懐疑警護 4.
「まあ! ちょっとどうかなと思ったのに! ほむ……はむ……」
湖洲香が頬張っているのは白身魚とキウイがトッピングされている厚生地のピザで、メニューにある素材を食い入るように見ながら頬をパンパンに膨らませている。
「パルミジャーノ……んぐ……ゴルゴンゾーラ……チーズも、はむ……一種類じゃないのね……ほむ……」
治信はある程度は予想していた。
おそらく湖洲香は大食いではないだろうか、と。
実際の彼女は、しかし治信の予想を遥かに上回る食べっぷりである。
テーブルには六種類の10インチピザが並んでいるが、湖洲香は各種類を二切れづつは平らげている。
ざっくり計算すると二、三人前のピザを一枚半、既に食べていた。
そして……
「ああ、んぐ、でも、やっぱりマルゲリータが一番かしら。お兄さん、モッツァレラのマルゲリータ、追加でお願い出来ないかしら。」
今からもう一枚追加したらさすがに残ってしまうかも知れない。
だが治信は、残さず食べられるのか、といった野暮なことは一切言わない。
笑顔で応じた。
「よしきた。」
湖洲香とほぼ同量を食べ争っているのは紅河。
彼はクアトロフォルマッジの最後の一切れに手を伸ばしつつ、湖洲香に話しかけた。
「湖洲香さん、」
「なあに。」
「あれ、短歌、あのまま謝って返すしかないんすかね……」
湖洲香は一瞬キョトンとした顔をし、そして表情を緩めた。
…まだ気にしてたのね、優しい子だな、紅河さん。
湖洲香と紅河の間に座っている赤羽根が、湖洲香の顔をチラッと見た後、紅河へ視線を向けた。
…報告にあった、デパートの五階に戻った理由のことか。
湖洲香が紅河に言う。
「謝るって、何をですの?」
「火の粉で穴あけちゃったことですよ。揉み消してくしゃくしゃだし……」
湖洲香は右手の人差し指で自分の唇に触れる仕草をし、横でテーブルに突っ伏して寝ている義継を何気なく見やった。
そして、義継の腕を指でプニプニと押し、
「ふふ、起きない。ふふふ。」
と独り言を言うと、紅河へ振り返った。
「紅河さんは、小林さんがどんな顔すると思う?」
「多分、泣き出すだろうなってことしか……舞衣ちゃんが前言ってたんですよ。納得のいく書は一枚しか書けないらしい、って。」
「そっか。」
湖洲香は思った。
確かに、泣くかも知れないな、と。
「学校では、ほら、湖洲香さんは常に俺と一緒だし、その、京子に返す時、フォローしてもらえませんか。俺も悪気があったわけではないんで……」
湖洲香は笑みを浮かべ、再び義継の腕をつつきながら言った。
「お断りですわ。私は黙ってる。」
「え、冷たいなぁ……」
間にいる赤羽根は、紅河の心配と湖洲香の笑みの意味が手に取るようにわかる。
…ま、紅河君は自分がやってしまった事だし、当事者としては無理も無い心配か。
まだ高校生、子供なのだな、と赤羽根も口元を緩める。
デパートの五階、文披月祭典の会場は全焼した。
出展作品は全て燃えてしまったのである。
紅河の手元にある二枚を残して。
それが思いがけず返ってきたら、確かに小林京子は泣くだろうな、と赤羽根も思った。
紅河はクアトロフォルマッジを飲み込むと、椅子の背に背中を倒し、苦い表情で腕を組みため息をついた。
そして、思い出したように言った。
「湖洲香さん、明日、ってか今日の部活終わった後、伴瓜の警護でしたよね。」
「うん。」
「あくまでも、これ、俺の主観なんだけど、」
「うん?」
紅河の言葉に、小声で話し込んでいた治信と喜多室も紅河に視線を向けた。
「伴瓜の指示には、裏があるかも知れないって思った方がいいです。」
「え、裏?」
赤羽根も姿勢を起こし、聞き入る。
「確信があるわけじゃないけど、護衛官の付け方からして、もしかしたら伴瓜は上の人間から何か疑われてるんじゃないですか?」
「え、どういう意味?」
「伴瓜に付けられたのは喜多室さん、湖洲香さん、そして風見さんでしたよね。」
「そうですわね。」
紅河は飲み物を一口飲み、やや上へ視線を向けた。
「灰色が、一人も付いてない。」
赤羽根、治信、喜多室が、同時に目を細める。
湖洲香は目を丸くした。
「あら、風見さんはもともと灰色さんですわ。」
「でも、確か業務管轄が、捜査二課でしたっけ、風見さんは対使い手要員と言うよりは詐欺や窃盗のテレパシー聴取をやってる人ですよね。」
「ですわね。」
「捜査一課の灰色で補填するのが普通じゃないですか?」
喜多室が口を挟む。
「警護の配置を指定したのは佐海局長だ。その意図は、二度パイロキネシスを退けている若邑さんと、『マルサン』を肉眼で視認出来る可能性のある私を選定、伴瓜警視正の警護強化、とのことだ。」
紅河は、え? という表情をした。
「喜多室さん、見えるんですか?」
「完全に視えるわけではない。実は雅弓ちゃんのマルサンは一度も視えたことがない。白楼の地下十五階でのこと、覚えているかい?」
「え、ええと、どのこと?」
「君の背後に光が視える、と言ったことさ。」
「ああ、ええ。」
「あれからいろいろ調べたんだが、あの光はマルサンと同じく第三階層かそれ以上の階層の存在らしい。あの時はもちろんクレヤボヤンスを発動していたのだが、使い手なら誰でも視えるという存在ではない。存在を意識していないと気付くことも出来ない。それがすんなり視える者は、『光の帯』を出さなくとも霊体を視る素養がある、ということらしい。」
「ああ、幽霊が見える、っていう人、ですか。」
「平たく言うと、そうだな。」
「ふぅん……」
幽霊が見える、という話になると紅河が思い出すのは悪虫愛彩のことだ。
愛彩にはマルサンが視えるのだろうか。
「喜多室さん、スナールって、知ってます?」
「スナール……いや、知らない。」
紅河は思った。
霊に関する知識は警察より脱走者の方が詳しい。という事は、使い手の戦いが第三階層での攻防に発展するなら、警察は不利だな、と。
「話は戻るんですけど、伴瓜のこと、もう一つ気になることがあって、推測でしかないけど、篠瀬さんへ発砲させたの、伴瓜じゃないかって気がしてます。」
今度は治信が口を開いた。
「発砲した警官へは『テレキネシスを感じたら迷わず撃て』と言い、野神にはそれを伝えず『警官をテレキネシスで触れ』と指示した、か。」
「はい。」
「私もそれは考えたのだが、野神はそこまで迂闊な男だろうか、とも思う。」
「うん……赤羽根さん、野神さんへの面会、どうです?」
「野神さんは古見原警視の警護に張り付いたので、しばらく無理とのことよ。」
「んー……」
事実が事実として上がれば、誰でも気付く簡単なことだ。
情報はどこで捻じ曲がるのか。
刑事局内の情報の流れは、そこまで目詰まりを起こしているのか。
それとも、実際の伴瓜は潔白なのか。
「とにかく、湖洲香さん、伴瓜には気を付けて欲しいです。」
「うん、わかりましたわ。ありがとう、紅河さん。」
湖洲香の脳裏には、学校からの帰路、住宅街で穂褄と遭遇した時の紅河の行動が思い出されていた。
穂褄の炎が目前に迫った時、紅河は湖洲香を自分の背後に押しやったのだ。
使い手でもない紅河が、護衛官を背後にかばう。
そんな行動を取る紅河が言うことだ、しっかりと念頭に置いておこう、と湖洲香は思った。
追加したマルゲリータが運ばれてきた。
チーズと焼けたトマトのいい匂いが漂う。
湖洲香と紅河が手を伸ばした。
治信が、喜多室に目配せをし、そして赤羽根に声を掛けた。
「伊織さん、ちょっと。」
「ん?」
三人は店の入り口を出る。
灰皿の前で、治信がタバコに火を点け、話し始めた。
「私のところに、武儀帆海と遊野の姉弟を捜して欲しいという依頼がきた。依頼者の名は鈴木尚子、二十三歳。素性を調べたが、不動産業者に勤めるOLで、住民票も間違いなかった。」
「武儀、脱走した使い手ね。」
「ああ。で、武儀姉弟だが、弟は司法解剖の記録があった。二歳で死んでいる。両腕と首に締めあと、心臓、肺、肋骨、付近の皮膚に分断跡、明らかに使い手に殺されている。」
「に、二歳の子を、なんて惨い……」
「遊野が死亡したとされている日付、それと同じ日に蓮田忠志が当時十歳の根津尊を連れて脱走者捜索に出ていることが判った。」
喜多室が付け加えるように言う。
「根津は赤羽根博士もご存知でしょう。刑事局捜査第一課の使い手、私と義継君の乗った県警パトカーを分断し、公民館で義継君を襲った能力者です。」
知ってる、という含みで頷く赤羽根に、治信が封書を渡しつつ言った。
「これは現時点での調査進捗です。見たら破棄で。確証は取れていないが、武儀遊野を根津に殺させた可能性がある。問題は、武儀姉弟は二人で脱走していることから、弟が殺されたその場に姉の帆海もいたであろう、ということ。」
「帆海の目の前で、弟の遊野が……」
「刑事局の白楼データでは、帆海の能力は読心術と千里眼となっており、テレキネシスは使えなかったようだ。だが、弟の遊野には念動力という文字が入っている。」
赤羽根に様々な憶測が過る。
捜索の手が武儀姉弟に伸び、テレキネシスで捕獲されたところを弟が抵抗、姉を逃したが自分はやられた。
必死で逃げる姉はクレヤボヤンスで、弱まっていく弟の魂の光を視た……。
当時十歳の根津少年に殺害教唆したとすれば、恐ろしい行為だ。
根津は現在二十七歳、十七年前か。
十七年前?
湖洲香が母親を殺めてしまった年……蓮田が妻の喜美を全身不随にしてしまった事故を起こし、おかしくなってしまった年だ。
「姉の帆海が当時の特殊研究班に怨みを抱いていてもおかしくない。ただ、帆海も当時四歳だ。弟がどこの誰にやられたのか、緑養の郷の関係者だろうということしか判らなかっただろうな。」
「それで、帆海の現在の行方は掴めたの?」
「まだです。武儀という苗字は数件の戸籍登録があるのだが、どれも年齢が一致しない。改名している可能性が高い。」
「そう……指名手配が敷かれた穂褄が捕まれば何かわかるかも知れないわね。」
「その前に掴むさ、私立探偵のプライドにかけて。」
「何か判ったら私にも教えて。」
「了解した。それと、これは別件なんですが……蓮田や伴瓜と内通していたという国家公安委員の杉浜光平、隠し子が二人いる。」
国民の代表として警察庁を監視する男が、女にだらしない、か……と、赤羽根は呆れのため息を漏らした。
「それ、重要なことなの?」
「どうだろうね。一人は、伴瓜絢人です。」
「え? 警視正にはご両親が、先日父親は亡くなられたけれど。」
「伴瓜は連れ子です。亡くなられた父親は実の父親ではない。まぁ、これは、伴瓜が杉浜の足元を見て内通、と見ればなるほどな、と思えるね。」
「……とすると、杉浜が衆議院議員だった時も、弱みを握っていた伴瓜は……」
「想像に難くないな。国家公務員、しかも警察庁、警視正。利用したかも知れないな、杉浜を。」
「ふ、どうでもいいわ。」
「ははは。厄介だと思う点は、伴瓜が国家公安委員の一人を揺さぶることが出来てしまうこと、だな。」
「もう一人は?」
「もっとどうでもいいかも知れない。普通の民間人、十三歳の少年さ。名は山本光一、都筑先生の病院に……」
「なんですって!?」
山本光一は、生後数ヶ月で母親に崖から投げ落とされ、右腕と左足を失った少年だ。
母親の公子がそのような行動に出た原因は行方知れずの父親にある、と都筑博士は見ている。
公子の鬱はひどく、今も息子の光一には合わせられない状態として治療が進められている。
その原因としている男が……あの杉浜光平だったとは。
そして、伴瓜警視正と光一少年が異母兄弟だったとは、ただただ唖然としてしまうばかりだ。
…公子の夫、いや、情事の相手か、てっきり反社会性人格障害の病質者ではないかと思っていた。
山本公子が取り憑かれている恐怖観念、鬱の傾向、自分の子だけでなく自殺未遂も繰り返す病状から、赤羽根は、原因となる人物はサイコパスではないか、と考えていたのだった。
それは、公子の主治医である都筑も、可能性はあると言っていた。
「確か、なの?」
「うん、間違いない。」
「そう……」
これは杉浜光平とも接見しないと山本公子の病状は改善されないか、と考える赤羽根は、すっかり忘れていた。
無理矢理拉致されたような会食ではあったが、今日のこの機会に、治信に告げようと思っていたこと。
湖洲香にも散々煽られたこと。
治信へ、日々強まっていく気持ちを伝えようとしていたことを……。




