確保の少女
栂井翔子の捜索で柴山徹の足取りを追っていた押塚と喜多室は、三軒目の渓流釣り愛好家を訪ね終えると、車に戻った。
「空振りですね。」
運転席でシートベルトを締めている喜多室の言葉は、やや早口で、焦りの色を帯びていた。
栂井が白楼から脱走した時刻から、既に十七時間余りが経過している。
カチン…ボッ
タバコに火を点ける押塚の動作も、心なしか焦りが伺えた。
「スタジアムだ。」
「了解。」
捜査経路上のホームセンター、衣服専門店、釣り道具店も当たって来たが、柴山が訪れた形跡は無かった。
目撃証言も得られていない。
そして、最も可能性の低いと見ていたサッカースタジアムへ向かう。
…何か見落とし…見落とし…
スタジアムも空振りであった場合、その先の行動方針がまだ定まっていない。
押塚はこれまでの状況証拠からの洞察、推理の整理を頭で繰り返していた。
「喜多室、スタジアムの後、もう一度柴山生花店へ戻る。」
「は。」
「飯はコンビニで済ませるぞ。」
「はい。」
助手席で煙を吐きつつ携帯電話のメールをチェックしている押塚が、独り言ちる。
「こうもメールが多いと、便利なんだか不便なんだか…」
押塚の指が、ふと止まった。
メールの表題には『Re:過去三年の放火事件 未解決案件』とある。
…未解決は四件、か。
小火で終わっている案件が二件。
一件はコンビニエンスストア表のゴミ箱、もう一件は住宅街の可燃ゴミ集積所、火元はどちらもタバコの吸殻と推定されている。
一般住宅が半焼した案件が一件、引火はプロパンガス。外の配管が意図的に破壊された痕跡がある。
そして、県営公園の緑地部。これは焚き火の痕跡があり、付近の公衆トイレが全焼している。
いずれも、被疑者の特定に至れていない案件だった。
…どれも超能力者らしく無ぇな。
一応、特査の再検証と査定に掛けさせるか、と考え、押塚は県警に電話を掛けた。
「…なに?依頼ストップだぁ?なんだよそりゃ…部署はあるんだろう、それなら書類ぶっ込んでおけ。おう…突き返されたら、突き返し返してやれ。…おう。」
押塚は苦々しい表情で、タバコの火を消した。
「特査は今、機能停止状態だそうだ。」
「赤羽根博士お一人では、致し方ないのでしょうね。」
「俺に言わせりゃ、知るか、ってこった。警察の仕事をナメているとしか思えんな。」
「課の現場検証班に依頼してはどうです?」
「一度検証報告は完了している案件だ。だからこその特査なんだよ。超能力者の仕業の可能性、これを洗い直してくれという依頼だ。」
「若邑さんも不在では、それも難航しそうですね…」
「知るか。部署機能維持の問題だ。仔駒雅弓も特査だろうが。」
押塚は、自分で言っていて自分に苛立ちを覚えた。
設置から二年の特査に、いつの間にか依存している事実。
特査はうさん臭い、程度の目で見ていた押塚だったが、思い返してみれば、確かに事象の真相を暴き出すスペシャリストとして在った。
それは『能力者』絡みの案件に限った事ではない。むしろ、『能力者』関連はこの数ヶ月に数件であり、使い手の関わらない事件の扱い件数の方が圧倒的に多かった。
その仕事ぶり、部署機能は、優秀であったと認めざるを得ない。
喜多室は、車をコンビニへ滑り込ませた。
「なんだ、おい、スタジアムを先にしろ。」
「いえ、警部、アンパンを買いましょう。その方が頭が回ります。」
「ちっ。」
舌打ちをしたものの、アンパンと聞いて、押塚の腹の虫が鳴った。
「タバコとコーヒー牛乳もだ。紙パックの甘いやつな。」
「了解。」
アンパンを腹に収めた押塚は、幾分か落ち着きと集中力を取り戻した実感があった。
横を見ると、喜多室もムシャムシャとアンパンを頬張っている。
「なんだ、若いのに、アンパンなんか食うのか。」
「ええ、美味いですよ、これは。時代を超えた銘菓ですね。」
押塚は笑いながら言い返す。
「バカタレ。アンパンは菓子じゃねぇ。主食だ、主食。」
「刑事のガソリン、ですかね。」
「くっははは。」
二人の乗った覆面パトカーは、県のサッカースタジアムへ到着した。
駐車場の白いライトバンを隈なく当たる押塚。
喜多室は車から降りず、高次元クレヤボヤンスを発動していた。
押塚が、『柴山生花店』と書かれたライトバンを見つけた時、携帯電話が鳴った。
喜多室からである。
「警部、ヒットです。明滅する『赤紫』を発見。『白』もいます。義継君かと思われます。」
「坊やもか…こっちも見つけた。マルタイの居場所まで、最短コースを見ておけ。」
「了解です。おそらく向こうも私の『光の帯』に気付いたはずです。テレキネシス戦に入る可能性も考慮しましょう。」
「おう。」
押塚は拳銃ホルダーの位置を確かめる。
喜多室は、血痕の残るワイシャツのまま、カチャッと運転席のドアを開けた。
バックスタンド。
義継は、「ふわぁ…」とあくびをすると、席を立った。
…喜多室さんが来たな。帰るか。
結局、治信からの情報、湖洲香の無事を誰にも話していないが、いいのか?などと考えながら、義継は西入場門へと歩いて行った。
小走りでバックスタンドの14番ゲートへ向かう喜多室は、明滅する『白』が移動を始めたことを察知した。
『赤紫』の監視を継続しつつ、『白』へテレパシーを送る。
『喜多室だ。「赤紫」は栂井翔子、だな?』
『多分ね』
『多分?あんな近くにいて、姿を見てないのか』
『興味ないし』
『なに呑気なことを言ってるんだ。栂井がどういう子か知っているだろう』
『んー、栂井、頭の弱い泣き虫な小学生』
『殺人犯だ、と言っているんだ』
『うん、殺人犯だった、かな』
『だった?』
『眠いので帰ります。お仕事頑張って、喜多室さん』
その後の義継の思考は、放映中のTVドラマのキャストに対する不満やストーリーの甘さなどで埋め尽くされた。
…義継君め、本当に食えないやつだな、君は。
押塚と喜多室は14番ゲートを入り、スタンド席を栂井の方へ向かって行った。
準決勝第二試合は終了しており、退場していく観客の流れが、押塚と喜多室を軽く阻む。
ほとんどが空席となっていく中、栂井翔子はまだ座っており、その横に初老の男性、更にその横に、学生が座っていた。
栂井の座席まであと数段、という所まで押塚と喜多室が迫った時、学生が振り向き、頭を下げてきた。
そしてその学生は、右手の平を押塚達に向け、ちょっと待って、という仕草を見せた。
…紅河か。
…紅河君。
立ち止まった押塚と喜多室にも、初老の男と栂井翔子の会話が聞こえてくる。
「…そんな、信じられんよ、ショウコちゃんが人を殺したなんて。」
「警察の、うくっ、先生も二人…うっ…そのラボの、ひぐっ、所長の人で…うくっ…」
栂井翔子は、泣いている。
「いや、こんな小さな女の子が、大人なんか殺せるものか。夢でも見たんだろう。優しいショウコちゃんが、そんな恐ろしいこと、出来る訳がない。」
「…うっ…ほんと、です…ひうっ…黙ってて、ごめんなさい…うう…うっ…」
「い、いや、なあ、紅河君、信じられんだろ、なあ。」
紅河は、しばし視線を、係員が疎らにいるだけのフィールドに向けた。
そして、穏やかに、言った。
「僕が肯定しても、否定しても、それは事実の証明にはなりません。ただ、栂井さんがどうして泣いているのか、それはなんとなく判ります。」
「…」
柴山は、翔子の横顔を見て、そして、紅河へ視線を戻した。
紅河は、こう付け加えた。
「多分、柴山さんと別れなければならない理由がある。だから、泣いているんじゃないですかね。」
柴山は、再び翔子の横顔を見た。
「うっ、ううっ、うあうう…ううあああぁあ…」
翔子の泣き方が激しくなっていく。
彼女の両手には、飲みかけのいちごソーダがしっかりと握られている。
「そ、そうだ、ショウコちゃん、その、警察のラボかい、ほら、昨日、また閉じ込められてイジメられるって、それ、どういう意味なんだい?警察が、そんな酷いことをするのかい?」
「ああう、あくっ、お姉ちゃん、ひゃくっ、お姉ちゃん殺して、悪いことしたから、ひうっ、しょうがなくて、私が悪いから、ひうっ、はん、犯罪者だからって、古見原先生が、うくっ、私が、しょうがなくて、ひうっ…」
「犯罪者って…そんな、花の痛みもわかるようなショウコちゃんが、そんな、信じられない…」
押塚と喜多室は、黙って聞き続けている。
しばらく、沈黙の中、翔子の嗚咽だけが続いていた。
そして、翔子は、涙でクシャクシャになった顔を、ゆっくりと柴山に向けると、言った。
「おじさん。」
「う、うん。」
「私、くれかわ、あ、私、んと、花とジュースのお店、やりたいなって…うくっ…」
「え、店?」
「赤い花と、赤いジュース、売るお店…んくっ…」
「あ、おお、お店を開きたいのかい、うん、そうかい、いいな、それは。」
「…うっ…お店、おじさんとやりたいなって…うっ…」
「え、あ、え、お…」
柴山は、翔子と目を合わせたまま、手探りでポーチを開くと、ハンカチを取り出した。
そして、翔子の涙に濡れた顔をポンポンと叩くように拭いた。
「お、あ、そ、そうかい。私と、そうかい、ああ、あれだ、大歓迎だよ、私は。」
「だから、警察に帰って、いつまでいたら出れるか、ちゃんと、出れるか、ちゃんと聞いて、ちゃんと…うくっ…ひぐっ…ちゃんと、うっ、あうっ、ちゃんと、してから…」
「うん、うん、うん。」
頷きながら聞いている柴山も、目頭が熱くなってくる。
「ちゃんと…うくっ…もう人殺さないから、ちゃんと、ひうっ、私も、うぐっ、お店、うっ、やらせてください…ひうっ、うくっ…」
「ああ、おお、なんだ、ショウコちゃん、こちらからお願いしたいくらいだ。うん、一緒に店をやろう、うん。」
翔子の手が、キュッといちごソーダのカップを握りしめた。
「待っててくれる?…うくっ…」
「うん、うん、待つさ、待ってるよ、もちろん。」
「あ、あうっ、あ、ありがとう…うっ…」
柴山と翔子の会話を聞いていた押塚は、全身の緊張感を解いた。
そして思う。
何が、一体何が、この少女をここまで変えたのだろう。
まだ一日と経っていない。
昨日ラボで見た少女とは全くの別人に、押塚には見えた。
昨日も泣いていた。
泣き叫んでいた。
だが、違う。
全く違う。
その泣き方、涙の性質が、全く違うではないか。
喜多室も、驚いていた。
赤紫の『光の帯』が襲いかかってくる事を警戒していた喜多室は、ぐるぐるヌメヌメと狂ったようにのた打っていた『赤紫』が、赤色が強かったその色調も薄く紫寄りに変わり、穏やかに明滅している様に、驚いた。
こんな短時間で、精神の色が変わる程、いや、変われる程に、何かに気付き、省みた、というのか。
「柴山徹さん、ですね。」
押塚が歩み寄り、言った。
そして、警察手帳を提示する。
その横で喜多室も、警察手帳を出した。
「我々は栂井翔子を探しておりました。事情をお伺いしたいので、後日、県警までご足労願いたい。任意です。本日、我々は警察庁に出向かなければならないので、こちらから追ってご連絡致します。」
押塚の言葉に続き、喜多室が、翔子の前に周り、逮捕状を掲げた。
「栂井翔子、殺人罪だ。確保する。」
だが、喜多室は、手錠は出さず、翔子の手首を軽く掴んだ。
狼狽えるような表情をしていた柴山だったが、やっと口を開いた。
「刑事さん、この子が殺人だなんて、本当なのかい?」
押塚は、静かに頷いた。
そして、紅河の方を見て言った。
「紅河君、君にも話を聞きたい。後で連絡する。」
紅河は不機嫌そうな顔をして、言った。
「予選決勝を優先しますよ。」
「ふん。」
喜多室が、翔子をゆっくりと立たせた。
翔子はいちごソーダを両手に持ったまま、喜多室に引かれるままに、歩き出す。
柴山は席に座ったまま、茫然とした表情をしていた。
数段歩いた後、ふと翔子は、顔を柴山に向けた。
「おじさん。」
柴山はハッとして振り返る。
「な、なんだい。」
「洋服、ちゃんと洗う。すべすべの服、嬉しかった。」
「ああ、おお、そうかい。良かったらあげるよ。」
翔子は首を横に振った。
「奥さんの、大事な服。」
「あ、はは、気にせんでいいのに。」
「あとね、わかった。」
「え。」
「幸せってどんなかなって。」
「え…」
「重いこと。」
「…」
柴山は、翔子の言葉の意味が判らず、席から立ち上がりながら、口をポカンと開けて翔子を見た。
「おじさんが、重いこと。階段。」
そう言うと、翔子は振り返り、喜多室に引かれて席段を上がって行った。
遠ざかっていく翔子の背を見ながら、柴山は、熱くなった目頭をどうする事も出来ず、涙を零した。
おじさんが重いこと、階段。
柴山は気付いた。
今朝のことだ。
今朝、自宅で、腰の痛みがひどく、まともに階段を降りられなかった。
それを翔子が支え、二人でやっと階段を降りた。
「私が、重かったこと、それが、それが…」
涙が止まらない。
…それが幸せだって言ったんだ、あの子は。
サッカー観戦は楽しかった。
熱く、興奮した。
桜南の10番と話しながらの観戦、この上ない贅沢だった。
だが…
…神様、ありがとうございます。
栂井翔子という少女に巡り会えたこと、その幸福、この奇跡が、柴山の感涙を煽り続けていた。




