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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
141/292

黒い鶴 3.

月曜の朝は何度迎えても怠い、と紅河淳くれかわあつしは思う。

別に学校が嫌いなわけではないし、猛暑や暴風雨というわけでもない。

軽く雨が降ってはいたが、最高予想気温23℃の何ということはない七月の朝。

強いて言えば、この部活の朝練がうっとおしい。

だが、それも、目を覚ますのには丁度いいか、と思ったりもする。

だが、怠い。

やる気が出ない。


「七夕の日に雨ってのも、あれだな、紅河。」

「ん、うん。」


あれって何だよ、あれって。

話しかけてくる部員の言葉もうっとおしい。

七夕とかどうでもいいし、と内心独り言ちる。

夏のインターハイ全国大会出場を決めた城下桜南高校サッカー部は、レギュラーメンバーの調整を主体に活動していた。

今朝は雨天もあり、体育館で筋トレとストレッチのみの朝練。


「……ということで、怪我だけは注意しろよ。以上、解散。」


監督教員の言葉を最後にサッカー部員は解散し、各々体育館から出て行く。

両手をジャージのポケットに突っ込みながらのそのそと歩く紅河に、声を掛ける女生徒がいた。


「あ、ね、淳、くん。」


紅河は、振り返らずとも声で誰だか判った。

女子バスケ部のキャプテン、三年の桐山聡美きりやまさとみだ。

女子バスも体育館で朝練を終えたところだった。


…今更取って付けたように「くん」なんか付けなくてもいいのに。


紅河と桐山は、二年の時に付き合っていた。

だが、二年の二月、桐山の「なんか、私たち、あわないね」の言葉を最後に、もう四ヶ月以上会話をしていない。

別れよう、といった言葉もなく、このまま自然消滅かな、と紅河は思っていた。

紅河にとっては、うるさ過ぎず、遠過ぎず、良い距離感だと思えた彼女。

だが、桐山は紅河に物足りなさを感じていた。

携帯電話すら持たない紅河。

自分から付き合ってほしいと言った桐山は、そういうところも理解していたつもりだったが、やはり寂しいと感じる気持ちが強まっていった。

今の桐山にしてみれば、実は声を掛けることすら、勇気のいることだった。


「ん、なに。」


素っ気なく振り返る紅河。

桐山の横に、もう一人女生徒がいる。

紅河の知らない女生徒だ。

桐山は、女子バスケ部員の後輩達が体育館から出て行ったのを見届けると、チラッ、チラッと紅河の顔を伏せ目がちに見ながら、用件を話そうとした。

すると、紅河の方から口を開いた。


「髪、切ったんだな。」


…ちょっと、なんで今そういうこと言うかな。


桐山は出鼻を挫かれた思いだった。

今は、そういう話をしに来たのではない。

話したくないのに声を掛けていること、気付いてよ、と軽い苛立ちを感じる桐山。


「あ、う、うん、あ、どうでもいいでしょ。あ、あのね……」


紅河の視線が自分の横にいる女生徒に向いたことに気付いた桐山は、慌てて紹介をした。


「あ、この子は高島さん。女子バス二年の学年リーダー。」

高島遙香たかしまはるかです。おはようございます、紅河先輩。」

「おお、おはよ。」


明るく活発そうな女生徒だ。

だが、先輩でありキャプテンの桐山に遠慮をしているのか、無駄に口を開かずにいる。

朝のホームルームまであと二十分も無い。制服への着替えもある。

桐山は用件を切り出した。


「あのね、先週の土曜に一年生の他校交流試合があったんだけれど、負けちゃったんだ。その後、一年生がちょっとした口喧嘩みたいになって、二つに別れちゃって、辞めそうな後輩もいて……」

「うん。」


紅河は、うん、と言って聞いている。

こんな時、彼は決して話の途中で「だからどうした」とか「俺には関係ない」などとは言わない。

それを桐山は良く知っている。

変わってないな、と桐山は、内心少し嬉しく思う。


「もっと練習して強くなりたい派と、今まで通りバスケを楽しくやりたい派と、今朝も険悪な空気になってて、でね、なんで淳、くんに、話に来たかと言うと……」

「くんとか、いいよ、呼び捨てで。」


…だから!どうして今そこに触れるかなぁ!もう!


もともと鈍感なところのある彼だが、少しも桐山の恥ずかしさと勇気を汲み取らない紅河に、彼女は眩暈を起こしそうだった。

でも、そんな中にも、微かに嬉しいようなくすぐったいような気持ちもあった。

桐山は更に勇気を振り絞り、開き直る演技を選んだ。

彼女の額には、一度引いた汗が滲みだしている。


「あ、ああ、そ。じゃあ、淳、あのね、相談て言うか、もっと練習したい派の一年の子が、土曜に、サッカー部は勝つための練習してる、とか、紅河さんは凄い、だとか、淳の名前を出したのよ。」

「んん? 俺の?」

「私ね、どっちの気持ちもわかるんだ。勝ちたいっていう後輩も、楽しくやりたいっていう後輩も。だけどね、うちの顧問は部活を休まない部員を試合に出すっていう、実力とは別の部分を評価する先生だし、これまでの桜南女子バスの、バスケを好きになって欲しい、楽しんで欲しいっていう方針、壊すわけにはいかないし……」

「うん。」

「だから、その、せっかく皆んなバスケが好きで入部して、もう七人しか一年いないんだけれど、もう一人も辞めて欲しくなくて、それで、だから、あの、この遙香はるかとも相談したんだけど、その、淳に、一度女子バスの後輩の前で話をして欲しくて。」

「へ? 俺が?」

「えっとね、話がね、『紅河先輩は努力してるから凄いんだ』派と、『努力しなくても凄い天才プレイヤーなんだ』派に別れて、紅河論争が起きているの。」

「……」


…まてまてまてまて、マテ。


「淳はさ、やっぱり、この桜南ではスタープレイヤーなんだよ。運動部の子たちには影響力が凄いんだよ。」

「んーと、ちと待った。最初に俺の名前を出した後輩って、どんな意図で俺を引き合いに出したんだ?」

「ん、あ、遙香、近くで聞いてたんだよね、一年の口喧嘩。」


桐山が高島の顔に視線を向けた。

高島が口を開く。


「ニコールちゃんは、紅河先輩は特にスポーツの英才教育は受けてないから、間違いなく努力の人だって言い出して、最初から凄い人なんかいない、的な? 努力がもっとバスケを楽しくするって。」


紅河が目を丸くした。


「ニコールちゃん?」


高島が真顔で淡々と答える。


「はい。ニコールキッドマン似の美人ちゃんです。」

「ニコールキッドマン……あ、ああ、舞衣まいちゃんか。」


桐山が口を挟む。


「あれ、房生舞衣と知り合い?」

「ん、知り合いっつーか、まぁ、駅前の喫茶店の火事の時とか、偶然一緒にいたり。全国予選も観に来てくれたみたいだな。」


まさか、さすがに警察の極秘施設に入り超能力者と対峙した、とは言えない。

高島がうんうん頷きながら言う。


「そうですね。聖美陵戦の時にいましたね、ニコールちゃん。紅河先輩すごかったぁ、影響されるのわかるな。」


観戦に行っていない桐山は黙っている。

サッカー部の試合は、今期一度も観に行っていない。

紅河がいるから、辛いのだった。


「んーと、時間もないし、聡美さとみ、話の主旨はだいたい判ったんだけど、その『紅河論争』に対して、俺に何を話して欲しいんだ?」

「ええと、両方を肯定して欲しい。」

「両方を……って、なに、俺は天才で努力家だ、とか言うのか?」

「うん。」

「いやいやいやいや、それはないだろ。」

「だって、とにかく、まず一年の喧嘩をやめさせたいの。楽しくやってる子が辞めちゃう……」

「んー、舞衣ちゃんは我が強いからなぁ、マシンガンのようにしゃべる子だしなぁ。」


白楼地下15階での口論を思い出す紅河。

独りで危険な場所へ行こうとする義継よしつぐ喜多室きたむろを責め立てたのは舞衣だった。

ふと、体育館の大時計を見る。


「うお、やべぇな、時間。続きは放課後にしよう。教室行かないと。」

「え、あ、うん、ごめんね、淳。」

「いや、やっぱ優しいな、聡美は。」

「え。」

「後輩のために悩んでやるなんて、俺には絶対ないよ。女子バス、守れるといいな。んじゃ、後で。」

「う、うん。」


無下に断られることも考えると、怖かった。

実は、二年の遙香に引っ張られるようにして紅河に話しかけた桐山。


…勇気出して良かった。


四ヶ月ぶりに話した初恋の彼は、良いところも悪いところも、何も変わっていなかった。

ポケットに両手を入れたまま小走りで体育館を出て行きかけた紅河が、不意に二人へ振り返る。


「あー、えっと、高島さんだっけ、二年の何組?」

「へ、私ですか? C組ですけど。」

「Cか……」


紅河は何か考えるような表情を一瞬見せたが、再び小走りで体育館を出て行った。

なんだろう?という表情で桐山と遙香は顔を見合わせた後、同時に大時計を見上げると、慌ててそれぞれの教室へと走り出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


しのぶれど

彷徨さまよう想い

かす

くもかれず

五月雨さみだれになる


私立城下桜南高校一年 小林京子


七月七日の今日、県主催の文披月祭典の審査結果が、城下桜南高校書道部にも通達された。

京子が行書で出展した自作短歌は惜しくも銀賞の受賞であったが、文字の芸術性、短歌の内容、共に高い評価を受けた、と知らされた。


「みんな高岡さんのおかげ。こんな短歌、私じゃ作れなかった。」

「ご謙遜、ご謙遜。私は、こういう表現もあるよって言っただけでしょ。」

「夜に梳かす、とか、なんて凄い表現なんだろうって思った。」

「あら、だって小林さんが自分で言ったんだよ、想いを櫛で梳かすような感じって。」

「とくもとかれず、なんて、なんか本物の短歌みたい。」

「ふふふ。五月雨になるって、すごく切ないね。」

「うん……」


金賞一名、銀賞二名、銅賞三名が上位賞の人数枠。

高岡芳美の出展作は銅賞であった。

京子も芳美も、賞にはこだわっていない。

多くの人に自分の書を見てもらいたい、その一心での出展。

締め切り当日の駆け込み提出であったが、追い込まれて更に集中力が増すのは厳しい母のおかげでもある、と京子は思う。


頭が真っ白になって、何も考えられなくなるまで悩みなさい。

そこまで悩んだら、全てを忘れて、筆をとりなさい。


何か見放されたような、崖から突き落とされたような教え。

頭がこんがらがり、解らない事がもつれあい、ただ、出てくるのは涙だけ。

ひとしきり泣いた後、何も出来ない駄目な自分が、ぽつんとそこに居る。

撥ねが悪い……この撥ねのどこが?

止めが粗末……この止めのどこが?

お手本があるなら比較出来る。

だが、先人をなぞる書写から一歩踏み出すと、もう『言い訳』の拠り所は、無い。


…お母さん、言ってる事、やっと少しわかってきた。


何も出来ない駄目な自分、その自分の右手こそが、芸術を無から産み出すのだ。

こればかりは、言葉で説明できる感覚ではない。

頼るものがあっては、真似るものがあっては、産まれてこない。


…これは、紅河さんに見られたらちょっと恥ずかしいな。


書道展など、紅河が訪れることはないだろう。

もし見られたとしても、感づかれることはないだろう。

いらぬ気苦労であることは京子もわかっている。

それでも、やはり恥ずかしい。


「高岡さん、お疲れ様。私、今日、他の部の友達待つから。」

「うん。また明日。」


書道部の部室を退出した京子は、サッカー部のトレーニングフィールドへ向かった。


…土曜の女の人、皆月さんの知り合いっていう人、紅河さんにも話さなきゃ。


「あれ。」


フィールドでの練習は終わっており、雨は止んでいたがぬかるんでいる土を整備する一年生の姿だけがあった。


…えっと、えっと……いた。


古藤ことう君!」


トンボという長い整備道具を引きずりながら走っていた古藤は、立ち止まりキョロキョロと辺りを見回している。


「ここ、こっち。」

「ん? ……ああ、小林かぁ。」


古藤はずりずりとトンボを引きずりながら近寄って来た。

フェンス越しに小さく右手を上げる京子。


「ね、三年生は?」

「三年ってか、紅河先輩っしょ? さっき女子バスのキャプテンが来てたから、体育館か、三年の教室辺りにいるんじゃない?」

「女子バス?」

「うん。なんか、話の続きとかなんとか聞こえたから、まだいると思うけど。」

「そう、ありがとう。」


京子は丁寧に頭を下げると、体育館へ向かって走って行った。

トンボの柄を爪先でポンと蹴る古藤。


「いいなぁ紅河先輩。女にもてて。」


京子が体育館に着き、外に面している分厚い鉄の扉を引き開けると、バスケ部やバレー部も既に解散しており、剣道部の素振り姿と掛け声だけが響いていた。

全体を見渡す京子。

いた。

京子が引き開けた扉の右側、その隅でバスケットボールのカゴに軽く腰掛ける紅河と、ジャージにTシャツ姿の女生徒が二人。

三人の会話が、京子にも小さく聴こえてくる。


「……まぁ、とりあえず、天才とか努力家とかは置いといて、女子バスをどうしていきたいか、今後を背負っていく新入部員としての考えを一人一人聞いた方がいいな。」

「ミーティング?」

「うん。」

「険悪ムードだし、全員集まったとしても、先輩の手前とか、本音を話してくれるかどうか……ミーティングでまとめられるような感じならとっくにやってるよ。」

「聡美はさ、どっちの気持ちも理解できるって言ったよな。」

「うん。」

「じゃあ、それ、両立は出来ると思うか?」


桐山は少し考えると、肩を落として、言った。


「これまでの桜南女子バスは、駄目だった。上手い人は呆れて辞めていった。」

「うん。両立は難しい、と。さて、ここだ、聡美。」

「え。」

「桜南女子バスのキャプテンは、部をどっちへ導きたいのか、だ。」

「えっと、だから、上手い人も、楽しむ人も……あ、両立は、そっか、そっか……」


桐山は視線を床に落とした。

瞳を右へ左へと動かしながら、必死に考える。

両の拳を握ったり緩めたりしている。

それを、紅河は、黙ってじっと待つ。

遙香も真剣な表情で、桐山の言葉を待つ。

剣道部の掛け声だけが響く中、数分の沈黙が流れた後、桐山は顔を上げた。


「私、私は、キャプテンとしては、判らない。皆んなが楽しむバスケっていう方針だし、でも、チームを強くしたいっていう気持ちも凄くわかる。」


彼女は両手の拳をぎゅっと強く握りしめた。


「でも、でも、本当は、私も、全国大会とか、皆んなで苦しんで、やれるだけやってみたかった! もう私は遅いけど、房生も悪虫も、上手いのに人一倍走って、準備や掃除もちゃんとやって、あの子達だけでも全国を経験させてあげたいって思う!」


桐山の顔は赤く、瞳は涙が滲み充血していた。


「遅くねーよ。」

「え?」

「行けよ、お前が、聡美、この桜南女子バスで全国へ。」

「え、だって、夏はもう予選一回戦負け……」

「冬だ。」

「冬……だって、今からじゃ……」

「充分間に合う。」

「え、でも、三年は三人だし、冬には抜ける部員も……」

「高島さん、」

「はい。」

「このキャプテンの秘めた闘志に、異論はあるか?」


桐山の言葉を聞いていた高島も、体を震わせ、目に涙を溜めていた。


「ありません! キャプテンが、桐山先輩がそんな風に考えてたなんて……私も、私だって、全国大会に行きたいです!」


そう叫んだ二年の高島リーダーの瞳から大粒の涙が床にポタッと落ちた。


「ほら。いるじゃねーか、同志が、聡美。」

「う、うん、でも、顧問は楽しめるバスケ部……」

「覚悟を決めたなら、恐れるな。何かを成す時、何かが壊れるもんだ。次のミーティング、俺も呼んでくれよ。言ってやる。仲良しこよしも良いが、キャプテンや二年リーダーの闘志を圧し殺させて、何が高校球技だ、ってな。」


舞衣のぼやきを聞いている京子は、胸が熱くなった。

部の方針に意見するなど、想像を絶する勇気がいる。

下手をしたら、自分がクビ、退部だ。

だが、不思議だ。

本当に不思議な人だ。

紅河淳という男が味方につくと、何か奇跡が起こりそうな気がする……と京子は、手に握っている『篠瀬佑伽梨』の電話番号メモも刹那忘れ、思った。

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