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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
139/292

黒い鶴 1.

警察庁。その格子状の無機質な外観は七月の紫外線の中でも表情を変えず、どこか冷たく鈍い照り返しを歩道へ落としている。

歩道の端に口を開けている霞が関駅A2番出口の階段から、今、サングラスをかけた細身の女性が上がって来た。

白いロングスカートに白いデザインブラウス、両腕には紫外線を避ける白いレディース手袋、頭にも白いレディースハットという全身白ずくめの出で立ちで、真っ赤なルージュとブレスレット、ハイヒールがひときわ目立つ。

黒いサングラスも含めると、あまり上品なコーディネートとは言えない。


女性はヒールをコツコツと鳴らしながら、警察庁の正面玄関を潜った。

左手でサングラスを少し下げ、上目遣いで部署表示を見渡すと、その女性はエレベーターへと向かう。

エレベーターの中で、女性は口元を押さえながら、ふぁっ、とあくびをした。

エレベーターを降りると、女性は再びサングラスを少しズラして部署表示を確認し、目的の部署へと歩く。

『刑事企画課』と表示のある窓口へ行くと、女性はカウンターに肘をつくように両腕を乗せ、座っていた課員に言った。


野神宗一のがみそういちさんと約束してます。十時。」


課員の男性はしかめっ面のままチラッと女性を一瞥した。


「お名前は?」


聞かれた女性は両腕をカウンターについたまま、左手でサングラスを外し、真っ赤な唇を動かし、答えた。


南條義継なんじょうよしつぐです。」


その名を聞いた課員は急に目を見開き、白ずくめの美女を見上げたまま数回まばたきすると、パソコンのキーボードをカチャカチャと叩き何かを確認しつつ言った。


「う、伺っております。この通路の左側、三つ目のドアへお入り下さい。」

「どうも。」


白ずくめの女性……否、男子高校生、南條義継は廊下を進み、指定されたドアの部屋へ入った。

部屋は学校の教室くらいの広さで、ホワイトボードや長机が置かれており、長机にはパソコンが数台見受けられる。

ちょっとした会議や打合せに使用されるスペースの様だ。

既に空調が効いており、給湯設備とコーヒーメーカーも置かれている。

床や壁はピカピカに清掃されており、これが中央省庁か、と義継が軽く感心する程であった。

義継が手近な椅子に腰掛け十分ほど過ぎた後、通路のドアではなく部屋の奥のドアが開き、三角巾で右腕を吊った男性が入ってきた。

左手だけを警察服に通し、右は肩から被せただけの痛々しい姿だが、男性の顔は穏やかで落ち着いている。

白楼はくろうで逢った男、野神宗一であった。

野神は女装の義継に対し表情一つ変えず、近づいてくると、頭を下げた。


「野神です。改めて、この度は大変申し訳ありませんでした。」


義継は両腕のレディース手袋を赤いブレスレットごと抜き取ると、レディースハットを取り、パタパタと自分を仰いだ。


「終わったことはいいですよ。佐海さかい局長とも話したし、兄貴は結構な金を受け取ったらしいしね。いくらだか聞いてないけど。」


野神は苦笑して見せ、義継の左肩に目をやった。


「肩は、もう良いのか?」

「んー、縫ったからなぁ、ちょっと突っ張るな、まだ。それより、右手、繋がったの?」

「ああ、じんじんと常に痺れた感じなのだが、それは神経が繋がった証拠だし、指先も動かせるようになった。」

「そう。良かったね。」

「ああ。義継君、コーヒー、飲むか?」

「メロンソーダフロート。アイスは高級バニラで。」


野神は一瞬固まったが、プッと吹き出した。


「それは、発注しないと無いな。時間掛かるぞ。」

「んじゃいいや、コーヒーで。」


義継もニヤッと笑った。

野神が入れたホットコーヒーを前に、二人は斜めに向かい合うように座った。


「誤認逮捕の苦情ではないのなら、私に話って何だい、義継君。」


義継の知りたい情報は、大きく二つある。

一つはSATが動いた一件。

義継が機関拳銃の掃射を受けたあの時、SATを指揮していたのは通常通り警視庁の警視総監だったのか?

佐海局長は『使い手の事件に警視庁はまだ介入させられない』と言っていた。

SATは警視庁の特殊部隊であり、その指揮は基本的に警視総監が取る。

矛盾しているではないか。

SATという巨大な暴力を警視庁の外部から操作し得る指揮系統が存在するのか、それはどこの誰なのか。


もう一つは警察庁における湖洲香こずか喜多室きたむろ雅弓まゆみの扱い。

喜多室は普通の社会人として自宅を持ち仕事に当たっているが、湖洲香と雅弓は今尚拘留されているに等しい状態にある。

彼女達の外出許可権限が蓮田はすだから赤羽根あかばねに変わり、状況は軟化してはいるが、常時監視カメラの作動している県警特査の生活施設に拘束されている以上、プライベートなど無いに等しい。

これには刑事局のどういった意図が働いているのか。


そしてこの二つの疑問は一つの問題に収束する。

それは、端的に言ってしまうと……


『使い手刑事を操る黒幕を知りたい』


義継のその思考は、テレパシーによって野神に送られた。

監視システムで録画、録音されているであろうこの警察庁の一室で、通常会話で話せる内容ではないからだ。


『黒幕?』

『建前の指揮系統の事じゃない。蓮田が死に、伴瓜ともうりが外れ、谷元も死んだ今、公民館に敷かれたSATプラス使い手という最強の布陣を自由に使える奴は佐海局長の他にいるのか?』

『それは答えられない』

『ってことは、いるんだな?』

『一般市民に開示していい内容ではない』

『聴き方を変えよう。警察庁刑事局刑事部捜査課の課長であった伴瓜がSATを動かせたのは、どういう仕組みなんだ?権限は警視庁の警視総監ではないのか?』

『組織の指揮系統を潤滑させる人為力としてなら答えられる。国家公安委員の杉浜光平すぎはまこうへい氏が関与した。伴瓜警視正から杉浜氏へ、杉浜氏から警視総監へ、という口添えだ』

『杉浜光平……なに、その人、国家公安委員て警察の監視とか管理とかじゃないの?』

『国務大臣が国家公安委員長を務めるのは知っているだろう。上程された案件の審議は委員会の多数決で議決され、国務大臣であっても独断で決める権利は無い。杉浜氏はその委員の一人に過ぎず、SATを動かすなどの実務的な権限は全く無いが、実際には国家公安委員の杉浜が口添えした案件をないがしろにすると、警視総監も後々の立場が危うくなる。指示や命令という所作は働かないが、ある意味それ以上の圧力となる、が実際だ』

『ふぅん。別の形の権力をチラつかせて従わせるってことか』

『それに、その場合、SATが事を為損じても警視庁に落ち度は無い、と監督者の国家公安が黙殺することになる』

『ふん』


…杉浜光平、か。


『んで、核心に迫ると、つまり黒幕は伴瓜?杉浜?』

『だからそういう聞き方には答えられない』

『宗ちゃん、硬いんだよ』

『馴れ馴れしい呼び方はやめてくれ。君へのSATの一件、起点は伴瓜警視正だ、とだけ言っておこう』

『んー……それって、新しい捜査課長も同じ事が出来るわけ?』

『いや、こういった人為力は役職で決まるものではない』

『人脈の裏工作ってやつか』

『まぁ、そういうことだ』


見えたような、見えないような。

ひとまず杉浜光平という名は兄の治信はるのぶに伝えておこう、と義継は思った。


『次、県警の使い手、それの警察庁での扱い』

『ん、聞きたい事の趣旨が判らない』

『なぜ湖洲香さんは完全開放されないのか、どういう条件が揃えば湖洲香さんはプライベートを手に入れられるのか』

『それは本当に知らないな。これまで若邑わかむらさんを縛り付けていたのは蓮田班長だ。蓮田班長は伴瓜警視正や杉浜氏とも内通していた。杉浜氏が若邑さんという使い手をどうこうしようと考えるとは思えない。もっと言ってしまえば、杉浜氏には興味の無いことだろう』

『じゃあ、これは佐海局長と赤羽根さんのさじ加減、と考えていいの?』

『と、私は思うがな』

『ふーん……』


湖洲香の処遇が佐海と赤羽根に握られている、というのが事実ならば、話は早い。

だが、本当にそうなのだろうか。

義継には、どうもまだどこかに見えない力が働いているように思えてならない。

これは赤羽根の判断を改めて聴き、実際には湖洲香の生活がどう変わるかを見るしかない、と義継は収めた。


「刑事局の使い手刑事は、もう私生活に戻ってんの?」


義継は、テレパシーではなく声に出して聞いた。

それに合わせ、野神も肉声会話で受ける。


「いや、まだ白楼で事後処理や新体制の準備に当たっている。現職復帰は来週の火曜だ。」


義継は無言で頷いて見せ、腕を組み視線を野神から外した。

そしてコーヒーを一口飲むと、言った。


栂井翔子とがいしょうこは、おとなしくしてます?」


野神もコーヒーを口にし、穏やかに答えた。


「ああ、あの子は驚くほど変わったよ。無断外出の経緯を私が聴取したのだが、どうすれば白楼から出られるか、いつ出られるのか、としつこく聞かれたがね。」

「ふーん。やっぱり、国家公務員になる教育を続けるの?」

「いや、栂井は本人がそれを望んでいない。倫理観更生の指導を主体に、あの子の意思を尊重しながらカリキュラムを変えていこうという方針だ。」

「元凶が消えると、こうも変わるんだねぇ。」

「ん?」

「いや、安心しましたよ。栂井を飼い殺すことはなさそうだね。」

「そうだな。能力者ラボの教育の問題点が浮き彫りになった。栂井があの短期間で変われたのには、人の教えと環境、それと愛情、これらの在り方が重要だと私は痛感した。」

「ふぅん。」

「あの日、栂井には奇跡が連続したんだ。」

「奇跡?」

「ああ、精神感応聴取で栂井の感情まで読み、判ったことだ。」

「どんな?」

深越ふかごしさんにより、傷害を受けた者の痛感、悲観をそのまま体験し、その後に温かい休息を得た。柴山しばやまさんによってね。そしてリアルな暴力を受けて、そこから救ってくれた人物に出逢った。優しさと共に。」

「誰それ。」

「君だよ、義継君。」

「僕が助けたのは栂井じゃないんだけどなぁ。」

「更に、人の怒りは生死を決める感情ではない、と小林君に教わり、最後に、紅河くれかわ君からは未来をもらった。」

「未来?」

「ああ、栂井は未来を得たんだ。まさに奇跡の連続だったってことだな。」

「単純なだけじゃないの、栂井。」

「そうかも知れないな。だが、その単純さが良い。あの子は古見原所長の教えをも頭で反芻していた。無駄ではなかったのさ、ラボの教育も。」

「ふーん。」


コーヒーカップが空になり、野神は時計を見た。


「そろそろ私は移動しなければならないのだが、まだ何かあるか、義継君。」

「んーにゃ、僕も帰る。」


…野神さん、あんたが僕や喜多室さんへの負い目を引きずっていないと判ったからね。


「そうか。またいつでも会いに来てくれ。私から相談したいことも出てくるかも知れない。」

「やだよ。」

「ん?」

「警察庁なんか二度と来るか。じゃ、そういうことで。」


野神は顔をしかめたが、ふっと苦笑しながら、部屋を出て行く義継を見送った。

野神はこの後、白楼へ移動し、警察庁刑事局捜査課における使い手業務整備、規定改定草案に対する所見や代案策定に当たった。

本日、野神が警察庁に来ていた理由は、正式に捜査課の主任着任辞令が下りたからであった。


白楼での実務に一段落付け、野神が自宅への帰路についたのは二十二時を回っていた。

本来ならば来週の火曜までは白楼に泊まり込みの予定であったが、右腕の大怪我への労いの意味で特別に自宅療養が許された。

最寄駅から自宅のマンションまでは歩いて行ける距離にある。

野神は久しぶりにビールを買い込み、夜道を自宅へと向かった。

ちょうど駅と自宅の中間地点辺りで、空気が独特の水臭いような重さを漂わせた。

そう、雨が降る直前のような空気感。

そして、ポツリ、ポツリ、と、降り始める。

歩く足を早めたその時、街灯を背にして立つ人影が目に入った。

シルエットからすると女性のようだ。


…まさか義継君ではないよな。


街灯の逆光で顔が見えない。

だが、こちらをじっと見ているようだ。

野神は構わず歩き続けた。

その女性の真横まで来た時、野神は声を掛けられた。


「宗一君。」


…ん、私を知っている女性か。


街灯で顔が見える位置に来たが、見覚えがない。


「失礼ですが、どこかでお会いしましたか。」


女性は答えず、軽く微笑むと、黒いサマージャケットのポケットから小さな手帳を取り出した。

そしてその手帳を開き、ページの間から何かを取り出し、手の平に乗せて野神に差し出した。

数歩近寄り、野神は彼女の手の平を覗き込んだ。

それは細長い五角形に折りたたまれた、折り鶴だった。


…え、この折り鶴は……


野神の遠い記憶が少しづつ蘇ってくる。

二十年、いや、二十一年前か。

野神は五才だった。

母に教わった鶴の折り方。

両親を亡くした後、緑養の郷に入った野神は、ある女の子に折り鶴を折ってあげたことがあった。

黒い折り紙を使った、黒い折り鶴。


「これは、もしかして、あなたは……」


その女性はたたまれていた折り鶴を開き、鶴の形にして手の平に乗せ直した。


「うん、思い出してくれた? 私、篠瀬佑伽梨しのせゆかりです。」


その女の子が緑養の郷に連れてこられた日、膝を抱えて部屋の隅に座り食事も取ろうとしないその子に、野神は折り鶴を折ってあげた。

黒い折り紙を選んだ理由は、その子の『光の帯』が黒く光っていたからだった。

その翌日、その女の子……篠瀬佑伽梨は、緑養の郷を脱走した。

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