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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
132/292

個室の少年

『このお犬様、なぜに成仏されぬのかな』


第五階層で、サッカースタジアムのバックスタンドに座る紅河くれかわのすぐ背後にいたべには、聞き覚えのある男の思念を耳にした。

スッと目を閉じるべに


『これは、丹波たんば殿』


べにが丹波と呼んだ男、その姿は、武士の普段着とも言える赤紫色の直垂ひたたれを着ており、その襟袖は黒く、細い金糸の刺繍が入っている。

銀色の髪は長いが、荒々しく乱れており、べにの整った美しい黒髪とは対照的である。

鼻髭、顎髭も長く、顔に深く刻まれたシワが、初老であることを示している。

目を閉じたままべには、ここに居るのも当たり前か、と思う。

生前、百地丹波と名乗ったこの男は、今、栂井翔子とがいしょうこの守護霊としてあるからだ。


『お犬様、のう、どうしたことか、ぼうの側を離れぬわ』


今なお、紅河の周りを歩き回っている犬の霊に意識を向けつつ、べにが言った。

丹波の思念が、微笑むニュアンスを見せた。


『お犬様の輪廻は早い。急かすこともなかろうの』


丹波の言葉に、べにはゆっくりと目を開けた。


『おもしろいお犬様での、現世うつつよの光る霊帯れいたいを蹴散らしよる』

『見ておった』

『まあ、坊への邪魔立てが気に食わぬ時だけ、だがの』


そう言ってべには、流し目を丹波に向けた。

丹波も、目を細める。


『ほお』

『そうそう、栂井のじょうの戯れ事、あの時、お犬様の姿が見えなんだが、はて』


べにの言葉に、丹波は細めた目を閉じた。

その表情は、口元だけ笑っている。


『ふむ、わしと戯れておった時かのお』


べには視線を真っ直ぐ戻した。


『おや、お犬様とお戯れ?縁無き犬の霊と、かえ』


皮肉交じりのべにの言葉に、丹波の口元は、更にニッと笑った。


『がははは、申されるな、べに殿。儂も嬢の守護霊、試練を阻むは退けねばならん』

『光る霊帯を使うが試練かえ?』

『現世のことわりの外、それは動かぬ。だがの、引っ張り出された霊帯も、それは嬢の現世の血肉と同じこと』


べにの目付きが心なしか鋭くなる。


『血肉と霊帯は同じにあらぬ』

『儂が言うておるは、選択肢のことじゃ。嬢の意思にあらぬ霊帯が手となったからは、使う、使わぬを考えるも、現世の試練であろう』

『全く以って、光る霊帯は悩ましきかな』

『実はの…』


丹波の思念が更に近付いたことを、べには感じた。

その思念は、意識の深度をわずかに開いた。


『儂が守護するは、この嬢の姉の方だったのじゃ』


…何の話かえ。


べには、興味も関係も無い丹波の守護対象の話に、その意図を読む気も無かった。

だが、現世でこれ程近しい間柄となった紅河と翔子を見て、丹波の話だけは耳を向けておくか、と思った。


『この嬢は、その母君と姉君の試練の為に、現世へ降りた』

『…』

『命運は、もう次の輪廻の準備に入るはずでのう』

『栂井の嬢、現世では役目を終えた、と?』

『母君と姉君に、殺される命運にあった。』

『ほう…』

『だがの、姉君が気付きを得る前に、嬢が姉君の命を奪ってしもうた』

『現世の理の外』

『うむ、嬢の光る霊帯が無ければ、或いは役目を果たし終えたかも知れん』


…姉君の気付きの為だけに降りた嬢か…なんたる覚悟と慈しみの輪廻か。


『…重いの』

『しかして、現世に血肉を残したは、この栂井翔子という妹の方。儂も負わねばならぬと思うてな』

『丹波殿よ』

『うむ』

『現世を荒らす光る霊帯、どう思われる』

『わからぬ。儂にも判らぬが…意図無き発祥とも思えんのじゃ』


べにはしばしの間を空けて、つぶやく様に言った。


『なるほど、の』


そして、従者の方を見る。

べにの従者、龍神は、両目を瞑ったまま、ただただ、穏やかに微笑んでいた。


べにと丹波の前に、柴山しばやまの熱弁にしきりに頷いて見せる紅河と、二つ目のいちごソーダを両手で持ち、うつむき加減でストローに口を付けている翔子の姿がある。

フィールドでは、緑瀬北高校と代沢中央高校の準決勝第二試合が展開されていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


県内、民間総合病院。

赤羽根あかばねが一時身を寄せた、知人が院長を務める病院。

その一階には、ICUと一般個室が連なる病棟があった。

山本光一やまもとこういち』と表記されている個室から、興奮気味に話す少年の声が聞こえてくる。


「本当なんだよ、看護婦さん。見たんだ。」

「ええ?見間違いだと思うなぁ。」


看護婦は笑いながら、ベッドに横たわる少年、山本光一の上半身を蒸しタオルで拭っている。


「落ちて来たんじゃなくて、ゆっくり降りて来たって感じ。ふわって。」

「ふわって?シーツか、布団か何かが落ちたんじゃない?」

「ううん、女の人だった。髪が長くて、黒い服を着てたんだ。」

「本当?何だか怖いわね、うふふふ。」

「見たんだ、窓の外、昨日、本当だよ。」

「だって、窓より高いところから飛び降りたら、怪我するわよ、普通。」

「そうだけど、見たんだ。」

「それよりもね、光一君。」

「え。」

「先生がね、義手を試してみないかって。」


看護婦は穏やかに微笑みながら、光一の上半身にパジャマを着せ始めた。

光一は、右腕が肩から、無い。

そして、左足も腿の中間辺りから先が無い。

乳児の頃、実の母親に崖から投げ落とされ、奇跡的に一命は取りとめたものの、右腕と左足を失ってしまった。

その母親は重度の鬱状態にあり、現在、精神の療養も含め刑務所にいる。

刑事事件として扱われたこの乳児殺人未遂は、母親である山本公子やまもときみこの精神鑑定を、この民間総合病院の院長である都筑つづきが行っており、その診断サンプルは後に研究仲間となった赤羽根伊織にも共有された。

大学院生時代の赤羽根も、数回、山本公子を問診している。


「義手かぁ。片手無いの、僕には当たり前だからなぁ。」

「今年、中学に上がったんでしょ。左手で字を書きながら、右手で本をめくるとか、出来ることが広がるんじゃないかしら。」

「そんな事、片手だって出来るってば。」

「でも、ほら、もっと便利にいろいろ出来るでしょ。」

「高いんじゃないの?おじさんにはあまり苦労させられないよ。」


…この子ったら。


お金の問題。

看護婦は涙腺が緩みそうになった。

物心がつく前とは言え、実の母親から受けた仕打ちだけでも不憫だが、それでも人を思いやれる優しい少年に育ち、小学校では成績も良く優秀な頭を持っている。

何よりも、性格が前向きで明るい。

育ち盛りの時期に腕と足を失った光一は、循環器系に問題を抱えていた。

血液循環の問題さえ無ければ、入院も必要なく、通常の公立学校で問題なくやっていけるだろう、と誰もが思う少年だ。


「それがね、試作品モニターの権利を先生が獲得してくれたらしいのよ。」

「モニター?」

「うん。お金は要らないの。使い勝手のデータは取るみたいだけどね。」

「へぇ。じゃあ、その義手、使ってみようかな。」

「うん。先生に伝えておくわね。」

「ありがとう。」


光一はニコッと笑った。

そして、窓を見ると、思い出した様に言った。


「あ、ね、看護婦さん。」

「なに?」

「昨日の、空から降りて来た女の人、誰かわかったら教えて!」

「あら、まだそんなこと言ってるの。」

「だってさ、ふわって飛べるなら、飛び方聴いてさ、飛びたいんだ、僕も。」


看護婦は少し困った顔を見せたが、頷いた。


「はいはい。判ったらね。」


光一は、個室から看護婦が出て行くと、通信教育の教科書を開き、ノートパソコンを起動させた。


「今日は、最速の足ぃっと。」


パソコンのモニターには、MMORPGのキャラ装備設定画面が映し出されている。

三体のキャラを使い分けている光一は、装備は制限されてしまうが最も俊敏性の高いキャラを選び、ログインした。

そして、教科書をチラチラと読みながら、知人とチャットを始めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「え、なに、置いてかれたん。」


顔を真っ赤にして汗をかき俯いている京子に、橋石きょうせきは財布を取り出しながら言った。


「あ、ちと、そだ、房生ふさおちゃんに電話してみっか。」

「ごめんなさい…」


橋石は、いいよ、という意味で手首をチョイチョイと振ると、電話を掛けた。


「どもー、良い子の味方、キョウセキでーす。房生ちゃん、今どこ?…うん、あー、お昼食べてたか、ごめんごめん。でさ、大事な友達、一人忘れてないかい?…え、うん、ありゃ、うん、それがさ…」


橋石は通話しながら京子に視線を向けた。


「…まだスタジアムにいるのよ、京子ちゃん。…あっはははは、まぁまぁ、うん、とりあえず、うん、おけ、うん…おっけーでーす、はいはい、またねぇ。」


電話を切った橋石は、舞衣の口調を真似て言った。


「先に一人で帰っちゃったのよ!京子!…だって。」

「えええ、ううう…」

「ま、こういう事もあるわな。房生ちゃんも悪気はないさ。」

「え、うん、それは、うん。」

「で、義継よしつぐは何か言ってたか?」

「え、あ、橋石さんなら貸してくれるって…」

「んにゃ、それ以外。」

「え、別に、なんにも…」

「そうか。俺もさ、紅河の試合終わったし、義継が戻ったら帰ろうと思ってたんだけど、なら、どっかで昼飯食べようか。おごるから。」

「え、悪いです…義継さん、待たないの?」

「あいつは女の子とは絶対に飯食わないから。放って行こう。」

「え、でも…」

「もともと俺一人でここに来るつもりだったし、義継も適当に帰るだろ。」

「そうなの?」

「うん。京子ちゃんが嫌でなければ、行こうよ、昼飯。」

「嫌じゃないです、全然。」

「おし。」


橋石は席から立ち上がった。


「何食べる?」

「なんでもいいです。」

「あそ。じゃあ…パスタ行くか。サラダバーもあるし。」

「すみません…」

「女の子ってさ、」

「え。」

「やったー行くー、って喜ぶ子が可愛いなって思ってたんだけど、なんつーの、お淑やかに?奥ゆかしく?京子ちゃんみたいなリアクションも、可愛いよな。」

「あ、わ、え、可愛くないです…」


橋石は、京子の目を覗き込んだ。

一歩後退り、下を向く京子。


「ああ、判った。京子ちゃん、可愛くないです、って、謙遜じゃなくてマジで言ってるでしょ。」

「…」

「だから可愛いんだよ。素直で自然。自分なりの自然体。これが最強だな、うん。」


…自分なりの自然体。


自然体とか、演技とか、考えたこともなかったな、と京子は思った。

暗い、気持ち悪い、可愛くない、これが他人から見た自分の固定評価。

演技して良く見せたところでプラスには転じないであろう、底辺の女。

それが小林京子、自分。

京子は、先を歩く橋石の背に声を掛けた。


「あの…」


橋石はスススっと後ろ向きのままバックし、京子の真横に来た。


「なに。」


…男の人の真横、こうして並んで歩いたこと、無いな。


「あの、お世辞、だよね…」

「何が?」

「あの、可愛いって…」

「違う。本音の感想。」

「私、くら、とか、きも、とか、ぶさ、とかしか言われたことない…」

「ふぅん。ま、それもそいつの本音の感想かも知れないけど、今の京子ちゃん、全然暗くないぜ。もちろんキモくもない。」

「でも、舞衣さんや千恵さんみたいに明るく話せない…」

「明るく話す必要、あんの?」

「え…」

「俺が思うに、社交的か内向的かっていう、性格的なところ、これはその人が魅力的かどうかを決定付ける要素ではないな。」

「…」

「紅河がさ、京子は凄い、って言うんだよ。」

「え…」

「俺はさ、それはテレパスっていう特殊な能力が、人が知り得ない情報も得られるしな、くらいに思ったんだけど、紅河が言ってるのはそこじゃなくてさ。」

「…」

「京子ちゃんは、芯が強いんだってさ。」

「芯…?」

「これは俺のイメージだけど、紅河は屈強な鎧を纏っていても内側にはまだ弱さがあるのに対して、京子ちゃんは外側はナヨッとして弱そうなんだけど体の芯に鋼鉄の柱が一本通ってるって言うかさ。」

「え、ないよ、そんなの…」

「そうなのか?まぁ、自分じゃよくわからないよな。」

「迷ったり、悩んだりばっかり…」

「紅河に、陰徳陽報っていう書、あげてたね。」

「うん。」

「俺、あの書を見た感想、うお!小林京子って凄い武器を隠し持ってる!って感じ。」

「え、そんな…」

「まぁ、書道を知らない俺に言われても、な。」

「あ、いえ、そうじゃなくて…」

「そうだなぁ、とにかく、人を怒らせてしまった時は反省した方がいいけど、なに、暗いだとかキモいだとか?そんなこと言われても、どこも変える必要はないってことかな。」

「そうかな…」

「自分の周りの親しい人達、見てみなよ。」

「え。」

「結局さ、人間て、似た者同士が集まるんじゃないかな。周りの人の良いところはさ、少なからず、自分も持ってるんじゃね?」

「そう、なのかな…」

「俺なんかは図々しくもそう思うけどね。」

「自信無いな…」

「高校一年くらいで自信満々に生きてるやつがいたら、悪いけどムカつくわ。」

「ふふ、ふふふ。」

「ははは。」


なんだろう。

紅河とも義継とも違う、話しやすさ。

調子の良いことばかり言う人かと思うと、必ずしもそうではない。

京子は、橋石に、紅河とは違ったかたちの頼り甲斐のようなものを感じた。

そして、ふと、気付いた。


…そうだ、橋石さんて、あの紅河さんの親友なんだ。


紅河の優しさのかたちと、橋石の優しさのかたちは、少しづつ違う。

内側から来る優しさと、外側を埋めてくれる優しさ。

京子は、チラッと橋石の顔を盗み見た。

その横顔は、年は二歳しか違わないが、とても大人びて見えた。

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