懐疑警護 7.
光が丘署、捜査一課。
捜査会議を終えた伴瓜警視正が課長デスクに戻った。
風見は会議中も今もピタリと伴瓜の傍に張り付いている。
『青いマルサン』は署の真下、地中に現れた。
伴瓜は風見の耳打ち報告に表情一つ変えず、パソコンを立ち上げデータ資料の修正を始めている。
キーボードを打ちつつ、デスク斜め前に立つ風見に問う。
「動きはありましたか?」
「現れてから約三分後に青いマルサンは消滅、今現在半径四キロメートル球体視界に姿は見受けられません。」
「本体は?」
「捕捉出来ませんでした。方角は抑えてあります。」
「根元を追わなかったのですか?」
「申し訳ありませんが、半径四キロは自分の球体透視限界です。マルタイが穂褄一人ではない以上、透視を解いての追跡は警護基本指示に反しますので出来ませんでした。」
「わかりました。引き続き監視願います。」
「承知致しました。」
風見は、伴瓜のスーツの左袖からチラチラと見え隠れする包帯に視線をやった。
軽度とは言え、火傷を負わされた穂褄のマルサン出現に対し、よくもまあこうも落ち着いていられるものだと感心半分呆れ半分である。
それほど、普段と全く態度を変えない伴瓜がここにいる。
伴瓜は職務に似合わず、どちらかと言えば穏やかに話す男である。
感情を露わにしているところを、風見は見たことがない。
「若邑君の到着は?」
「予定通りであれば十六時半です。」
「所轄にも火炎放射器などを想定した防御装備はある。救急と消防の手配段取りもしました。初動に遅れを出さないよう頼みます。」
「は、心得ております。」
穂褄は今どの様な精神状態にあるのか、と風見は推測してみる。
中代沢のデパートに集中落雷を見舞わせた翌日、移動中の伴瓜警視正を遠隔火炎で襲撃した。
新渡戸巡査の報告では約一キロメートル離れた場所に穂褄の本体を認めたとのことだが、炎上した車から助け出した伴瓜警視正を火炎から遠ざけるのに手一杯で、自ら炎の直撃を喰らい穂褄本体へのテレキネシス攻撃には至れなかったとのことだ。
穂褄は距離の取り方を心得てきている。
迂闊に接近した若邑湖洲香に確保寸前まで追い込まれた、その二の鉄は踏まないという意識からだろうが、冷静さは失っていないと見た方が良さそうだ。
…今日の出現も、まず偵察、ということか。
前回の襲撃はガソリンスタンドのすぐ脇で起こった。
『光の帯』が見えない者にとっては、人為的な襲撃ではなく事故にも見えるやり方だった。
まずガソリンスタンド敷地内の床に炎が広がり、そこから火柱が伴瓜の乗る車に伸びた。
スタンド従業員は床に炎が燃え広がる事故は想定して仕事に当たっていることもあり、避難が迅速に行われ怪我人は出なかった。
給油中の一般車両が無かったことも幸いした。
問題は車道へ伸び上がった数本の火柱で、その明確な要因が表面上は特定出来ていない。
当然と言えば当然である。超能力者の仕業なのだから。
それは新渡戸巡査がはっきりと視認している事実だ。
…野神主任の話では、脱走者は旧特殊研究班に並々ならぬ怨みを持っている。
篠瀬佑伽梨、一度ゆっくり話し合ってみたかった、と風見は思う。
篠瀬研究員の娘。
立場を超えて、風見にも理解出来てしまう。
特殊研究班の、刑事局の、その理不尽な所業。
だが、逆も然り。
刑事局と特殊研究班が無ければ、法の手が及ばない見えない惨事、それが多発していたかも知れないこともまた事実なのだ。
ムームー、ムームー……
風見の携帯電話が振動した。
彼女は球体クレヤボヤンスを一通り確認し、電話に出た。
「刑事局捜査二課、風見。」
『古見原だ。狩野佳洋が白楼から失踪した。』
「な……は、はい。」
『鏡水巡査を捜索に当てた。』
「鏡水を……確か佐海局長の警護かと認識しておりますが。」
『そうだ。局長自らのご判断だ。君は引き続き伴瓜警視正を頼む。狩野をキャッチすることがあれば状況に応じて確保へ動け。』
「は!……栂井は、栂井翔子は?」
『異常ない。今もβ棟の個室で大人しく勉学に励んでいるそうだ。』
「は。」
風見は携帯電話を切ると、握り潰さんばかりにわなわなと手を震わせた。
…狩野、あんのガキゃあ、このクソ忙しい時に!
狩野は相手が女と見るとナメて掛かるふしがある。
大丈夫だろうか、あの鏡水心春巡査で。
心配だ。
刑事局捜査第一課へ着任辞令を受けた使い手の中で最も気性の荒い刑事、鏡水。
無論『光の帯』は灰色で一般的な基準で見れば冷静沈着であることは間違いない。
だが、鏡水の灰色は若干濃く、黒寄りの灰色だ。
灰色という精神色は判りやすい一面として、濃ければ濃いほど気が短いという気質を持つことが判明している。
特殊査定班の心理学者、赤羽根の分析に『白は理性の色』という仮説が存在するが、もしかしたら関係しているかも知れない、と風見は聞いていた。
風見も大概に短気なのだが、鏡水のそれはその比では無い上に、年少者への慈悲などという甘っちょろい概念は無い。
心配だ。
狩野が、心配だ。
…ま、病院送りになるくらいの方が薬になるか、あのバカには。
しかし、だ。
妙なタイミングとでも言おうか。
仔駒雅弓と狩野佳洋がほぼ同時期に失踪。
結果的に、護衛官から喜多室が削られ、鏡水が削られた。
脱走者の仕業と想定するべきなのだろう……か。
野神に接触してきた篠瀬と穂褄の言動から察するに、雅弓も狩野も脱走者と同じ立場、脱走者主観で言うならば被害者的な位置付けとなる。
…穂褄たちがあの子らを捕まえてどうこう、なんてことは考え難い。
あ、いや、待て。
可能性としては……
…仲間に引き入れようとしているのか?
いずれにせよ、警察側の使い手が二人も失踪とあっては、対策会議が直ぐにでも設けられるだろう。
佐海警視監、伴瓜警視正、古見原警視、そして使い手刑事七名、湖洲香、喜多室による対策会議が。
風見には、一つ、心の奥底に押し隠している懐疑心があった。
それは、なぜ伴瓜だけが真っ先に襲撃の的になっているのか、である。
佐海警視監は緑養の郷院長であった佐海藤吉の息子。
古見原警視は旧特殊研究班に関わった古見原一成医療所長の息子。
怨みが向くのであればこの二人が先ではないのか。
なぜ、伴瓜なのか。
脱走者たちの目に、伴瓜はどう映っているのか。
篠瀬殺害の誘導者としての疑い、果たしてそれだけなのだろうか。
穂褄は、新渡戸を負傷させたくはなかったはずだ。
にも関わらず、新渡戸諸共伴瓜を葬ろうとした。
何か時別な、異質な憎悪が介在しているのではないか、と風見は懐疑心を抱く。
伴瓜は過去に、何か非人道的なことをしているのではないか……。
警護対象に懐疑心を抱くなど、本来有ってはならない。
なぜなら、切迫した状況に追い込まれた時、その懐疑心は警護対象より自分を護ってしまうことが起こり得るからだ。
だから、押し殺している。
…疑うな、迷うな、私は今伴瓜警視正の護衛官だ。
腕時計を見る。
十六時七分……あと三十分足らずで湖洲香がここへ来る。
顔を上げ、意識をクレヤボヤンスに戻す……
…!
「来た! 署員全員退避! 急げ!!」
それは音もなく、目の前に居た。
青く、オレンジ色の筋が脈打つ、巨大な帯。
捜査課の事務所、その真ん中に堂々と蜷局を巻いていた。
「警視正!」
ドゴォンッ!
風見が足元の床に大穴を開け、伴瓜をクリーム色の『光の帯』で引き寄せた瞬間、青い蜷局はそのまま火炎と化した。
ブォウッ……ブオアァオォォオオ!
捜査課が火の海になる瞬間、風見と伴瓜は穴から下階へ飛び降りた。
「うわちっ! 消火! 消火ぁ!」
捜査課事務所に残っていた三名の刑事は、開け放していたドアから間一髪廊下へ飛び出した。
火のついたスーツを、身体を床に転がして消す。
一階の交通部に飛び降りた風見は、伴瓜を引き連れて走りながら叫んだ。
「二階捜査課に火災発生! 全署員速やかに退避! 外へ出たら出来る限り署から離れろ!」
「火災の退避は一旦集合場所が……」
「黙れ! 私はサッチョウの風見だ! これは訓練では無い! 常識が通じない炎が上がっている!」
「い、一般の方が……」
「最優先で退避させろ! 当たり前な事を聞くな!!」
叫びながら球体クレヤボヤンスを視る。
…穂褄め、まだ二階にいるか。警視正の光を追ってくるはずだ。
炎は伴瓜を追いかけてくる。
逃げる先を考えないと被害者が増える。
風見の開けた穴から、火柱がゆらりと顔を覗かせた。
直後、交通部の事務所にも勢いを増した炎が燃え広がった。
「ちっ……警視正、外へ!」
伴瓜は火の手の動きを観察しつつ、正面玄関へ走る。
だが、それを見透かしたように炎の大蛇が先回りして来た。
…まずい、逃げ遅れが出る!
風見は正面玄関とは逆方向へ向きを変え、伴瓜の腕を掴んだ。
目の前を遮る壁を全てぶち抜きながら、裏手から外を目指す。
正面玄関付近の炎が若干弱まり、逆に風見と伴瓜を追うように火の手が伸びて来た。
…ん!
赤。
赤い『光の帯』が真横から伸びて来た。
テレパシーが風見の頭に飛び込む。
『着きましたわ。そのまま外まで走り抜けて、風見さん』
『了解』
車から飛び降りた湖洲香は、署内に残る人をクレヤボヤンスで当たる。
…一、二、三……四、五……六、七、八……八人。土曜で良かった、少ない。
シュウゥゥ……ズンズンッ!ドガンッ!ズガッドガッ!ズンッ!ズガッズガンッ!
八本の赤い『光の帯』が瞬時に光が丘署へ突き刺さる。
そして、八人の署員がそこから外へ引っ張り出された。
球体クレヤボヤンスでその様子を見ていた風見は息を飲む。
なんと素早い救助か。
『若邑さん! 外に出た! 警視正もここに!!』
『了解ですわ』
ブォン……ウォン……ウオン、ブオンブオォン、ウォン……
十本前後の赤い『光の帯』が幅を広げ、九階建ての署を真横に輪切りにする様に透過した。
…どうせ燃えちゃうんだから。
スッスッ……スラッスッスッ……ズズズ……ズガガガ……ガゴゴゴゴ……
湖洲香はそのまま光が丘署を輪切りにした。
建物を倒壊させて押し潰し、酸素不足による消火をしようと言うのだ。
状況を飲み込んだ風見は茫然とした。
…さ、さすが赤い魔女……発想がダイナミック過ぎ……
更に湖洲香は、周囲への落下物飛散を防ぐため、赤い『光の帯』で署全体を覆う様に包み込んだ。
…『光の帯』は火を通しても、酸素は通さないですわ。さあどうするかしら、穂褄さん。
赤い『光の囲い』を透過してはみ出してきた青い『炎の帯』は、ゆらりゆらりと揺れながら伴瓜と風見にその頭を向けた。
ウウウゥゥー……
消防隊のサイレンを聞いた風見は、放水射程範囲まで伴瓜を連れて走る。
…そこか! 伴瓜!
伴瓜の姿を捉えた穂褄が火炎の放射速度を上げ、襲いかかった。
ゴオオオォォォオオオ!
音を上げて迫る火炎放射。
湖洲香の肉眼視界に風見が見えて来た。
「ここ! 火じゃなくて! こっちに水を!……違いますわ! ここに水! 早く!!」
迫る炎に向けて放水を開始した消防隊員は、ぴょんぴょん跳ねながら指差して叫んでいる女子高生……湖洲香を見て戸惑ったが、
「警察庁だ! この方の指示通りに!!」
湖洲香を連れて来た組対警官の叫び声に、半信半疑で放水ターゲットを変えた。
「え……」
「なんだ……」
消防隊員が目を疑うのも無理はない。
放水された水が何もないアスファルトの上に、透明の巨大な器でも存在するかの様に見る見る溜まっていく。
風見と伴瓜が走って来る。
伴瓜のスーツの背は燃え掛けていた。
「飛び込んで! お二人とも!」
ザブゥンッ!ザッバアァン!
風見と伴瓜が透明のプールに飛び込む。
湖洲香が続けて叫ぶ。
「こんどは火っ! じゃんじゃん掛けてじゃんじゃんっ!!」
湖洲香は内心ヒヤヒヤしていた。
穂褄の炎がどのくらい続くのか、もし消防車へ標的を変えたらどうなってしまうのか、不測の事態はいくらでも想定出来てしまう状況だ。
…諦めて! お願いだからもうやめて!
これ以上打つ手が無い。
それに、湖洲香に炎が迫ったら、支えている倒壊した光が丘署も周囲に瓦礫をばら撒くことになる。
祈る様に睨み付ける湖洲香の前で、穂褄の炎はシュッと一気に消えた。
まるで何も無かったかの様に、瞬時に消えた。
青い『光の帯』も、もうその姿は無かった。
「ふぅ……」
大きく安堵の息を吐く湖洲香。
そこへ、ずぶ濡れの風見が近付いて来た。
「助かりました、若邑さん。」
「怪我は無い? 火傷してない?」
「ええ、私は。署員に何名か軽度の火傷があったみたいだけど、重症者は無しのようです。」
「そう、一安心ですわね。」
「若邑さん、本当に凄いのね。あなたの力、改めて思い知りました。」
「いいえ、風見さんの初動が良かったんですわ。」
湖洲香は風見越しに、こちらを凝視している伴瓜を見た。
彼は瞬きもせず湖洲香をじっと見ている。
「遅くなりましたわ、伴瓜警視正、宜しくお願い致します。」
湖洲香の言葉に表情も変えず軽く頷くと、伴瓜は輪切りになった光が丘署を見上げた。
その目が何を考えているのか、湖洲香にも風見にも計りかねる。
風見が小声で湖洲香に言った。
「穂褄の本体、どう? 判った?」
「駄目。火を食い止めるのに一生懸命で……」
「やっぱりね……とうとう、あれね、使い手の存在、公表しなければならない時が来たようね。」
「あら、誤魔化せないかしら。」
…いやいや、消防隊員の目、若邑さんが救助した署員の顔、見なさいって。




