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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
142/292

黒い鶴 4.

桐山聡美きりやまさとみは、スーッと大きく息を吸うと、ぶるっと肩を小さく震わせた。

その表情は、心なしか晴れやかさをたたえている。


「ありがと。良かった。あつしに話して良かった。」


紅河くれかわは、バスケットボールのカゴから腰を離すと、頭をポリポリとかいた。


「ま、あれだよな、キャプテンの大変さは、時間をダラダラ延ばさずに効果的なトレーニングメニュー組んだり、顧問とあれこれやり合うことにはなるよな。」


桐山は軽く二度頷くと、


「うん、なるべく誰も辞めないように、頑張る。」


と言い、笑みを含んだ濡れた瞳を紅河へ返した。


「うちの部の篠宮しのみやにも相談してみ。あいつは悪魔のようなメニューを平気で組むキャプテンだから参考にならないかも知れないけど。」

「あはは、うん、してみる。遙香はるか、ボール、片付けちゃお。」

「はい!」


桐山と高島はキャスターの付いたバスケットボールのカゴを押して用具室へ向かった。

京子が覗いている外扉の前を、二人が話しながら横切る。

京子は二、三歩後退り、下を向いた。


「桐山先輩、私は二年生の四人を説得します。今まで『全国』なんて言葉、絵空事で恥ずかしくて口に出せなかったけど、さっきの先輩の言葉聞いて勇気が出ました。」

「知ってたよ、遙香が本気でバスケやってるのも、試合に勝ちたいって思ってることも。ごめんね、情けない先輩で。」

「とんでもないです。桐山先輩は情けなくなんかないです。顧問の方針を守って、全員に気を配って。」

「そうかな……」

「そうですよ!……あ、あと、あの、紅河先輩と、ずっと話してなかったんですよね。」

「え、ええ? うん、まぁ、うん。」

「七夕の日にしばらくぶりの会話。なんかロマンチックです。」

「え、あ、ああ、そっか、今日七夕だ、忘れてた……」

「ええ? 本当ですかぁ?」

「一年生が喧嘩して、それで頭がいっぱいだったから……」


通り過ぎる二人の会話が耳に入った京子の頭は、除夜の鐘がリバースで響いてくるような轟音に襲われるような錯覚を覚えた。

紅河先輩と。

ずっと話してなかった。

七夕の日に。

しばらくぶりの会話。

ロマンチック。

このキーワードは……

えっと……えっと……

ほんの数秒の間に、京子の思考は停止と急回転を何十回も繰り返した。

その何十回は、全て同じ結論が出ては消し、出ては消し、出ては消す、を繰り返した。


……サトミっていう人、付き合ってるんだ。


やっぱりな。

彼女がいないわけがない。

京子は必死に言い聞かせる。

自分に、言い聞かせる。

当たり前だ。

あんな優しくて強い紅河さんが、彼女がいないなんて、あるはずがなかった。

何を期待していたのか。

馬鹿じゃないの、私。

人付き合いが苦手で、自閉的で、暗くて、不細工な私が、何を期待していたのか。

少し優しくしてもらっただけで、何を勘違いしていたのか。

良かった。

言わなくて良かった。

夜に梳かす想い。

梳かしても、溶けていかない想い。

五月雨になって地面へ流れ落ちる想い。

それでいいんだ。

あの短歌は、正しかった……


「何してんの。」

「うわああっ!」


すぐ横で聞こえた紅河の声に、京子は叫び声を上げてよろめいた。


「おっと。」


紅河は倒れそうになった京子の右腕を掴み、彼女の手からヒラリと舞い飛んだ紙切れをもう一方の手でキャッチした。


「ごめ、驚かせ……」

「あち、ちが、ちがうのさみ、さみだれはあああ雨あめ、ただの雨のことでちがちち違うのちがうのああ雨きき季語、きご入れないと……」

「何言ってんの、お前。」


お前、という単語が、パニック状態の京子の耳にコロンと転がり入った。

お前? それは京子という呼び捨てから昇格した呼び方?

馬鹿か私、違うよ、降格した呼び方。

視界にも入らない、ただの暗い下級生、それが私……

京子は眩暈を起こし、くにゃっと腰を曲げた。


「おっとっと、大丈夫か、おい。」


紅河はメモを掴んだ手を京子の背中に回し、抱きかかえるように支えた。

そこへ、バスケットボールを片付け終えた桐山と高島が歩いてくる。


「どうしたの?」

「あ、書道ちゃんじゃない。平気?」

「いや、声かけたらいきなりよろけてさ。貧血か?」

「大丈夫?」

「書道ガール、京子ちゃんでしょ? どうしたの?」


ようやく目の前に弾けたキラキラ星が落ち着き、三人の声がわかるようになった京子。


「は、はい、大丈夫、です……邪魔して、ごめんなさい。」


紅河は京子を抱きとめたまま、桐山の方を見る。


「京子が何か邪魔したのか?」

「え、さぁ……」


首を傾げる桐山。

状況に気付いた京子は、紅河を突き飛ばすように、体を離した。


「ごご、ごめんなさい、ごめん、なさい……」

「大丈夫かよおい、俺、送って行こうか?」

「あ、え、あ、いえ、あの、大丈夫なので、ごめんなさい。」


…私に優しくしないで。


「そうか? あ、これ、なんか紙、手から飛んだぞ。」

「え、あ、ああ……」


京子は顔を真っ赤にし、紅河からメモを受け取った。

居場所なさげにうつむいた京子は、足元に置いていた鞄を拾い上げる。


…このメモのこと話すの、また今度にしようかな。


高島が、思い出したように口を開いた。


「あ、そうそう、紅河先輩、」

「ん?」

「朝、何組か聞かれましたけど、何か?」

「ん、ああ、うん、いや、ほら、二年に皆月岸人みなづききしとっているだろ。もしあいつと同じA組なら何か知らないかと思ってさ。」

「あー、ムッツリ狐君かぁ。そっか、あいつ先月から休んだままなんですね。」

「なに、親しいのか?」

「いえ、一年の時に同じクラスでした。なんかキツネっぽくて、ほとんどしゃべらないので、ムッツリ狐君。」

「なるほど。確かに、上手いアダ名だ。」


紅河は面長で目の細い岸人の顔を思い出し、笑った。

岸人の話題が出た。聞き耳を立てる京子。


「でもね、結構良いやつなんですよ、皆月。授業中に私、寝てて、教科書読むようにさされた時、小声でページ数言ってくれたりとか。」

「ほお、それは意外だな。」

「まぁ、私と皆月は出席番号並んでて隣の席でしたし。」

「あいつ、授業中ってどんな感じ?」

「ムッツリしたキツネです。」

「うはは、それはわかったから、成績とか良さそうだったか?」

「あー、んと、英語と地理は得意そうだったかな。」

「ふぅん。」

「何か声かけても、うるさ、とか、知らない、しか返ってこないの。」


高島の、岸人のしゃべり真似は妙に似ていた。

再び笑う紅河。


「あはは、似てるな。岸人、自宅に引きこもってるとかならまだいいんだけど、このまま連絡無しじゃ退学処分とか、ちと心配なんだよな。」

「はー、知り合いだったんですね、紅河先輩。」

「うん、ちょっとな。」

「私知ってますよ、皆月のアパート。」

「まじ?」

「はい。私んちと最寄駅が同じです。皆月が休んだ時、プリントとか届けたことあります。」

「ふむ。」


殺人容疑が掛かっている岸人が自宅にいるとも思えないが、アパートなら隣人とか、何か判るかも知れないと紅河は考えた。


「時間がある時、岸人の自宅、教えてもらえないか?」

「はい、お安い御用です。明日とか、行ってみます? インターハイ、まだですよね。」

「うん、試合はまだ少し先だ。ちと頼もうかな、明日。」

「了解です。桐山先輩も行きます?」

「んー、私はいいや。顧問と少し話したいし、これからの女子バスのこと。」

「あ、あの、あの……」


京子が割って入ってくる。

三人が同時に京子を見た。


「あの、ね、皆月さんの親戚っていう人が、その人も探してるみたいで、見かけたら連絡して欲しいって、電話番号を渡されて……」

「あら、タイムリーね、書道ちゃん。」


…電話番号? 京子に?


紅河は、何かきな臭いものを感じた。

まず、親戚、というのが怪しい。

両親のいない岸人が、何かと保護者が必要な学生をしていると言うのに、深越先生が以前言っていた……岸人の保護者代理が学校に見えたことは一度もない、と。

それと、なぜ、京子なのか。

学年は違うし、岸人と表向きの接点が無い。

あるのは……テレパシーのやり取りをしていたという事と、あの白楼はくろうで初めて会った、という接点だ。

そんなもの、警察か能力者しか知り得ないではないか。


「京子、その親戚の人、名前は?」

「あ、メモに、はい。」


京子はメモを紅河に見せた。


「篠瀬、佑伽梨……ふぅん。どんな人?」

「細い綺麗な女の人で、髪は短くて、黒い服着てて、二十代か三十代くらいかな。」

「どこでこれを渡された?」

「校門の前。土曜日の朝。」


ますます怪しい。

最近の高校は土曜休校が多い。

他聞にもれず、この城下桜南高校も休みだった。

京子が来る、と知っていないと起こさない行動だ。


「京子、」

「え?」

「やっぱ一緒に帰ろう。送ってく。ちと話がしたい。」

「え、あ、え……」


京子は桐山の顔をチラッと見た。


…彼女さんいるのに、なんで私と……


だが、桐山は特に不愉快そうな気配を見せない。

それどころか、京子の顔を見て言った。


「その方がいいよ。京子さん、だっけ、顔色悪いし、送ってもらいなよ、ね。」


京子は紅河と桐山の顔を交互に見ながらおろおろしている。

その京子の腕を、紅河が掴んだ。


「時間も時間だし、行くぞ。聡美、女子バスのミーティング、俺を呼べよ。一人で背負うにはちと厄介な案件だぞ。くれぐれもお前が退部になるなんてこと、気を付けろよ。」

「あ、うん、ありがと。また声掛ける。」

「おう、じゃあな。高島さんも頑張れよ。」

「はい !ありがとうございます!」


紅河は京子の手を引き、体育館をそそくさと離れて行った。

彼は、この『篠瀬佑伽梨』という女性に関する京子との会話を、これ以上桐山と高島に聞かせたくなかった。


正門を出た紅河は、葉に乗った雨水が風で時折パラパラと落ちてくる深緑の桜並木道で、京子に話の続きをした。


「その女の人、岸人との間柄、従妹弟とか、叔母とか、何か言ってたか?」

「ううん、なにも。」


下を向き、小さな声で答える京子。


「どうした、まだ気分悪いのか。」

「大丈夫。心配しないで。」


蚊の鳴くような声である。


「無理すんなよ。せっかく髪切ったのにな。辛かったら言えよ。お前軽いし、抱いて行くくらい出来るぞ。」

「……」


…髪のことなんか言わないで。お前、とか、抱くとか、やめて。


「それで、他に何か言ってたか?」

「あ、んと、警察に言わないでって。警察より先に見つけたいって。」


紅河は思った。

篠瀬佑伽梨は結構迂闊な女だ、と。

紅河の中で、八割方、いや、九割方、確信となった。


…篠瀬佑伽梨は、使い手だ。


警察ではないとなると、岸人を探している目的は何か。

そもそも、岸人とどういう繋がりのある使い手なのか。

京子のことを使い手だと知っている可能性も濃厚だ。

京子自身の危険も考えるべきだ。

その電話番号に、自分が電話してみるか。

岸人の居場所を知っている、と偽って。

いや、まず、押塚おしづか警部や赤羽根あかばね博士に相談してみるか。

もしかしたら、篠瀬佑伽梨という名を警察は知っているかも知れない。

いや、待て。

この篠瀬佑伽梨が京子に、警察に言うな、と言ったのなら、それがバレた時に京子に危険が及ぶ。

慎重に考えろ。

迂闊に動けない。

まずは、明日の岸人の自宅か。


「紅河さん、」


急に黙り込んで考えに耽っている紅河に、京子が声を掛けた。


「ん?」

「あの、お話、終わったなら、私、一人で帰れるから。」

「え、あ、ちとま……」


京子は紅河の言葉を待たず、駅へ向かって走り出した。


…何か変だな、京子。


心配になる紅河。

体調もそうだが、再び使い手の事件に巻き込まれる気配が、紅河の胸中に暗雲をもたらす。


治信はるのぶさんに相談するか、いや、義継よしつぐクンは巻き込みたくない。


「んー、どうすっか……」


ざわざわと騒ぐ桜の木から数滴、生温い雨水の雫が飛び散り、紅河の頬を打った。

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