蒼雷 5.
「紅河君、そろそろ時間だわ。最後に……コズカ、例のデータファイル開いて。」
「はい。」
赤羽根の言葉に反射的に頷くも、マウスをクルリと回す湖洲香の挙動は紅河の視界には入っていなかった。
必死に頭を廻らせ知識を掘り起こす。
温度、湿度、イオン、電荷、雷、気圧……湖洲香の『壁』が万が一間に合わなかった場合、対策はあるのか。
静電気除去、いや、自分の周りを帯電させて逃す……どれもこれも、相手がどうやって人を帯電させているのか判らないと手の打ちようが無い。
「紅河君?」
赤羽根の呼び掛けで、湖洲香がノートパソコンのモニターをこちらに向けている事にハッと気付いた紅河は、一度両目をぎゅっと閉じて深呼吸をした。
「すません、はい。」
「考え込む気持ちもわかるよ。でも、今は情報だけでも持って帰って。モニターにあるのは極秘データ『マルサン』テレキネシスの構造よ。」
「マルサン、テレキネシス?」
「さっき話した気温と湿度を操る『光の帯』の運用方法や効果。この資料は門外不出、印刷とか出来ないの。三分で目を通して。質問にも答えられない。判る範囲で頭に叩き込んで。」
「はい。」
深呼吸が多少なりとも脳に酸素を送ったか、読み返しなく速読を進めていく紅河。
…ん?
「これ、これは、ん、む……」
何かを言いかけて飲み込む紅河。
その彼を睨むように凝視する赤羽根と湖洲香。
「質問は答えない、でしたね。一方的に言いますよ。」
紅河の瞳の動きが、データのある一部を念を押すように二度なめた。
「炎を発する、これはあり得ない。」
紅河の目が忙しそうに詳細文章を追い続ける。
「喜多室さんの報告を否定する気はありません。発せられたのが炎ではない別の何かか、それが本当に炎ならば『光の帯』から出たものではないです。……ありがとうございました、参考にします。」
赤羽根はチラリと腕時計を見た。
ほぼ三分。
さすがサッカー選手、と軽く関心する。
と同時に、炎は出せないと言い切った事に、僅かな驚きと期待が赤羽根の胸中を過ぎった。
この少年には今後頻繁に相談することになるかも知れない、と。
「ゆっくり議論したいけれど、たった今からコズカが抜けることもあって業務に全く余裕ないの。今の指摘、貰っておくね。それじゃ。」
「え、あ、湖洲香さん、今から俺と?……」
「一緒に帰りますわ。宜しくお願いしますね、紅河さん。」
湖洲香が言い終わらぬ間に、赤羽根は聴取室のドアを開いていた。
湖洲香はノートパソコンをいそいそと折りたたみ、デスクにあったクッキーを二つ自分のポケットに入れると、
「確か弟さんと妹さんでしたわね。タクシーはもう来てますわ。交通部の前の椅子で待っていてね。」
と言い、半開きのドアから出て行った。
紅河はクッキーを一つ取り、個装袋をピリッと開けて丸ごと口に放り込んだ。
…え、てことは、湖洲香さん、今日からうちに泊まるのか?
空いてる部屋無いだろ、うち、いや、それよりも落雷対策、あ、いや、篠瀬さんの事を詳しく聞きたかった、あ、五月雨がどうとかって、京子の、いやそれどころじゃないか、脱走者、マルサン、伴瓜と野神は、いや、インハイでまた三人マークされた時の対策、や、女子バスの一年がまだ……いや、いやいや……
頭がパンクしそうだ。
厄介ごとをテキトーに受け流していた自分はどこへ行った。
なんでこんな事になっているんだ。
どれが最優先だ?
やはり困っている聡美は放っておけないか。
まてまてまて、自分の命が大事だろ。
それにはまず湖洲香さんが寝る部屋か。
いや、いやいやいや……
フラフラと出てきた紅河を見て母が言う。
「あら淳、なにテンパった顔してるの。今聞いたわよ。斉藤さんが今日からうちにいらっしゃるんですって?」
…サイトウさん?
「え、誰が?」
「パソコンやってた髪の長い婦警さんよ、さっきの。」
…湖洲香さんの偽名、了解……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
都内某所、廃病院、地下の一室。
包帯で全身を包んだ小柄な病衣の男が一人、椅子に座り複数の相手とテレパシー交信を行っていた。
『接触は出来たのですね? 穂褄さん』
『結局明け方近くになってしまった。野神さんは伴瓜から離れられなかったからな』
『どんな案配でした?』
『警察を辞める意志は無いようだ。野神さん達との衝突を避けるならば、誘拐と公表はやめた方がいいかも知れない』
『ん、しかしそれでは謝罪と償いをさせる事が出来ませんね……』
『戦いたくないな、彼らとは』
『それは私も同じです。ですが、抜き取りだけなら造作もないことです。それで済むならとっくにやっていますよ。刑事局の悪行を世に知らしめなければ、悲劇は繰り返されると思います』
『私がやってやろう。既に一人手に掛けた。それでマスコミを使って悪行には天誅と謳えばいいのではないか?』
『んー、やり方が少々、スマートでは無いですね。私は本人に謝罪をさせたい』
『篠瀬さんが亡くなったんだぞ。おそらくあの警官は自分の意思で発砲したのではない。状況を監視出来なかったが、可能性のある者には全て報復してやる』
『あの私立高校生の落雷も、もしかしてあなたですか?』
『あれは脅しだ。あの学生は篠瀬さんを尾け回していた。どんな目的か知らないが、皆月岸人とあの学生が別れた後、篠瀬さんは殺された』
『そう言えば篠瀬さんは、皆月を仲間に引き入れる役目を果たせませんでしたね。接触はした様ですが、状況がわからない』
『冷たい言い方だ』
『悔しいですよ、私も。ただ、予定より早く動き出し、小林京子と接触し、野神さんにはスピリウルの存在を明かした。もう少し慎重に動いて欲しかったと考えます』
『小林京子?』
『はい、その動きがあの高校生を呼び込んだのでしょう。彼は白楼に来ていたスナールの少年です』
『そういうことだったのか』
『スナールには気付きませんでしたか』
『今回の落雷は遠隔操作だ。対象に憑いた霊までは捕捉仕切れなかった。人体帯電も周囲の物質ごと雑に行ったからな』
『派手なことは少し控えて下さい。警察も馬鹿ではありません。人為的な落雷にはいずれ辿り着きます』
『そうだな、わかった』
『野神さんの事だが、警察はスピリウルを既に知っていた。警察ではマルサンと呼んでいる』
『仔駒雅弓がいるのですから当然でしょう。では私の役目の進捗を。仔駒とは精神感応で接触しました。彼女の気持ちは傾いています。もう一押しです。引き続き任せて下さい』
『では、皆月の件は、私が対応しよう』
『お願いします、奈執さん。ところで、深越美鈴との接触は目処が立ちそうですか?』
『十月から教員に復帰するらしいことがわかっている。それまでは白楼で入院だと思われるが、外出の予定には注視しておく。なぜ刑事局に加担するのか、加担ではなく立場上強制されているのか、それだけでも確かめたいところだ』
『ですね』
『狩野佳洋と接触できた』
『ほお、あの少年、白楼から出してもらえたのですか』
『伴瓜の一件で白楼の使い手ががら空きになった時間が長引いた。その隙をついて精神感応を仕掛けた』
『さすがですね。どうでした?』
『脈ありです。スピリウルを身につけたがっている』
『教えたのですか、スピリウルの存在を』
『いえ、狩野の方から「マルサンを身に付けたい」と意思表示をしてきた』
包帯の男はしばし思考を遮断した。
そして考える。
狩野佳洋という十四歳の第三ラボ教育生は、精神が未熟で短気なところがある上に、コロコロと変わる移り気な気質を持っている。
獣なのか鳥なのか、コウモリ少年、狩野。
だが、こちらの手引きでスピリウルを身に付けたなら、仲間に引き入れるも容易いか?
包帯の男は再び精神解放する。
『一度、それとなくスピリウル修得をほのめかすのも手かも知れませんね。でも無理はしないで下さい。白楼へのアプローチは危険です。機会があれば、お願いします』
『わかった』
『皆さん、くれぐれも篠瀬さんの二の轍は踏まないよう、早まった行動は控えて下さい。そろそろ時間です。解散としましょう』
一人、最後の包帯の男の言葉が届き切らない者がいた。
穂褄である。
彼の胸中には篠瀬の意向を遂げてやりたいという気持ちが強まっていた。
篠瀬の意……伴瓜を殺めること。
警官への落雷、紅河への脅し、これらは穂褄の仕業ではない。
それを行った仲間が、包帯の男の言葉で矛先を納めてしまった様子を感じた穂褄は思った。
…伴瓜は仕留めるよ、篠瀬さん。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
県内、民間総合病院。
都筑院長が山本光一の病室へ顔を出した。
乳児の頃に右腕と左足を失ってしまった光一に、試作品の義手を持って来たのだった。
スーツケースのような義手ホルダーを抱えた助手の医師が傍についている。
都筑は滅多に笑わない仏頂面の男だが、その目はどことなく温かい。
「またパソコンか。勉強熱心だな。」
「あ、院長先生。いやー、実はゲームしてました。」
「例の、あれか、大勢が各自のキャラクターでログインしてくる、なんと言ったかな。」
「MMORPGです。『精霊憑き魔道戦記』。」
「そんなに面白いのか。」
「この世界では走れますから、自分の足で。」
「そうか。」
「ちょっと待ってね。パーティーに落ちるって言わないと、急にはやめられないから。」
「それは難儀なゲームだな。」
「そこがいいんだよ。人と繋がっている感じ。」
都筑は軽く目を細めると、助手に義手のセットアップを指示した。
「落ちたよ。あ、そうだ、院長先生、」
「ん?」
「空から飛んで降りてきた女の人、わかった?」
「いや、そんな人はいなさそうだ。」
「えええ、絶対に見たんだけどなぁ。」
「有り得ないだろうよ、どう考えても。」
「じゃあ、僕が見たのは何だったんですか?」
「なんだろうな。二三日うちに、知り合いの医学博士が来る。その博士は心理学もかじってる。相談してみるといい。」
「心理学? なんか、うまいこと言われて言いくるめられそうだなぁ。」
「いや、その博士は人を煙に巻くような人じゃない。その代わり、優しい人でもないぞ。」
「え、怖い博士?」
「怖くはないが、そうだな、愛想が悪い。」
「えー、なんかやだな。」
「女の博士だよ。」
「女の人なの? それで愛想が悪いのか……なんかいじめられそう。」
「ははは。まぁ、率直で素っ気ないが、根は良い博士だな。」
「本当に?」
「でなければ呼ばないよ、私の病院に。」
「そっか。」
「院長、準備出来ました。」
助手の声が割って入った。
「よし。光一君、この前話した義手だ。試してみよう。」
「あまり気が進まないけど。」
「そう言うな。結構面白いぞ。」
「面白い?」
「脳波感応システム搭載義手だ。まだまだ反応は遅いが、左脳が命令した右手の動きを再現するものだ。」
「考えるだけで動くの?」
「そうだ。試作品なので少し余計な機能も付いている。」
「どんな?」
「握る、開く、腕を上げる、下げる、という基本動作だけ外部操作スイッチが付いていて、前歯の裏側に設置し、舌で押して作動させる機能だ。」
「ふぅん。物を持ち上げるだけなら、まあ実用的っぽいね。」
「私としては脳波感応だけで使いこなして欲しいけどな。これを頭に被って。」
「うわ、かっこわる。何この変な帽子。」
「そう言うな。システムをここまで小型化したのは驚異的なんだぞ。」
それは五センチ位の厚みのある白いヘルメットの様なもので、内側には細かいセンサーがビッシリと張り付いている。
光一がそれを頭に被り、両肩でホールドする義手本体を取り付けると、都筑は脳波感応インターフェースを起動させた。
「さて、セッティングは出来た。左手を動かす感覚で、右手を動かすイメージをしてごらん。」
「うん……」
光一が黙り込み、集中し始める。
…右手を動かすって、どうやるんだか、さっぱりだ。
思わず動くのは健在な左手で、右の義手はなかなか動かない。
二分ほど沈黙が流れた後、義手の指が唐突に動き出した。
「あ、ああ、あは、こういうことか。でも遅いな、考えてから動き出すのが。」
「おお、動いたな。しばらく、遊ぶ感覚で使ってみなさい。一度に三十分以内。使った後は一時間半は必ず間を空けること。」
「わかった。ありがとう。」
光一はにっこり微笑むと、義手の作動にまた集中し始めた。
ベッドの折り畳みテーブルに乗っている光一のノートパソコンには、ログアウト後のキャラクター装備設定画面がまだ映し出されている。
その実装装備一覧の中に、『SPIRIOUL』という装備が、静かに点滅していた。




