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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
164/292

懐疑警護 6.

ピアノの音が聞こえてくる。

城下桜南高校、B館一階の調理実習室で、独り昼食の持参弁当を食べ終えた湖洲香こずかは、姿勢を正して手を合わせた。


「ごちそうさまでした。」


紅河くれかわの母が持たせてくれた手作り弁当は、シンプルながら彩りが良く、冷めても柔らかい肉や湯むきされたトマトなど、工夫と愛情を感じるものだった。

いつも不機嫌そうな顔つきで、頭も良く無駄口をきかない紅河の様子から、母親は厳格な人かなと想像していた湖洲香だったが、その予想は全くの見当違いだった。

二階、ほぼ真上にある第二音楽室から聞こえてくるピアノに耳を傾けながら、今朝の紅河ママの言葉を思い出す。


『うちの子になっちゃえ作戦第三弾。はい、お弁当。ともりん専用お弁当箱も買っちゃった』


第一弾はともりん専用バスタオルだった。

第二弾はともりん専用のお箸。紺色に何かの花をデザインした絵柄が入っており、紅河と弟の芳輝よしき、そして妹の光里ひかりたちと色違いのお揃いである。

両親も兄弟もいない、という話をしてしまったことを、湖洲香は少し悔いた。

今朝、今日でもう紅河宅にはしばらく来ない、という話をした時の紅河ママの残念そうな顔。


…こんなに温かく迎えてもらえるなんて。


唯一の難点は、クレヤボヤンス監視に集中しにくいことか。


『あらやだ、そうよね、知子ちゃん婦警さんだったわね。忘れてた。』

『ともりんりんともりんりんともりーんりーん』


紅河ママと光里に囲まれると、良くも悪くも、仕事や使い手問題のことを忘れてしまいそうになる。


…家庭ってこういうものなんだ。いいなぁ。


何でもすぐ歌にしてしまう光里の真似をして、湖洲香は繰り返し聞こえてくるピアノに合わせて口ずさむ。


「とぉーも、りんりんりん、ともともとーも、りんりーんりん。ひぃーか、りんりんりん、ひかひかりーん……」


クレヤボヤンスには、特に怪しい光は見当たらない。

B館に近いサッカー部の練習場に、昼休憩を終えた部員たちが集まってくる魂の光が視える。

紅河の光もある。

すぐ頭上には、非能力者の光が一つ。

ピアノを弾いている人の魂だろう。


…ちょっとくらい。


湖洲香は、好奇心から、ピアノを弾いている人の姿が見たくなった。


…これは警護の、調査の一環ですわ。そう、お仕事。


赤い『光の帯』を一本、調理実習室の天井を透過させて上階へ伸ばす。

そして、その先端をこっそりと第一階層クレヤボヤンスに切り替えた。

そこには、グランドピアノに向かい、譜面と手元を交互に見ながら真剣な表情で弾いている男子生徒の姿があった。


「まあ。」


その凛々しい姿に、思わず声を漏らす湖洲香。

紅河のように背が高いわけでもなく、義継よしつぐのように美形というわけでもない。

どちらかと言うと地味な、眼鏡を掛けた男子生徒。

だが、ピアノを弾く人というものを初めて間近で見た湖洲香は、その格好良さに魅かれた。


…楽しいだろうな、あんなにピアノが弾けたら。


「あ。」


湖洲香の背筋が突然ピンと伸び、表情が真剣になる。


「そうよ。そうなのよ。私はこの学校の生徒ですわ。」


スクッと立ち上がる。

サッと弁当箱をショルダーバッグにしまう。

ポケットの生徒手帳を確認すると、ぐっと右手で拳を握る。

改めて球体視界クレヤボヤンスをぐるっと視る。


「異常なしっ!」


そう言うと湖洲香は調理実習室を出て二階へ向かった。


カラカラカラ……


第二音楽室の引き戸を静かに開け、中を覗く。

ピアノの音が一段と大きく聞こえる。


「失礼致します。」


湖洲香の声にピアノの音がピタッと止み、弾いていた男子生徒が出入り口へ目を向けた。

男子生徒はビクッとし、眼鏡をたどたどしく触り、座ったまま顔を近付けるように湖洲香を見た。


「三年A組、斉藤知子と申します。演奏中にすみません。ちょっとお聞きしたいの。」


男子生徒はガタッと椅子から立ちかけ、中腰で言った。


「は、はい、なん、でしょう……」

「あ、お座りになって。そのままで結構ですわ。」


男子生徒は、腰を下ろしながら思う。

自己紹介の仕方、話し口調、綺麗な長い黒髪、色白な小顔……どこのお嬢様だ、と。


「ええと、学生さん、今日は部活でピアノかしら。」


…学生さん? 君も学生だろ。


「はい、夏休みにコンクールがあるから、伴奏は誰よりも早く入れておかないと……」

「まあ、やっぱり。お願いがあるの。」

「なに?」


湖洲香は第二音楽室の中に入り、グランドピアノに近付くと、満面の笑みを浮かべて言った。


「私もピアノ部に入部したいですわ。」


…ピアノ部?


男子生徒は固まった。

この高校にそんな部は無い。


「あ、えと、無い、です。そういう部。」

「あら、だって今言いましたわ。部活でピアノを弾いてるって。」

「はい、あ、うん、あの、合唱部、です、はい。」

「合唱? 歌ですの?」

「うん、混声四部合唱の課題曲を、やってて。」

「そう。でも、私は歌よりピアノだけがいいですわ。あなたの演奏がとても素敵で。」

「ああ、どうも……」

「ピアノだけの部活はないのかしら。」

「あー、うちには無いね。吹部にもピアノパートが入る曲とかあるよ。」

「すいぶ? 水泳のこと?」

「違う違う、吹奏楽部。」


…なんだこの子、音楽のこと何も知らないのか?


「ああ、吹奏楽。ラッパとかですわね。」

「金管、ね。」

「一人でピアノが弾けたら素敵だな。あなたみたいに。」


褒められて悪い気はしない。

だが、男子生徒はイラっとした。

つまり、今まで楽器に触れたことのないど素人がピアノを弾きたいだけ、ということらしい。


「あー、そういうの、部活ではなくて、ピアノ教室とか通えばいいんじゃない?」

「それでは駄目なのよ。私はこの学校の生徒として部活動をやりたいの。」


…それではダメなのよ、って、何なんだこいつ。


「ピアノだけやる部活、他には無いのかしら。」


…無いって言ってんだろ。


「あの、課題曲、今日中に完璧にしときたいんで、悪いけど……」

「あ、お邪魔してしまいましたわね。ごめんなさい。」


湖洲香はぺこりと頭を下げた。

そして、ショルダーバッグから紙パックのりんごジュースを取り出すと、男子生徒に差し出した。


「これ、どうぞ。お昼に飲もうと思ったけど、飲まなかったの。」

「あ、ああ、ども……」

「コンクールはいつかしら。あなたのピアノを聴きに行きたいな。」

「え……あ、いや、合唱だから、ピアノなんて飾りだし……」

「私はあなたのピアノが聴きたいの。教えて下さる?」


男子生徒はりんごジュースをピアノの隅に置くと、譜面の下の方からコンクール日程表を抜き取った。


「これに書いてあるから。」

「まあ、ありがとう。」


湖洲香が日程表に目を通す。


「……伴奏、緒川華音おがわかのん、まあ、いかにもピアノっぽい名前!」


男子生徒は少し表情を曇らせ、言った。


「それ、正規伴奏者、女子だよ。」

「あら、え、ピアノ、お二人で弾くの?」

「まさか。緒川は……自分のピアノコンクールと日程が被ったんだ。僕は、代打だよ。」

「代わりに弾くのね。」

「うん……」

「すごいのね。代わりに弾けちゃうなんて、才能豊かですのね、羨ましいですわ。」


…こいつ、馬鹿にしてるのか。


ピアニストを目指していたこともあった。

だが、自分には才能が無い。

マンションの自宅にはピアノ自体が無く、練習も出来ない。

レガート、スタッカート、小節の中の円運動の様なタイム感、どれも雑でぎこちない。

本物と比べればわかる。

緒川華音とは、雲泥の差。

自分はどこまで努力しても、所詮は偽物だ。

音大へ進もうとしている緒川の代役など、務まるわけもない。

だが、この高校には、もう自分くらいしかピアノを弾く生徒がいない。

だから回ってきた。

合唱部の練習では、はっきりとわかる。

ピアノが下手過ぎて練習にならない、という空気が。


「これ、頂いてもいいの?」

「え? ああ、うん。」

「お名前は?」

「え?」

「あなたの名前ですわ。」

「ああ、小川おがわ。」

「え、同じ苗字ですの?」

「いや、僕は小さい三本川。」

「小川ね。小川、なに?」

樹生みきお。樹木のじゅ、生まれる。」


湖洲香はボールペンを取り出し、日程表に何か書き加えた。


「これでよし、ですわ。」


湖洲香が小川に見せた日程表は、緒川華音の名の上にバツ印が書かれ、その上に小川樹生と書き足されていた。


「ああ、また楽しみが増えてしまいましたわ。じゃ、頑張って下さいね、樹生さん!」

「……」


眉をひそめつつ眼鏡をかけ直す小川を背に、湖洲香は第二音楽室を出て行った。


午後三時。

部活を終えた紅河と合流した湖洲香は、正門へ向かって歩きながら県警に報告の電話を入れた。

急に立ち止まり、声をひそめる湖洲香。

その表情は固く、只事ではなさそうだ、と紅河は思った。

ドッと襲ってくる怠さと眠気に出そうになったアクビが止まる。


「どうかしました?」

「要点だけ言いますわ。喜多室きたむろさんが来れなくなって、でも私は伴瓜ともうり警視正のところへ直行。紅河さん、護衛が、ここから無くなりますわ。」

「ふぅん。了解です。」

「襲われたらどうしましょう……」

「どうもこうも、仕方ないでしょ、警察にも都合があるんだろうし。大丈夫ですよ。」

「そうそう、紅河クンはコロしても死にませんから。」

「あら!」

「お。」


いつかの様に、義継よしつぐが、すぐ横にいた。

彼は髪を切り、ショートボブにしていた。服装はメンズのカジュアルスーツを着ている。

ぱっと見男だが、よく見ると女、と思いきや男か、といった感じのルックスである。


「義継さん、昨日はお食事に来てくれて嬉しかったですわ。」

「うん。ほとんど寝てましたけど。」

「俺は今、寝たら一生起きないような勢いだ……」

「じゃあ寝れば。」


義継の減らず口に、やや充血した目で睨み返す紅河。


「ところで、喜多室さんが来れない理由、警察はなんて?」

「それなんだけど……」


答えようとした湖洲香を義継が手で制した。


「使い手の捜索に駆り出された、と兄貴から連絡があったよ。」


とりあえず、嘘ではない。


「使い手? 穂褄ほづまか。」


義継が首をかしげる仕草をする。


「どうかな。」


そこへ、正門の方から警官服の男性が駆けてきた。

慌てた様子で、警察手帳を湖洲香に開いて見せた。


「お疲れ様です。刑事局組織犯罪対策課の者です。若邑わかむらさん、お迎えに上がりました。少々お急ぎ願いたい。」

「何かありましたの?」

「話は車で、あちらです。」


すかさず義継が白い『光の帯』をその警官に伸ばす。

湖洲香にはそれが視えているが、何も言わず紅河たちに手を振ると、警官と走り去って行った。

義継が遠くを見る様な目で、言った。


「紅河クン、とりあえず、こっちには穂褄の襲撃はなさそうだ。」

「ん?」

「伴瓜を今ガードしてる風見かざみさんが、青いマルサンをキャッチしたらしい。」


新渡戸にとべという使い手刑事の大火傷の話が二人の頭を過る。

風見は大丈夫なのか。

湖洲香が向かう先は、修羅場だということなのか。


「俺も行く。タクシーで追えば……」

「まぁ待って、紅河クン。今の君はフラフラだろ。一旦帰ろう。」

「湖洲香さんが危ないんだろ。」

「こればかりは何ともし難い。紅河クンを狙っている相手は穂褄一人ではないんだ。」


話している紅河と義継の側を、地面に視線を落としたまま小走りの女生徒が通り過ぎた。

泣いていたようだ。

それを追うように、舞衣まいが駆けてきた。

血相を変え、息を切らせている。

義継は興味なさそうに外方を向いた。

紅河が舞衣に声を掛ける。


「どした?」

「ああ、ハァ、ハァ、紅河さん、私、ハァ、ハァ、また、やっちゃった……」

「なに。」

「辞めるって、女バス辞めるって、どうしよう、どうしよう……」


紅河は頭を掻く仕草をした。

義継は横でアクビをしている。


「何があった?」

「あの、あのね、マリモちゃん、せっかくジャンプシュート、上手くなってきてたのに、私、ああもお、私、何であんなこと言っちゃったのか……」


舞衣も泣き出しそうだ。


「マリモちゃんて、今走ってった子か。」

「うん、一年。動かないから、シュート位置から全然動いてくれなくて、パス出せないから、つい……」

「つい?」


退屈そうにクレヤボヤンスを展開し始めた義継は、舞衣の魂の光を視て不思議に思った。

オレンジはオレンジなのだが、明滅していない。

非能力者のそれの様に、ただ光っているだけだった。


…ま、どうでもいいか、単細胞女のことは。


「……つい、言っちゃった、マリモちゃんもわかってる当たり前のことなのに、動かないと、ボールが手元に来ないとシュート出来ないでしょ、って、キツく……もう、私、どうしよう……」

「練習は終わったのか?」

「うん……」

「じゃあ、次の部活で、そのマリモちゃんて子が来なかったら、千恵ちゃんと高島さんに相談しよう。」

「泣いてた……マリモちゃん、泣いてた……凄く頑張ってて、背も低いのに、手首痛くなるまでジャンプシュートしてて……」

「わかったから、もう今日は帰りなよ。」

「でも、だって、謝らないと……」

「俺も言ったことあるよ。ボール持たなきゃシュート出来ねぇだろって。だから……」


…ん?


ボールを持たないと、シュートが出来ない。

シュートは出来ない、ボールを持たないと。

ボールを持たないと。

持たないと?……


「……舞衣ちゃん、」

「え?」


紅河の中で、長く疑問だったものが、突然繋がった。

パイロキネシスの正体。

そのロジックが。


「舞衣ちゃん、それだ……」

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