表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
143/292

黒い鶴 5.

県警。

捜査一課の押塚おしづか警部は交通部事務所を足早に通り抜け、奥にある表示の無いドアを開けた。

ドアの向こうには、すぐ重なるようにしてもう一つ扉がある。


カチャリ…ウィーン


その分厚い扉のドアノブを回すと小さな電子音が伴い、ロックが解除された。

常時オートロックとなるその扉は、押塚のいる外側からは手でノブを回すだけで開くが、内側からはIDカードを使用しないと開かないという通常とは逆の奇妙な構造をしている。

扉を入ると通路はすぐ右へ直角に曲がっている。曲がった数メートル先、右側に『特殊査定班』という表示の付いたドアがあった。


コンコンコン


押塚は三回ノックをした。この三回ノックは合言葉のようなもので、二回では駄目、四回でも駄目、やり直しても、決して開かない。

押塚はふと思った。


…ノックを間違えた場合、何分間をあけりゃあやり直しが効くんだ?


カチャ、と鍵が開く音がし、内側からドアが開けられた。

白衣を着た、色白で長い黒髪が綺麗な若い女性が、人懐こそうに微笑みながら言った。


「いらっしゃい、警部。」


若邑湖洲香わかむらこずかである。

そこは四畳半程度の狭さで、デスクが二つ置かれているが、事務所と言うよりは詰所といった程である。


「肩はもういいのかい。」

「はい。まだ、こう、ちょっと上げると痛むんですけど、普通にしてれば平気ですわ。」

「湿気の多い時期は筋をやると、な。大事にしろよ。」

「はい、ありがとうございます。」


押塚は事務所に入り、後手にドアを閉めた。


赤羽根あかばね博士は?」

「くまりんさんと警察庁にお出掛けです。」

「くまりんさん?」

遠熊倫子とおくまりんこさんですわ。」


押塚は眉をしかめた。だが、口元は笑っている。


「若邑よ、遠熊博士は後輩とは言え目上だろうよ。仕事の場でくまりんは無ぇな。」

「だって可愛いんですもの、くまりんの方が。」


湖洲香の表情を見るに、この『くまりん』という呼び名に相当にハマったようだ。

彼女にしてみればふざけているわけでもなく、敬愛を伴った呼び方なのだろう。

当の遠熊倫子という三十七歳の新しい特査班員は、だが、可愛いというよりは少々キツい顔立ちの美人である。

彼女は標準語で話すも京都訛りがあり、切れ長の目で「覚悟しいや」と言われると独特の迫力があった。


「先月回送した査定依頼なんだが、被疑者不明の火災、これ、どうなってるか判るか?」

「あ、ああ……」


湖洲香は押塚の腕を引っ張り、椅子に座らせると、自分も椅子を引き寄せて座り、顔を寄せてきた。

声を忍ばせて言う。


「実はまだ再検証出来ていないんです。警部のご依頼が『能力者』の仕業かどうか、でしょ。くまりんさんや諸星もろぼし博士には、まだ『能力者』の話は出来ないの。私と赤羽根博士だけでやっていますが、もう、他にやる事が多くて……」

「能力者の話が出来ないって、どうしてまた。」

「仮採用の三ヶ月で辞めてしまわれたら、極秘事項が警察の外に漏れることに。」

「三ヶ月……じゃあ、なんだ、九月か。」

「本採用は九月二十一日付の予定。」

「そんなに待てるか。」

「あ、もちろん依頼の件は急いでやりますわ。それと併せて、」


湖洲香は更に声をひそめた。


穂褄庸介ほづまようすけさんが火を出したっていう能力も、まだ仮説ですけど、理論が組み上がりそうよ。」

「ほお。若邑にも出来るのか?」

「いえ、私には出来ません。でも……」


雅弓まゆみには出来るかも知れない、と言おうとして、湖洲香は言葉を止めた。

仮説とは言え、中途半端な状態でペラペラと話して良い内容ではない。


「……でも、もうすぐそれも、実証まで進めますわ。」

「ふむ。大変だろうが、納期遅延のもんはいつまでに出来るのかはっきりしてもらわないと困る。警察の納期ってのはな、一般企業の業務納期とはわけが違う。人命に関わるからな。」

「承知してますわ。今夜24時までに博士から連絡してもらうようにします。」

「遅いな。18時だ。それまでに納期出ししてくれ。」

「承知致しました。」


湖洲香の顔は真剣だ。

この子もやっと一端の警察官面になってきたな、と押塚は思った。


「あ、コーヒーも入れないで、待ってて、警部。」

「いや、いい。もう行く。」


そう言うと押塚は椅子を立ち、湖洲香の背を軽くポンと叩くと、事務所を出て行った。

湖洲香はこの押塚の背中ポン、の、何とも言えない安心感をくれる感触が好きだった。

押塚が出て行った通路へのドアとは反対側のドアを開けると、特査の本事務所とも言える一室がある。

今、男性二人がそれぞれデスクに向かっている。

諸星理学博士と、事務員の門守かどもりである。

湖洲香は自分のデスクに戻ると、パソコンのモニターにあるまだまとまっていない箇条書き状態の報告書データを見て軽くため息をつき、門守の方を見た。

彼は、二つの背中合わせのデスクの間に椅子を置き、右手と左手をそれぞれのデスクのパソコンに伸ばし、ガムを噛みながら器用に左右別々のキーボードを打っている。


結姫ゆうきさん、報告書作成の追加、お願い出来ます?」


門守は入力の手を止めない。カチャカチャと小気味好い打音が途切れずに流れる。


「うん。あれ、画像データがあればそのレイアウトだけ指定、よろしくっす。」

「はい。ごめんね、じゃんじゃん頼んじゃって。」

「楽勝っす。明日納期の分、完了ホルダーに入ってんで、確認よろっす。」


…え、あれ、もう終わったの!


湖洲香は門守の仕事の速さに驚く。

速さだけではない。内容の精度も高く、先月の仮採用からこっち、チャラチャラとした外見からは想像も出来ない仕事ぶりを見せていた。

しかも、誤字脱字などの書類校正や雑務としての要員であったが、彼はその内容の疑問点まで指摘し、自ら調べて差し戻してくるという校閲とも言える様なことまで、求めてもいないのにやってくる。

湖洲香の仕事は、門守結姫が入ったことにより激減していた。


「はい。見ておくね。」


湖洲香は返事すると、手元の未完成報告書とそのデータを門守のホルダーに入れた。

チラリと、諸星の方に目をやる。

何かの演算プログラムを走らせているようだ。

物静かで無表情。やや釣りあがった形の細い眼鏡がインテリ感を出しているが、それ以外はどこか野暮ったいおじさん。

蓮田はすだ元班長のようなシュッとしたスマートさは感じない。

どこか話し掛けにくく、湖洲香は諸星に、まだ馴染めずにいた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


京子は紅河くれかわから逃げるように別れた後、真っ直ぐ自宅には戻らず、今日から展示の文披月祭典展示場へ向かった。

チラシには二十時まで開場とある。会社勤めの社会人にも閲覧して欲しいという県の意向なのだろう。

南土蔵駅から四駅、中代沢駅で降りると、展示場となっている南口正面にあるデパートに入った。

エスカレーターを乗り継ぎ、5階に上がる。

展示場は大きなポップが出ており、すぐに分かった。

短冊の飾られた笹が設置されている入口で記名すると、大小様々なサイズの書が所狭しと展示されているのが目に入る。

京子は、一つ一つ順に見て回った。


書とは鏡だな、と京子は思う。

まるで、書き手の表情、気持ち、性格までもが映されているようだ。

場内は、人は疎らで、大学生くらいの若者が数名、制服姿の子は中学生だろうか、数える程しか閲覧者はいなかった。


…落ち着くな。


書に囲まれていると、嫌なことや辛いことを、刹那、忘れることが出来る。

書道自体、決して楽な道ではなく辛い思いも多いのだが、人間関係と比べたらその辛さの質が違う。

京子にとって、人付き合いはある意味恐怖だ。

存在を否定される恐怖。

だが、書道は、自分の存在そのもの。

どんなに苦しくても、居場所がある。

そして、充実感がある。


回路を進むと、奥の天井付近に『金・銀・銅』という表示が見えた。

京子や芳美の書が展示されているスペースである。

そこに、書をじっと見ている女性の姿があった。


…え、え?


近付くと、大人の女性だと判る。

そして、京子はその女性に見覚えがあった。

薄緑の涼しげなロングスカートをはいているが、上は黒いサマージャケットだ。

他人の空似だろうか。

京子が更に近付くと、その女性はゆっくりと京子の方を向いた。


「あ……」


間違いない。

土曜日に正門の前で逢った女性、篠瀬佑伽梨しのせゆかりだった。

篠瀬は、両頬に一筋づつ、涙の跡があった。


…え、泣いてる。


篠瀬は涙を拭きもせず、表情を緩めると、言った。


「凄い。凄い歌ね、小林さん。」

「あ、い、いえ、あ、ありがとうございます……」


篠瀬は再び京子の書の方を見た。

そして、やっと手で頬の涙を軽く払った。


「ん、ふふ、恥ずかしい。涙、出ちゃった。」

「あ、ん……」


恥ずかしいのは私の方だ、と京子は内心思った。

どう話していいかわからない。


「恋をしてるのね。相手はどんな人?」


篠瀬が書を見たまま京子に聞いた。


「あえ、えあ、の、あ、あの、か、かた、片想いで、恋、あの、向こうは私なんか見えてなくて、あの、だから、こんな、ひとりよがりで、勝手に、思っただけで……」

「夜に梳かす、梳くも溶かれず、か。わかるな。体が震えちゃう。」

「あい、いえ、恥ずかしい……」

「本当に、美しい心を持っているのね、小林京子さん。」

「そ、そんなこと……」


再び、篠瀬は京子の顔を見た。

そして、目を細めて言った。


「ありがとう。」


…え?


何のことだか、京子には判らなかった。

自分の書が感動的だった、という意味の感謝だろうか。

そして、篠瀬はそこを離れ歩き出した。


「え、あの、あの……」


京子の声に立ち止まり、無言で振り向く篠瀬。


「あの、えと、何が……」


篠瀬は二、三度瞬きをした後、視線を京子から少しずらした。


「あんな、家族を捨てた父だけれど、救われた。」


…え、え、え?


ますます何のことだか判らない。

そして、視線を京子に戻すと、小さく、言った。


「桜の景色。」


桜?

なに、何が?

更に混乱する京子。

誰かと京子を勘違いしているのだろうか。

でも、彼女は自分のことをはっきりと小林京子さん、と言った。


心を読みたい。

京子は『光の帯』を出そうとしたが、必死に抑えた。

こんな時に安易にテレパシーなど使うから、自分は普通の人達に溶け込めないのだ。

読心など、出来ないから人は人でいられるのだ。

いけない。テレパシーなど使ってはいけない。


篠瀬は京子から離れて行き、展示場を出て行った。

桜の景色。

篠瀬が京子を他人と勘違いしていないのなら、桜の景色とは何のことなのか。

父が救われた、とはどういう意味なのか。

京子は考える。

全く思い当たらない……こともない。

だが、まさか……

唯一思い当たること、それは……


白楼はくろうの透明の帯の人、その中に、お父さんが?……


あれ。

だけど、だとしても、透明の帯の人達は皆あそこで亡くなったのに、どうして『救われた』とか判るのか。


「あ!」


待って、その前に!……京子は、とんでもない事実に気付いた。


…私のこと、テレパスだって知ってるんだ!


それどころか、『光の帯』の事を当たり前に知っている、ということになる。

篠瀬も使い手なのだろうか。

岸人から自分のことを聞いている、と彼女は言っていた。

だが、あの岸人が、誰が能力者だとか使い手だとか、ペラペラ話すだろうか。

そうは思えない。

だが、辻褄は合う。


京子は仮定してみた。

篠瀬は岸人の親戚。

岸人から京子が能力者だと聞いた。

白楼で、京子が透明の能力者達を鎮めるために『桜並木の情景』をビジョン共有した、と岸人から聞いた。

岸人はその中に篠瀬の父がいたことを知っていた。

亡くなったが、穏やかに逝けた、と篠瀬は岸人から聞いた。

……と、そういうことなのだろうか。


『本当に、美しい心を持っているのね、小林京子さん』


この、本当に、の表現にも合点がいく。

それで自分に接触し、小林京子がどういう子か見てみた、ということなのか。


京子は、篠瀬が岸人の親戚だということを信じ始めていた。

そして、悪い人ではない、と思った。

それは、紅河の洞察……篠瀬が岸人の親戚というのは嘘で、何かを企み岸人を抑えようとしている、警察と敵対関係にあるかも知れない……とは大きく異なる心象だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ