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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
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第2章プロローグ

1591年 ー 天正19年、5月。


男がかつて仕えていた城の城下町、そこから伸びる桜並木の街道。

その男が和歌を刻んだ岩の背後には竹藪が生い茂り、湿気を伴った夏の風がさわさわと揺らしている。

岩のすぐ後ろに、獣道の様に、細い自然竹が押し割られた隙間があった。

緩い斜面になっているその竹の隙間を登っていくと、徐々に針葉樹が増え、竹は減り、自然林へと入っていく。

数十メートル分け入った辺りだろうか、いくつかの切り株があり、陽の光が差し込む場所があった。

その中央辺りに、小さな小屋が見える。

小屋と言っても、屋根の高さは二メートル程で、切り出した丸太を柱として多くの細竹を横や天井にあしらい風雨を凌ぐ程度のもの。

街道の岩に和歌を掘った男……落ちた野武士が建てたものだった。


野草やヘビなどを細々と食す生活を続けていた男は、その頬はこけ、剃り上げていた頭頂部に生え揃った無精な髪を後ろで一束に結っていた。

小屋の中で、今日も男は淡々と仏像を彫っている。

懐刀で彫られるその仏像は、高さ二十センチくらいの木彫りのもの。

それは、かろうじて人の形はしていたが、仏の姿には程遠い稚拙な彫り物だった。

男は一区切りついた木彫りの小さな仏像を床に置くと、これまで作った仏像の数を数える。


「十と三か。なかなかに大変なものよ。」


いくつ作ればいいのか。

自分はこれまで何人の人を殺めたのか。

ふとそんな事を考えるが、合戦の最中さなかで奪った命の数など憶えているはずもない。

だが、敗走し落ちた後、殺めた人数は憶えがある。

四十二人。

飢えを凌ぐために奪った命、四十二。

最低四十二体は彫ろう……男はその数を一つの目標としていた。


「供養の経を知りたいものだ…」


男が仏門知識に乏しいことをどうすればいいか、と考えていると、小屋の外で音がした。


ガサッ…パキッ…


人か、獣か。

何かが近付いている踏み音である。

床に伏してある脇差しに一瞬目を向けたが、男はその刀を取らなかった。

もう人は斬らない、そう決めていた。


小屋の入り口、粗悪なすだれからちらりと外を覗く。

太い針葉樹の陰に、人の姿が見える。

白衣びゃくえに朱色の袴、髪は黒く長い。

巫女装束だ。

目を凝らすと、その巫女は弓矢を携えていた。


…何奴じゃ。


巫女は、木に半ば身を隠しつつじっとこの小屋を見つめている。

身の丈は五尺ほどだろうか。

ふと、巫女が木の陰から一歩踏み出た。

その顔に木漏れ日が差す。


「あ…」


男は思い出した。


…あの神社の……口寄せ巫女じゃ。


男の額に汗が滲み、手足が震えてくる。

空腹を抱えて忍び込んだ社。

神主に気付かれ、薙刀を振るうその神主を殺めてしまった記憶が蘇る。

そして、見つけたお神酒を貪る様に喉に流し込んでいた自分は、あろうことか、あろうことか…物音で駆けつけた口寄せ巫女にも刀を突きつけ、強姦してしまった。

幼い白い肌、陰部から滴る赤い血、目と口をぐっと閉じて声も出さず耐えていたあの巫女……間違いない。

齢にして十四か、十五か。

男は右手に握っていた懐刀を鞘に収め、床に置いた。


…憎かろう。拙者が憎かろう。


ここが死に場所か、と肝を据えた男は、すだれを押して小屋の外へ出る。

それに気付いた巫女は、一瞬怯む様子を見せたが、左手の弓をスッと男へ差し向けると、右手で弓を引いた。

怒りか、悲しみか、その幼い顔は紅潮していた。

男は言う。


「抵抗はせん。放つがよい。」


男は両の腕を左右に開き、目を閉じた。

ギリギリと弓を引く巫女の震えた甲高い声が、蒸し暑い針葉樹に響く。


「我はべにと申す!父君の仇!」


よくここが…そうか、あの岩の和歌を見てここへ分け入って来たか。

あの和歌が自らの死を呼び込んだのなら、それも因果。


…拙者の汚れた業、その矢で払ってくだされ、巫女殿。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


2014年、7月。

私立城下桜南高校の正門から伸びる桜並木の道には、ちらほらと蝉の鳴き声が聞こえ初めていた。

道の中ほどには和歌が彫られた石碑が、ひっそりと在る。

休校の土曜早朝ということもあり人の姿はほとんどないが、正門へ向かって小走りで駆けてくる女生徒があった。

城下桜南高校一年生の小林京子である。

大きめの白いブラウスに、膝下を生真面目に守った長めの紺色スカートは、最近の女子高生とは思えないほど野暮ったい着こなしだった。

右手に学生鞄を持ち、左肩には書道具を下げている。

肩に掛かる程度の切ったばかりの黒髪が、汗ばんだ額に張り付く。


京子は息を切らせ、和歌の石碑の辺りで立ち止まった。

腰を屈めて頭を落とし、息を整える。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


スカートのポケットに無造作に突っ込んでいたチラシを取り出す。

開いたチラシには『文披月ふみひらきづき祭典』とあり、その要項が記されている。

文披月とは陰暦七月の異称で、文月とも言うが、七夕にちなんだ県の書道祭典に用いられている出展タイトルである。

俳句、もしくは短歌、楷書か行書での出展となっており、締め切りは7月5日。


「ああ、もお、いっつもギリギリ……」


俳句、短歌は自作でも既存の有名句でも良いとされているが、京子は自作の句を作りたかった。

だが、その句自体がまだ出来ていない。

季語、枕詞、五七五。

古典文語の勉強をもっとやっていればよかった、と後悔する。

チラシは二ヶ月前には書道部で配布されていた。


…いろいろあって、俳句どころじゃなかったな……


今日は部室が開いており、部の先輩も出展書の追い込みで何名か登校している。

同じ一年の高岡芳美たかおかよしみも来ると言っていた。

京子は、句の作成を芳美に相談しようと考えていた。

芳美が一学期の中間考査で学年2位だったことを思い出し、ため息をつく。


…なんで私、頭悪いんだろ。


愚問。

それは予習復習をあまりしないからだ。

当たり前のこと。

また、ため息が出る。


「はぁ……」


気を取り直して顔を上げると、学校の方から自転車に乗ったジャージ集団がこちらへ向かって来るのが目に入った。

慌てて石碑の方へ避ける京子。

自転車集団は女子バスケ部だった。

だが、人数が少ない。ぱっと見、十名くらいか。


「おお、京子ぉ!」


キキィ!


女子バスケ部員の一年生、房生舞衣ふさおまいが京子の前で自転車を止めた。

乗っている自転車は学校の備品で、運動部が共用で使う自転車だった。


「交流試合行ってくるね。」


舞衣は、バスケの試合が生き甲斐とでも言わんばかりのマブシイ表情で言った。


「あ、うん、がんばって。近い学校?」

「自転車で4、50分かな。土蔵西つちくらにし。」

「へえ、あ、あれ、義継よしつぐさんの?」

「だね。橋石きょうせきさんと義継さんの学校だね。ま、県立で土曜だし、いないだろうけど。」

「そっか。でもなんか少なくない?」

「何が?」

「バスケ部、人数。」

「ああ、うん、今日は一年生だけの交流試合で、付いてくる先輩は二年と三年の学年リーダーお二人だけ。一年も、三ヶ月経って結局七人しか残ってないし。」

「え、沢山いたのにね、新入生……練習厳しいの?」


京子の問いかけに、舞衣は少し落胆したような表情になった。


「それがさ、逆で、ゆるいのよ、うちの女子バス。ゆるすぎるの。」

「そうなの? なら、どうして減っちゃったの?」


舞衣は視線を落とした。


「うん、ちょっと、ね……私のせいもあるかも。」

「何かあったの?」

「何か、って言うか、私は全国大会行きたくて、基礎練習とかスキルアップとかもっとやろうって、そういうの、帰る時間も遅くなるし、嫌がる人もいて、なんか私、熱苦しく思われてたみたい……」

「先輩は? 何て言ってるの?」

「それがね、一生懸命なのは二年の遙香はるか先輩だけで、部全体が仲良く楽しくまったりと、みたいな部だから……」

「そっか。」

「三年なんてさ、三人しかいないんだよ。インターハイどころじゃないよ。地区予選一回戦負けだし。」


舞衣はうなだれたまま、カチャ、カチャ、と自転車のペダルを意味もなく足で小突いた。

京子は中学時代の舞衣を知っている。

全国大会予選で敗退した時には、試合終了直後、コートで泣いたという舞衣。

三年の夏の市内大会で優勝した時の喜びようは、京子も目の前で見ていた。

舞衣のバスケに向ける情熱には計り知れないものがあるのだろう。


「負けないで。」


京子は舞衣を真っ直ぐ見つめて言った。

舞衣が顔を上げる。


「う、うん、ありがとう……あ、ありゃ!」


京子を見た後、前を向いた舞衣は、もう城下町商店街へと曲がっていく女子バスケ部集団に気付いた。


「やば、じゃいくね。」

「うん、がんばって。」


負けないで

本気の舞衣さん

全国だ


…あ、季語、ない。そして字余り。


立ち漕ぎ猛ダッシュをかける舞衣の後ろ姿を見ながら、京子は、自分も全国書写コンクールなどに積極的に出展してみようか、と思った。

未だ自分は、自己表現がイコール自己満足に帰結する域を出られずにいる。

プロの芸術書道家は、個展や出版はもちろん、有名な映画の中でキャストの代書をしていたり、様々なタイトルロゴを書いたり、毛筆フォントを提供していたりと、人々の心を豊かにする文化発展に貢献している。

もっと多くの人に自分の書を見てもらわなければ。

そうしなければ見えてこない。

自分の書の、自分の、存在意義が。


京子はふと、すぐ後ろにある石碑に目をやった。


荒ぶれど

駆けたる道は

望郷の

桜は城下

いとあはれなり


あれ。

荒ぶれど、って、どれに掛かる枕詞?

枕詞じゃないんだっけ?

荒ぶる神、とか、聞いたことあるな。

ん?

もしかして、荒ぶれどって、詠み人自身のことじゃなくて、道?

神様に示された道、とか?

神の道、の神を省略?

神道しんとうのこと?

荒ぶる神道……なんか不自然。


「あ……あ、ああ!」


こんなことをしている場合では無かった。

一年生が長机や畳の雑巾掛けをせずに誰がやる。

芳美一人に掃除させるなどとんでもない。

京子はまた正門へ向かって走り出した。


桜並木道の終わりはT字路になっており、正面の正門の左右に車道が伸びている。

横断歩道用の信号機があるが、ここは車の通りがほとんど無い為、生徒は歩行者信号を無視することが多い。

京子は左右を確かめて、赤の歩行者信号を走り抜けた。

すると、正門の門柱から大人の女性がフッと現れ、京子は驚いた。


…あや、先生かな、信号無視見られたかな。


だが、学校では見たことがない女性だ。

若いような、それでいて経験を積んでいるような締まった顔つきをしている。

髪はショートカットで、やや釣り目だが鼻筋の通った端正な顔立ちが、教員のような賢さを思わせる。

女性用の黒いスリムパンツに水色のブラウス、その上に黒い薄手のサマージャケットを着ている。

京子に声をかけてきたその女性は、だが、教師ではなかった。


「初めまして、小林さん。お聞きしたいことがあって。」


話によると、彼女は皆月岸人みなづききしとの親戚とかで、行方不明の岸人を探しているとのことだった。

学校で教員に聞いてきたところだが、岸人からの連絡は入っておらず学校も困っている、とのことだ。


「あの、なんで私の名前……」


女はやや首を傾け、艶っぽく笑った。


「岸人君から聞いているの、あなたのこと。」

「はあ……あ、お力になれなくてすみません。」

「いいえ。もし岸人君を学校で見かけたら、ここに電話してもらえる?」


女から小さなメモを渡された。

メモには携帯電話の番号と名前が書かれている。


篠瀬佑伽梨しのせゆかり


そして、その女性……篠瀬はこう付け加えた。


「このこと、警察には内緒ね。岸人君、やってもいない濡れ衣を着せられているようで、警察に抑えられる前に見つけたいの。」

「あ、はい……」


京子は、何か違和感を感じつつも軽く頭を下げると、昇降口へと急いだ。

違和感。

真っ先に思ったことは、岸人から話を聞いているというだけで、会ったこともない自分が小林だとなぜ判ったのか、ということ。

それに、時間。

今は朝の八時前だ。しかも土曜日。

教員に岸人の行方を聞きたいのなら、平日の昼ごろが妥当のような気がするが……

京子は急いでいることもあり、深く考えるのをやめ、書道部の部室へ向かった。

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