懐疑警護 1.
南條探偵事務所。
パソコンのモニターに返ってきた返信を見て、治信はタバコを咥え直し、ギシっと椅子の背に身体を預けた。
『アクセス難航。プロテクターを変えた模様』
夕方に発生した中代沢駅前デパートの集中落雷について、いつもの様に県警データへの不法アクセスを知人に依頼した、その返信だった。
くわえタバコを歯で噛む仕草をする。
若干の苛立ちがさせる癖だった。
…マスメディアより情報が遅いのでは商売上がったりだ。
メディアは報道協定の都合もあり、規制している事実がある上に、情報発信に一定のタイムラグを持たせる。
にも関わらず、ラジオでは第一報が報じられている。
…特殊査定班に新人を入れた、と言っていたな。
「門守結姫君、といったか、彼かな。」
理学博士や神学博士がデータプロテクトを担当するとは思えない。
とすると、事務雑用で入れたという二十代の若者、彼しかいない。
…何が事務雑用だ。とんでもないエキスパートを入れたな、伊織さん。
何も警察の極秘データをハッキングしようという訳ではないのだ。
少し覗かせてもらうくらい構わないだろう、と内心呆れさえする治信だった。
義継が尾けられていたという奈執志郎、喜多室巡査が遭遇した穂褄庸介、どちらがどう関わったのかだけでも至急知りたい。
もしくは、他の使い手も関わっていたのかどうか……。
タバコの灰が治信の口先で落ちそうになり、彼が灰皿に手を伸ばした時、事務所のコールブザーが鳴った。
時計を見る。
昼間電話してきた女性か。
確か、鈴木尚子といった。
インターフォンを取る。
「はい。」
『電話した、鈴木、ですけど。』
「承っております。今マンションの入り口を開けますので。五階の突き当たりに表札が出ております。お越し下さい。」
マンションのオートロック玄関が開き、女性が入っていく。
肩より少し長めの髪は、ストレートだが少々乱れており、前髪までワンレングスで、うつむき加減の顔が半ば隠れている。
若干の猫背で、薄黄色の地味なシャツにグレーのくたびれたロングスカート。
目つきもどこか虚ろだが、度の強い眼鏡がそれをなんとか隠している。
眼鏡が無ければ、鬱でも抱えているのでは、と見えてしまう様な暗い雰囲気を漂わせていた。
「人捜し、か。」
治信が電話で受けた内容をパソコンに表示させた。
相談から、料金は現金払い、とりあえず断る理由は特にない。
部屋のインターフォンが鳴った。
女性を招き入れる。
「こちらへどうぞ。お掛けになって下さい。」
治信は緑茶を出しつつ、事務所のソファへ座るよう促した。
この探偵事務所には、来客が座れるような場所はソファしか無い。
狭いリビングという事もあるが、敢えてそうしているのは、訪問者を全て録画カメラの中央に収める為である。
女性は気怠そうに頷くと、ソファに浅く腰掛け、ふぅ、とため息をついた。
…顔が白い。唇の色も良くない。低血圧か、な。
「鈴木尚子さん。このような遅い時間になってしまいまして恐縮です。なにぶん、今日は依頼が立て込んでおりまして。」
「はい……」
「差し支えない範囲で構いませんので、年齢、ご職業、お住まいを。」
「たばこ、臭い……」
治信は、初対面の場合、この最初の形式的なやりとりで過去に会った人物の変装や整形ではないかをチェックする。
クセ、挙動、声……記憶に該当する女性は思い浮かばなかった。
「あ、や、これはこれは、換気扇は回しているのですが……芳香剤が苦手でして、少し窓を開けましょうか。」
「私も、いいですか……」
治信は不意を突かれた。
鈴木が、ハンディバッグからタバコを取り出したからだ。
…す、吸うのか……
「あ、え、ええ、どうぞ。うちは時代に逆行する『全室喫煙可』の事務所ですから。風呂場にも灰皿があります。」
軽く冗談めいた表現を使ったつもりだったが、鈴木は何も言わず、暗い面持ちのままタバコに火を点けた。
彼女は緑茶を一口すすり、タバコの煙をはくと、治信の胸辺りに視線を置いたまま、静かに言った。
「二十三歳、OL、事務仕事、住所は……」
録音しているので不要だが、治信はこれも敢えてメモを取る。
メモしながら思った。
どこかに嘘があるな、と。
若干瞬きが増え、単語がやや早口でありながら途切れ途切れで並べられたからである。
…とりあえず、今は嘘のままでいい。
「どうも。もしかして、緑茶よりコーヒーの方が? それもブラックかな。」
鈴木は、え、という目を治信に向けた。
初めて、治信と鈴木の目が合う。
「いえ、お口にされた時、緑茶を味の無い水でもすするような感じで飲まれる方は大抵コーヒーを好まれ、一口目の飲む量が多い方は無糖を飲みなれており、甘さを好まれる方は口に入れる量が少ないんです。」
「……」
鈴木は言葉を発さなかったが、明らかに目の色に変化があったことを治信は感じ取った。
「ちょっと待っていて下さいね、鈴木さん。」
治信は優しく微笑むとソファを立ち、アイスコーヒーを取って来た。
「ブラックです。一応ガムシロップとクリームも、よかったらこれを。」
「どうも……」
鈴木はブラックのままアイスコーヒーを口にし、思った。
探偵って、なんだか凄いな、と。
「Y社のモカブレンド……」
「お、正解です。あまり高いのは買えなくてね。でも、私は好きなんですよ、これ。」
「いれ方、上手。酸っぱくなり過ぎてない……」
「お湯の温度とドリップ速度、ですね。割とこだわるんです、私。」
鈴木はしばし治信の顔を見つめ、再び視線を落とすと、タバコを灰皿で消した。
治信は、その彼女の目が何を考えたかまでは判らなかったが、鬱や精神疾患を抱える人の目では無い、という事は判った。
だが、何かを隠している感じは漂い続けている。
それは年齢や職種の事では無い。
これから受ける相談の具体内容にも、おそらく何かしらの、嘘とまではいかずとも隠し事が入っているに違いない、と治信は見当をつけた。
「親戚の子を、捜して欲しくて……」
「その子のお名前、性別、年齢、顔写真をお願いします。」
「二人いて、姉と弟で、武儀帆海が姉で女の子、今は二十一歳になってます。弟が武儀遊野で、十九歳。写真は無いです。」
…武儀、帆海だと?
知っている。
治信にとって、その珍しい苗字は記憶に新しい。
弟の名も、知っている。
「そうですか。お捜しなのは二人。行方がわからなくなったのはいつ頃ですか?」
「十七年前。」
後でデータ照合すれば、おそらく合致するだろう。
十七年前という数字。
「親戚、とおっしゃいましたね。どのような親戚関係ですか?」
「従姉妹です。親同士が姉妹。」
「まず、十七年という年月について……失踪当時、警察には届けておられますか?」
鈴木は、眼鏡を片手で掴み、震えるように掛け心地を直すと、視線を落としたまま言った。
「死んだ、と聞かされてます。二人とも。」
…半分正解だ。
「そうでしたか。武儀姉弟のご両親は?」
治信は、知っていて敢えて問う。
「もう亡くなってます。」
…事実通りだ。
「亡くなられた従姉妹を、どうして今になって捜そうと?」
「死んだ、と警察に言われて、なのに、い、いた、遺体、も、み、み、見せても、もらえ、なくて、死んだのなら、だ、ど、どうして死んだのか、それだけでも知りたくて……」
…む。
治信は聞き逃さなかった。
どもりながら、鈴木は言い掛けた。
『死んだのなら、「だ」、ど、どうして』
誰に、と言い掛けたのではないのか。
誰に殺されたのか、と。
言うべきか、今は言わざるべきか。
治信が知っている、武儀姉弟の情報を。
「そうですか。警察に届けられているのであれば、生存の有無の調査は難しくありません。死因についてもお調べ致しましょう。」
鈴木はカクカクと震えるように頷いた。
「同時に、それが警察の手違いで、生きておられた場合、捜し出すためにもう少し特徴が知りたい。ホクロとかアザとか、右利き左利き、そういった事を何かご存知ありませんか。」
「ゆうちゃんは、ゆ、遊野、くん、は、耳の下に、左の、ホクロがありました。右利きです。」
「お姉さんの帆海さんは?」
「え、ええと、右利きだったと思います。」
「他には?」
「私も、六歳、でしたし、あまり覚えてません。」
「そうですか……改めて言いますが、警察に直接ご相談された方がお金も掛かりませんよ。」
「警察は、警察はもう、信用出来ません……」
話す鈴木尚子、その表情や言葉の揺れをジッと観察する治信。
彼は緑茶を一口飲み、言った。
「わかりました。武儀ご姉弟の実家所在地、行方不明になった日時、場所、状況、ご存知の範囲でここにお書き下さい。」
治信は白紙とペンを差し出した。
「調査のお時間、三日、頂けますか。」
「はい、お願いします……」
「調査報告書が出来次第、こちらからお電話致します。」
鈴木は書き終えると、アイスコーヒーを残さず飲んだ。
ソファから立った後は、治信と目を合わせることなく、うつむき加減のまま事務所を出て行った。
治信はタバコを一本吸うと、デスクに戻り、パソコンのファイルを開いた。
白楼のデータホルダーにあった資料をコピーしたものである。
『武儀帆海/女/四歳/読心術/千里眼/備考;その能力媒体は体調により黄色から黄緑色の変色を繰り返す/1997年7月、緑養の郷より脱走』
『武儀遊野/男/二歳/読心術/千里眼/念動力/備考;その能力媒体は濃い緑色で白も混在する/1997年7月、緑養の郷より脱走、同年8月、死亡』
当時の武儀姉弟の胸像写真もデータ添付されている。
二人の幼い子供の顔は、姉の帆海は少し機嫌悪そうだが顎が少し上向きで活発そうな性格が表れており、弟の遊野は軽く首を傾けて屈託無く笑っていた。
そして……姉の帆海のデータには『死亡』の文字が無い。
鈴木はネットのサイトを見て南條探偵事務所にアクセスしたと電話で言っていた。
治信の弟が使い手である事を知ってのことだろうか。
いや、その前に、従姉妹が姉弟揃って使い手だということ、一般人的な表現をすれば超能力者であったこと、これを知っているのだろうか。
おそらく知っているのだろう。
幼い三人が遊んでいる中で、武儀姉弟が能力を使うシーンがあっても不思議ではない。
だが、治信が『特徴は?』と聞いた時、不思議な力を持っていた、とは一言も出なかった。
…知っていても言いたくない、が親戚としての心情としては普通、か。
そして、それは、鈴木尚子自身が使い手である可能性も孕んでいる、そう想定して動いた方がいい、と治信は考えていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日。
ネットを騒がせたのは、デパートの集中落雷よりも、警察が損壊したデパートに施した応急処置の方であった。
登校中に中代沢駅で途中下車した橋石は、多くの野次馬に紛れて、その現代アートのような光景に驚きの、否、ある意味感嘆の息をもらす。
…うっは、なんじゃこりゃ。
ヒビ割れて所々欠損しているデパートはスチール製の網が巻かれて覆われており、その外側には、網を支えるための鋼材が打ち立てられているのだが、問題はその外回りの鋼材である。
八メートルから十二メートルくらいの長さがまちまちな鋼材がデパート周囲のアスファルトに二メートル間隔くらいか、ザクザクと突き刺さっており、七階建ての屋上まで高さを稼ぐために、同じく鋼材が斜めに、編み物のように噛み込んでおり、更にその上、上、と乱雑に鋼材が噛み合いながら積み上がっている。
噛んでいるだけの鋼材が重さで崩れてこないのは、噛ませた部分がお互いにグニャッと潰されて変形しているからである。
…普通、高圧力ボルトで止めて溶接だろ。
そもそも、一体どうやって特殊加工の剛性スチール鋼を、まるでゴム樹脂のように変形させて編み込んだのか。
しかも、たった一晩で。
それと、素朴な疑問。
下の方と上の方を見比べると、噛ませた鋼材の揃い方が違う。
下の方はかなり乱雑に、大袈裟に言うとめちゃくちゃに編み込まれているが、上の方は割と規則正しい形を成して噛んでいる。
その橋石の疑問は、一時限目の授業を終えた休憩時間に、解けた。
何か知らないか、と彼が一斉配信したメールからリアクションが一件あったのだ。
橋石の電話の相手は、城下桜南高校に潜入している湖洲香である。
「……そうですわ。私が囲ったのよ。もう、気を緩めると崩れてきて大変でしたわ。なんだかとても眠くなってくるし。」
『あのての鋼材は引っ張り耐性とか伸び耐性とかハンパないっすよ。硬かったでしょ。』
「え、別に。」
『別に、って……』
「あ、橋石さん、このこと、一般の方に話しては駄目よ。内緒なのよ、『光の帯』のこと。」
『それは解ってますけど、いやぁ、凄いもん見せてもらいました、って感じですよ……』
「そう? なんか眠くて、結構覚えてないの。崩れなきゃいいや、と思って。」
『あれ、でも、あれはもちろん下から打ち込んでいったんですよね。』
「そうですわ。」
『なんか、下の方が雑に見えましたけど。』
「あ、喜多室さんが来た時、交代して寝ちゃったの。道路で。」
…喜多室さんの方が湖洲香さんより丁寧で神経細やか、と。
橋石は納得、すっきりしたと同時に、疑問、というか心配をした。
…再建する時、あれ、誰がどうやって解体するんだ?




