黒い鶴 7.
翌日。
刑事局の使い手達が警察庁に集まり現職復帰するとの情報があった火曜日、その当日。
篠瀬は昨晩、約三時間の睡眠の後、夜中の二時頃から病院をクレヤボヤンス監視していた。
二十二時過ぎに伴瓜の父親を殺害、心電図の異常に気付いた看護師が初期対応、蘇生処置を試みるも二十二時二十二分臨終とされた事が医師達の会話から聞き取れた。
妻にあたる伴瓜の母親はその約一時間後、二十三時半には病院に到着した様だった。
だが、ターゲットである伴瓜絢人本人はまだ来ていないと知り、監視を始めた時は胸を撫で下ろした篠瀬だった。
現在、朝の七時を回っているが、未だ伴瓜は病院に現れない。
親の死に水を取り損ない、取るものもとりあえず駆けつけるのが息子ではないのか。
伴瓜は今、都内所轄の捜査課のはずだが、徹夜の張込みでもしているのだろうか。
しかし、来ないはずは無い。
実の父親が亡くなったのだ。必ず来る。
篠瀬は、病院から約2kmほど離れたファミリーレストランで監視を続けた。
篠瀬はコーヒーをすすりながら額に手をやり、肘をテーブルにつく。
頭が重い。
それ以上に、気が重い。
まるで胸に鉛の塊でも入っているかの様だ。
人の命を奪うことの罪悪感は、想像以上だった。
だがそれでも、蓮田や遠熊、伴瓜への憎悪が全てに勝り、彼女の殺意を煽り続けている。
今も尚、伴瓜を殺める事に躊躇は無い。
篠瀬の父は、非能力者だった。
白楼研究部門の前身である刑事局の特殊研究班、その班員として籍を置いていたのが彼女の父である。
どう決められたのか、どう選ばれたのか、篠瀬佑伽梨自身には知る由もないが、父は『光の帯』を施術により後天的に発現させる被験者に選ばれた。
結果的には、ある意味成功、とでも言うのか、篠瀬の父は昏睡状態で透明の帯を発現させる植物人間となった。
昏睡であるのに植物状態、という表現は矛盾をはらんでいるが、五感への刺激には無反応、循環器系への薬物投与で精神の伴わない霊体が発現する、という生ける屍の状態にされたのであった。
篠瀬はこれを『ある男』によって知らされ、白楼地下15階を透視し、本当に自分の父親なのか調べた……五年前のことである。
その『ある男』……包帯で全身を包んだ小柄な男は、篠瀬が八歳の時に逃げ出した緑養の郷と特殊研究班の関係、佐海藤吉という院長の所業、能力者をモルモット扱いした遠熊、蓮田、その研究許可の取り付けのパイプ役を行っていた伴瓜などの話を詳細に渡り教えてくれた。
特に、悍ましい第一次臨床実験が実行に移されたのは伴瓜が警察庁へ入庁した翌年、十二年前である事から、その密接な関与は疑いようもない。
そして今年、その伴瓜は『使い手部隊』の指揮権をも手に入れた。
…宗一君まで操られて。
篠瀬の憎悪は膨らむ。
彼女は『包帯の男』に一度だけ直接会ったことがある。
指定された場所は、都内にある廃病院であった。
身長は篠瀬よりも低く、百五十センチあったかどうか、子供ではないのか、と思う見掛けであった。
だが、テレパシーのみで会話してくるその金色の『光の帯』の使い手、その思考は論理的で思慮深く、自分よりはるかに歳上かと感じさせる包容力さえあった。
『スピリウルを開眼させましょう。それには、ここが都合が良いのです』
『スピリウル?』
『光の帯の、本当の使い方、真の能力です』
篠瀬はその廃病院の一室で、霊が見えるようになり、霊との精神感応まで実現させ、三次元空間の温度や湿度を変化させる術を身に付けた。
『あなたの言っていたこと、自分でも調べた。全部、真実だったわ』
『私にも果たしたい目的があります。私をこんな身体にした人物に、報復したいのです』
『手を貸せ、ということ?』
『いえ、賛同してもらえたなら、お互いに協力しましょう、ということです』
半信半疑の篠瀬だったが、包帯の男は決して強制はしなかった。
篠瀬が他の使い手からプライベートを侵害されることもなかった。
そして、集められた五人は皆、刑事局の捕獲から逃亡した者だということが判った。
包帯の男を含めると、六人になる。
篠瀬に仲間意識が芽生えるのに、さして時間は掛からなかった。
腕時計を見る。
午前八時をとうに過ぎていた。
これ以上ファミレスで粘ってもいられない。
…やつの父親の霊が残っている病院が都合良いのだけれど。
待つより探す、か。
篠瀬は重い頭を上げ、席を立った。
伴瓜の動向を探るために。
そしてもう一つ、仲間に引き入れたい人物として上がっている一人、皆月岸人を探すために。
…宗一君は、私の指名手配を掛けたのかな。
篠瀬は街を歩きながら、ポケットの手帳に指先で触れた。
黒い折り鶴をしのばせている手帳に……。
第三階層に潜らせているとは言え、クレヤボヤンスを発動している使い手には発見される。
篠瀬は環状八号線の歩道に身を潜め、光が丘署内を、使い手の証である明滅する魂に注意しつつ、黒い『光の帯』を潜入させた。
署内に使い手は見当たらない。
そして、伴瓜の姿も無かった。
捜査課員の世間話から、伴瓜が霞が関に行っていることを知る。
…父親が亡くなったと言うのに、警察庁? どういう神経してるの。
今朝見た、伴瓜の母親の悲しそうな表情が脳裏を過る。
伴瓜の、両親との間柄の良し悪しまでは調べていないが、例え険悪な間柄だったとしても、亡くなった時には駆けつけるものだろう。
葬儀は母親に押し付けるつもりか。
血も涙も無いのか。
伴瓜に対する別の嫌悪感が、篠瀬の胸中に生まれる。
…飛ぶか、引き寄せるか。
警察庁へ飛び、伴瓜の父親の霊を連れてくることも出来なくはないが、これは結構骨が折れる。
仮眠のような睡眠しか取っていない篠瀬は、さすがに精神力の持続に自信が無かった。
であるならば、伴瓜を病院へ引き寄せる。
平たく言えば、肉体を第二階層を潜らせて持ってくる、伴瓜をテレポートさせる。
…んん、どっちも駄目だ。
警察庁には、伴瓜の周りには今、刑事局の使い手がいるはずだ。
確実に見つかる。
戦いたくない……いや、今の自分の疲弊度では戦えない。
使い手達と戦うくらいなら、誰が見ていようが、伴瓜の身体を真っ二つに切り裂く方が遥かに容易い。
だが、『我々の仕業と気付かれないよう抜き取る』ことが大前提。
下手なスタンドプレイは包帯の男の目的を破綻させてしまう。
それだけは出来ない。
…今日は無理、なのか。
罪の無い病人を一人殺めてしまったのだ、後戻りは出来ない。
地縛霊はしばらく死んだ場所を離れない。
今日が駄目なら、日を改めるしかない。
警察庁へのクレヤボヤンス監視も危険だ。
「伴瓜の人でなし。親不孝者。」
篠瀬は子供のように小声で愚痴ると、皆月岸人の情報を集めるべく、環八の歩道を歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
紅河と高島遙香が駅の改札を出ると、時計は十八時半を回っていた。
「紅河先輩がこんなに話しやすい人なんて思ってませんでした。」
「そうか?」
「はい。だって、いつも恐い顔してるじゃないですか。」
「してねぇし。」
「えー、機嫌悪そうですよ、常に。」
「常にって……」
「喧嘩も激ツヨだって。蹴られて病院送りになった人数知れず。」
…またかよおい。誰だそういうデマ流すの。
「あ、ほら、黙った。否定しなーい。本当なんだ。」
「高島さん。」
「はい。」
「ちょっとウザい。」
「きゃー、紅河先輩にウザいって言われちゃった! 自慢しなきゃ! 今日はウザい記念日にしよっと!」
…うざ。
「あ、ほら、あれですよ。あの二階建てのアパート。」
「ああ、ほお。どの部屋?」
「二階の、203だったかな。」
「ふん。いるかな。」
「どうですかねー。」
角を曲がると、柵の付いた二階の外廊下が見えてきた。
…!
紅河は無言で高島の前へ腕を突き出し、立ち止まった。
「え、どしました? 触っても胸無いですよ、私。」
「しっ!」
紅河はそのまま高島を押しながら角まで後ずさった。
「ありがとう高島さん、ここまででいい。近いんだっけ、家。」
「近くもないですけど、二十分くらいですかね、歩いて。」
「そうか。気を付けて帰れよ。」
「え、ムッツリ狐君の部屋のドアまで行きますよ、せっかくですし。」
「いい。ここで帰ってくれ。」
「どうしました、いたの? キツネ君。」
紅河は二階の外廊下に女性の人影を見た。
黒い上着を着ている。
住人かも知れないが、もしあれが篠瀬であった場合、この高島遙香の姿を見せたくない。
関わらないに越したことはないのだ。
「いや、どうかな、訳は後で話すから、今日はここで帰ってくれ、な。」
高島は紅河の真剣な表情に、只ならぬ緊迫感を感じた。
「そう、ですか、紅河先輩がそう言うなら。」
「ほんと、ありがとうな。」
「いえ、話せて楽しかったです。ではまた。」
「おう。」
高島は小さく右手を振ると、来た道を戻って行った。
それを確認した紅河は、角から少し顔を出し、アパートの二階を見た。
そして、すぐに引っ込めた。
まだ、いる。
後ろ姿だが、髪はショートカット、黒い、あれはスーツのような形のジャケットか。
住人ならいつまでも外廊下に突っ立ってはいないだろう。
…篠瀬佑伽梨である前提で……
一応、想定はしていた。
可能性は低いが、篠瀬と鉢合わせることを。
第一目的、京子から遠ざけ、京子を守ること。
第二目的、岸人を探している本当の理由を知ること。
第三目的、これは第二目的の結果次第だが……岸人を守ること。
まず、京子に近付いた理由からだが、ストレートに聞いて本当の事を言うとは思えない。
そもそも、京子の話題など出したら、妙な誤解をさせると危険だ。
京子が恐くなって腕っ節の強そうな上級生に相談し報復に寄越した、とか、あらぬ勘ぐりをされるのは避けたい。
女は感情的になると変な被害妄想を巡らせたりする。
京子の話題は一旦NG。
ここは岸人の自宅だ。
岸人の話題が自然だろう。
いや待て。
焦るな。
まず、あれは誰なのか、本当に篠瀬佑伽梨なのか、の確認からだ。
警察より先に岸人を抑えたいと篠瀬は言った、と京子は言っていた。
『岸人を自宅に匿うってのも楽じゃないな』
これでいくか。
すれ違いざまに、言う。
もし篠瀬なら、合わせてくれとか、自宅はどことか、必ず聞いてくるはずだ。
向こうから話し掛けてくれば、篠瀬の正体を暴く方向へ会話を誘導することも……い、いや……
紅河は、当然考えておかなければならない、恐ろしい事実に、はたと気付いた。
…あれが篠瀬なら……相手はテレパスじゃないか!
口で何を言おうが、どんなカマかけをしようが、一方的にこちらの思考は読まれる。
思考が読まれる時、読まれたこちらは、読まれていることに全く気付けない。
シナプス間の微電流がどうとか、南條治信から精神感応の仕組みを聞いたことはあるが、実際には何も感じたりはしない。
それは経験済みの紅河だった。
強いて言えば、『光の帯』が身の近くに来ると、生温い感触を感じることがある、程度だ。
それも、ただの風なのか何なのか、はっきりと区別できる感覚ではない。
…駄目だ、テレパスに近付いた俺は、情報を漏らすだけの木偶の坊だ。
この時、紅河は初めて、テレパシーという能力の恐ろしさに震撼した。
気心の知れた知人に心を読まれること、それは恥ずかしさと、伴う腹立たしさくらいは起こるが、笑い話で済む。
なぜなら、人間は誰でも、猥雑で稚拙で腹黒い一面を必ず持っているからだ。
もし、その人間の本質の一面をあざ笑い、本心から軽蔑し嫌悪する者がいたとしたら、それは自分を知らない憐れな大馬鹿か……全知全能の神か、どちらかだ。
いや、全能の神なら軽蔑などしない。
今は、素性の知れない能力者を相手にしようとしているのだ。
京子のことを頭から消すなど不可能だし、岸人を自宅に匿ったなどと不用意に発言し、あっさりと嘘を見破られた上、家族を危険にさらすことにもなり兼ねない。
自宅の所在地を思考から隠すなど、記憶喪失にでもならない限り、無理だ。
テレパシーとは本当に恐ろしい能力だ。
それはテレキネシスを遥かに凌ぐ恐ろしさだ。
自分が怪我をしたり殺されるだけならまだしも、自分の思考の中にあった者全てに危険をもたらすからだ。
…俺には、出来ないのか、人を守ること……
足が震えてくる。
額から汗が滴り落ちる。
テレパスとの思考の駆け引き。
こちらは相手の心など読めない。
何か手立てはないのか。
何かを仮想したり、トラップ的に嘘を何層も積み上げて……いや、どこまで積んでも、これは嘘です、仮想です、と思考は正直に明示する。
…勝てない……勝つイメージが全く立たない……
「ふぅ……」
紅河は深く息をはいた。
汗が頬を伝う。
「結論が出た。」
彼は小さく呟くと、だが、向かって行った。
篠瀬佑伽梨かも知れない人物が立つ、岸人のアパート、その二階へ。




