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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
140/292

黒い鶴 2.

野神のがみは、篠瀬佑伽梨しのせゆかりと名乗る女性を自宅のマンションへ連れて行った。

終電の時間を考えるとそう長くは話せないが、わざわざ会いに来た二十年以上前の知人を立ち話だけで帰すのは忍びないと思ったからだった。


…ん。


十階建てマンションの最上階、その角部屋が野神の自宅である。

マンションの入口でふと自分の部屋を見上げた野神は、雨が止んでいることに気付いた。

それどころか、星まで見えている。

雨が降り出した街灯からここまで、ものの十分程度だ。

気まぐれな空模様だな、と思ったが、それ以上気にはとめなかった。


玄関から短い廊下を通りリビングの灯りを点けると、部屋干ししたままの洗濯物が野神の目に入った。

下着も吊るされている。

野神は少し慌てた表情を後ろの篠瀬に向けた。


「あ、す、すみません、あれ、片付けてしまうので……」


篠瀬は野神の背後からリビングを覗き込んだ。


「ああ、洗濯物? その腕じゃ大変でしょ。私、やっていい?」


野神は顔が熱くなってくるような感覚を覚えた。


「え、あ、いえ、そんな、気持ち悪いでしょう、独り者の男の洗濯物なんか……」


篠瀬はキョトンとした顔をし、直後、ぷっと吹き出した。

その吹き出した顔が、野神には妙に魅力的に見えた。


「とんでもない。気持ち悪いどころか、こういうの片付けるの、大好きなのよ、女は。」


そう言うと篠瀬はスタスタと洗濯物ハンガーに歩み寄り、手で触りながら乾き具合を確かめ始めた。


「あー、宗一そういち君、これ、何日も放置してたでしょ。」

「あ、ああ、うん、帰宅出来ない状況にあってね。」

「こうなっちゃうとシワが戻らない生地もあるのよね……そんなに大事?」

「え?」

「警察のお仕事。」

「それは、生活の基盤だからな、仕事は。」


篠瀬はハンガーから外した洗濯物をソファの上でたたみ始めた。


「お金の問題? それなら別に警察じゃなくても、他の仕事でもいいんでしょ?」

「警察には長く世話になっているし、国家公務員資格も取らせてもらった。それに、犯罪の抑制という仕事には誇りを感じる。」

「そう。でも、それ、本当に、」


篠瀬は洗濯物をたたみ終え、野神に振り返った。


「本当に宗一君の意志?」


篠瀬の目は、どこか攻撃的な色を含んでいるように、野神には見えた。

先程の笑みとは打って変わり、冷たい表情をしている。


「ああ、もちろん、そうだ。」


ソファの前で腰を屈めたまま、篠瀬は瞬きもせず野神を見つめている。

ガラス玉のような、黒い瞳。

その冷たい艶めきは、二十一年前に見た彼女の黒い『光の帯』を思わせた。


「あ、ああ、そうだ、ええと、ビールって訳にはいかないな、コーヒーか、紅茶か、何がいい? とりあえず、ソファ座って、電車の時間もあるだろうしな……」

「タクシーで帰れるし、時間は平気よ。」

「ああ、いや、でも、タクシー代も馬鹿にならないだろう。」

「なんてね、うふふ。あのね、宗一君だから言っちゃうけれど、私、テレポート出来るから。」

「そ、そうなのか……」


テレポーテーションの能力者。

刑事局が恐れている能力。

県警の特査が、高い犯罪等級へと査定結果を振り分ける能力。

だが、当人が法を犯さない良識のある一市民であるならば、能力保持の有無は問題ではない……とは、刑事局は考えない。

今も維持されている、野神達に課せられている公務……『能力者を発見次第、そのスペックと個人情報を調査、しかる後、能力者聴取を執り行う事』。


野神は紅茶を二つ入れ、リビングに運んでくると、篠瀬と向かい合ってソファに掛けた。

篠瀬は表情を緩め、言う。


「片手が使えないのに、お構いなく。でも、見えちゃった。」

「え。」

「ティーパックをカップに入れてお湯を注ぐ時、『光の帯』がチラッと。」

「あ、ああ、ははは……」

「紺色に戻って、良かった。」

「……」

「さっき、聞いたでしょ、それは宗一君の意志なのかって。」

「……」

「私、実は、四年くらい前から視ていたの。白楼のラボを。」


…四年前と言うと、枝連えづれさんや自分が白楼周辺半径四キロメールの第二階層クレヤボヤンス視察を試験的に導入していた時期だが、黒い『光の帯』を視た覚えはない。


「それで?」

「宗一君、精神の色が灰色だった。人が変わってしまったのかなと思って、怖かった。」

「……」

「精神の色が変わる程、強制的に擦り込まれたのではないの? 警察の正義って、本当に宗一君の純粋な意志なの?」


野神は少し考えた。

自分の意志どうこうの前に、まず、篠瀬が四年前から白楼を透視していたというのは事実なのか。


「篠瀬さん、」

佑伽梨ゆかりでいいよ。二十一年前みたいに。」

「ん、それでは、佑伽梨さん、四年前ならば、私も白楼周辺の透視視察を行っていた。だが、あなたの黒い『光の帯』を察知したことはなかった。時期は、本当に四年前?」


佑伽梨は紅茶を一口飲み、言った。


「宗一君の睡眠サイクル、教育生が『光の帯』を使ってはいけない時間帯、透視視察スケジュール、みんな調べてタイミングを合わせたの。」

「そんな情報まで……それはどう調べたのです?」

「ラボの電子ファイルに全てデータ化されているでしょ。」


…情報だだ漏れというわけか。


「あなたは一体……」

「話が逸れてしまうわ。私が言いたい事を単刀直入に言うと、宗一君には警察を辞めて欲しい。」

「それは、どうして?」

「宗一君の精神を偏ったものに変色させて、従わせて、二十年以上も人間らしい交流を閉ざしたのが警察庁のしたことでしょ。ロボットみたいな兵隊に仕立て上げて、宗一君を人間扱いしてないじゃない。」

「ん、客観的に見ればそういう一面もあるかも知れないが、それが全てではないよ。私は警察の保護が無ければ生きていけなかった。こうして社会貢献出来る人間になれたのは警察の……」

「そんなことない。ないよ。」

「いや、私は両親を亡くしていたし、身寄りが無く……」

「私だってそうだよ。でも、ちゃんと社会人してる。里親にお世話にはなったけれど、『光の帯』を人前で使わないようにして、能力を隠していれば、公立学校も行けた。義理のお父さんやお母さんのおかげで、これまで人間らしく生きてこられたよ。」

「私だって、人間らしく在るつもりだ。」

「本当にそう? 一歩間違えたら脳をいじられて『結界の使い手』にされていたんじゃないの!? 寝たきりの、牢屋の壁にされていたんじゃないの!?」

「それは……」


特殊研究班の臨床実験対象、その被験者の選定。それはどういう基準で行われたのか。

野神達が聞かされていたことは、殺人などの凶悪犯罪を犯し更正見込みの薄い能力者から選定された、という内容だった。

しかも、その臨床実験は、後遺症無く『光の帯』を発現出来ないようにする施術だと聞かされており、施術失敗後の処置についての説明は無かった。


蓮田はすだ班長の画策を知った今考えてみれば、確かに非人道的な仕打ちを受ける可能性がある組織に身を置いていた、という事は認める。だが、法を犯していない私のような者に、その理不尽な仕打ちが及ぶことはな……」

「どうしてそう言い切れるの? 宗一君!あなた殺されかけたじゃない!捜査課の上司に!」


野神は返す言葉を失った。

自論が破綻した、ということではない。

佑伽梨の言っていることと、野神の考えの核にあるものが、ズレていることに気付いたのだ。

彼女はひたすら野神自身の身を案じている。

だが、野神は、自分が殺され掛けたような組織だからこそ、仲間の使い手刑事を置いて去ることは出来ないと考えているのだった。

その野神の真意を説いたところで、佑伽梨は理解しようとしないだろう。

彼女のリアクションは想像がつく。

そういう事を言っているのではない、まず自分を大事にして、私の気持ちを解って欲しい、といった言葉が返ってくるだろう。


「佑伽梨さん。あなたの言いたい事は判りました。私を気に掛けてくれてありがとう。だが、私は刑事局を去るわけにはいかない。もし、佑伽梨さんや他の能力者に何かの容疑がかかった時に真実を追求するためにも、私はこの仕事を続ける。」


そう言い放つ野神の目を、佑伽梨は見つめている。

佑伽梨の瞳が、憤りなのか、哀しみなのか、わずかに濡れた。


「わかって、くれてない……」


佑伽梨が野神に警察を辞めて欲しい理由。

それは、野神が洞察した通り、野神自身を案ずること、それもある。

だが、佑伽梨が最も避けたいと思っていること、それは……野神と佑伽梨が敵対し、交戦することである。

二十一年間、お守りのように持ち続けていた黒い折り鶴。

佑伽梨と似た境遇にあった、心優しい少年がくれた折り鶴。

恐る恐る、「ゆかり」と声をかけてきた、紺色の少年。


佑伽梨は、覚悟を決めた。

自分には『スピリウル』がある。

もし、標的の周囲に、その壁となって野神宗一が現れたなら、標的を討ち取り、尚且つ野神も救う。

自分なら出来る。

佑伽梨は、グッと奥歯を噛み締めた。


「宗一君。」

「ん。」

「本当はね、私、フライングなの。」

「え?」

「来週の火曜に、穂褄ほづま君ていう使い手が宗一君に会いに来る。」

「穂褄って……」


…佑伽梨と同じ脱走者の一人だ。


「スピリウル、刑事局はもう知ってるの?」

「スピリウル? いや、その単語は初めて聞くが。」

「火曜に、話がこじれた時、宗一君が自分の身を守れるように……」


佑伽梨は左手の平を上に向け、ジワリと黒い『光の帯』を出した。


「今、第二階層にある。」

「ん。」

「第一階層に出す時、一瞬真っ黒になるよね。」

「ああ、知っている。」


彼女の黒い『光の帯』は、だが、一瞬、全体が白く光り、消えた。


「見える?」

「いや、消したのだろう?」

「ううん、消してない。今もここにあるわ。」

「え?」

「第二階層クレヤボヤンスで見て。」


野神は紺色と白が混ざる『光の帯』を出し、クレヤボヤンスを発動した。


「む……」


佑伽梨の左手周辺には、先と同様に黒い『光の帯』が出続けていた。

しかも、その『光の帯』は所々に黄色い筋が通っている。

黒い部分を縁取るように、また、黒の中を流れる黄色い糸のように。


「ね。第三階層に潜行させた『光の帯』は、肉眼では見えないの。」

「……」


…これは、特査報告にあった『マルサン』というやつか!


そして、佑伽梨は黒い『光の帯』をリビングの窓に伸ばすと、カラカラカラっと開けた。

何をするのだろう、と状況を見守る野神。

彼女の『光の帯』は、その幅をブワッと広げながら、真上に伸びた。

リビングの天井を透過し、夜空へ高く伸びて行く。

数秒後、外からリビングへ入る空気が湿ったような水臭さを帯びた。

そして……


ポツ…ポツ…ポツ、ポツ、ポツ……ドザアアアア……


瞬く間に外は豪雨となった。

雷まで鳴っている。

佑伽梨から伸びている『光の帯』は、黄色かった筋がオレンジへ、所々赤に近い色へと明滅しながら変化している。

野神は息を飲んだ。


「ま、まさか、天候を操れるのか……」


佑伽梨が『光の帯』を消し、左手をスッと下ろすと、雨は弱まり、次第に止んでいった。


「正確には、天候を操っているわけじゃないの。私も理屈はよくわからないけれど、第三階層で『光の帯』を動かすと、第一階層の気圧、温度、湿度なんかのバランスが大きく変わる。」

「そう、なのか……」


…特査の言う、素粒子振動の次元間干渉のことか。


野神は額に汗を滲ませた。

このマルサン、佑伽梨の言うスピリウルの応用効果は、素人頭で考えても想像することすら恐ろしい。


「それとね、テレポート出来るってことは、物質転送も出来る。気をつけてね、宗一君。」


そう言うと、佑伽梨はソファから立ち上がり、玄関へ向かった。


「待ってくれ、もう少し、そのスピリウルについて教えて欲しい……」

「穂褄君は仲間なの。話し過ぎたくらい。これ以上仲間が不利になる話は出来ない。ごめんね。」


佑伽梨は靴をはくと、カチャッと玄関のドアを開け、出て行った。

野神は追いすがるように玄関に走り、靴もはかずにドアを開けて通路に出た。

だが、既に佑伽梨の姿はそこには無かった。


マルサン、スピリウル。

第三階層への潜行とは、どうすれば成るのか。

いや、その前に、脱走者の穂褄が自分に会いに来ると言う。

その目的は?

佑伽梨と同じ、警察を辞めろとの警告か?

では、穂褄はどんな理由でその警告をするのか。

仲間、と言っていた。

何の仲間なのか。

それが脱走使い手の集団であるならば、何を目的とした集団なのか。


『あなた殺されかけたじゃない!捜査課の上司に!』


悲痛とも取れる佑伽梨の言葉が、野神の脳裏に反芻される。


…スピリウルは、肉眼では見えない。


背筋に言い知れぬ悪寒を感じつつ、野神は考え込んだまま、マンションの通路に佇んでいた。

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