん。俺は……
車から十メートルほど後方に、熱気で起こるような揺らめきが生じた。
その揺らぎの中に、フッと唐突に人が現れる。
組対警官が、湖洲香が、現れた人物に警戒態勢を取った。
伴瓜は、その三白眼で男と紅河を交互に睨んでいる。
…穂褄庸介。
空気の波打ちが治り明瞭に姿を現した男はスッと右手を前へかざし、叫んだ。
「紅河淳! その人を離せ! 俺が決着を付けてやる!」
やっぱりな、と紅河は思った。
これまでの穂褄の行動から、自分の正義の為なら前へ出てくる漢気を持っている人物だ、と紅河は感じていた。
そして、風見たち刑事局の使い手をも同胞と見ているであろうことも知っている。
風見に、自分は死ぬかも知れないがお前は逃げろ、と言われたら、取る行動は一つだ。
風見を助け、狂った少年を倒す、その一択だ。
…ちょっとカッコイイじゃないか、穂褄。
ここまでは計画通りだ。
だが、勝負はここから。
紅河は風見を軽く突き放すと、右手の拳銃と、そして空手の開いた左手の平も穂褄へ向け、言った。
「穂褄さん、か? あんたのショボい火では無理だよ。」
「無理、だと?」
穂褄は右手を紅河へ向けたまま、一歩足を踏み出した。
紅河は内心祈る。部屋へ残してきた挑発のノートを見ていてくれよ、と。
風見の『眼』に、湖洲香に、そして義継に、青にオレンジが脈打つ『帯』が蛇のようにヌラッと現れたのが視えた。
それは、紅河に向いている。
風見が叫ぶ。
「マルサンです! 退避! 紅河君も逃げなさい!」
風見が組対警官の腕を掴み車の陰に後ずさった。
湖洲香も伴瓜の手を引いて距離を取る。
一キロメートル離れた貯水池で、白い『光の帯』がザブッと水を大量にすくい上げた。
だが、紅河は下がらない。
一歩も、下がらない。
「眼の前に迫ってる! 紅河君!!」
風見が感極まり悲鳴のような金切り声を上げた。
そして、紅河を退避させようとクリーム色の『光の帯』を紅河に伸ばす。
グルルルル……ガオオォォンッ!
だが、風見の『光の帯』は、何かに切り払われた。
「きゃっ!……え、な、なに……」
紅河の身体に触れる寸前、精神に突き刺さるような咆哮と共に、『光の帯』の先端が食い千切られた。
湖洲香が震えた声を発する。
「あ、あ、アルプスさんですわ……噛まれます、紅河さんに触ろうとすると……」
風見は驚愕の表情で湖洲香に目を向けた。
「え、で、でも、若邑さん、デパートでは五階から紅河君を引っ張り出したって……」
「はい、あの、触れないから、紅河さんに、こう、ぷわっと、こう、触らないで、ぷわっと丸く包んで……」
穂褄が目を細める。
…スナール。あれか。あんな見境のない凶暴なスナールは初めて見る。だが……
「……だが、炎にスナールは関係無い。」
…バチッ……ボッ……メラメラメラ……
紅河と穂褄を結ぶ直線上、その空中に、炎の帯が突如現れた。
額から汗を落としつつ、紅河は慎重にその炎を観察する。
…いきなり飛ばして来ない。放電点火のバチっという音。そしてこの後、ある地点から加速して放射される炎。
理論通りの現象が起きている。
そして、最も重要なチェック。
…蒸気、グツグツという沸騰音……ある! いける!
これまでのパイロキネシスには見られなかった現象、水蒸気を同時に発生させている。
仕掛けは成った、と紅河は確信した。
彼は拳銃を持った右手をゆっくり下ろした。
そして、開いた左手をかざしたまま、穂褄に向かって叫んだ。
「無駄だ! そんなもの、俺の魔力の前では無力だ! 今消してやろう、その炎を!」
「魔力? 何を言っているんだ、こいつは。」
穂褄が嘲笑った。
「車両から離れて! 引火したら爆発もある!」
風見が叫び、伴瓜ら四人は更に後方へ下がっていく。
湖洲香の泳いだ目が、涙目になりつつある。
…本当に、本当に大丈夫なの、紅河さん!
そう言えば似た様な状況が前にもあったな、と湖洲香は思い出す。
白楼で、昏睡状態の被験者たちから伸びる透明の帯が一斉に暴れ出した時、小林京子が一人、透明の帯の中に飛び込んで行った。
その時も気が気ではなかった。
小林さん、本当に大丈夫なの、と祈るばかりであった。
だが、今のこの状況はどうだ。
紅河は炎を遮るものなど何も持っていないではないか。
魔力とか言っているが、そんな力、紅河には無いはずだ。
…水、そうだ、せめて私も水を。
湖洲香も貯水池へ赤い『光の帯』を伸ばした。
義継は、頭上に大量の水を浮かべたまま、腕を組んで黙って佇んでいる。
ゆらゆらと紅河へ伸びてくる炎の大蛇。
紅河はそれを睨み付け、かざした左手をグッと伸ばし、言い放った。
「この手が閉じられると同時に、穂褄、あんたの炎は消える!」
そして、紅河はゆっくりと左手を握り始めた。
「何を馬鹿な。……焼かれろ! 紅河!」
穂褄の炎が加速した……かに見えた。
だが、紅河の左手が閉じられ拳になったと同時に、炎は急激に弱まり、空中に点々と断末魔のようなか弱い火を残し、やがてそれも消えていった。
「な、な……」
驚いたのは穂褄だけではなかった。
風見も、組対警官も、湖洲香も、口を開けて茫然としている。
伴瓜は、表情を変えず紅河の背を見続けていた。
…なんだ、なんなんだ、なぜ……
何が起きたのか瞬時には判らなかった穂褄は、ガク、ガク、と数歩後ずさった。
彼には、握った左手を真っ直ぐかざしこちらを睨んでいる紅河が、何か得体の知れない化物に見えていた。




