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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
131/292

少女の関所

翔子しょうこは、両手で自分の頬をギュッと押し挟んだまま、遠くを見る様な目を紅河くれかわに向けて黙り込んでいる。

紅河は、この子は何か考えているのだろうと、しばらく沈黙の中を待った。

小学生の頃の自分を思い出す。

親や先生に叱られたり、ちょっとした事で注意を受けたりした時、自分に悪気は無いのに、という自己正当化の思いと、やっぱり悪い事だったのかな、という反省の気持ちがせめぎ合い、考えがまとまらないうちに、「聞いてるのか!」と咎められる。

抑えつけられるような大人の物言いには、結局、反抗の気持ちが強く残ってしまう。

翔子が、両手を頬からゆっくり放し、ポツリと言った。


「殺せなくてよかった。」


会話の脈絡からは、あまりにも噛み合っていない、唐突な、そして悍ましい言葉だった。

だが、彼女の中では繋がっているのだろう、と紅河は表情を変えなかった。


「誰を?」


翔子は、京子を見て、そして紅河に視線を戻した。


「きょうこと、くれかわ。」


白楼はくろうでの事か。


紅河は、翔子の飛躍した思考を推測してみた。

おそらく、翔子にとっての京子と紅河が、翔子に何か有益なものをもたらした、との考えに至ったのだろうと思える。

だが、紅河は、それ以上考えるのをやめ、また、聴きもしなかった。

この栂井翔子という少女には、今後二度と会う事もないだろうし、今やらなければならない事は、この子を然るべき場所へ帰すことだと思ったからだった。


「栂井さんからの話は、終わりか?」


翔子はしばらく目を泳がせながら考えていたが、コクリ、と頷いた。


「そうか。」


紅河は、翔子がここにいることの経緯を知った以上、話さなければならないこと、その言葉の選び方に考えを巡らせた。

どう話せば、この栂井翔子という子に伝わるだろうか。


「話を戻すけど、君が、白楼から黙って出てきたこと、そして、それを花屋さんに話していないこと、これは、このままで良いということは無い。」


翔子は表情を曇らせた。


「君から話せないのであれば、その花屋さんに、俺から話す。」


翔子の顔が歪み、震えた声で言う。


「帰りたくない…あんなとこ…」


さて、どんな言葉を使えばいいのか…紅河は考え続ける。

甘い表現や、無責任に期待を持たせるような物言いだけはしてはいけない、と考える。

子供を諭す、ではいけない。

この子は殺人を犯しているのだ。

一人の人間として、負うべき責任を認識させなければいけない。


「優しくしてくれた花屋さんには、事実を話さなければ、栂井さん、君は前に進めないんじゃないかな。」

「え、前に?」

「俺は君のことをよく知らないけど、こうして話してみて、びっくりした。」

「びっくり?」

「うん。悪いことを悪いと認識し、省みて謝る。しっかりした子だな、と思った。」

「…」

「栂井さんは、何歳?」

「11歳。」

「十一か。俺も、10歳頃かな、いろいろと見えてきたの。大人の言うことがなんとなく判ってきた。」

「…」

「将来、何かやりたい事とか、なりたいものとか、あんの?」

「え…」


翔子は紅河へ顔を向けたまま、瞳を左右へ泳がせた。

そしてしばらく考えて、言った。


「花、好き。しゅわしゅわのジュースも好き。」

「ふぅん。花とジュースを売る店ってのも、なんかシャレてるな。」

「え、店、花とジュース…」


翔子の表情が心なしか明るくなり、何かを想像するような顔になった。


…お、上手くいったか?


「そういう店を…」

「やりたい!花とジュース!」

「おお、そう。それをやる為には…」

「赤い花と赤いジュース売るの!」

「そうか。それなら…」

「おじさんの所に行く!」


翔子はいきなり立ち上がった。


…人の話を聞けコラ。


紅河は、あからさまに不機嫌な顔をした。


「わかったから。で、まずは、犯した罪を償わなければ、そういう店は出来ない。」

「え…」

「え、じゃない。考えるんだ。自分が今どういう立場にあるのか。」

「え…」


あれ…

よしつぐさんにも、同じこと言われたかも…


『周りから自分がどういう目で見られているか』


翔子は、身体から力が抜けたように、再び椅子に腰を下ろした。

紅河は、努めて優しいニュアンスで話を続けた。


「俺もその花屋さんの所へ行く。けど、君をここに連れてきた花屋さんにも考えはあるし、立場もある。頭ごなしに俺から白楼の事を話すことはしない。最後は、栂井さんが自分で事情を話して、白楼に帰る。」

「…」

「それが、避けて通れない、乗り越えなければならない道だと、俺は思う。その先に…」


紅河は、翔子の瞳を覗いた。

その瞳は潤み、右へ左へと小刻みに泳いでいる。

嫌だ、助けて、と何かにすがるような、その瞳。


「…花とジュースの店があるんじゃないのか。」


翔子は、震え始めた。


「さっき、栂井さんが『私、嫌い?』って聴いた時、俺、『別に』って言ったよな。」


今にも涙が溢れ出しそうな翔子の瞳が、紅河を見つめている。

横で、京子はずっと床に視線を落としたまま、背中を椅子の背もたれには付けず、膝に両手を置いたまま、黙って聞いている。


「嫌いになる理由が無い。栂井さんが人を殺めている事は知っている。試合を邪魔した事も判った。けど、そんなものは、君を嫌いになる理由にはならない。」


震える翔子の瞳から、一粒、涙が零れ落ちた。


「だってさ、何か訳があるんだろ。試合だって、花屋さんが喜ぶと思ってやった。栂井さんの視点で考えれば立派な理由だと思う。ルールを知らなかったんだろ、それは仕方ないことだ。」


…ああ、もう、言葉なんか選んでられねぇ。


「人を殺めたのだって、怖かった、憎かった、能力を試したかった、ムカついた、仕返しした、仇打ち、何かあっただろ。それ、ちゃんと説明したのか?その、殺した理由、正しい行動だったのか、悪い事だったのか、とことん話したのか?」

「え…う…ひう…う…」

「頭ごなしに言われただけじゃないのか?人を殺すのは何があっても駄目だ、とか。」

「う…う…」

「だったら白楼に帰って、警察庁だか刑事局だか、堂々と帰って、徹底的に話し合えよ。殺すのが駄目なら、どうすればよかったのかって、自分が納得できるまで相手の考えも聞き出せよ。」

「ひうっ…うく…う…」


紅河は、椅子の背もたれに寄りかかるように上半身を倒した。


「なんかさ、俺、自分で言ってて、自分に説教してるみたいだ。」

「え…」

「出来ないんだよな、なかなか。大人と話し合うことも、自分の考えを話すことも、難しい。すげぇ難しい。」


翔子は、大粒の涙をポロポロ落としながら、それでも紅河を見続ける。


「それなのに、栂井さんは俺に会いに来た。怖かっただろ。京子のことも怖かったはずだ。」


…え、怖いけど、怖くなかった。


「う…くれかわ、怒ってないかなって思って…うく…でも、私、う、悪いなら、謝らないとって…う…」


…あれ、なんで怖くないって思ったんだっけ…


「…う、あ、怒って、怒ってるように見えなくて、ひう、くれかわ、すごい人かなって…う、あ、おじさんとか、よしつぐさんとか…くれかわも…う、ひゅっ、う、うう…」


…そうだ…


「ひう…くれかわ、くれかわも、うっ…優しくしてくれるかなって、うう、うあ、ひあ、あああ、ああぁあぁぁあああ…」


翔子は泣き出していた。


「え、あ、ちょ、ま、な、泣くな、声、やばいって、ちょっと、き、京子、止め、この子、止め…」


おろおろする紅河が京子を見ると、京子も涙目になっていた。


「おま…」


…お前もかい!


「ちょ、しっ!悪かった。泣き声はやばい。落ち着こう、な、落ち着こう、栂井さん、翔子、さん…」


京子が、ハンカチを出して自分の目を抑えながら、翔子に言った。


「よかったね。紅河さんと話して、よかったね。優しくて、心が広くて、感動したね…」


…京子、多分違うぞ、この子が泣いてる理由、違う。


翔子は泣き止み、嗚咽しながら言った。


「うくっ…おじさんとこ、ひうっ、行く…一緒に、くれかわと、うっ、行く…うくっ…」


三人は空室を出て、翔子に鍵を閉めさせると、紅河は一旦桜南高校の控え室に戻り、監督の教員にこのまま帰宅すると伝え、荷物をまとめた。

バックスタンドゲートのある通路で、京子は、紅河と翔子、二人と別れた。


「えっと、あれ、ここ、どこ…」


京子は手持ちのお金がない。

自分の携帯電話もない。


「あれ、迷子…」


まずい。

舞衣まいに、待っていてもらうよう一言伝えておくべきだった。

京子は舞衣達の魂の光を捉えるべく、黄色い『光の帯』を放った。

舞衣のオレンジ色は慣れていて良く知っている。

だが、なんと人の多いことか…。

その黄色い『光の帯』は、その必死さから、これまでに無い猛スピードでスタジアムを駆け巡る。


…何やってんだ、京子さん。


その凄まじい勢いの『黄色』を見上げながら、義継よしつぐは紅河と翔子を尾行していた。

翔子は14番ゲートまで来たものの、座席の場所を忘れてしまい、20分ほど紅河を引っ張り回し、ようやく柴山しばやまを見つけた。


「おじさん。」

「おお、ショウコちゃん、遅かったな、迷ったかい、心配したよ。」


柴山が翔子を見ると、その横に、紺色のブレザーを着た背の高い学生が一緒にいる。


「ん、そちらさんは?」

「紅河と申します。迷子になっていた栂井さんを。」

「おお、そうですか、って、え、クレカワ、さん?…て、もしかして…」

「城下桜南高校の学生です。」

「ええ、おい、ええ、えええ?」


柴山は腰の痛みも忘れ、席を立ち上がった。


「あの、10番の選手かい!」


紅河は恥ずかしそうに、頭を下げた。


「なんだ、なんだおい、ショウコちゃん、こりゃまた凄い子を連れてきたな、うはぁ。」

「いえ、そんな、凄くなんか…」

「いやいやいや、ほおぉ、さすがに背が高いな、いやいや、前半のオーバーヘッド、ありゃミラクルだな!私も学生時代にサッカーやっていてね。」

「いえ、あれは無理矢理です。あれしか出来なかったんですよ、あの場面では。」

「何を言っとる、あのパスをトラップもせずシュートなんて、普通出来ないぞ、出来ない、うん。いやぁ、ショウコちゃん、迷子になって良かったなぁ、こんな凄い子に逢えたなんて、いやいや、そうかいそうかい。」


柴山の興奮の仕方に、翔子は目を丸くした。


…くれかわ、やっぱりすごいんだ。


紅河は、翔子が事情を話すタイミングを計るため、柴山に聴いた。


「第二試合は、観ていかれます?」

「あ、ああ、そのつもりだよ。」

「ご迷惑でなければ、俺も、ここで一緒に、いいですか?」

「え、も、もちろん良いよ、え、なんだい、私は夢でも見てるのか?城下桜南の10番が一緒に?おい、え、なんて日なんだ、今日は!」

「そんな大袈裟な…」

「いやいや、夢でもいい、現役の高校サッカー選手の、しかも日本一のエースストライカーだ、話したいことは山程あるよ、いやいやいや、参ったぞこれは。」

「ははは…」


謙遜するのも疲れるので、紅河はとりあえず苦笑して見せた。

こんなにはしゃいでいるサッカーファンの方に、実は栂井翔子は殺人犯で、などという話をいきなりするのは気が引ける。

とりあえず、第二試合が終わってからの方がいいな、と紅河は思った。

柴山が、翔子が座っていた座席に置いてあったビニール袋を持ち上げて言った。


「あ、の、そうだ、昼は?弁当を買ってある。紅河さん、私の、よかったら食べて、ショウコちゃんのもあるよ、ささ、ほら。」

「ああ、いえ、俺は学校が手配したやつを持ってきてますので。」

「おお、そうですか、じゃ、あれだ、座ろう、な、ショウコちゃんも。」

「うん。」


…おじさん楽しそう、良かった。


これから話さなければならないこと。

話した後、柴山との別れが来ること。

それを思うと、翔子の気持ちは暗く沈んだ。

だが、それならば、柴山が少しでも長く楽しい時間を過ごせるように、と、翔子は努めて明るく振舞おうと思った。


三人の座席があるブロックの後方の席に、義継が腰を下ろしていた。


…紅河クンなら心配ないか。ま、念のため。


その義継の視界には、スタジアム内を高く低く、幾重にも絡まるように、狂ったように飛び回る黄色い『光の帯』があった。


「京子さん、観客をテレパシーで洗脳でもしてるのか?意外と京子さんがラスボスだったりして。」


何のラスボスだよ、と自分で自分に突っ込んだ直後、『黄色』の先端が義継の目の前で止まった。


…おや。


『義継さん』


『はい』


『あの』


『はい』


『あの』


『はい』


『あの』


『テレパシーは便利だね、京子さん』


『うう…』


『言わなくても読めました』


『ううう…』


『17番ゲートから入ってDブロックの後ろの方に橋石きょうせきがいるから、そいつに頼めばいけますよ』


『あまり話したことなくて、橋石さん…』


『問題ないです。あいつは女性の頼みは絶対に断りませんから』


『うう…行ってみる…』


『グッドラックです』


京子の思考は、『お金貸して下さい』という思念が、その中央にドンと座っていた。

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