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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
167/292

懐疑警護 9.

二階建八部屋、小綺麗な白い洋風アパートが義継よしつぐの自宅だった。

紅河くれかわは義継に従ってその二階、204号に上がって行く。

立ち寄った紅河宅では、義継は母や妹に会ってくれなかった。

義継は一見ごく普通の、いや少し変わり者の健康な少年なのだが、他者と関わりを持ちたくないという自閉的なところは異常なほど頑なだ。

それは対人恐怖とは違い、初対面の相手でも気後れなく会話することは出来る。

むしろ相手の方が萎縮してしまうくらい、義継は堂々と話す少年だ。

その深層心理には『自分は他者に害を成す存在だ』という固定観念、もしかしたら一種の脅迫観念のようなものが在る、と義継は自ら語る。

それでも、紅河は思う。

異常な実母から救い出してくれた幼女、妹の光里ひかりにはいつか会ってあげて欲しい、と。

そして、そういった心的障害を話してくれた義継に嬉しくもあり、大事にしなければならない友人だ、とも思う。


義継の自宅、204号室はフローリングの床に白い壁の明るく清潔な部屋だった。

そして、物が非常に少ない。

テーブル、椅子、冷蔵庫、クローゼット、パソコン、テレビ、ベッド、と一通りの生活家具はあるのだが、雑貨や趣味に関するような物が一切無かった。

生活臭が無い、といった、ある意味殺風景な部屋である。

紅河は、もしかしたらこのアパートは外向けの仮部屋で本当の自宅は別にあるのかも知れない、と思ったが、特に詮索しなかった。


「シャワーは?」

「学校で浴びてきたから大丈夫だよ。」

「へぇ、桜南サッカー部はシャワー室まで完備か。さすが私立。」

「どこでもあるだろ、運動部共有のが。」

「そうなのか。」

「急に押しかけることになって、なんだか悪いな。」

「いいよ。今日はこの部屋を自由に使ってくれ。」

「義継クンはどこで仮眠を取る?」

「この下、104も僕の部屋。」


そういうことか、と紅河は納得した。


「ちなみに、これ、ここから104に降りられる。けど、下は立ち入り禁止。んで、104号室は別名義で借りてるので、この構造は内緒で頼む。」


床の隅に引き上げて開く収納ドアのようなものがあり、義継はそれを指しながら言った。


「了解。」


紅河はコンビニのビニール袋をテーブルに置き、飲み物を二本取り出すと、一本を義継に手渡した。

義継は無言でそれを受け取りつつ、ベッド横にあるキャスター付きテーブルのパソコンを起動させた。

マップツールを開く。


「場所はこの辺だったっけ。」


紅河が覗き込む。


「これ、縮尺は? 半径五キロに出来る?」

「ほい……こんな感じ。」

「うん。これが県道で、伴瓜ともうりはこっちからこっちへ車移動、のはず。」

「他のルートを通る可能性は?」

「おそらく無いと思う。この、手前にある橋を渡らないとかなり遠回りになるし、そこを渡ればまともな車道はこの県道一本だ。」

「脇道にそれることはないか?」

「調べるか。ちと拡大してみて。」


義継と紅河は計画実行ポイントの周辺の道を全て細かく調べ始めた。

民家もほとんど無く緑地に覆われており、枝道がいくつも突き出しているが、結局は県道に出てくるしかない袋小路のようだ。


ムームー、ムームー……


義継の携帯電話が振動する。

表示をチラ見して、そのまま紅河へ手渡した。


「あ、もしもし、紅河です。」

『南條だ。交通規制の件、何とかなったが、崎真さきまさんにはそうとうごねられたぞ。』

「すみません、助かります。」

『それから、ポイントの先のガソリンスタンド、間違いなく閉鎖されている。ここの偽装開店は私の方で手配出来るが、従業員役の者に想定されるリスクはどうなんだ?』

「日曜ですし、無人でいいですよ。」

『了解した。給油機の電源は生き返らせておくが、まともに動くかどうかまでは保証出来ないぞ。』

「大丈夫です。セルフ開店中だと見た目で判れば充分です。」

『わかった。この計画実行の条件を改めて言うが、湖洲香こずかさんが必ず伴瓜に同行していることだ。彼女のテレキネシスが望めない場合、サイコスリープに落ちている場合も含めて、中止だ。それだけは守ってくれよ。』

「はい。」

『パイロキネシスのロジックが君の理論通りでは無かった場合の防御策と退路、義継と充分にシミュレーションしておくんだぞ。』

「はい。」

『不測の事態は必ず起きる。何か欠落が出たら即中止、迷わず逃げるんだ。』

「はい。」


紅河は素直に返事はしていたが、内心では湖洲香はおろか、義継にも現場には来て欲しくないと未だに思っていた。

穂褄ほづまを止めるのに、使い手はいらない。

自分と、拳銃携帯の警官が一人いれば充分だ。

使い手は『視える』が故に独自判断で危険行為を行いかねないからだ。

湖洲香や義継を危険に晒したくはない。

正直なところ、穂褄が炎ではなく第一階層テレキネシスで攻撃してきたらひとたまりもない計画だ。

それを考えると恐怖心に足がすくむ。

だが、パイロキネシスであるならば使い手は不要だ。

しかしそれを口にしたら治信はるのぶは協力してくれなかっただろう。

段取りが、事前準備が全てを決する。

最大の不安要素は、穂褄が『二つの餌』に釣られてくれるかどうか、である。


「野宿はここか。」

「そうだな。」

「蚊とか多そうだな。」

「嫌なら来なくていいよ。俺一人でも出来る。」

「それがさぁ、紅河クンの護衛役に、高いバイト料もらっちゃってるのよ。兄貴に。」

「あれは? ツルハシは?」

「通販で買った。そろそろここに届くよ。」

「重さは?」

「3.3kgって書いてあったかな。」

「ほい。」

「そもそも、僕が行かなかったら、どうやって伴瓜の足止めを?」

「車に石を投げて窓を割る。」

「六十キロで走ってる車にか?」

「まず道の真ん中に立つ。そうすれば嫌でも停まるだろ。」

「紅河クンさ、賢そうで、結構頭悪いな。」

「まあな。」

「くくくく。ま、とりあえず今のうちに寝ておくよ。」


義継はそう言うと、床の引き上げ扉を持ち上げ、梯子を降りて行った。

紅河はコンビニの袋からガサっとおにぎりを一つ取り出し、ポケットから外部ストレージを取り出すとパソコンに挿した。

サッカー部スタメンの初期配置シミュレーターが画面に映し出された。

そして独り言ちる。


「んん……やっぱ、須崎すざきがセンターフォワードってのも有りだよなぁ……」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


山間に囲まれ緑が多く、鉄道が整備された二十年前にはベッドタウンとして話題を呼んだ新興住宅地だったが、建売住宅として似通った外観の家が連なるここは、今や空き家が増える一方だ。

世界経済恐慌の煽りで住宅ローンを抱えたままの失業者が増えたのが数年前、低所得長時間労働を強いられる環境では、都心まで約一時間半かかるこの住宅は手放さざるを得なくなったという背景がある。

その住宅の一つに、『工藤』という表札が出ている。

小振りな庭は植物の手入れが行き届いており、家の窓辺には観葉植物も見受けられる。

その家のリビングで、穂褄ほづまはフィットニアの葉の間引きをしていた。

根株が蒸れないよう、通気性を確保してやるためである。

濃緑に赤い葉脈の通ったフィットニアの葉が、プルっと健康的に揺れる。


新渡戸にとべ風見かざみ、そして若邑湖洲香わかむらこずかまでもが、盾となって伴瓜を護っている。

職務への責任感なのか、それとも洗脳なのか。

野神のがみと話した感触では、葛藤も垣間見えた。

気付いて欲しい。

気付けよ。

使い手を道具にして使い手を殺す。

その諸悪の根源が何なのか、に。

気付いていても尚且つ、のさばらせておくと言うのか。

脱走者の半数は刑事局に殺された。

その理由は何だ。

蓮田忠志はすだただしなど、単なる私怨に端を発していたではないか。

その私怨が、無関係な使い手をも葬っていく。

止める。

やり掛けたことだ。

この不幸の連鎖を止めて見せる。

今、まだ命ある能力者たちには幸せになって欲しい。

篠瀬しのせの無念を、武儀むぎの傷みを、美馬みまの怒りを、奈執なとりの悲しみを、少しでも和らげてあげたい。

刺し違えてでも、伴瓜だけは消す。

杉浜光平すぎはまこうへいは包帯の男に任せればいい。


「終わらせる……」


自分は十八まで普通の暮らしが出来た。

傷害の疑いで補導された、あの日までは。

使い手の身内や知人を失ったわけでもない。

他の脱走者に比べれば、充分幸せな人生だった。

小さいながらも一戸建住宅を手に入れ、緑の多いここで静かに暮らせた。

これはきっと、自分の使命だ。

神の存在など信じないが、あの日に傷害事件に巻き込まれたのは何かの天啓かも知れない。

あまりにも悲し過ぎる能力者の事実を知り、仲間の存在へと導かれた。

はたから見れば、少し気の触れた男に見えるかも知れない。

解るはずがない。

我々の傷みなど、誰にも理解出来ない。


「俺たち使い手は、何も悪い事などしていなかった……」


穂褄はフィットニアの葉に再び触れた。

光沢があって若々しい葉が揺れる。

植物は何も言わない。

自然環境の中で生存競争を繰り返しながら、逞しく生きている。

そして、自然を自然として育んでいく。

人には、なぜこんなにも複雑な感情というものがあるのか。

達観してしまうならば、伴瓜にも、あの蓮田にも、それぞれの信念や正義があるのだろう。

だが、それは我々を不幸にする。

また、自然界に恵みをもたらすものでもない。

植物は何も言わない。

手を出す者に牙を剥く植物もあるが、種の保存の為に粛々と、受動的に戦っているに過ぎない。

そして、自然を浄化し続ける。


…もし生まれ変われるなら、植物になりたい。


穂褄は目を閉じ、覚悟を決めた。

奈執はもう手を貸してくれないだろう。


…偵察だ。伴瓜と、紅河淳の動向を探る。


彼はテレポーテーションに入った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


都内高級ホテルの一室。

アイスクリームを食べながらテレビを見ていた雅弓まゆみは、リンリン、という鈴の音のような音を聞き、ドアの方へ歩いて行った。

ドアの外から声がする。


似広にひろです。」


雅弓はドアを透視し、その姿を睨むように視る。

少々お腹の出た小肥りの男性であった。

目は細いが、笑ったような顔つきをしている。


「ニヤニヤ紫オジン。」


そう呟くと、オートロックのドアを内側から開いた。


「遅くなってごめんなさい。入るよ。」

「あの人は?」

「あの人?」

「金色。テレパシーだけ。」

「ああ、彼は仲介してくれただけなんだ。雅弓さんの保護者になりたいのは私だ。」

「あやしい。」

「学校に通いたいと聞いたんだけど。」

「そうだけど。あやしい。」

「それは、初対面だしね。」


似広と名乗った男は室内に入り、ドアを閉めた。


「ほんとに学校行けるの?」

「うん。まあ、焦らないで。私の話からさせてもらうよ。」


二人はソファに掛けた。


「それ、ルームサービスかい?」

「冷蔵庫の中。」

「お、まだある?」

「あるけど、チョコは私の。バニラはいいよ。」

「おお、もらおうかな。」


似広はそそくさと冷蔵庫からバニラアイスを取り出し、ソファへ戻って来た。


「私は似広悟にひろさとる。使い手だよ。」

「見た。紫。ニヤニヤ紫オジン。」

「オジンはひどいなぁ、私はまだ三十二歳だよ。若いんだ。」

「若くない。オジン!」

「君から見れば、そうかもね。」

「県警から行きたい。」

「ん?」

「学校。」

「ああ、んー、それは難しいかな。」

「だって、私の部屋、県警。」

「まあまあ、順番に話そう。」


似広はアイスを一口食べると、テーブルにあった氷水をコップに注いだ。


「私は、妻と娘を亡くしている。」

「え。」

「正確には、妊娠していた妻を亡くした。お腹には娘がいた。」

「死んだの?」

「うん。妊娠八ヶ月で、性別も女の子と判っていて、でも殺されてしまった。」

「かわいそう……」


似広を見る七歳の雅弓の表情に嘘や取り繕いはない。

優しい子なんだな、と似広は思う。


「それでね、雅弓さんが学校に行きたいという話を聞いて、私も娘が出来るのは嬉しいことだから、是非養女になって欲しいと名乗り出たんだ。」

「ようじょ?」

「学校に通うには保護者がいる。雅弓さんに私の娘になってもらうってことさ。」

「え! やだ!」

「あれ、里親の話、聞いてないかい?」

「聞いた!」

「私の娘にならないと学校には行けないよ。」

「イオリはほごかんさつ終わったら行けるって言った!」

「保護観察が解けた後でいいのかい? いつ解けるんだい?」

「え、んと、まだ……」

「すぐに行きたいんだろう?」

「うん……」

「それには誰かの娘にならなければならないんだよ。」

「じゃあイオリとハルノブの娘になる。」

「なってくれるのかい?」

「んと、まだ聞いてない……」

「聞いてから、私とまた話すかい?」

「え、うん、あ、でも……きっとダメって言う。」

「なら、私の養女になるのが早いよ。」

「オジン嫌い。」

「おっと、はっきり言うなぁ。」

「大人は最初笑ってても、後ですぐ怒る。」

「うん。そうだな、私も雅弓さんが悪いことをしたら怒るだろうな。」

「……」

「学校に早く通いたいか、県警に戻って一人で勉強するか、決めるのは雅弓さんだよ。」


雅弓はアイスクリームを口にしながら目を泳がせた。

楽しい学校生活が頭を過る。

また、初めて自分の部屋を用意してもらい、家具を一緒に選びに買い物に出た時の赤羽根あかばねの顔も過る。

どうしたらいいのか。

両方は無理なのか。


…コズカだって学校行ってるし。


雅弓はポケットから注射器を取り出した。

押子を親指で押す。


にゃあ


そして、似広に上目遣いを向けた。


「行きたいな、学校。」

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