ステルスアタック
「コズカ、止まりなさい。あなたがこのエリアから出るには、申請が必要なのよ。知っているでしょう。」
赤羽根は努めて冷静に言った。
湖洲香は歩みを止め、赤羽根に背を向けたまま言った。
「…そう、赤羽根博士も知らなかったのね、義継さんの捜索。なら、尚更許せませんよね。」
再び、狭い通路を歩き始める湖洲香。
廊下の先は左へ直角に曲がっており、その先には二重扉がある。
その扉の向こうには、総務課や交通課など、各々の業務に勤しむ署員達がいた。
「その先には扉しか無いわ。コズカ、戻りなさい。」
「だって、おかしいでしょう。何もしていない義継さんが、なぜ取調室にいるの?」
湖洲香は止まらない。
赤羽根は絞り出すような声で言った。
「戻ってきなさい、コズカ…。」
曲がり角で左を向き、立ち止まった湖洲香は言った。
「ここから出なければいいのでしょう?」
湖洲香は右手をゆっくりと前へ伸ばすと、その黒いストレートの髪が、フワッと一瞬浮き上がった。続いて、白衣もフワリと膨らみ、戻った。
赤羽根の額から汗が一筋流れ落ちる。
…全身から出したんだ、複数の『光の帯』を一度に。
「やめなさい。」
赤羽根はそう言うと、自分の白衣の内側へ右手を差し入れ、再び出すと、その右手に左手を添えた。
拳銃が握られている。
こんな物、湖洲香には何の意味もないことを赤羽根は充分に承知している。
そして、署内で発砲しようものなら、赤羽根が懲戒免職となることも当然わかっている。
湖洲香の管理者である赤羽根は、どんな手段を使ってでも、彼女に傷害沙汰を起こさせるわけにはいかない立場にあるのだった。
そして、初めてなのである。
同じ『能力者』と分かり合い、その『能力者』をかばおうとする湖洲香と対峙するのは。
…この拳銃の意味に気付いて、コズカ、頼むから。
パシュッ!
消音器を備えた小型の拳銃、その引き鉄が引かれた。
銃弾は真っ直ぐ湖洲香の左脚へ飛んでいく…が、湖洲香の手前20cm辺りで止まり、ポトリ、と床へ落ち、コロコロと転がった。
床に落ちた銃弾は、熱は帯びているものの、全く変形していない。
『光の帯』によって受け止められた物体は、運動エネルギーが全て吸収されるのだった。
銃弾の速度を考えると、驚異的な防御力である。
…監視カメラに映っている。私はこれで免職だ。
「コズカ、あなたをまた孤独な生活に戻したくない。お願いだからやめて。」
湖洲香の据わっていた目に、潤いが戻った。
「あ、赤羽根博士…でも、崎真さんと義継さんは『観せて』下さい。乱暴はしませんから。」
…ふっ
赤羽根は短く息を吐くと、拳銃を持ったまま両腕をガクンと落とした。
右手を前に出したまま、湖洲香は目を閉じた。
赤い『光の帯』は、崎真警部補と南條義継の思念を追いかける。
捜査三課の取調室から、義継は捜査一課の取調室へ移されていた。
「…義継君、白紙の逮捕状を捨てたことは不問だ。こうでもしなければ来てくれないだろう?」
「…」
「早速だが、3月31日の深夜、正確には4月1日になるが、午前2時30頃、どこにいたか教えてくれ。」
「…さぁ。」
「義継君、私は事実を確認したいだけだ。君は被疑者ではない。」
…通学の通り道だが、電車も無い時刻、義継君である可能性は低いと思うが、『能力者』の仕業だと結論が出ている以上…
「崎真さん。」
「うん?」
「僕の前で、隠し事は無意味ですよ。」
「ん、ん…。」
義継は、若邑湖洲香さんも聴いてますよ、と言おうとしたが、やめた。
「駅前の、導線切断?コンビニ強盗、ですか。犯人はサイキックである、と?」
頭に浮かんだ事を全て読まれた崎真は、予測していたこととは言え、改めて目の前のセーラー服の美少年を『気味が悪い』と感じた。
「ああ、君のような『能力者』の犯行である、というのが我々の見解だ。」
…くっ、質問者が逆だ、なぜ俺が答えてる。
「警察に協力をする気は無いが、僕が無実だと判ってもらうために、状況を聴いてるんですよ。」
「む、やりにくいな、君は。」
崎真は観念し、苦笑いをした。
「僕は、『光の帯』で物を切断したことが無かった。若邑さんから教わって初めてそういう『使い方』を知りました。」
義継は、『光の帯』をこの三次元空間に出現させられること自体には以前から気付いていた。
『帯』の平らな部分で『打撃』を与える、という使い方をしたことはある。
「崎真さん、さっきの紙、まだ持ってます?」
「あ、ああ。」
崎真は白紙の逮捕状を取り出した。
「ちょっと、広げて、持って下さい。もう少し身体から離して。」
崎真は逮捕状を両手で持ち、腕を少し伸ばした。
「こう、かい?」
ピシッ…ビリッ!
紙に衝激が走り、真ん中から破れた。
義継は身じろぎひとつしていない。
「む…。」
「こういう使い方、一般には念動力と言いますよね、自分の経験から言えば、テレパシーの次に気付くスペックは、これです。」
「ふむ。」
「で、切断ですが、警察は『光の帯』でどう切っているか、理解してますか?」
「ああ、理論的には。特査の分析によれば、『光の帯』を物体に重ね合わせ、三次元空間に出現させると、その物体は切れる、と…。」
義継は崎真から破れた逮捕状を受け取ると、クルクルっと筒状に丸め、デスクの上に立てた。
そして、
「絶対に手を出さないで下さいよ。」
と言うと、白い『光の帯』を紙の筒に水平に透過させ、止めた。
この時点で、『光の帯』はまだこの三次元空間には無い。
『光の帯』は、その透明部分全体を、一瞬、闇のように黒ずませると、
スッ…パタッ
音もなく紙を分断し、筒の上半分はデスクの上へ倒れて落ちた。
『光の帯』をこの次元に出現させた瞬間である。
「これが、切り方。まぁ、崎真さんには見えないのでしょうが…この使い方、結構研究してないと、気付きませんよ。もしくは…」
義継は不愉快そうな表情をした。
「…破壊衝動にかられて、偶然出来た、という発見の仕方かな。」
「破壊、衝動…」
「崎真さん、もし、ナイフや拳銃を所持していたとして、その破壊力をところ構わず試して歩きますか?」
「…」
「しないでしょう?」
「ああ。」
「自分の『能力』が嬉しくてたまらない自己陶酔型、そして、普段からストレスに晒されている爆発寸前の不安定な情緒…ってところかな、犯人は。」
「ふむ…。」
崎真は思う。
この少女…いや少年、本当に犯人ではないのかも知れない。
だが、心当たりがあるのではないか?…真犯人の。
「だから協力はしないって。帰っていいですか?」
「え、う、む、君のその経験からくる推理、既に協力的じゃないか。」
「僕じゃないよ、と言いたいだけです。」
「本当に、真犯人に心当たりは無いのか?」
「女ってさ、後先考えないよね。」
「は?」
「おしまい。もういいでしょう。帰らせて下さい。」
「ん…何か思い出したら…」
「お断りします。」
「む…。」
崎真は、義継を解放せざるを得なかった。
逮捕の件を不問とした以上、証拠もないのに拘束は出来ない。
義継は署の正面玄関に向かいながら、二人の女性に『光の帯』を伸ばした。
『若邑さん、ありがとう。僕は大丈夫です。』
『赤羽根さん、あなたが廊下に出る前に、そこの監視カメラ、切っておきましたよ。後始末、宜しく。』
湖洲香は、通路の角で、右手をダラリと下ろすと、安堵の表情を見せ、そのまま崩れるように床に倒れ、寝息を立て始めた。
「ああ、義継君…借りを作ってしまったわね。」
赤羽根は独り言を言うと、湖洲香の側に落ちていた銃弾を拾い、白衣のポケットに入れた。
崎真は、義継の分析を反芻していた。
…女は後先考えない?
…ある意味、証拠だらけの事件現場。
…犯人は女だ、と言いたいのか?
…能力に自己陶酔、爆発寸前のストレス、か。
崎真は外出中の押塚警部へ電話を入れ、義継の聴取内容をかいつまんで伝えた。
「まだ彼のマークは外さんぞ。だがな、俺も無能なロートルとは思われたくない。別の『能力者』の手掛かりを一つ掴んだ。追って話す。」
そう言うと押塚は電話を切り、上着のポケットへ入れると、そのポケットに一緒に入っている数枚の写真を触った。
乗用車分断事件の画像である。
その写真は『分断された瞬間』と推定されている時刻を中心に、その前後をコマ送り印刷したもので、その場に居合わせた数人の人物も写っている。
「厄介なのは、相手は見えない刃物を持つ怪物、ってことだな…。」
そうつぶやくと押塚は、駅前の城下町を抜け、桜並木の道を南へ向かった。
城下桜南高校のある方向である。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
高校三年になると、進学コースを選択した生徒のクラスでは、体育の時間のほとんどが自由時間のようなものになる。
果たされる習得技能が激減するためだ。
紅河淳は、マッタリとサッカーをしていた。
マラソンはイヤだし、ソフトボールは下手だし、かと言ってサボる訳にもいかないし…という消去法からである。
この季節は、夏場のようにスプリンクラーを稼働させることが少なく、グランドの土煙りがすごい。
だが、紅河は慣れたもので、モウモウと土煙りの舞う足元をほとんど見ずに、スイスイと相手チームを抜き去る。
ハーフウエーライン辺りで味方からのパスをトラップした紅河は、背後に敵二人が近付いていることに気付き、交わすコースを探そうとして腰を落とした。
と、その時である。
土煙りが、妙な揺れ方をした。
まるで、舞い上がった土砂を切り裂きながら見えない魚が泳いでくるような…
紅河は、そのほこりっぽさに目を開けていられず、蛇でもいるのか、と思い、反射的にジャンプで横っ飛びに避けた。
スパァン!
サッカーボールが突然破裂した。
…おいおい。
サッカーボールの破裂自体は、そう珍しいことではない。
小さなクラックが表面に無数に入った古いボールは、中の空気圧に耐えられずパンクすることがある。
着地直後、左脚のふくらはぎにヒヤッとした感覚が走り、見ると、ソックスが切れ、血が滲み出していた。
…おい!
紅河は冷や汗をかきながら後ずさった。
…立ち止まるのはヤバそうだ。
紅河は、土煙りの動きに目を配った。
『見えない蛇』は、いなくなったようだった。
周りを見回す。
ボールの破裂に心配して集まってくるクラスメート。
駆け寄ってくる体育教師。
校舎を見るが、どの教室も窓が閉まっていて中の様子は見えない。
…皆月岸人、なのか…?
紅河はこの時初めて、恐怖心を覚えた。
超能力者だろうが、普通の人間だろうが、そんなのは大した違いではない。
人を平気で傷付ける、その邪悪な精神と、その根拠が見えないこと。
それが恐ろしい。
幸い、ふくらはぎの傷は浅いようだった。
紅河は、体育教師に足の傷を見せながら、
「先生、ちと保健室。」
と言うと、校舎へ戻って行った。
歩きながら、義継に聞いた『光の帯』というものについて考えていた。
話からすると、乗用車分断も、自転車のパンクも、『光の帯』の仕業と考えるのが妥当だ。
刹那、乗用車のように自分の身体が真っ二つに斬られることを想像し…足が震えた。
…しかも、どこに隠れても無駄、か。
どうすればいいのか。
どう身を守ればいいのか。
こんな見えない刃物を、どうすれば…
「見えない…。」
紅河は決心した。
『本体』は見えるではないか。
「本人をぶちのめす。それしか無い。」
ただ、解らないのは、自分が襲われる理由だった。
先日、煽るような物言いはしたが、そもそも、向こうが先に自分の周りに…
…敵意や殺気のようなものを感じないのも不思議だ。
敵意、敵意…
…敵意?
『敵意』というキーワードで、あからさまに自分を非難し、罵ってくる人物を一人思い出した。
今朝も、ガミガミと叱られたばかりである。
「ま、あいつは関係ないか。」
ともかく、このままビクビクしていても事態は変わらない、と思った紅河は、保健室で大型のバンソウコウをふくらはぎに貼ると、制服に着替え、2年A組の教室へ向かった。
選択肢としては、帰り支度をしてすぐ学校を離れ、義継に助けを求める、という手もある。
だが、奴を目の前にしてあからさまに揉めていれば、自分の身体が斬り刻まれたら誰がどう見ても奴が犯人であり、そんな事はさすがにしないだろう、という打算もあり、対峙することにした。
授業終了のチャイムが鳴った。
…俺がいること、もう気付いてるんだろ?
紅河は、チャイムと同時に、2年A組の引き戸を開けた。
その頃、職員玄関には、県警の押塚警部が到着していた。