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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
149/292

蒼雷 1.

岸人きしとは眉間に小さな縦ジワを寄せ、テーブルに視線を落としたままトマトジュースをジュッとすすった。

住宅街から最寄駅まで歩いた彼は、ビル地下にある狭い喫茶店に身を隠した。カウンターの後ろには洋酒が所狭しと並んでおり、夜はショットバーになる店だった。

地下を選んだ理由、それは警戒態勢の使い手刑事の注意が最も向きにくい位置だからだ。

人の心理的なものなのか、地中を這わせ潜らせている『光の帯』は発見されにくい。

案の定、使い手刑事の『視線』に触れた感触は受けていない。

岸人は伴瓜ともうり宅の地面より約五メートル下、その第二階層に忍ばせていた水色の『光の帯』を呼び戻した。


…伴瓜は紺色とフツウの刑事に何を指示したんだ?


聴覚的な機能を持たない『光の帯』は、人の魂の光の動向は追えるが、接近して精神感応を仕掛けない限り言葉や思考を拾えない。

だが、はっきりと視た。

篠瀬佑伽梨しのせゆかりは、死んだ。

篠瀬の黒い魂の光が弱まり始めた後、紺色が接近、そして白く蒸散。

おそらくやったのはフツウの刑事だ。拳銃か何かだろう。

紺色は確か、野神のがみとかいう緑養の郷出身の使い手刑事。


篠瀬の言っていた『会わせたい人達』。

両親の事を知っているかも知れない、と言っていた。

行方不明とされている父親の新たな手掛かりを得たと思った岸人は、落胆した。

そして、落胆と同時に、今まで感じた事の無かった感情にふと気付く。

憤り。

誰が不幸になろうが、誰が死のうが、自分には関係ない。知ったことか。

それなのに、この感覚は何だ。

岸人の脳裏に、紅河と並んで正座している篠瀬の、どこかすがるような表情が過る。


『岸人君は英雄なんだよ』


どういう意味だ。


蓮田はすだを追い詰めてくれてありがとう』


蓮田を殺してくれて、とは言っていなかった。

もしかして知っているのか、蓮田殺しの真犯人を。

篠瀬自身が?……

なんとなくではあるが、感じた。篠瀬に、人を殺めた事のある者の感じ、気配を。

そして、自分と同じ、大切なものを奪われた者の悲愴を。

ふと、思う。


…死者との交信が簡単に出来れば楽なのに。


岸人は、母親が亡くなった緑養の郷の児童寝室で、自身の『光の帯』による第三階層への浸入を果たした。

それは意図したものではなく、偶然のことだった。

湖洲香こずかを仕留められなかった事の母への懺悔、自分の一歳の時の記憶に微かに在る緑養の郷院内の景色、そのノスタルジア、時折訪れていたその場所で、どうしても岸人は探してしまう。生きていた頃の母親の面影を。


…母さん、ごめん。

…どうして湖洲香と添い寝なんか……

…母さん、湖洲香が言ってた。優しい保母だって。

…母さん、母さん、母さん……


無意識に溢れ出る水色の『光の帯』。

呼ばれた。

遠くから、その『声』は徐々に近付いてきた。

幻聴かと思った。

『光の帯』の視界は、暗いトンネルの中のような場所を視ていた。

それは、肉眼で見ている児童寝室の景色と重なって、在る。

『声』が更に近付いてくる。

思い出そうとしても思い出せなかった、甘く柔らかく響く感覚。

だが、判った。

なぜか、はっきりと判った。

その『声』の主。

奇跡の『声』。

トンネルの出口の様な明るみを背負い、その人影が近付いてくる……。


ガタッ


岸人は喫茶店の席を立った。

伝票を見つつポケットをまさぐる。


…460円、高いよ。またバイト探さないと。


軽く舌打ちすると、彼はレジでお金を払い喫茶店を出て階段を上がって行った。

階段の途中で人がいない事を確認すると、テレポーテーションに入る。

そして、すっかり忘れていた。

テレポーテーションで紅河くれかわも連れてきていたことを。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「……はい、臨終を確認。救急車の中で既に息を引き取っていたとの事です。」

『そうか。ご苦労だった。』

「自分は現場に戻った方が宜しいですね?」

『いや、訪れる焼香者も一段落した。新渡戸にとべ風見かざみもいる。君は庁に戻って報告書を作成し、上がりたまえ。』

「は……。」


野神は電話を切ると、もう一度、霊安室へ第二階層クレヤボヤンスを向けた。

だが、篠瀬の魂は視えず、その身体はもぬけの殻であった。

伴瓜ともうりの判断を仰がず救急車に同乗した野神は、自身の浅はかな行動を少し悔いた。


…あの組対の彼は、なぜ佑伽梨ゆかりさんへ発砲したのか。


篠瀬へ発砲したのは組織犯罪対策企画課の警官で、非能力者である。

今月の十六日付で上司となる伴瓜の付人として通夜に来ていた。

もう一人、暴力団対策企画課の警官も付いている。これも非能力者。

野神は知らされていなかったが、これは刑事局局長の佐海さかい警視監から発せられた指示で付けられた警官だった。

刑事局捜査課に所属する野神、新渡戸、風見は、現在の上司である古見原こみはら警視の指示で通夜に同行したが、これも佐海が指示したもので、伴瓜の父親が使い手に殺害された可能性を考慮してのことである。

伴瓜の父親の死因は気管支を飲み水で詰まらせた呼吸困難に起因とされているが、佐海は、県警の特査から報告のあった『何もない空中に水を発生させる能力』が気に掛かり、野神達をあてがった。


…その場で問いただすべきだった。


どうも、野神自身がその『光の帯』で組対警官の首筋に触れた事がきっかけに思えてならない。

呼び戻す合図、と伴瓜警視正は言っていた。

篠瀬のテレキネシス攻撃と勘違いした、と見るのが妥当か。

そのような、彼を誤解させる発言を篠瀬はしたのだろうか。


…明日、彼の報告書を見れば明らかになる。


野神は、内ポケットの警察手帳に意識を向けた。

そこには、本来ならば篠瀬の遺品として、致死現場の遺留品として提出しなければならないもの……黒い折り鶴が挟み込まれている。


…疑うな。だが、真実を見抜け。


自分に語りかけながら、野神は病院を出て警察庁へ向かった。

そして、抑えきれない。

人間は感情の動物か、と、冷静な自分が客観視する。

悲しみと、行き場の無い怒りを。


…救えなくて、すみませんでした、佑伽梨さん……


一つはっきりしている事。

それは、伴瓜家通夜の現場で、篠瀬佑伽梨は一度も『光の帯』を出していない、能力を使っていないという事だ。

皮肉、威嚇、罵倒、彼女が何を口にしたにしても、警官が発砲して良いという状況にはならない。

周囲には目撃者も複数いたはずだ。

ん、目撃者?


…確か、義継君を助けに来た高校生が。


名は紅河淳くれかわあつし

篠瀬の傍に、知り合いのように一緒にいた。

不自然だ。

伴瓜警視正との接点が無い少年。

あるとすれば、野神も付き添った警察庁での聴取の時のみ。

それだけの関係で親の通夜に来るというのは、不自然だ。

彼は焼香もしていなかった様だった。


…ということは、篠瀬に付いてきただけ、か。


篠瀬と紅河少年の接点は?

まさか、紅河少年が警官の発砲を誘導し、篠瀬を殺させた……


…いや、あの純朴な少年が、考えられない。


タクシーの中で思考を巡らせる野神には、発砲の真相、その仮説が立てられないままだった。

真相を知る、その手段の一つが断たれたことを示す電話が野神の元に入ったのは、深夜三時を大分過ぎた頃だった。


「……落雷による、感電死?」


それは風見巡査からの電話であった。

篠瀬へ発砲した組織犯罪対策企画課の警官が、伴瓜宅を出た直後、落雷で即死した、との内容だった。

彼の身体は炎まで発し、遺体は無残な状態だとのことだ。

庁内にいた野神は、雷どころか降雨にも気付かなかった。

手元のパソコンで最新の気象庁ホットラインにアクセスする。


…午前三時、にわか雨……にわか雨?


確かに関東近郊には降水量が記録されていた。

そして、住宅街環境における人体への落雷の可能性とその確率、どんな条件が揃えばピンポイントで人に雷が落ちるのかを調べ始めた。

嫌な予感がする。

野神は先日、篠瀬からスピリウルと呼ばれる『光の帯』の能力と、人為的な雨を見せられたばかりだ。


「……雨雲内の電荷、マイナスイオン、プラス、放電……ん、人より先に建物や樹木に落ちるのが自然か……」


そして、穂褄庸介ほづまようすけという名が頭を過る。

篠瀬が言っていた、今夜接触してくるはずだったというスピリウルの使い手。

今夜、野神をマークしていた事は篠瀬の言葉から明らかである。

だが、クレヤボヤンスに篠瀬以外の使い手は察知されなかった。

伴瓜宅付近には来ていない?……

まだ何も確証は得られない。

だが、可能性としては考えられる。

穂褄が、篠瀬の死に対する報復として、天災を装って組対警官を襲った……


「……ならば、篠瀬への接触を指示した伴瓜警視正も危ない。」


頭の中を整理する。

まず、篠瀬への発砲の真相、これについては現場にいた紅河少年へ任意聴取を行いたい。

現場に居合わせた全ての者にも聴取。

落雷による感電死については、使い手は本当にそんな常軌を逸した事が行えるのか県警特査に検証依頼。

そして、人為的な落雷の可能性があるなら、被疑者の特定。

更に、保険を打って伴瓜警視正警護の申請、か。


野神は、上司である古見原警視に電話しようと、固定電話の受話器を上げて、そして下ろした。

モヤモヤとした違和感。

目撃者聴取と特査への依頼はいい。

伴瓜警視正の警護も、やるに越したことはないだろう。

だが、しかし……


…私は、今、正しい方向へ向いているのだろうか。


警察を辞めて欲しい、と警告に来た篠瀬。その顔が頭から離れない。

死に際、自分を抱き支えているのが野神だと知り、安堵の表情を刹那見せた篠瀬。

利己的に、また快楽的に犯罪を犯すような人物には全く見えない篠瀬。

特殊研究班と白楼ラボ研究所の所業を憎み、恨む気持ちも、野神には理解出来る。

逆に、能力者の存在を脅威とし対策を講じ続ける刑事局の考えも、治安維持の観念から充分に理解出来る。


…事件を起こす因子は、惨状を招くトリガーは、どこにある。


違和感、いや、もはや疑惑と言うべきか。

刑事局の在り方には異論も疑いの余地もない。

無くなれば日本の治安は雪崩のように悪化するだろう。

在り方、ではない。

方針、も問題ない。

篠瀬が切々と語っていた能力者への扱い、なのか。

だが、暴走した使い手の殺傷能力、破壊力を抑えなければならない事もまた事実だ。

だがしかし……

能力者ラボの教育で削ぎ落とされた『疑い』『迷い』そして『情』が、野神の頭を駆け巡り、手を掛けたままの受話器を上げられずにいた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


拳銃で人が死ぬ。

紅河の目の前で起こったそれは、大きな衝撃を心に与えた後、虚脱感という魔物に姿を変えた。

白楼で経験しているのに。

崎真さきま警部補に、自分の方から発砲してくれと頼んだくらいなのに。

そうか。

そうだったんだ。

拳銃とは、人が死ぬ道具だったんだ。

当たり前のことに、放心の中でぼんやりと気付く。

行かなければよかった。

岸人のアパートなんか、行くんじゃなかった。

篠瀬佑伽梨なんていう女の人、知り合うんじゃなかった。

知らなければ、他人なら、こんな事に遭わなかった。

何しているんだろう、俺。


『しっかりしなよ、紅河君』


タクシーで自宅まで送ってくれた風見の、別れ際の言葉。

しっかりしろ、って。

何を。

駄目だ。

無理だ。


『ちょっとカッコイイ子だし』


篠瀬さん。


『釣りはいらねい!』


篠瀬さん。


『このまま寝ちゃおうかな』


篠瀬さん。


『ほら、ちゃんと、正座!』


篠瀬さん。


『か、え、れ』


篠瀬さん……


「あ、風呂、入らねぇと……」


家族の寝静まったリビングで、一人分が並べられた夕食に手も付けず、紅河は虚ろな目で風呂場へふらふらと向かった。

湯船に浸かる。

篠瀬に小突かれた額、抱きつかれた感触、疲れた表情と充血した目……

胸を押さえた両手が真っ赤に染まっていく様。

野神に抱かれ、しゃべりながら吐き出す血が顎に伝う。

救急車の担架の上、その彼女の半開きの目は、もうどこも見ていなかった。


『五月雨はね』


え?


『夏の生命の源なのよ』


……


『受けとめてあげるんだよ、ちゃんと』


なに?

なんですか、篠瀬さん。

何を言おうとしたんですか。


「……京子の歌、とか言ってたな。」


『スナール憑き』


今もいるのか? アルプス。


『いるよ』


虚脱感の中で、もう二度と会えない大人の女性の言葉の数々が、小さな気付きを紅河に、静かにもたらす。

出逢わなければよかった、と思った。

でも、無意味な出逢いというものも、多分、無い。


…とりあえず、京子には伝えないと。


篠瀬が亡くなったこと。

そして、篠瀬が残してくれたものが何なのか知っておかないと、と紅河は、睡魔の中で思った。

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