懐疑警護 2.
城下桜南高校、昼休み。
「ちょっと来い。」
一年生の各クラスに、サッカー部二年の児島が周り、サッカー部員を呼び出していた。
児島の後ろには三年キャプテンの篠宮もいる。
一年部員は、児島の表情や言葉の重々しさに、ただならぬものを感じた。
弁当を出しかけていた古藤もそれをしまい、教室を出て着いていく。
後ろに従う一年の間で、こそこそ話。
「おこ?」
「多分。」
「おこっぽい。」
「なんで、なんかした?」
「わかんね。」
「どこ行くんだ?」
「部室じゃね?」
「篠宮キャプテンいるし。」
「やばくね?」
「こえ。」
「こえぇな。」
蒼ざめる一年部員が連れてこられたのは、体育館だった。
数名の女子バス部員がパスやシュートの練習をしている姿がある。
三年の桐山、二年の高島、一年の房生の姿もあった。
児島が女子バスのバスケットボール籠を指差し、サッカー部一年全員を睨み付けながら言った。
「なんだこれ。」
サッカー部一年は固唾を飲み、静まりかえっている。
児島はバスケットボールを一つ籠から取り、一番近い一年に投げた。
シュート練習をしていた女バスの桐山がサッカー部に気付き、手を止めてそちらを見る。
…あれ、篠宮君、部員も大勢、なんだろ?
児島は、ボールを受け取った一年部員に、怒鳴りつけた。
「その汚れは何だって言ってんだよ! 俺、なんつった? 毎朝、女バス朝練の前までにピカピカにしとけって言ったよな!」
ボールを手にした一年は、震える声で言う。
「は、はい、あ、今日は、俺たちの班じゃなくて、あ、誰だっけ、今日のボール磨き……」
後退りつつ周りをキョロキョロと見回す彼。
児島が再び怒鳴る。
「馬鹿野郎! 連帯責任だっていつも言ってんだろ! おい、一年リーダー、古藤!」
呼ばれた古藤は震える足を引きずりつつも、前に出た。
ひっくり返りそうな、だが大きな声で返事する。
「はい!」
「こっちまで来い。」
…怖えぇ……
古藤は顔を引きつらせ、女バスのボール籠に近付いた。
「ボール、見ろ。」
「はい! 見ました!」
「状態を言え。」
「はい! 黒いマジックとか、土の汚れとか、残ってるのがあります!」
「どうすんだ、これ。」
「はい! え、えっと、今から磨きなおします!」
女バスキャプテンの桐山は練習で手にしていたボールを持ったまま、飲み込めてきた状況に唖然とした。
…どうして、どうして女バスのボールの事でサッカー部の子が怒られてるの?
児島が古藤に問い続ける。
「それで?」
「はい……え、それで?……」
「床、見ろ。」
「はい! 見ました!」
「どうなってる。」
「少しボールの汚れが床にもついてます!」
「どうすんだ?」
「はい!……」
古藤が答えようとした所へ、桐山と、女バス二年の高島も走り寄ってきた。
桐山が言う。
「ね、あ、児島君、だよね。」
児島は桐山の方を振り向き、言葉を返す。
「はい! サッカー部二年、学年リーダーをやらせて頂いてる児島です! 桐山キャプテン、この度は大変ご迷惑をお掛け致しました!」
そして、腰をくの字に曲げ、深々と頭を下げた。
狼狽える桐山。
「な、何が? 迷惑なんて、だって、うちのボールだよ、これ、サッカー部の一年の子、関係無いんじゃ……」
バッと頭を上げ、両手を左右ピタリと身体に付けたまま、児島は言う。
「はい! 女バスのボールが汚れるような練習をご提案したのは紅河先輩だと伺ってます! それで篠宮キャプテンから指示が出ました! 女バスのボールを磨くのはサッカー部の役目だと! 汚れた床もキレイにします! 済みませんでした!」
「え、ええ?……」
桐山は、聞いてないよ、という目を篠宮に向けた。
篠宮は、それに気付かないフリをしつつ、そっぽを向いている。
彼の口元は、少し笑っていた。
「ちょっと、篠宮君、どうして、サッカー部の子を怒るなんてなんか違うよ。」
篠宮は、とぼけたような目を桐山に向け、言った。
「え、何が? 朝一の女バスボール磨きは俺が組んだサッカー部の練習プログラムの一つだ。サッカー部のプログラムに、なんで桐山が口出すの?」
「え、だ、だって、一年の子だってサッカー部の準備とかあるでしょ? なのに……」
「もっかい言うぞ。これはサッカー部の練習プログラムの中の問題だ。口出さないで欲しいなぁ。」
「んん、でも、なら、淳が自分でボール磨きに来てくれるならまだわかるけれど……」
児島が言葉を挟む。
「あのですね! 紅河先輩は、最初、ご自分で朝、女バスのボールを磨きに来てました! それを聞いて、俺が紅河先輩に頼み込みました! 二年にやらせて下さい、と! そしたら篠宮キャプテンが、丁度いい機会だから一年に経験させろ、と言い、今に至ります!」
「え……」
…淳が? 女バスのボールを磨きに? 全然知らなかった。
桐山のやや後ろで聞いていた高島も、口を挟みたいが、言葉が出ない。
高島は口を半開きにさせたまま、児島や篠宮、サッカー部一年に視線を泳がせている。
篠宮が言った。
「バスケットボールとサッカーボールは表面の素材が違うからな。これも勉強になるんだよ。どういうバウンドが、地面や床にどのくらいの面積で接するか、汚れ方から見ろ、ってこと。あれだ、紅河式オタク分析の一環だな。」
「え……」
桐山は思った。
淳なら言いそうだ。
女バスの為にバスケットボールを磨いてるんじゃない、自分が知りたい事があってやってる、と。
桐山も何も言い返せなかった。
彼女の後ろから、舞衣と愛彩が駆けてきた。
「何時から、ですか。」
「サッカー部さん、朝、何時に女バスのボール磨きに来てたの? ね、古藤。」
愛彩と舞衣の問いに、名指しされた古藤が答える。
「六時。六時四十五分には元どおりにボール戻しとく的な感じ。」
愛彩と舞衣は顔を向けて頷き合った。
舞衣が言う。
「サッカー部さん、ありがとうございます! 私は、五時……は眠いので、五時半……も眠いので、同じ六時には来ます! 教えて下さい、汚れ方から何がわかるのか! よろしくお願いします!」
舞衣の申し出に、児島が大声で答えた。
「おう! 了解です!」
サッカー部一年も、古藤の声に続き、答える。
「しゃす!」
「しゃあす!!」
桐山は、声が出なかった。
高島も、結局一言も発することが出来なかった。
…支えられてる。凄く熱いものに、私たちは支えられてる。
女バス部は、例の体育館の壁のマーキング、パス練習の的として油性マジックで書き込んだ印を一度も使っていなかった。
そのマーキングは、外の部室館の壁、教員たちが『勝利の壁』と呼んでいる壁に書き直され、外で練習がなされていた。
そこで積み上げられたプラクティスを、体育館に戻ってのゲームで試される、という形を繰り返している。
女バスによって新たに付けられた部室館外壁のマーキングは、消えかかった元の印から数センチ、或いは数ミリ修正されての上書きがなされ、日に日に変化し、どんどん壁を汚していく。
バスケットボールに土の汚れが付いているのはそのためだった。
雨の日も、パスの出し手、或いは受け手が納得いかないと、この『勝利の壁』に出る。
なぜなら、不思議な現象が起こり始め、実感が湧いてきたからだ。
不思議な現象とは、ゲーム中のシュートの本数。
これが二倍近くに激増している。
走る速さ、ドリブルの速さは何も変わっていないのに、なぜ同じ時間内で、打つシュートの数がこんなにも増えるのか。
パスを出すタイミング、ランニングキャッチで短縮されるわずかな秒数、パスを受けた者が次の挙動にすんなり入るスピード感、この一つ一つが積み重なり、桜南女バスの玉運びは見違える程の速度を付けていた。
これを始めてから、まだ何日も経っていない。
だから、不思議で仕方がない。
逆に言えば、今まで、ボールの受け渡しでどれほど時間をロスしていたかが判る。
そして、もたつくボール運びはカットされ放題のスキだらけ。
スチールされるのも当然というものだ。
実際に向上したのはスキル的な部分よりも、意識だろう、と桐山は思う。
意識する、しない、それだけでこれだけ変わる。
これに、手足の操作、ボール操作の技術向上が伴ってきたら……
『遅くねーよ』
あの日の紅河の言葉が、その意味が、少しづつ実感となってくる。
早急に解決したい、と桐山は改めて思う。
一年生の、練習に出てこなくなった『反対派』の部員たちのこと、そして、二年三年のスキル的な個人差による『もう試合に出たくない』という劣等感を持ってしまった部員のことを。
サッカー部に、紅河に頼ってばかりいられない。
それは、高島も同じ気持ちだった。
桜南女バスの過酷な試練は、まだまだこの先にある。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
紅河は、デパートの文披月祭典会場から取ってきた二枚の書を、未だ本人に返せずにいた。
京子の書には、隅に穴があき、その部分がしわくちゃになっている。
もう一枚、高岡芳美と名の入った方は、結構深く破れている。
更に、折りたたんで鞄に押し込んでいたため、展示された時には付いていなかった折り目がくっきりと付いてしまった。
「……ってわけでさ、半紙の穴とか、どうやって塞ぐんだ?」
改装された南土蔵駅前の喫茶店。
以前、火災に見舞われた店である。
紅河の横には湖洲香が、大きなパフェと格闘しており、前には橋石が座っている。
「穴? 一回溶かして再生しない限り無理だな。」
「端っこだけ再生とか出来るのか?」
「冗談はよせ。全部だよ。紙ごと溶かして再生。」
「話になんねぇな……折り目は? アイロン掛けたりとか、出来ないか?」
「あのなぁ紅河、紙も墨も、熱なんか加えたら必ず変質するんだよ。それくらい判るだろ、お前なら。」
「わからないから相談してんだろ。」
「まあ! また何か埋まってましたわ! なんだろ、すじすじ、ぶどうかしら。」
「湖洲香さんも何か手ないすか、考えて下さいよ。」
口の周りに白いクリームを付け、細長いスプーンでパフェを掘り進むことに夢中な湖洲香が、とぼけた声を出す。
「あら、こずかって誰かしら。知りませんわ、そんな人。」
むすっとした視線を湖洲香へ向ける紅河。
橋石はプッと吹き出すように笑った。
…参ったなぁ、こんな力作を傷モノにしちゃって、なんて言やいいんだ、京子に。
ムームー、ムームー……
その時、湖洲香の携帯電話が振動した。
「はい、ともりん。」
電話を耳に当て顔を上げた湖洲香は、口の周りに加え、鼻の頭にも白いクリームを付けていた。
橋石が笑いを堪えている。
『赤羽根よ。要点だけ伝える。周りに聞かれないようにね。』
「はい。」
湖洲香は若干目を細め、表情を引き締めた。
その真剣な表情と付いたクリームのギャップが、また橋石のツボを刺激する。
橋石は湖洲香の顔を見ないよう、視線を外へ向けた。
『今日午前中、伴瓜警視正が襲撃された。相手は炎使い、パイロキネシスという表現を刑事局が正式に採用。警視正の容態は左手にⅠ度の軽い火傷、業務に支障は無いそうよ。ただ……』
聞いている湖洲香の表情が険しくなっていく。
『警視正を護衛していた新渡戸巡査がⅡ度二十パーセント、Ⅲ度四パーセント、重症基準よりは軽いけれど、上腕部が黒焦げの皮膚炭化、オペを要する状態。』
息を飲む湖洲香。
「誰なのか、判明してるの?」
『色は青、おそらく穂褄ね。加害者はテレポーテーションで逃亡。新渡戸巡査の報告を見る限りでは、コズカと紅河君が遭遇した穂褄の炎とは威力も到達速度も段違い。新渡戸さんの腕の状態から、濡れた傘で凌げるような甘っちょろい炎ではないわ。まずこれが一点、それと、』
「はい。」
『今回の襲撃を受けて、伴瓜警視正の警護にコズカをまわすよう改めて指令が来た。』
「え、でも、じゃあ、紅河さんは?」
湖洲香は一瞬、横にいる紅河を見て、また視線を戻した。
『そう。警護の必要性で言えば昨日のデパートの件、紅河君の護衛も解くことは出来ない。そこで特査から折衷案を提示、紅河君が高校にいる時間帯はコズカが護衛、校門を出る所から翌日登校するまでの時間帯に喜多室さんを、その逆の時間帯は伴瓜警視正に付いてもらう。』
「承知しましたわ。でも、私も喜多室さんも二十四時間起きていられるわけじゃないわ。どうするの?」
『そうね。急なサイコスリープもあり得る。なので、伴瓜警視正には更に風見さんが付く。』
「紅河さんの時に寝てしまったら?」
『そこは、残念だけどもう回せる使い手がいないのよ。』
「え、刑事局にはまだ何人か……」
『佐海警視監に三人付いた。古見原警視にも二人。これで打ち止め。』
「んー、でもまだいますわ、第二ラボ教育生の子が三人。」
『彼らに警護任務は規律的にも与えられない。あの子達はまだ公務員ではない。もちろん、第三の二人も駄目。』
「マユミちゃんは……」
『冗談はやめて、のレベルね。』
湖洲香は目を泳がせながら思案したが、どう考えても紅河護衛に起こりうる穴は塞がらなかった。
「わかり、ましたわ……」
湖洲香はひとまず、穂褄のパイロキネシススペックにはまだ上があるようだ、との話を紅河にした。
それを聞いた紅河は、サンドイッチを一つ丸ごと口に押入れ、腕を組んだ。
もごもご口を動かしながら考える。
…発火に必要な温度が作れる、充分な酸素がある、これはいい。けど……
やはりおかしいのだ。
『光の帯』、『マルサン』という使い方、そこから無尽蔵に火が出る、そのロジックが組み上がらない。
見たもの、聞いたことを一つ一つ思い出す。
空中に突然ロープ状の火が現れた。
炎の色は不完全燃焼のオレンジ、外郭はほとんどが上に向かって燃え上がっていた。
最初はゆっくりと伸びてきて、ある瞬間からその横向きの火柱は加速した。
加速後、湖洲香の『光の帯』で作った壁を透過したらしい。
デパートでは、湖洲香が『光の帯』で包んでいた雨水を、水鉄砲のように圧縮して放出したその水で、火柱は消えた。
充分な温度が奪われた、が消えた要因だと思われる。
水が火を消して流れ落ちる様、それは火柱の形をなぞるようだった。
これもわからない。
第三階層にある『光の帯』は、第一階層の物質である水と接触できないはずだ。
火柱の形にあったであろう『マルサン』、そのマルサンに沿って水が流れた現象、これが理解出来ない。
まさか、穂褄のマルサンは三次元の物質と物理接触できるというのか?
特査の、警察の分析したマルサンの性質、これは本当に正しいのか?
おかしい。
何かが足りない……
紅河は湖洲香の方を向いた。
湖洲香も真剣な瞳をこちらに向けている。
だが、しかし……力が抜ける。
「コズ……ともちゃん、とりあえず、拭こう、口と鼻。」




