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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
161/292

懐疑警護 3.

白楼はくろうにて行われた新渡戸にとべ巡査の手術に立ち会い、パイロキネシスによる火傷の特徴、その診察調査を一通り終えた赤羽根あかばねは、県警に戻るべく車を走らせていた。


…通常の火傷となんら変わりなし、か。


例えば『光の帯』による第二階層から第一階層への次元変換で起こる『分断』のような、何かしらの特異な傾向が見つかれば、と思っていたが、皮膚の組織破壊の状態はよく知る普通の熱傷であった。

皮膚全層の損傷となるⅢ度が四パーセント見受けられたことから、それ相当の時間炙られたことが判る。

Ⅲ度ともなると、温度の高さより熱せられた時間が関係してくる。

これにより、加害者のパイロキネシス、その最低持続時間を推し量ることが出来る。


…使い手の意外なウイークポイントね。『光の帯』では火炎を防げない。


ふと、紅河くれかわの言葉を思い出す。


『火を発する、これはあり得ない』


それは特殊査定班でも議論された。

火は、一定以上の温度、酸素、そして燃える物、この三つが揃って初めて発火する。

特査の推測は、無尽蔵に炎を出せるのであれば燃やしている物は窒素ではないか、というもの。

ただ、空気中に八十パーセント近くを占める窒素であるが、その安定性から簡単には燃焼しないこと、燃えた場合に出てくる一酸化窒素の検出が未確認なことなど、仮説となりそうでならない、の域を出られずにいる。

つまり、高校生の紅河が言った言葉は、論理的と言えた。


…でも、実際には火を発した。それも一瞬ではなく持続した炎を。


刑事局の刑事が、それも使い手が重症を負った。

落雷での死亡者も一名出ている。

急務、急務と自らを追い立てている『マルサン』解明であるが、全て後手に回ってしまっていることに、赤羽根は自己嫌悪を禁じ得なかった。


ドドッ、ドドッ、ドッ、ドッ……


「え。」


ハンドルを握っていた赤羽根は、突然起こった車の変な振動に驚いた。

これは……エンジンの不調だろうか。


ゴコン、ゴコン……コッコン……


運転席の警告灯が一斉に点灯、大きな振動を最後に、エンジンが止まってしまった。


「えええ、ちょっとぉ……」


時計を見る。

深夜二時。


「県警の車が故障なんて、そんなのあり?」


至急まとめなければならないパイロキネシスの熱傷報告、こんなことなら白楼で作成しておけばよかった、と思う。

今日は、金曜か……いや、日付が変わっているから土曜だ。


「あ……」


治信はるのぶとの食事、今日か。

湖洲香こずかの身が全く空かなくなったこと、まだ伝えてなかった。

そんな事を考えつつ、エンジンルームを開けて車の外に出ようとした時……


…!


ドアをカチャッと開きかけ、視線を車のボンネットに向けた瞬間、車の前に人影を見た。

ヘッドライトに浮かぶその人影は、女性のようだ。

ストレートの髪は半ば顔を隠し、夜だというのにサングラスを掛け、口には白いマスクを付けている。

顔が判らない上に、やや猫背でこちらに真っ直ぐ身体を向けているその姿に、赤羽根は背筋に悪寒を走らせた。

急ぐために国道を逸れて入った裏道は、町工場や樹木園が多く、民家は少ない。

車が急に故障し、道の真ん中に不気味な女性。

赤羽根は恐ろしくなり、開きかけたドアを閉め、エンジンキーを回してみた。

だが、車はうんともすんとも言わない。


…なに、これ、なんなの……


アクセルを踏みながら震える手でキーを数回まわす。

だが、駄目だ。

女性の方へ視線を上げると、ジリ、ジリ、と車に近付いてくる。

赤羽根は助手席へ投げてあった携帯電話に手を伸ばした。

助けを呼ばなくては……


コン


…ひっ


今度は後ろのトランクの方から小さな音がした。

恐る恐るルームミラーを覗いた赤羽根は、恐怖のあまり携帯電話を手から落としてしまった。

ルームミラーには、前の女性の様にサングラスとマスクを付けた男性が映っていた。

その男性が車の外、後部で、車体に触れた音だったようだ。


…落ち着け、暴漢なら警察手帳を突き付ける。


赤羽根がスーツの内ポケットに手を差し込んだ瞬間、その『声』が彼女の頭に入ってきた。


『車を降りて』


テレパシーだ。

なんということか。

前の女性か、後ろの男性か……どちらか判らないが、使い手だ。

どちらかが、今、車内へ、自分の頭の近くへ、『光の帯』を伸ばしているのだ。

だが、使い手だということは、生きた人間だということ。

幽霊などでは無い。

それに、暴漢であるならば、とっくにテレキネシスで襲い掛かってきているだろう。

ほんの少し落ち着きを取り戻した赤羽根は、ゆっくりとドアを開け、外に出た。

ドアを開けたまま、前の女性を見て、振り返り、後ろの男性を見る。

女性は相変わらずジリジリと近寄り、男性も赤羽根に近付いてきた。


「私にはちゃんと耳がある。普通に話して。」


だが、その赤羽根の言葉を無視するかのように、次のテレパシーが来た。


『後部座席へ』


これまで使い手と接してきた赤羽根のカンでは、テレパシーを送って来ているのは前の女性のような気がする。

しかし、なにか妙な違和感を感じる。

この違和感は何なのか……


「後部座席? エンストしてるわよ、この車。」


赤羽根がそう言うや否や、運転席のキーがひとりでに回り、


キュルル……ブルォン!


エンジンが掛かった。


「悪いけれど、そんな手品じゃ私は驚かないわよ。あなた達、使い手ね?」


後ろから近付いてきた男性が、後部ドアをチャッと開き、乗れ、という仕草をした。

男性を睨み付けながら、赤羽根は考える。

いつかのように、治信の携帯番号へワン切りする。

彼なら、治信なら、必ず追跡し、助けに来てくれる。


…あ!


自分の携帯電話、さっき手から落とした……どこだ、運転席の足元か?

赤羽根の額に汗が滲み出る。

運転席の足元を見ようと男性から視線を外した瞬間、女性がすぐ横まで来ていることに気付き、ドキッとする。


『後部座席へ』


赤羽根の汗が一筋、頬を伝って顎へ流れた。

車のエンスト、あっさり掛け直したところを見ると、こいつらの仕業に違いない。

ヘッドライトや警告灯が点きっぱなしであるところを見ると、バッテリーは繋がっている。

燃料パイプでも遮断したか。スパークプラグ配線か。

いや、方法はどうでもいい。

肝要なことは、今ここでは刺激しない方が身のためか、ということ。

赤羽根は、仕方なく後ろの座席に座った。

男性が運転席に乗り、女性は助手席に乗り込む。


「どこへ行くのか、教えてくれてもいいでしょう?」


男性も女性も、だが何も言わない。

テレパシーも、無い。

車は発進し、街灯の疎らな暗い裏道を進んで行った。

気絶させられたり眠らされたりすることを覚悟していた赤羽根は、何もしてこない謎の男女に拍子抜けした。

非能力者だと知り、甘く見られているのだろうか。

赤羽根は車が走る道順を記憶することに神経を使った。

どこへ連れていかれるのか。

そして、この男女は何者なのか。


…使い手、脱走者だとしたら……


死亡が確認されていない脱走者は、武儀帆海むぎほのみという女性と、美馬恒征みまこうせいという男性。

奈執志郎なとりしろうは情報によると太っているとのことだが、この男性は細身だ。


…だとしたら、私を誘拐する目的は何か。


可能性として考えられるのは、ことごとく襲撃を退けている湖洲香こずか紅河くれかわの情報が欲しい、といったところか。

そう考えた刹那、赤羽根は内心ほくそ笑んだ。


…あの二人はね、私の知る中では最強の取り合わせ、奇跡のコンビよ。そう簡単には勝てないわよ、コズカと紅河君にはね。


車は一旦国道に出た。

深夜二時を回ったとは言え、金曜の夜、国道を走る車は結構多い。

窓を開けて大声を出すか?

信号などで止まった時、ドアから飛び降りるか?

道を覚えながらも、逃げる方法も考えてみる。

だが、相手は使い手である。簡単には逃げられないだろうし、怪我を負わされるのは嫌だ。

先週の今頃は、半ば浮かれて楽しみにしていた土曜が、こうも恐ろしい状況になるとは。

携帯電話さえ手元に戻れば……


…ん?


ここは……岳狭がくはざま駅が近いか。

南土蔵駅から二駅登った駅が岳狭で、更に二駅登ると中代沢駅である。


…あれ、え?


車は、岳狭駅南口のロータリーから伸びる大通りへ入り、その道沿いにあるイタリアンピザ専門店の駐車場に入った。


…ここは、確か、今日の……


『降りて』


テレパシーが来た。

助手席の女性、だろう。

さっき感じた違和感は、もしかして……


「あ、え!?」


駐車場の中に、見覚えのあるバイクが止まっている。

バイクにあまり詳しくない赤羽根には自信が無かったが、以前後ろに乗った治信のバイクにそっくりである。

その時、運転席の男性が、赤羽根の携帯電話を左手で後部座席に差し出した。


「落ちてました。」


そ、その声……


喜多室きたむろさん!?」


『降りてってば』


助手席の女性が、煩わしそうにサングラスとマスクを外しつつ、テレパシーを重ねてきた。


「あ、よ、義継よしつぐ君……」


さっき感じた違和感。

それは、女性でありながら、そのテレパシーの思念の感じが女性らしくなかったことだ。


「な、な、なんなのよもう! 二人とも!!」


『早く降りてってば』


「テレパシーなんかいいって言ってんでしょ! 耳あるのよ耳ぃ! 普通に話せ! この引きこもり学生が!!」

「あ、ひどいなぁ、心理学の先生が心の病を抱える健気な少年に。」

「どの辺がどう健気なの!!」

「まぁまぁ。」


喜多室が苦笑しながらなだめるような声を出し、運転席から降りた。

赤羽根と義継も車を降り、三人はイタリアンピザ専門店に入る。

もう深夜三時近い。

通常この店は深夜二時でクローズなのだが、今夜は治信が朝の五時まで貸し切り予約を入れていた。

店内の客席には三名、中央のテーブルを囲んでいた。

治信、湖洲香、そして眠そうにうとうとしている紅河である。


「や、伊織いおりさんはスーツでしたか、これは失敗したな……」


頭をかきながら立ち上がった治信は、ジーパンにカジュアルシャツというラフな恰好をしていた。

つかつかと歩み寄る赤羽根。


「南條さん、これ、どういうこと? 確かお約束は午後でしたよね。」


湖洲香がテーブルに付いたまま両手を膝に置き、赤羽根と治信を交互に見ている。

その目は、嵐が来るのか、それとも晴れるのか、読めない雲行きを探っているような目だった。

癇癪を起こした赤羽根の怖さを一番知っているのは、この湖洲香である。


「はい。」

「はい、って……じゃあなんですか、こんな夜中に。」

「湖洲香さんが連絡をくれました。しばらく二十四時間拘束の業務に就くため、食事の約束には来れなくなった、と。」

「ん、ええ、まぁ、お伝えするのが遅れたのはすみませんでした。」


義継と喜多室がテーブルに付いた。

紅河は腕を組んで下を向き、居眠りしそうな状態である。

治信が続ける。


「ですが、湖洲香さんと約束した私としては、是が非でも遂行しなければなりません。」

「だからって、こんな夜中に……」

「遂行の条件を整理すると、湖洲香さんの二重警護任務が開始されるのは本日、土曜の紅河君下校時から。紅河君が部活を終えて帰宅する瞬間から伴瓜ともうり警視正の元へ行かなければならないので、その前に、となります。現状警護も鑑みると、紅河君を離れられないことも一つある。」

「……」


…だったらコズカと紅河君だけ呼べば済むでしょう。


「そして、伊織さん、あなたはおそらくパイロキネシス関連の特査業務が降って湧いていたはずです。だから、呼んでも来られない。」

「わかっているなら……」

「だから、誘拐する事にしました。」


…誘拐って、なによ、取って付けたように。


「私はですね、朝の七時には県警本部に上げておかなければならない報告書があるんです。こんな所で……」

「だ、か、ら、誘拐なのです。」

「あのね、はる……南條さん、警察を少し馬鹿にされてませんか? 誘拐されてたから報告が遅れた、とでも言えと?」

「その通りです。」

「こんな茶番に付き合っていられるほど警察は……」

「茶番ではありません。大真面目に被害届を本部へ出して頂きたい。」

「え?」

「それも事実の通りに。怪しい男女に、テレパシーを使ってきた事から使い手と思われる男女に拉致された、と。詳細も事実通り、車が故障したようになった事も含め、です。」

「はぁ?」

「喜多室さんとは今夜、というか、これから県警で打ち合わせの予定だったのでしょう?」

「そ、そうですけど。」

「誘拐され、車で移動中、喜多室さんと義継に保護された、と報告して下さい。」

「それ、嘘じゃないの。」

「どこが嘘ですか?」

「怪しい男女って、喜多室さんと義継君じゃないですか。」

「え? 違いますよ。」

「違わないでしょ。」

「怪しい男女は怪しい男女、喜多室さんと義継は喜多室さんと義継です。」

「屁理屈を……」

「伊織さん、今夜の件、私の言った報告を県警本部に上げると、何が起こります?」

「え、えっと……ん、私にも護衛を付けるべきかの検討が提起される、かな。」

「それ以外は?」

「それ以外、は……誘拐されて、移動中に助けられたのだから、義継君に感謝状、くらいかな。」

「それ以外は?」

「ええと……まぁ、誘拐の加害者を探せという動きが起こり、他には特に何も無いでしょうね。」

「加害者の特徴は?」

「男女の使い手。」

「……と言えば警察が想定するのは?」

「脱走者。」

「OKです。ここにいる誰にも矛先は向かない。そして、伊織さんの、特に何も無し言質、頂きました。さて、座ろう。」

「……」


…なーんか言いくるめられたような。


赤羽根は湖洲香の横に座った。

湖洲香の顔を見る。


…うっ、なんて眩しい目を。


湖洲香の、嬉しさを全身から発しているかの様な笑顔は、言葉や状況ではなく、感覚的に赤羽根を理解させるに充分だった。


…そっか、そうだ。この子の為に、この食事はあるんだ。


「博士、お兄さん、私、今夜のお食事、一生忘れられそうにありませんわ。」


湖洲香の言葉に、義継と喜多室も表情を緩める。

ただ一人、睡魔と戦っている紅河だけは、腑に落ちなかった。


…俺、朝八時から部活なんだけど……

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