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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
155/292

蒼雷 7.

緩い登り坂が続く県道は徐々に道幅を狭め、民家や商店が疎らになり、代わりに緑が多くなってくる。

今年は蝉の声が少ないな、と義継よしつぐはふと思った。

七月上旬ともなるとTシャツ一枚でも汗ばむくらいなのだが、どんよりと曇る空は刺すような暑さを遮り、黒ジージャンを羽織っていても重たく感じない。

袖も短く裾もヘソまで届かない黒ジージャンは、そういうデザインでもあるのだが、義継が小学三年生の時に母に買ってもらったもので、さすがに高三の義継ではもう前のボタンは閉じられない小ささだった。


…買ってもらった時はぶかぶかだったのに、体だけはでかくなるな。


それでも細身で肩幅の狭い義継は、この黒ジージャンを今も愛用していた。

ヘルメットからはみ出る黒い長髪をなびかせスクーターを走らせる義継の足元には、白い菊の花束と小さな包みがある。

彼は走行距離メーターをチラッと見て、セルフのガソリンスタンドに入った。

目的地である霊園の手前では最後のガソリンスタンドになる。

給油中、遠くで雷鳴があった。


…刑事局の警官が落雷で死亡、か。


兄の治信はるのぶが言うには警察は使い手による人為的落雷の可能性を検証中とのことだったが、義継には今ひとつ信じられない。


…『光の帯』で雷とか、どうやるんだっつーの。


治信の説明は、義継にはよくわからなかった。

この三次元に重なり四次元、更に五次元があり、物質の最小単位である素粒子の振動はそれぞれの次元で異なる、とかなんとか……


「三次元の空気を? 五次元で霊体振動が巻き込み? 空気も振動属性が代わり?……」


スマホへ転送された文章を読んでもさっぱりわからない。


「温度が変えられるなら電気代かからなくていいな。」


出た感想は特査の雅弓まゆみと同レベル。

いや、破壊力や応用を追求しない義継にとってはどうでもいいこと、と言えた。


霊園に着いた義継は駐車場の隅へスクーターを停め、花束と包みを抱える。

駐車場には霊園管理者のワンボックスカーが停まっているのみで、他に来園者はいないようだった。

墓地の通路を歩く義継の首筋を、湿気を伴った生温い風が撫でる。


…降るのか? 最近多いからな、にわか雨。


墓石には『優』という毛筆の一文字が大きく刻まれ、その下に二名の女性の名が彫られている。


徳田信子

徳田義乃


そして、それぞれの命日が記されており、その二つの命日には必ず兄の治信と訪れているが、今日はその命日ではない。

義継の母、義乃めぐのの誕生日であった。

『優』という文字の墓石は、治信の収入と義継がアルバイトで初めて得た収入を使って後から添えられたもので、兄弟二人で考えて『優しかった母』の意が込められている。

だが、『徳田』という父の姓は何度見ても嫌な気分に襲われる。

旧姓に変えられないものか、とも二人で思案したが、亡くなった時の戸籍名は重要だと知り、そのままにしてあるのだった。

義継は白い菊を供え、目を閉じ、心の中で静かにささやく。


…誕生日おめでとう、母さん。


線香は炊かないし、手も合わせない。

誕生日にそんなことをする人がいるものか、というのが義継の考えで、宗教的にどうのといった深い意味あいは無い。

彼は墓前で地面に胡座をかいて座ると、包みを開けた。

ジーパン越しにひんやりとした踏石の冷たさが伝わる。


「ほい、母さん。」


クリームあんみつを二つ取り出し、一つを墓前に添えると、もう一つは自分で食べ始めた。


「んー、これ、甘すぎない? 今回はどう?」


義継の母、義乃めぐのはクリームあんみつが好きだった。

だが、亡くなった七年前によく買っていたものはもう店が潰れており、毎年その都度手に入るものを購入して持ってくるのだった。

義継は紙コップを二つ出すと、ペットボトルの緑茶を注いだ。


「僕には茶がないと無理だよ。母さんは平気?」


義継の独り言が、緑に囲まれた霊園に静かに溶けていく。

空のあんみつのカップを一つ包みに戻すと、彼は両手を後ろについて背をやや反らせた。


「ふう。」


鳥の声、蝉の声、そして樹々のざわめきが耳に入ってくる。


「今日の誕生日プレゼントはね、驚くよ、母さん。」


義継は付いた手を前に戻すと、手の汚れを軽く払った。


「僕に、また友人が出来たんだ。本当だよ。」


何も答えない墓石に、穏やかな顔で話し続ける。


「去年の秋頃かな、その新しい友人はスポーツマンなんだ。驚いたでしょ。」


『友達は宝物よ。大事にしないとね、和義かずよし


生前の母の言葉。

だが、母が亡くなってから、義継が持っていた大勢の友達は、一人残らず義継から離れていった。

発現した魔法『読心術』は、小学四年生の徳田和義を完全に孤立させ、漆黒の闇へと突き落とした。


大事にって言ったって、嘘ばかりつくんだ。

嘘は僕もつく。

嘘が悪いって言ってるんじゃない。

それは嘘でしょ、と言うと、怒り出す。

みんな、怒って遊んでくれなくなる。

全部の嘘をバラしてるわけじゃないよ。

あの子が困ってるじゃないか、嘘はよせよ、って、母さんが言うように大事にしたかったんだ。

友達をね。

『嘘じゃないよ!』って突っかかってくるから、ほら、今、こう考えたでしょ、って言う。

そうなったら、もうおしまいだった。

気味悪がられる。

いじめられた。

前は仲良く遊んでいた友達、みんなが僕をいじめ始めた。


「母さんがくれた力なんだろ、この白く光る魔法の帯は。」


和義の……義継の表情には、だが、以前のような恨みや困惑は無い。


「わかったんだ、やっと。」


義継は緑茶を一口飲んだ。


「キョウが教えてくれたし、その新しい友人が確証をくれた。」


白い菊を見る。


「母さんがくれた魔法は、本当の友人を探し出す鍵だったんだね。」


白い菊には『真実』という花言葉があるという。


「新しい友人は、紅河くれかわクンというんだ。体重が僕の二倍くらいありそうなデカいやつでね。大事にする友人二人目。この報告が今年の誕生日プレゼント。」


義継の顔は、どう、褒めてよ、とせがむ子供の顔だった。

母が何よりも喜ぶであろうプレゼント。


橋石きょうせきクンも、紅河クンも、嘘はつくよ。でもね、その嘘は、隠したり逃げたり、人を罠にはめたりっていう卑怯なものじゃない。誰かを助けるために、彼らは嘘をつく。本当に凄い友人なんだ、二人とも。」


義継はスマホを取り出し、紅河の画像を表示した。

それを墓石に向ける。


「これが紅河クン。バカ正直でさ、純粋なくせに、強い男なんだ。嘘で固めているヤツなんかには絶対に負けない強さを持ってる。どうして僕なんかの友人になってくれたのか……ちょっと不思議だよね。」


…キョウも紅河クンも、あの勇気はどこから出てくるんだ。


義継から見た橋石と紅河。

橋石は、恐れを知らない、言い方を変えると恐怖を考えないようなタイプに見える。

紅河は、恐怖する。だが、それを跳ね除けて前に進むタイプか。


…ん、とすると……


「キョウは無謀、紅河クンが勇気、か?」


義継は軽く笑った。

橋石は出会った時から、義継の容姿や能力に憧れている、とはっきり言っていた。

得体の知れない『読心術』というものに全く怯えない。

心を覗かれても、少しも動じない。

紅河は、容姿や能力など関係ない、と言う。

助けてもらったから、助ける。

友達? もう友達だろ、と、深く考えるでもなく答える。


…とすると、ん、勇気はキョウの方か?


わからない二人だ、と義継は苦笑する。

わからないが、彼らの心の中に自分の居場所があることを思うと、言いようのない安心感に包まれる。


『おい義継、お前知ってるか、桜南のクレカワっていう、サッカーの、蹴りで何人も病院送りにしてるっていう暴れ者、俺、これからそいつとケリ付けてくっから、俺が死んだら線香くらいあげに来いよ』


いつかの、橋石の言葉。

そういえばあの時、橋石の怯えた顔を初めて見たな、と思い出す。


「くく……くはははは。」


初めて恐れた相手があの紅河クンかよ。

実際は大人しく、喧嘩などしないのんびり屋の紅河クン。


…面白い二人だな、全く。


そして底なしにお人好しな二人だ、と義継はニヤけた。


「そうだ、母さん、それからね……」


義継はスマホに指を滑らせ、別の画像を表示した。

色白で髪の長い、可愛らしい若い女性が写っている。


…初めて会った自分以外の魔法使いで……いや、正直に、ちょっと気になる女性が、と言おうか……


物言わない冷たい墓石の前で、あたかも実在する母への報告のように、義継は恥ずかしそうにうつむく。

彼は下を向いたまま、墓石へスマホの画面を向けた。


「この人、若邑湖洲香わかむらこずかさん。二つ歳上で、警察で働いてる。なんて言うか、放っておけない人で、まぁ、守りたいっていうか、そういう人。」


義継の耳は赤くなっていた。

母親に女性の話をする恥ずかしさってこれか、と思う。


「でさ、相談なんだけど、兄貴がさ、今度の土曜に湖洲香さんと食事に行くぞっていきなり言ってきて、勘弁して欲しいなと思ってんだけど……どう思う、母さん。」


『笑顔を見せる女の子は、和義を頼ってるのよ。話を聞いてあげなね』


小学校に上がったばかりの六歳の和義が母に言われた言葉。


『母さん、クラスの女がベタベタしてくるんだよ。何なんだろ』


そう母に問う六歳の自分も、内心満更でも無かったことを思い出す。

人間不信に陥り自閉症になる前の、遠い記憶。

そういう記憶が甦えるようになったのも、思考を共有した湖洲香と出逢ってからであった。


「そうか、話を聞いてあげる、か……行くかなぁ、面倒いけど。」


人間不信の義継は、物を食べている所を人に見られるのも警戒してしまうようになっていた。

美味しいか、とか、これも食べて、とか、干渉されるのが嫌で嫌で仕方なかった。


「湖洲香さんさ、今までピザを……」


食べた事が無かったんだって、と言おうとした義継の腕に、水滴がポツッと当たった。


…雨か?


遠くで雷が鳴る。

空を見上げながら立ち上がる義継。


…!


墓石へ向いている義継の視界、その右端ギリギリに人の姿が映った。

それも、近い。

三メートルと離れていない。

義継は思わず右へ振り向きそうになるのをなんとか堪えた。


…墓参りの人か? 足音も気配も感じなかったが。


義継は、まだ墓石の方を向いたまま、尻をパンパンと叩き土埃を払った。


…クレヤボヤンスを出すか、いや……


視界ギリギリにいるその人物は、真っ直ぐこちらに向いているように見える。

近付きもせず、離れもしない。


…墓参りならさっさと行けよ。


まさか、幽霊か。

義継は幽霊というものを一度も見たことがない。

『光の帯』には幽霊を透視する能力もあるらしいが、義継はその『光の帯』自体を出していない。

彼はその人物と反対の方向、左へ向いて歩き出そうとした。

その時である。


「南條義継さん、ですね?」


その人物が声を掛けてきた。

どうやら幽霊ではないようだ。

義継は振り向きながら考える。

ここに自分が来ることを知っているのは兄の治信のみ。

治信の知り合いか。

であるならば、治信なら事前に連絡を必ずよこす。

一体誰だ……


「いえ、イモージェンプーツです。」


そう言いながら振り向いた義継の見た先には、人懐こそうに細い目を緩めた男性が立っていた。

紺色のスラックスに青系のワイシャツ、一見サラリーマン風だ。

歳は二十代か、三十代か、そう年配には見えないが、少し腹が出ている。


「イモージェン、プーツ……ああ、あの美人女優ですか。確かアメリカ、あ、イギリスかな、あなたも綺麗な顔立ちだが、似ていませんね。」

「誰?」


義継の素っ気ない聞き返しに、表情を変えずに男は答えた。


奈執志郎なとりしろうと言います。聞きたいことがありまして。」


次第に強まってくる雨の中、義継はその男に背を向けて言った。


「僕の事を知っているなら、自閉症で会話が出来ないことも知ってるでしょ。さいなら。」


歩き出す義継。


ピカッ……ズンッ!メキメキメキ……


それは、音よりもズンッという振動の方が義継を驚かせた。

義継が歩く先、霊園の外側に立ち並ぶ樹木の一本に、雷が落ちた。


「悠長にしゃべっているじゃないですか。」

「……!」


男のその声は、義継のすぐ背後で聞こえた。

数メートル離れていたのに、いつの間に。

自分を南條義継と知っているなら構うものか、と義継は、振り向きざまに白い『光の帯』を放出した。


…『マルサン』とか言う出し方か!


肉眼には見えていなかった。

だが、今放出した義継の白い『光の帯』にははっきりと視えている。

奈執なとりと名乗った男から上空へ伸びている紫色の『光の帯』が。

その『光の帯』には黄色い筋がヌメヌメと這うように流れている。


「なに、雷とか、落せるの?」

「いえ、今のは偶然です。」

「それ、嘘だったら舌を引っこ抜くよ。」

「それは勘弁して下さい。痛いし、しゃべれなくなる。」


義継は思った。

ここは母の墓前だ。

見せたくない。

つまらない争いは。


「雨に濡れたくない。事務所? 詰所? 墓の坊さんがいる所に行こう。」

「それには及びませんよ。」


奈執の言葉の後、次第に雨は弱まってきた。


「ここでは話したくないと言っているんだ。空気読め、細目デブ。」

「ひどいなぁ、細目デブは。まあ、その通りですけれど。」


二人が霊園管理事務所の前まで戻って来ると、雨は上がっていた。

だが、空は相変わらず灰色の雲を敷き詰めている。

義継が先に口を開いた。


「話す前に、僕から質問だ。職業、年齢、住所を言え。」

「おいおい、君は警察かい? 仕事は会社勤めだ。印刷業者の会計をしている。三十二歳。住所も言わなければダメかい?」

「名刺、くれる?」

「私は皆月岸人みなづききしと君を探していてね、南條さんなら知っているかなと思って。」

「め、い、し。」

「はは、どうも、参ったなこりゃ。正直に言うけれど、警察に私の動きを知られたくないんだ。警察庁と対立することになると思う。簡単に身元は明かせないよ。」


…そこまで言うってことは、僕が基本的には傍観者だと踏んでいるのか。


「迷惑なんだよねぇ、そういうの。僕を巻き込まないでくれ。」

「南條さんだって、理不尽に拘束されただろ、白楼はくろうに。腹立たしくないのかい?」


…ああ、うざ。


「話せることは何もない。さよなら。」

「SATに南條さんを襲わせたのは伴瓜ともうりだよ。あの時公民館にいた灰色の使い手は根津尊ねづたけるさん、根津さんに喜多室きたむろと君の乗る車を切断させたのは谷元たにもと。これも指示したのは伴瓜だ。」


義継は駐車場に向かいかけた足を止めた。


「伴瓜と死んだ蓮田はすだは国家公安委員の杉浜光平すぎはまこうへいと内通、今の刑事局捜査課の課長になった古見原こみはらは白楼の医療所長の息子だ。死んだ古見原も我々能力者の人体実験に手を貸した。刑事局捜査課の腐敗は止まらない! 君は腹が立たないのか、南條義継さん!」


…ほぼ野神のがみさんの話通りだな。どこから情報を拾ってるんだ?


だが、義継は言い捨てた。


「興味ない。」


そして、駐車場へ向かって再び歩き出した。

奈執の言動、話す様子から伺えることは、義継を敵視している訳ではないということだった。

義継が警察に奈執という男と会ったことを話さないという保証はないにも関わらず、ペラペラと情報を垂れ流した。

まるで、願わくば仲間に、とでも言わんばかりに。

そして、義継の腹の内は決まっている。

自分が動くことがあるとすれば、それは湖洲香に危険が及ぶ時だけだ、と。

それは、どちらと敵対であろうと関係ない。

脱走者と敵対しようと、警察と敵対しようと、湖洲香の平安を脅かす方を潰すのみだ、と。

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