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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
134/292

特査の人材適正

「んー、この方、かなぁ…」


白楼はくろうα棟。

赤羽根あかばねはスティック状スナック菓子をポリポリと食べながら、特査の補填要員候補者リストをチェックしている。

傍らのベッドには今尚、雅弓まゆみが眠り続けていた。

赤羽根はマウスを操り、モニター内のデータを素早くスクロールさせていく。

候補者リストの学歴や年齢などはほとんど見ていない。

その実績のみ、着目していた。


「理学博士、か。広く浅くタイプ、っぽいなぁ…」


業務の八割方は、むしろ浅くで良い。

迅速に正確に、であれば、どうでもいい部分をちまちまと掘り下げる必要は無いのだ。

だが、時に要求される。

こいつおかしいんじゃないのか、と周りが思う程のこだわりと深掘り。

それが二割だとして、掘り下げるべき案件かどうかの見極め眼、それが欲しいと赤羽根は考える。

放っておけば倒れるまで研究を続ける変人、だが、尚且つ、理性的な人材。


「会ってみるしかない、か。」


物理よりはやや数学寄りの様だが、赤羽根は一人、蓮田はすだの後釜に目星を付けた。


「ん?」


候補者リストのファイル、最後のシートに、要請した専門分野とは違う分野の博士号取得者データがあった。

神学、とある。

主に倫理や宗教を扱う学問分野である。

それだけであれば、赤羽根は読み流しただろう。

彼女が気に留めたのは、その博士の名前であった。


遠熊倫子とおくまりんこ 三十七歳 女性


「遠熊、って…」


赤羽根は白楼勤務者の個人データへアクセスした。


…あ、やっぱり。


遠熊倫子は、研究所長であった遠熊の実の娘であった。

苗字が変わっていないということは、未婚か、バツイチか…。


「神学…とおくまりんこ…くまりん。」


名前の真ん中だけ抜き出すと、くまりん。


「…なんて、やってる場合じゃない。」


赤羽根は、遠熊倫子のシートにも面談希望のチェックを入力し、ファイルを県警へ返送した。

その後、しばらく彼女は特査業務に没頭していた。

実証試験草案、必要環境と必要物品の手配、伴う経費試算、再捜査依頼の起票、各種報告書。


「あー、あの書類、県警だぁ、これだから紙の資料は…ったく。」


冷めたコーヒーを一口飲み、赤羽根は雅弓の様子を伺った。

よく寝ている。

脳波モニターは、正常な睡眠状態を示していた。

能力を酷使したことにより起こる眠気、サイコスリープと呼んでいるものには、二段階の睡眠状態が訪れる。

先に来るのは、覚醒時に見られる脳波を伴っている能力者特有の睡眠状態。

次に、言わばごく普通の睡眠、レムとノンレムを繰り返す90分周期の睡眠状態に入る。


…やっと寝付いた、ってことかな、マユミ。


赤羽根は、先程雅弓が起こした現象、『光の帯』から水を発生させる能力についても、報告書をまとめなければならないな、と思った。

雅弓自身に降りかかるリスクが明確になるまで、むしろこれが最優先とも言える。

第三階層、次元で表すなら五次元空間、この空間での理論物理作用が第一階層である三次元空間の物質に影響を与える現象。

赤羽根はこれを、第三階層の三を取り、数字の3を◯で囲んだ表現から『マルサン』テレキネシス、と仮称を付けていた。

伴い、これまでテレキネシス、或いは念動力と呼んでいた能力は、第一階層で起こり作用するため『マルイチ』となる。

『マルサン』の最も不可思議な点は、その『光の帯』は三次元空間の物質を透過し無接触であるのに、気体や液体の様態を変化させることだ。

固体、液体、気体の三態は主に温度でその様態を変える。

『マルサン』が温度をも操る能力であるならば、固体も変態させる可能性も充分にある。

この点は早急に検証実験を行わなければならない。

そして、赤羽根が恐ろしいと感じている点は、『マルサン』を発動する『光の帯』は、『能力者』の肉眼でも視えない点である。

これは風見かざみも言っていた。

第三階層を潜行する『光の帯』は、肉眼では見えず、使い手も気付けない。

『光の帯』のクレヤボヤンス発動を以ってして初めて知覚できるのだ。

つまるところ、今の雅弓は、暗殺者としては最強の能力者だと言える。


…警察としては、マルサンの弱点を一刻も早く突き止めなければならない訳だわ。


どう段取りを組むか。

被験者は、やはり雅弓を使うしかないのか。

人を被験体とせずに検証実験を行う、無人実験の手段はないものか。

早く相談相手が欲しい…そう考えていた時、内線電話が鳴った。

B1の総合管理センターからだ。

赤羽根は受話器を取った。


「はい、県警特査、赤羽根です。」

『面会希望者が見えています。』


…あ、南條さんが言ってたやつか。


今は部外者と会っている時間など無い。

正直に言えば、重要業務や深刻な案件が多々重なり、人と会っている気分的な余裕が無い。

雅弓の側も離れられない。


「電話で済ませたいので、その方と代わってもらえます?」

『承知しました。少々お待ちください。』


受話器から保留を示す音楽が流れ始め、20秒程すると、通話状態に戻った。


「赤羽根です。」

『博士?』


…え。


ゴトッ


電話口の声を聞き、赤羽根は思わず受話器を落としてしまった。


…今の声…まさか…まさか…


赤羽根は、通話状態の受話器をデスクに落としたまま、椅子からよろっと立ち上がると、中央エレベーターへ駆けて行った。

はやる気持ちを抑え、エレベーターに乗り、B1ボタンを押す。


『博士?』


その一声が、赤羽根の頭を反芻し、響き続ける。

あの、少し甘えたような柔らかい声。

語尾を上げる喋り方のニュアンス。

間違いない。

聞き間違えるはずが無い。

一年以上も、常に一緒にいたのだ。

仕事中も、外出時も、食事も、常に。


エレベーターがB1に到着した。

半開きのドアを押しのけるように、赤羽根はフロアに飛び出す。

そして、総合管理センター受付カウンターへ走る。

心臓が高鳴る。

通路の角を曲がり、受付カウンターが見えた。


「でも、まだ繋がってますのよ。向こうに聞こえなくなってるんじゃないかしら。」


そこには、受話器を指差しながら受付の人に内線の故障を訴えている女性の姿があった。

オレンジ色のメンズジャケットにジーパン、そしてサングラス。

身なりは、見覚えがない。

だが、あの姿勢の良い立ち姿、長いストレートの黒髪…間違いない。


「こ…コズカ!」


赤羽根は、人目もはばからずに叫ぶと、駆け寄った。


「あら。」


その女性、湖洲香こずかは、サングラスをヒョイと額の上までずらし上げた。

そして、ニコッと笑った。


「博士、電話の調子、なにかおかしいですわね。」


赤羽根は走り寄るなり、そのまま湖洲香に抱きついた。


「きゃっ、どうしたの、博士。」

「どうしたのじゃないよ、コズカ…」

「え。」

「無事なら、無事だったなら、連絡しなさい…」


湖洲香は受話器を電話機に置き戻し、両腕を赤羽根の背に回した。


「博士、あったかい。ふふふ。」


赤羽根は、腕に力を込めて、抱きしめ返した。


「あんた、一人で外出したらいけないの、わかってるでしょ。」

「あら、でもね、ちゃんと白楼まで行けたのよ。あのね…」

「入る前に電話するようにって伝えたはずよ。」

「ああ、それはごめんなさい。忘れていて、入ったらもう圏外だったの。」


赤羽根は、ゆっくりと湖洲香から身体を離すと、右手の人差し指で湖洲香の頬をむにゅっと押した。


「馬鹿ね、相変わらず…」

「あら、これでも頑張ったのよ、私。」

「知ってるよ。聞いたわ。」

「ふふ。それでね、博士、お願いがあるの。」

「なに。」

「小林さんの服や所持品が警察庁の刑事企画課に届くの。博士宛よ。それをね、小林さんに直接返したいの。外出許可、お願いしますわ。」

「外出している暇はないわね。発送なさい。」

「ダメよ。ちゃんと手で返すの。」

「あんたね、報告書、たまりに溜まってるわよ。」

「じゃあそれ、移動しながらやりますわ。小林さんのお宅に行くのよ。絶対に。」

「マユミから離れられないし、納期を過ぎた業務が片付くまでは無理ね。」

「ダメ。絶対に行きますわ。マユミちゃんは喜多室さんにお願いすればいいわ。」

「喜多室さんは捜査課でしょう。」

「じゃあ、お兄さんに。」

「お兄さん?」

「南條さんですわ。」

「部外者でしょ!もっと駄目よ !」

「じゃあ、んー、どうしましょう。」

「諦めなさい。発送でいいでしょ。」

「嫌ですわ。小林さんの大事な物があるのよ。ちゃんとお手元に届いたか確認したいし、謝らなきゃ。」

「そんなの電話で済む。」

「嫌。絶対に行くのよ。直接謝るの!」

「相変わらず頑固ねぇ…」


赤羽根は苦笑した。

こんな会話をしながらも、目の前に湖洲香が帰ってきた、その嬉しさが勝っていた。


「仕方ないわね。じゃあ、一人で行ってきなさい。」

「え、いいの!?」

「あんたの行動の決裁権限は蓮田班長がお持ちだったけど、今は私。もういいでしょ。一人で外出してきなさい。」

「まあ!ありがとう、博士!」

「ただし!」

「ただし?」

「報告書を5件、片付けた後ね。」

「わかりましたわ。じゃんじゃんやっちゃいます。」

「とりあえず、マユミの病室にパソコン運び込んであるから、来なさい。」

「はい。」


赤羽根と湖洲香は、エレベーターへ向かって歩き出した。


「それとね、コズカ。」

「はい。」

「マユミが新しい能力を発現させていてね、その能力の解明も急がないといけないわ。」

「まあ。」

「書きかけの事象報告があるから、それを見ながら詳しく説明する。」

「はい。」


と、唐突に、湖洲香が足を止めた。


「あ、ああ、ちょっと待ってて、博士。」

「ん?」


湖洲香が受付カウンターへ走って戻っていく。

息を切らせながら戻ってきた湖洲香は、手に紙袋を持っていた。

ハンバーガーショップのロゴが印刷されている。


「受付に忘れるところでしたわ。買ってきたの、途中で。博士とマユミちゃんの分。」

「ふぅん。私はそういうの、あまり食べないな。」

「あら、おいしいのよ。」


赤羽根は、もやもやした苛立ちが、いつの間にか薄れている事に気付いた。

業務に追い回される、追い詰められた感覚。

それは残っているが、気分が軽くなっている。

心理学も研究してきた赤羽根には、自分を客観視すればすぐに判る。

湖洲香の存在。

それは、過酷な環境で育ってきた湖洲香を一方的に気遣うだけに非ず、赤羽根自身にとっても精神的な支えになる存在。

仕事の処理能力は、湖洲香は決して高くはない。

湖洲香の価値は、そこではないのだ。

被験者としての貢献度は高いが、そういう部分のことでもない。

場を明るくする、特査の潤滑油。

その湖洲香が、帰ってきた。

いてくれるだけで赤羽根の仕事は捗る、そんな存在。


雅弓の病室に着いた二人は、早速納期の厳しい業務に着手した。


「ポテトはそこそこね。ちょっとしなってるのが惜しいけど。」

「でしょでしょ、ポテト美味しいのよ。」

「たまにはいいかな、こういうのも。」

「ふふふ。あ、そうだわ。」


湖洲香はジャケットの内ポケットから何かの広告のような紙を取り出した。


「ね、博士、ピザはお好き?」

「ピザ?トマトとチーズだけのマルゲリータとかなら。」

「マルゲリータ、マルゲリータ…ありましたわ。」

「ん?」


湖洲香は再びキーボードを打ち始めた。

仕事に戻ったのかと思いきや、


「送信…はい、行きました。」


彼女はメールを打っていたようだ。


「何してんの、勝手にここのアドレス乱用したら駄目よ。」

「α看護部共用アドレスというのを使いましたわ。」

「どこに。」


赤羽根は送信済みメールを覗いた。


拝啓

南條治信様

◯月◯日土曜日のお食事の件、

赤羽根博士と若邑、二人でお伺い致します。

尚、ご指定頂きましたお店の「フレッシュトマトのマルゲリータ」が予約出来ましたら

宜しくお願い致します。

敬具

若邑湖洲香より


「ちょっと、なにこれ、なに勝手に約束してんの。」

「お兄さんがお誘い下さったのよ。」

「これ、来週の土曜じゃない。」

「うん。」

「うん、て、仕事どうするのよ、仕事。」

「あら、仕事を調整するのも能力のうち、ですわ。」


湖洲香は治信の言葉をそのまま受け売りで使った。

ため息をつく赤羽根。

だが、その赤羽根も、浮かれそうになる気持ちに嘘はつけなかった。

治信と食事。

仕事から離れての時間が実現するなら、夢のような話だ。

落ち着いてゆっくり、治信と会話してみたい。

湖洲香が言った仕事の調整、そこからプライベートの時間を作り出すこと、確かにこれも仕事処理能力の一つだ。


「なに、南條さんから誘って下さったの?」

「うん。」

「コズカを?」

「うん。」

「じゃあ一人で行ってきなさい。私は忙しいし。」

「駄目よ!お時間作って、博士。」

「だって、誘われたのコズカでしょ。」

「お兄さんには義継さんを連れて来てってお願いしてるの。義継さん、会食が苦手らしくて難しいみたいなんだけど、お互い頑張るって約束したの。」

「お互い?」

「私の役目は、お忙しい博士を頑張って連れて来ること。」

「別にいいでしょ、私なんかいなくても。」

「駄目なのよ。博士が来ないと。」

「どうしてよ。」

「お兄さんが寂しいからですわ。」

「は?」

「お兄さん、本当は博士とお食事したいのよ。」

「え、あ、な、なに、南條さん、そんなこと言ってるの?」

「言ってはいないけど、わかるの。私には。」

「何よそれ。」

「だって私、テレパスですもの。」

「あんた、そういう、人のそういう気持ちを読むの、悪趣味よ。」

「なんて…本当はテレパシーなんか使ってないけど、きっとそうなのよ。わかるの。」


…風見さんと同じこと言ってるわ、この子。


「そんな、根拠も無いこと…」

「わかるの。お兄さんは博士のことがお好きなのですわ。」


湖洲香の表情は笑っていない。

妙に真剣な顔をしている。


「え、や、そんなこと、こんな見すぼらしい医学研究者のどこを好きになるのよ。」

「まあ!博士のどこが見すぼらしいの!?素敵な人ですわ、博士。」

「コズカみたいに髪は綺麗じゃないし、色白じゃないし、血生臭い研究にしか興味ないつまらない…」

「博士、お兄さん、治信さんて、人のそんな所を見る方ではありませんわ。」

「そ、そうかも知れないけれど、私立探偵なんだし、周りにもっと素敵な女がいくらでも…」

「博士より素敵な女性?それ、どんな女性ですの?見てみたいですわ。」

「ほら、流行りの服とか、化粧も上手くて…」

「がっかりですわ。」

「え?」

「お兄さんがそんな所を見る男性だと思っていたの?いろいろ話したのよ、治信さんと。言ってましたわ。私とか、マユミちゃんの面倒を見る博士が、愛情深い素敵な女性だって。お仕事も優秀で、考えてる時の真剣な表情が美しいって。」

「うつく、しい?…」

「そうよ。人を見る目がある方ですわ、お兄さん。」

「本当にそんなこと言ってたの?」

「嘘だと思うなら、その時の会話、思い出すから見て。『光の帯』出しますわよ。」

「あ、ああ、いい、いい。」


赤羽根は、自分の両手の指先を見て、そして、ポケットに忍ばせてあるハンドクリームを触った。


「わかった。しょうがないな、行くわ、私も。」

「良かった。うふふふ。」


屈託無い笑みを見せる湖洲香に、赤羽根は、感謝するべきなのかな、と思った。

自分を美しいなどと言う男性が存在するなど、いまだに信じられない。

だが、素直な自分の気持ちはどうなのか、と、逃げずに考えてみる良い機会なのかも知れない、と思う。

振られたら振られたで、まだ20代のうちに失恋を経験するのもいいかも知れない。


…自分の気持ち、伝えてみるかな。


心理学のロジックは知っている。

だが、当事者としての経験、そこからくる真の実感、自分にはこれが欠けている。

好いた相手から突き放される、これは正直言って怖い。

しかし、これほど気にかかる男に出逢ったのは初めてだ。


…また、バイクの後ろ、乗りたい。


赤羽根は、治信の男性用コロンの匂いと広い背中を、刹那、思い出していた。

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