表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
166/292

懐疑警護 8.

東京近郊の、とあるマンション。

十二階建てのそれは、国道から脇道に反れ五百メートル程入った住宅街の中に在った。

治信はるのぶはバイクのエンジンを切るとフルフェイスヘルメットを脱いだ。

最上階を見上げる彼の目に、やや傾きかけた夏の日差しが眩しく突き刺さる。

マンションの脇には濃い緑をたたえた街路樹が、身じろぎもせず整然と立ち並んでいた。


…十二階、似広悟にひろさとる


鈴木尚子すずきなおこの依頼、武儀むぎ姉弟の調査はまだ未完だったが、失踪した雅弓まゆみの手掛かりを探すことも加味すると、治信の勘ではここになる。

印刷業者勤務、年齢三十二歳、独身。

売込み営業を装ってその印刷業者へ電話をしたところ、似広にひろは社内にいた。

今日は土曜であるが、イベントの多い夏休みが近い今は印刷業者も忙しいのだろう。

と言うことは、この自宅は留守である。

それで良い。

治信が調べたい事は、留守の方が都合が良かった。


マンションに入り、エレベーターに乗る。

内装は清掃が行き届いているが、床や壁、所々に摩耗などの劣化が目に付く。


…都心まで約一時間、月十三万の賃貸にしては、少々古いな。


十二階に着き、廊下を進む。

監視カメラらしき設備が天井の数カ所に見られるが、ごく一般的な管理用程度のものである。

『似広悟』というフルネームの表札が付いているドアの前で、治信は足を止めた。

南東に向く角部屋、おそらくは最も家賃の高い部屋だろう。

まず、呼び鈴を押す。

反応は無い。


…よし。


治信はバイク用グローブを外し、薄手の白手を付けた。

そして、ピッキングツールを取り出す。


カチャ


鍵が開いた。

ドアノブを回し、ほんの数ミリ引き開ける。


…ドアチェーンが掛かっている。


オートや電動ロックではなく、普通に手ではめるタイプのチェーンである。


…いきなりストライクか?


治信が探しているのは奈執志郎なとりしろうの身元である。

手持ちの情報は義継よしつぐからもたらされた年齢、職種、背格好、そして人柄や気質の断片。

人懐こく話す、表情は柔らかく落ち着きがある、義継のジョークにもいちいちリアクションを返す頭の回転の良さ、私生活はある程度充実している余裕が伺える。

そして名前、奈執志郎。

簡単な頭の体操の様な遊びが好きであるならば、可能性がある。

偽名にアナグラムを用いる可能性。


奈執志郎 NATORI SHIROU

似広悟 NIHIRO SATORU


似広という苗字は珍しくあまりにもあっさりと辿り着いた為、実は期待薄かと考えていた治信だったが、ドアチェーンが掛かっていることから奈執である確率が上がった。

紅河くれかわから聞いていた情報、あの皆月岸人みなづききしとがアパートにドアチェーンを掛けたまま外出していたという事実。

おそらくこれは用心の為ではない。

外し忘れるのだ。

テレポーテーションで外へ出る時に。


…まだ五分五分だが、似広本人を画像に収め義継に見せれば真偽が判る。


治信はそっとドアを閉め、再びドアノブの鍵を掛け直した。

似広が奈執であった場合、武儀帆海むぎほのみ雅弓まゆみのことをどう聴き出すか。

治信は『弟の義継を尾行していた使い手』という理由付けで警察の能力者聴取へ引きずり出そうと考えているが、それもまずは会ってからだ、と思った。

湖洲香こずかに確保されそうになった穂褄ほづまを解放し逃したという点を除けば、義継との接見を聞いた限りでは危険人物とまでは見えないからだ。

治信はマンションを出るとバイクにまたがり、似広の勤める印刷業者へ向かった。


似広の勤める会社は、年商規模や経常利益からすると少々小振りな印象を受ける中小企業だった。

あの業績でこの社員数、労務費や固定費をかなり切り詰めているであろうことが推測出来る。

少数精鋭の優良企業と言えた。

おそらく社員一人頭の年収も悪くは無いだろう。

インク製造業者を装い似広との商談を終えた治信は、無音デジカメに収めた似広の画像を義継へ送信する。

数秒後に、返信を受ける。

治信はカツラと付け髭を取ると、ニヤッと笑った。


「なかなか優秀な営業マンだったが、迂闊だな、奈執。さて……」


奈執の職場と自宅は突き止めた。

次は……治信の中では若干危険な匂いがしている調査、依頼人である鈴木尚子の素性を遡る調査だ。

危険な匂いの出処は、鈴木尚子の住民登録、その年月日である。

篠瀬佑伽梨しのせゆかり野神のがみに話した『白楼はくろうを透視し始めた時期』に近いこと、そして、現登録の前、どこから移住してきたのか、その記録が見当たらない。

戸籍を洗うと、鈴木は五年前に養女として今の鈴木家に入っているが、その義父となった鈴木氏は尚子を養女に迎えた一年後に亡くなっている。

その死因は心不全、八十七歳の年齢と尚子を養女として迎える以前から患っていた症状から老衰扱いとなっていた。

尚子が義父の死に関与した可能性は極めて低い。

それは、義父が遺した遺書からも察せられる。義父は尚子へ、看病と孝行への感謝を綴っていた。

調査アプローチの段階を頭で素早く組み上げていく。

時計を見る。

十五時二十分。

午前中の奈執と鈴木に関する下調べで時間を費やしてしまったようだ。

赤羽根あかばねはもう起きただろうか。十七時には県警へ送らねばならない。

あの門守結姫かどもりゆうきとの約束だ。初対面の口頭約束は、その後の信頼を大きく変える。破るわけにはいかない。

治信がバイクにまたがりメットに手を掛けた時、携帯電話が鳴った。

義継からである。


「どうした。」

『紅河君と合流しました。話があるって。代わる……』

「……南條だ。」

『紅河です。わざわざ義継クンを、すみません。』

「いや。」

『ちょっと相談があります。』

「高いぞ。どんな内容だ?」

『お金のことは後で。穂褄を確保する方法を思い付きました。それで、これから話すことが可能かどうか、って言うか、可能にするにはどうしたらいいかを聞きたいんです。』

「確保する、だと? 紅河君が、か?」

『そうです。』


何を言い出すのか。

穂褄を確保する?

非能力者の高校生が?

呆れて物も言えない。

デパートを一つ破壊し、使い手刑事が一人大火傷を負わされた相手だ。

紅河には『マルサン』どころか『光の帯』自体が全く見えない。

一体何をしようと言うのか。

だが、紅河という少年は決して馬鹿ではない。

何を思い付いたのか……。


「そういう内容ならこの通話では相談は無理だ。昨日はあまり寝ていないだろう。後でそちらのご自宅へ電話するから早く帰りたまえ。」

『急ぎます。湖洲香さんから明日の伴瓜ともうりの行動予定を教えてもらっていて、やるタイミングには場所が重要になるんです。明日しかないんです。伴瓜をエサにして穂褄を誘き出す……』

「待った。ストップだ。わかった。今日早いうちにこちらから連絡する。」

『すみません。待ってます。』


通話を切ると、治信は自分の探偵事務所へバイクを向けた。

鈴木尚子の調査で一箇所立ち寄ろうとしていた場所があったが、それはキャンセルした。

尚子へ提示する調査報告書は、現時点でもまとめ上げることは出来る。

だが、気掛かりな赤羽根の様子と、不本意にも胸を高鳴らせてしまった紅河からの相談が優先だ。

聞こうじゃないか、紅河淳。

君の考えた、姿無き炎使いを仕留める方法というものを。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「……ん、う……」


目が覚めた。

夢を見たような気もするが、覚えていない。

そうか、そうだ、ここは南條探偵事務所だ。


「ん……」


ベッドの上で上半身を起こす赤羽根。

腕時計を見る。


「あれ。」


腕に時計が無い。

周囲を見渡す。

あった。

自分のシャツやブラジャーと一緒にベッドの脇のテーブルに置かれている。


…え。


「え、ええ、えええええええ!? な、な、なんでブラが……」


慌てて自分の上半身を見る。

見覚えの無いTシャツを着ている。


「な、え、な……あ。」


思い出した。

治信が出て行った後シャワーを借りた。その時の着替えにと出してもらったTシャツだ。

恐る恐る毛布をめくり、下半身を見る。

スウェットを履いている。


…そ、その下は……


自分の下着を履いていた。

どうやら脱いだ下着をそのまままた履いたようだ。

若干気持ち悪いが、まあいいか、と赤羽根は思った。

特査の仕事では丸二日下着を変えないことなど珍しくもない。

それに、もともと潔癖な方でもない。


「そだ、何時だ……」


十六時を何分か過ぎている。

携帯電話を取り、着信状況を見る。

通話着信は無い。

メールが数件、遠熊とおくま博士、湖洲香、門守かどもり、そして県警本部から。


…あちゃ、本部のメールは報告書催促だな。


メールを開くも、違った。

本部からのメールは喜多室きたむろの捜査進捗、そして午前九時に受理された査定報告書に追加検証あり、との内容だった。


…ん? 九時に出した報告書って何だ?


門守からのメールを開いてみる。


『アレ、完了させて出しといたナリ。一人で寂しいナリ』


一見ふざけた文章だが、業務の内容に関するメールが禁止されている特査において、この門守のメールには必要最小限の情報が網羅されていた。

赤羽根には読み取れる。

文章化が中途半端だったパイロキネシス分析の報告書、そのデータ挿入と報告文を完了させて提出した、ということだ。


「私のチェック無しに出したってか。勝手に使ったな、私のデータ印を、チャラ男め。」


だが内心では助かった、と思う。

彼の報告書は信頼出来る。

そしてもう一点。


『一人で寂しいナリ』


雅弓や脱走使い手はまだ特査事務所に現れていない、という報告である。

赤羽根はブラとシャツを手に取ると匂いを嗅いだ。

微妙だが、まだいける。

ベッドに腰掛け、Tシャツとスウェットを脱ぐと、スーツに着替え始めた。

静かだ。

頭も身体も軽い。

泥のように眠ったようだ。

この寝室は、隣のリビングほどタバコの匂いがしない。

雑多に散らかっている他の部屋と違い、ベッド、クローゼット、テレビ、小さなテーブル、それ以外には家具が無い。

そして綺麗に清掃されている。


…私の寝室とはえらい違いだわ。


「ふぅ。」


軽く息をつくと、赤羽根はリビングへのドアを開けた。

中央に置かれているテーブルに、鍵とメモ書きが置いてあった。


『この事務所の鍵です 緊急の時はご自由に外出して下さい 出来れば待っていて欲しいですが 南條』


県警からここへ寄った時の、治信との会話を思い出す。


『寝ろと言うなら私のマンションに送って下さればいいでしょう。どうしてここなの。』

伊織いおりさんのことだ。ご自宅に戻ったら仕事をするでしょう。ここでは出来ないからな。』

『ここよりは自宅の方が疲れが取れるわよ。』

『寝るしかない状況に監禁する。だから誘拐なんだよ。』

『あのね、そういう犯罪用語を私の前で連発しないでくれる? 逮捕するわよ。』

『君が休息を取れるならいくらでも捕まってやろう。』

『な、何よそれ。』

『守りたい女性を守る。男として当たり前のことをしているだけだ。』

『ま、な……』

『寝室そっち。シャワーはいつでも適温が出る。これ、Tシャツ、真新しいパンツ、スウェット。』

『お、男のパンツなんか履けないわよ。』

『なら好きにして下さい。』


全く。

どうしようと言うの。

こんなつまらない女に世話を焼いて。

探偵のくせに、分からないのか。

こんなにされたら。

こんなに親切にされたら……


「……どうしてくれるのよ、この気持ち……」


苦手だったタバコの匂いすら、気にならなくなってしまう。

あの人のものならいいや、と思ってしまう。

今も、雅弓の手掛かりを探してくれている。

自分もあまり寝ていないくせに。


…あ、コズカ、コズカは。


時間的には伴瓜警視正の警護へ移動している頃だ。

湖洲香のメールを見る。


「なんですって?」


紅河警護を離れ移動、伴瓜警視正に付く風見巡査が青いマルサンを察知、とある。

赤羽根の頭に過るのは、使い手を自分の盾としか見ていない伴瓜の冷徹さだった。

治信の情報では国家公安委員の杉浜光平すぎはまこうへいと内通、黒い噂は警察庁に近い人間ほどシャットアウトされてしまう警察内では、詳しい事実は掴めない。

だが、血の繋がった実父が杉浜であるという伴瓜が、蓮田忠志はすだただしの使い手潰しに関与していた可能性は充分にある。

使い手を盾にする冷徹さ、それは良い。致し方無い。

立場上、刑事局の指示上、当然とも言える。


…でも、気を付けて、コズカ。職務上の危険ではなく、伴瓜警視正に、気を付けて。


ガチャッ


事務所の玄関ドアが開く音がし、治信がズカズカと入って来た。


「あ、起きていましたか。」


赤羽根の顔を見た治信は急に表情を緩め、穏やかな笑顔を見せた。

その自然な表情に、赤羽根はなんとも言い難い安心感を得る。


「え、ええ、はい、お世話になり……」

「よそよそしい社交辞令はいいです。県警へお送りします。が、その前に、」


…なにかカチンと来る、一言余計な。


「はい。」

「紅河君へ一本連絡を入れさせてくれ。急ぎの相談があるとのことなんだ。」


そう言うと治信は紙袋を赤羽根に差し出した。


カサッ……


中を覗くと、ビーフベジタブルバーガーとポテト、それにアイスコーヒーが入っている。

治信自身もハンバーガーにかぶりつきつつ、デスクに座った。


きゅきゅる……


迂闊にも、赤羽根の腹が鳴いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ