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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
133/292

確保の少女

栂井翔子とがいしょうこの捜索で柴山徹しばやまとおるの足取りを追っていた押塚おしづか喜多室きたむろは、三軒目の渓流釣り愛好家を訪ね終えると、車に戻った。


「空振りですね。」


運転席でシートベルトを締めている喜多室の言葉は、やや早口で、焦りの色を帯びていた。

栂井が白楼はくろうから脱走した時刻から、既に十七時間余りが経過している。


カチン…ボッ


タバコに火を点ける押塚の動作も、心なしか焦りが伺えた。


「スタジアムだ。」

「了解。」


捜査経路上のホームセンター、衣服専門店、釣り道具店も当たって来たが、柴山が訪れた形跡は無かった。

目撃証言も得られていない。

そして、最も可能性の低いと見ていたサッカースタジアムへ向かう。


…何か見落とし…見落とし…


スタジアムも空振りであった場合、その先の行動方針がまだ定まっていない。

押塚はこれまでの状況証拠からの洞察、推理の整理を頭で繰り返していた。


「喜多室、スタジアムの後、もう一度柴山生花店へ戻る。」

「は。」

「飯はコンビニで済ませるぞ。」

「はい。」


助手席で煙を吐きつつ携帯電話のメールをチェックしている押塚が、独り言ちる。


「こうもメールが多いと、便利なんだか不便なんだか…」


押塚の指が、ふと止まった。

メールの表題には『Re:過去三年の放火事件 未解決案件』とある。


…未解決は四件、か。


小火ぼやで終わっている案件が二件。

一件はコンビニエンスストア表のゴミ箱、もう一件は住宅街の可燃ゴミ集積所、火元はどちらもタバコの吸殻と推定されている。

一般住宅が半焼した案件が一件、引火はプロパンガス。外の配管が意図的に破壊された痕跡がある。

そして、県営公園の緑地部。これは焚き火の痕跡があり、付近の公衆トイレが全焼している。

いずれも、被疑者の特定に至れていない案件だった。


…どれも超能力者らしく無ぇな。


一応、特査の再検証と査定に掛けさせるか、と考え、押塚は県警に電話を掛けた。


「…なに?依頼ストップだぁ?なんだよそりゃ…部署はあるんだろう、それなら書類ぶっ込んでおけ。おう…突き返されたら、突き返し返してやれ。…おう。」


押塚は苦々しい表情で、タバコの火を消した。


「特査は今、機能停止状態だそうだ。」

赤羽根あかばね博士お一人では、致し方ないのでしょうね。」

「俺に言わせりゃ、知るか、ってこった。警察の仕事をナメているとしか思えんな。」

「課の現場検証班に依頼してはどうです?」

「一度検証報告は完了している案件だ。だからこその特査なんだよ。超能力者の仕業の可能性、これを洗い直してくれという依頼だ。」

若邑わかむらさんも不在では、それも難航しそうですね…」

「知るか。部署機能維持の問題だ。仔駒雅弓こごままゆみも特査だろうが。」


押塚は、自分で言っていて自分に苛立ちを覚えた。

設置から二年の特査に、いつの間にか依存している事実。

特査はうさん臭い、程度の目で見ていた押塚だったが、思い返してみれば、確かに事象の真相を暴き出すスペシャリストとして在った。

それは『能力者』絡みの案件に限った事ではない。むしろ、『能力者』関連はこの数ヶ月に数件であり、使い手の関わらない事件の扱い件数の方が圧倒的に多かった。

その仕事ぶり、部署機能は、優秀であったと認めざるを得ない。


喜多室は、車をコンビニへ滑り込ませた。


「なんだ、おい、スタジアムを先にしろ。」

「いえ、警部、アンパンを買いましょう。その方が頭が回ります。」

「ちっ。」


舌打ちをしたものの、アンパンと聞いて、押塚の腹の虫が鳴った。


「タバコとコーヒー牛乳もだ。紙パックの甘いやつな。」

「了解。」


アンパンを腹に収めた押塚は、幾分か落ち着きと集中力を取り戻した実感があった。

横を見ると、喜多室もムシャムシャとアンパンを頬張っている。


「なんだ、若いのに、アンパンなんか食うのか。」

「ええ、美味いですよ、これは。時代を超えた銘菓ですね。」


押塚は笑いながら言い返す。


「バカタレ。アンパンは菓子じゃねぇ。主食だ、主食。」

「刑事のガソリン、ですかね。」

「くっははは。」


二人の乗った覆面パトカーは、県のサッカースタジアムへ到着した。

駐車場の白いライトバンを隈なく当たる押塚。

喜多室は車から降りず、高次元クレヤボヤンスを発動していた。

押塚が、『柴山生花店』と書かれたライトバンを見つけた時、携帯電話が鳴った。

喜多室からである。


「警部、ヒットです。明滅する『赤紫』を発見。『白』もいます。義継よしつぐ君かと思われます。」

「坊やもか…こっちも見つけた。マルタイの居場所まで、最短コースを見ておけ。」

「了解です。おそらく向こうも私の『光の帯』に気付いたはずです。テレキネシス戦に入る可能性も考慮しましょう。」

「おう。」


押塚は拳銃ホルダーの位置を確かめる。

喜多室は、血痕の残るワイシャツのまま、カチャッと運転席のドアを開けた。


バックスタンド。

義継は、「ふわぁ…」とあくびをすると、席を立った。


…喜多室さんが来たな。帰るか。


結局、治信はるのぶからの情報、湖洲香こずかの無事を誰にも話していないが、いいのか?などと考えながら、義継は西入場門へと歩いて行った。


小走りでバックスタンドの14番ゲートへ向かう喜多室は、明滅する『白』が移動を始めたことを察知した。

『赤紫』の監視を継続しつつ、『白』へテレパシーを送る。


『喜多室だ。「赤紫」は栂井翔子、だな?』


『多分ね』


『多分?あんな近くにいて、姿を見てないのか』


『興味ないし』


『なに呑気なことを言ってるんだ。栂井がどういう子か知っているだろう』


『んー、栂井、頭の弱い泣き虫な小学生』


『殺人犯だ、と言っているんだ』


『うん、殺人犯だった、かな』


『だった?』


『眠いので帰ります。お仕事頑張って、喜多室さん』


その後の義継の思考は、放映中のTVドラマのキャストに対する不満やストーリーの甘さなどで埋め尽くされた。


…義継君め、本当に食えないやつだな、君は。


押塚と喜多室は14番ゲートを入り、スタンド席を栂井の方へ向かって行った。

準決勝第二試合は終了しており、退場していく観客の流れが、押塚と喜多室を軽く阻む。

ほとんどが空席となっていく中、栂井翔子はまだ座っており、その横に初老の男性、更にその横に、学生が座っていた。

栂井の座席まであと数段、という所まで押塚と喜多室が迫った時、学生が振り向き、頭を下げてきた。

そしてその学生は、右手の平を押塚達に向け、ちょっと待って、という仕草を見せた。


…紅河か。

…紅河君。


立ち止まった押塚と喜多室にも、初老の男と栂井翔子の会話が聞こえてくる。


「…そんな、信じられんよ、ショウコちゃんが人を殺したなんて。」

「警察の、うくっ、先生も二人…うっ…そのラボの、ひぐっ、所長の人で…うくっ…」


栂井翔子は、泣いている。


「いや、こんな小さな女の子が、大人なんか殺せるものか。夢でも見たんだろう。優しいショウコちゃんが、そんな恐ろしいこと、出来る訳がない。」

「…うっ…ほんと、です…ひうっ…黙ってて、ごめんなさい…うう…うっ…」

「い、いや、なあ、紅河君、信じられんだろ、なあ。」


紅河は、しばし視線を、係員が疎らにいるだけのフィールドに向けた。

そして、穏やかに、言った。


「僕が肯定しても、否定しても、それは事実の証明にはなりません。ただ、栂井さんがどうして泣いているのか、それはなんとなく判ります。」

「…」


柴山は、翔子の横顔を見て、そして、紅河へ視線を戻した。

紅河は、こう付け加えた。


「多分、柴山さんと別れなければならない理由がある。だから、泣いているんじゃないですかね。」


柴山は、再び翔子の横顔を見た。


「うっ、ううっ、うあうう…ううあああぁあ…」


翔子の泣き方が激しくなっていく。

彼女の両手には、飲みかけのいちごソーダがしっかりと握られている。


「そ、そうだ、ショウコちゃん、その、警察のラボかい、ほら、昨日、また閉じ込められてイジメられるって、それ、どういう意味なんだい?警察が、そんな酷いことをするのかい?」

「ああう、あくっ、お姉ちゃん、ひゃくっ、お姉ちゃん殺して、悪いことしたから、ひうっ、しょうがなくて、私が悪いから、ひうっ、はん、犯罪者だからって、古見原先生が、うくっ、私が、しょうがなくて、ひうっ…」

「犯罪者って…そんな、花の痛みもわかるようなショウコちゃんが、そんな、信じられない…」


押塚と喜多室は、黙って聞き続けている。

しばらく、沈黙の中、翔子の嗚咽だけが続いていた。

そして、翔子は、涙でクシャクシャになった顔を、ゆっくりと柴山に向けると、言った。


「おじさん。」

「う、うん。」

「私、くれかわ、あ、私、んと、花とジュースのお店、やりたいなって…うくっ…」

「え、店?」

「赤い花と、赤いジュース、売るお店…んくっ…」

「あ、おお、お店を開きたいのかい、うん、そうかい、いいな、それは。」

「…うっ…お店、おじさんとやりたいなって…うっ…」

「え、あ、え、お…」


柴山は、翔子と目を合わせたまま、手探りでポーチを開くと、ハンカチを取り出した。

そして、翔子の涙に濡れた顔をポンポンと叩くように拭いた。


「お、あ、そ、そうかい。私と、そうかい、ああ、あれだ、大歓迎だよ、私は。」

「だから、警察に帰って、いつまでいたら出れるか、ちゃんと、出れるか、ちゃんと聞いて、ちゃんと…うくっ…ひぐっ…ちゃんと、うっ、あうっ、ちゃんと、してから…」

「うん、うん、うん。」


頷きながら聞いている柴山も、目頭が熱くなってくる。


「ちゃんと…うくっ…もう人殺さないから、ちゃんと、ひうっ、私も、うぐっ、お店、うっ、やらせてください…ひうっ、うくっ…」

「ああ、おお、なんだ、ショウコちゃん、こちらからお願いしたいくらいだ。うん、一緒に店をやろう、うん。」


翔子の手が、キュッといちごソーダのカップを握りしめた。


「待っててくれる?…うくっ…」

「うん、うん、待つさ、待ってるよ、もちろん。」

「あ、あうっ、あ、ありがとう…うっ…」


柴山と翔子の会話を聞いていた押塚は、全身の緊張感を解いた。

そして思う。

何が、一体何が、この少女をここまで変えたのだろう。

まだ一日と経っていない。

昨日ラボで見た少女とは全くの別人に、押塚には見えた。

昨日も泣いていた。

泣き叫んでいた。

だが、違う。

全く違う。

その泣き方、涙の性質が、全く違うではないか。

喜多室も、驚いていた。

赤紫の『光の帯』が襲いかかってくる事を警戒していた喜多室は、ぐるぐるヌメヌメと狂ったようにのた打っていた『赤紫』が、赤色が強かったその色調も薄く紫寄りに変わり、穏やかに明滅している様に、驚いた。

こんな短時間で、精神の色が変わる程、いや、変われる程に、何かに気付き、省みた、というのか。


「柴山徹さん、ですね。」


押塚が歩み寄り、言った。

そして、警察手帳を提示する。

その横で喜多室も、警察手帳を出した。


「我々は栂井翔子を探しておりました。事情をお伺いしたいので、後日、県警までご足労願いたい。任意です。本日、我々は警察庁に出向かなければならないので、こちらから追ってご連絡致します。」


押塚の言葉に続き、喜多室が、翔子の前に周り、逮捕状を掲げた。


「栂井翔子、殺人罪だ。確保する。」


だが、喜多室は、手錠は出さず、翔子の手首を軽く掴んだ。

狼狽えるような表情をしていた柴山だったが、やっと口を開いた。


「刑事さん、この子が殺人だなんて、本当なのかい?」


押塚は、静かに頷いた。

そして、紅河の方を見て言った。


「紅河君、君にも話を聞きたい。後で連絡する。」


紅河は不機嫌そうな顔をして、言った。


「予選決勝を優先しますよ。」

「ふん。」


喜多室が、翔子をゆっくりと立たせた。

翔子はいちごソーダを両手に持ったまま、喜多室に引かれるままに、歩き出す。

柴山は席に座ったまま、茫然とした表情をしていた。

数段歩いた後、ふと翔子は、顔を柴山に向けた。


「おじさん。」


柴山はハッとして振り返る。


「な、なんだい。」

「洋服、ちゃんと洗う。すべすべの服、嬉しかった。」

「ああ、おお、そうかい。良かったらあげるよ。」


翔子は首を横に振った。


「奥さんの、大事な服。」

「あ、はは、気にせんでいいのに。」

「あとね、わかった。」

「え。」

「幸せってどんなかなって。」

「え…」

「重いこと。」

「…」


柴山は、翔子の言葉の意味が判らず、席から立ち上がりながら、口をポカンと開けて翔子を見た。


「おじさんが、重いこと。階段。」


そう言うと、翔子は振り返り、喜多室に引かれて席段を上がって行った。

遠ざかっていく翔子の背を見ながら、柴山は、熱くなった目頭をどうする事も出来ず、涙を零した。


おじさんが重いこと、階段。

柴山は気付いた。

今朝のことだ。

今朝、自宅で、腰の痛みがひどく、まともに階段を降りられなかった。

それを翔子が支え、二人でやっと階段を降りた。


「私が、重かったこと、それが、それが…」


涙が止まらない。


…それが幸せだって言ったんだ、あの子は。


サッカー観戦は楽しかった。

熱く、興奮した。

桜南の10番と話しながらの観戦、この上ない贅沢だった。

だが…


…神様、ありがとうございます。


栂井翔子という少女に巡り会えたこと、その幸福、この奇跡が、柴山の感涙を煽り続けていた。

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