蒼雷 6.
「辞める必要なんかあるのかい、工藤君。」
県内切り花卸売センターの観葉植物栽培エリア、その事務所で、工藤と呼ばれた若い男性は帽子を取り、栽培管理主任に深々と頭を下げた。
「ご迷惑をお掛けするわけにはいきません。いろいろとお世話になりました。」
工藤とは偽名で、彼の本名は穂褄という。
使い手の刑事である喜多室に姿を見られてから数週間、体調不良を理由に休んでいた。
その間、何度も県警の刑事がここへ訪ねて来ていた事は穂褄も知っていた。
刑事と栽培管理主任との会話、その内容は拾えなかったが、第三階層クレヤボヤンスで視る主任の表情から、自分が超能力者である事は刑事から明かされていないのだろうと感じ、今のうちにと辞表を持参したのだった。
「いやいや、迷惑など何もないよ。刑事さんが来た時は驚いたけどね、工藤君は何もしていないと言うし、なんだ、参考に話が聞きたいだけだと言ってたよ。」
「ええ、警察には、後で自分で行ってきます。」
「そうかい。ま、体調も戻ったなら何よりだ。これ、ほら、返すから、これからも頼みますよ。」
そう言って主任は穂褄へ辞表を返そうと差し出した。
「いえ、長く休んでしまいましたし、本当にすみませんでした。植物の世話は目を離してはいけないのに、特に梅雨も明けて暑くなるこの時期に、こんな俺ではもう務まりません。」
穂褄は内心から申し訳ないと思っていた。
何よりも、手を掛けてきた可愛い植物たちを放って、警察を避けるためだけに休んでしまった事を気に病んでいる。
表皮の水分が足りなかったあの子は大丈夫か、無駄葉を取り損ねたあの子は誰かに切ってもらっただろうか、肥料を少し変えたあの子達はその後どうだろう……
「何を言いだすかと思えば、工藤君、前も話したろう? 君は二人で一時間かかる作業を一人で三十分足らずで終わらせる。ハウスの室温や湿度もきちんと維持してくれている。気候が変わりやすい季節の変わり目でも、君ほど環境維持をしっかりやる作業員は見た事がない。」
…それはそうさ。俺はそういう能力を授かった男だ。
「添え木や治具もなんら特別な物を使うでもないのに、工藤君の手入れした植物は皆姿が美しい。売り上げが伸びているんだよ、君のおかげで。」
…人の腕力を遥かに超える力が出せるからな。
「いやさ、収益の話なんかヤボかも知れなかったな、すまん。それよりも、だ。工藤君、」
「はい。」
「私が君にいて欲しい一番の理由はね、植物を見る目だよ。手入れをしいている君の顔には、思いやりや愛情を感じる。」
「主任……」
…それは、出来れば俺も辞めたくない。
穂褄は植物が好きだった。
世界中の様々な気候環境で、生き残るために進化してきた植物たち。
葉が大きいことには意味がある。
表皮が硬いことには意味がある。
背が低いことには意味がある。
花が白いことには意味がある。
海水で生きられるマングローブの驚くべき塩分濾過能力。
葉に毒素を蓄積して自ら落葉させる素晴らしき浄化能力。
植物の姿には全てに意味があり、そして美しい。
どれもこれも皆、究極の自然美を持っている。
その世話、世話した分まるで感謝しているように美しく育っていく植物たち。
こんなに楽しい、やりがいのある仕事が他にあるだろうか。
だが……
「……主任、そう言ってもらえて、嬉しいです。ですが……」
なんと言えばいいんだ。
これから人を殺します。
仲間の尊厳を取り返します。
理不尽に虐げられる能力者の人権を取り戻します。
なんと言えばいいんだ、なんと……
「ですが、警察のこともありますが、少しやる事が出来て、その、もし、また俺が、その、履歴書を持ってきた時は、また使ってもらえたら嬉しいです。」
「それはもちろん。やる事って何だい?」
「それは、その、お話するような事ではないので……あの、植物の事をいろいろと教えてくれて、本当にありがとうございました。急なことで悪いんですが、やはり今日で、その、すみません。」
改めて頭を下げる穂褄に、主任は残念そうな目を向けた。
「そうか。出来れば工藤君の技術を引き継ぎしてもらいたいが、それも難しいか?」
「はい、すみません……」
「うん、わかった。退職金は弾ませてもらうからね。」
「い、いえいえ、自分の勝手で、ですから、いえ、いえ……」
「それと、好きなの持っていくと良い。」
「え?」
「栽培エリアにある植物、どれでも好きなものを持っていきな。」
「いいんですか?」
「ああ。」
穂褄の頭を真っ先に過ぎった植物はフィットニアだった。
気温が10℃を下回ると枯れてしまうデリケートな小型観葉植物で、緑や赤の独特な愛らしい葉を茂らせる。
秋口に小さな白い花を咲かせるが、大抵その花を見る前に枯らせてしまう。
また、夏場でも風通しが悪くなると茎が蒸れて萎れることがある。そのくせに葉っぱを密集して茂らせるという困ったところがあり、乾燥に弱いが葉はある程度梳いてやらねばならない手の掛かるフィットニア。
その性質上、夏を過ぎたらこの卸売センターではもう売り出さない。
だが、穂褄は苦労してやって退けたのだった。
ほとんど見ることの無い、花を付けたフィットニアを九月に展示することに成功した。
訪れる得意先も、一般客も、センター従業員までもが、フィットニアを知る者は一様に感嘆の声を漏らした。
花はそれほど綺麗ではないし、地味で目立たない。
だが、苦労に苦労を重ねた穂褄には忘れられない花となった。
小さい観葉植物だし、これなら差し支えないだろう、と穂褄は思った。
「あ、じゃあ、赤いフィットニアを一株。」
「お、そうきたか。目を離すとすぐ枯れるぞ。」
穂褄は恥ずかしそうにうつむき加減で笑いながら言った。
「俺以外の人なら、ね。」
「おお、そうだったそうだった、君はあの工藤君だったな。忘れてたよ、あはははは。」
…主任、本当にありがとうございました。
穂褄は、緑の葉に赤い筋の入ったフィットニアをポリ袋に入れ、切り花卸売センターを後にした。
…さて。
『抜き取り』にこだわる必要があるのだろうか。
我々の仕業だと気付かれなければそれでいいはずだ。
伴瓜の自宅マンションに落雷直撃、これは少々難しいか。
使い手刑事を警護につけていたら厄介だ。放電は第一階層テレキネシスで止められる。
水で溺死させるか。
いや、これは司法解剖で使い手の仕業だと疑われる可能性が高い。
やはり……
…遠隔放火で焼き殺すか。
全身火傷なら司法解剖からは証拠は出て来ない。
問題は火元だ。
あからさまであったら、やはり足は着く。
ガソリンスタンドでの事故、他の火災を陽動的に起こし巻き込む、車両衝突事故から炎上させる……
火そのものは二次的な物に見える事故。
…まずは、伴瓜に使い手の護衛が付いているかどうか、だ。
あの学生はどうするか。
スナール憑き、紅河淳。
非能力者の彼を仕留めるのは容易い。
野神も、紅河の篠瀬殺害誘導は否定していたが、確証は無い様だった。
紅河については警察も調査中ということだ。
…威嚇しつつ、紅河も調べる。
穂褄は知らなかった。
県警と紅河の関係を。
捜査課の崎真警部補とは親しく、また、特殊査定班の赤羽根からは特別な信頼を寄せられている紅河。
そして穂褄は考えてもいなかった。
紅河に、赤い魔女の護衛が付いたことを。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
警察庁刑事局捜査課。
野神は県警から届いたばかりの事情聴取報告書に目を通していた。
その報告書には佐海刑事局長と古見原捜査課長のデータ印が入っている。
「……なるほど、やはり紅河君ではない、か。」
篠瀬の小林京子へのアプローチから紅河が伴瓜の実家へ行くに至った経緯まで、特査による聴取内容が全て記されている。
そして、野神自ら作成した報告書『穂褄庸介との接触報告』と並べて表示した。
篠瀬へ発砲した警官が落雷で死亡したと連絡を受けたあの夜、野神が帰路についた明け方四時過ぎに、穂褄は現れた。
タクシーから降り、自宅マンションの入り口に入りかけた時、背後から声を掛けられた。
「穂褄です。こんな時間にすみません。」
唐突に、丁寧な口調で名乗ってきた穂褄庸介。
用件は、やはり野神に警察から去って欲しいというものだった。
目的を問うと、能力者の人権奪還のために刑事局と対立する、と言葉に出して言った。
反射的にテレパシーを仕掛けた野神を、言葉で止めてきた穂褄。
「俺は嘘は言わないです。ただ、言えない事もあります。お互いにテレパシーはやめましょう。」
そして話は篠瀬佑伽梨の一件に及んだ。
穂褄は篠瀬殺害を警官の独断ではないと見ていた。
そして、発砲の指示者、或いは誘導者について執拗に聞いてきた。
「私にもわからない。現在、現場目撃証言を集めての調査中だ。こちらからも聞きたい。発砲した者が死亡した。他殺の可能性を追っている。何か知らないか?」
野神の問いに、しばしの沈黙の後、穂褄はこう答えた。
「俺だったら、なぜ篠瀬さんを撃ったのか聞き出すまで死なせない。」
死因に関わる発言が出れば穂褄が何かを知っている証になるが、落雷という言葉はおろか、殺す殺さないという他殺表現すらも出なかった。
野神は穂褄に任意聴取の警察庁出頭を促したが、案の定断られた。
穂褄の答え方、使った表現、どう解釈し、どう読むか。
…伴瓜警視正であれば、罠に掛けてでも警察庁へ引っ張れ、と指示を出すのだろうな。
野神は思い起こす。
使い手を発見し次第能力者聴取にかけろ、その為の手段は選ぶな……南條義継、仔駒雅弓は、伴瓜指示の元に動いた谷元警視や使い手刑事によって確保された。
だが、今の上司、古見原警視の指示は全て任意同行である。
同じ過ちを繰り返さぬ為に、か。
それとも、伴瓜警視正がやり過ぎだったのか。
叩き込まれた『正義』に従うなら、伴瓜警視正の行動が正しく見える。
任意同行では野放しと変わらない。
正しく見える、のだが……招いた結果はお粗末としか言いようがない。
ただ、ただ、である。
思えるのだ。
今こそ伴瓜警視正のやり方を強行するべきなのではないか、と。
穂褄が悪人とは言わない。
前科も前歴もなく、直接会った本人は、若者特有の青臭さはあるものの礼儀正しい青年だった。
その青年が、その口で発言したのだ。
刑事局と対立する、と。
これが犯罪やテロをほのめかすものであったなら即時連行であるが、『対立』という表現が上手く交わしている。
暴力を用いるとは一言も言っていないのだ。
…私の穂褄接触報告、上はどうリアクションを起こすか。
動きようのない事実が一つ出来上がってしまっている。
刑事局の関係者が……罪状の無い女性を一人死に追いやった、という事実が。
悔やまれてならない。
篠瀬の死を止められれば。
あの時、野神自身が篠瀬へ聴取要請に向かっていれば。
…ん。
「私自身が佑伽梨さんに……そうだ、伴瓜警視正は、なぜ付人の組対警官を向かわせたんだ?」
『合図を決めてある』
今の今まで全く疑わなかった。
組対警官を呼び戻す合図。
自分が『光の帯』で彼の首筋に触れた。
もし、もしも……
まさか……
この後に及んで、疑うな、と言うのか。
野神の額に脂汗が浮かんでくる。
疑ったら、疑っては、組織は機能しない。
正義は破綻に向かう。
自分自身が凶器に成り果てる。
疑うな。
部署は違えど、伴瓜警視正は戻ってくるのだ。
この刑事局へ。
…教えてくれ、佑伽梨さん。私はどうすればいい。
無意識に、野神の手は動いていた。
警察手帳を開き、折り畳まれたそれを、見る……
そして、内線電話の受話器を上げた。
「……野神であります。古見原課長、ご相談があります。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
県警、特査。
デスクでデータ作成をしている赤羽根の視界の隅に、スリッパを擦る音をかすかに引きずり近付いてくる雅弓の姿が入った。
普段のうるさいほどの元気はどこにも無い。
スリッパの音は赤羽根のすぐ横で止まった。
代わりに、猫の鳴き声が小さく鳴った。
にゃあ
「なに?」
赤羽根はパソコンのモニターから目を離さない。
「コズカいいな。」
「なにが。」
「せんにゅうごえ。」
「潜入、護衛、ね。」
「いいな。」
「あんたに護衛なんか出来ないでしょ。」
「そうじゃなくて。」
「忙しいんだけど。」
にゃあ
「勉強が済んだなら娯楽室の掃除でもして。コズカいないんだから。」
「学校いいな。」
「ええ?」
赤羽根はやっと雅弓の方へ振り向いた。
「学校?」
雅弓は上目遣いで小さく頷いた。
「学校がどうしたの。行きたいの?」
「うん。」
「保護観察が解けたら嫌がっても行かせる。それまでユウキ君に教わりなさい。」
雅弓は視線を床に落とした。
そして、またとぼとぼと赤羽根から離れて行った。
数メートル離れると、不意に赤羽根の方へ顔を向け、言った。
「モジャモジャモジャモジャオバンオバン!!」
赤羽根はパソコンのモニターを見たまま付箋紙の塊を雅弓へ投げ付けた。
パサッ
付箋紙は雅弓の背中に当たり、ポトッと床に落ちる。
雅弓はその付箋紙に見向きもせず、予備室へ入っていった。
彼女は予備室の電気もつけず、自分用に設置してある勉強机の椅子に座る。
薄っすらとガラス越しに事務所の灯りがさす予備室で、勉強机の上に、涙が一粒落ちた。




