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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
130/292

使い手抗争の影

南條探偵事務所。

湖洲香こずかは、自分が身に付けたまま持ち出してしまった小林京子の服や所持品を、手入れ後に自分で直接返すのだと言い出し、治信はるのぶが対処するとの申し出を聞き入れようとしない。

頑固な湖洲香を前に、仕方なく治信は最短の対処方法を考え、その手配を始めた。

数カ所への電話の後、治信は、廊下やリビングの壁際に所狭しと置かれている書類やガラクタを片付けていた湖洲香を、再びソファに座らせた。


「クリーニングですが、12時間必要とのことでした。」

「あら、早いのね。スーツとか、いつも戻ってくるの五日くらいなのよ。」

「ええ、最優先で挿入させましたが、ドライクリーニングの工程で油性薬品噴霧後のつるし置き時間が、どうしても短縮できないらしいです。その後、流水洗浄も行い、約12時間見て欲しい、と。」

「まあ、最優先?ご迷惑ではないのかな。」

「知り合いの業者ですから。それと、京子さんの革靴は、全く同じ物を購入しました。これは発送先をまだ指定していませんが、関東圏内なら2時間以内で届きます。ですので…」

「え、さっき洗ったし、あとは乾かせばいいんじゃない?」

「ええ、念のためです。型崩れしていると思いますし。それで…」

「おいくらですの?私が払いますわ。」

「…ええ、精算のことはまた後で話しましょう。それで、ですね、先ほど話した通り、手配品をここに届けさせて待つ、というのは時間がもったいないですから、赤羽根あかばね博士と落ち合う段取りをつけて、そこに京子さんへの返却品を届けさせ、そして外出許可をもらい、博士と湖洲香さんが京子さんに返しにいく、と。これでいきましょう。」

「わかりました。ありがとうございます。」


多忙な赤羽根のことだ、同行外出が出来ない、京子の所持品は発送しろ、と言うだろうな、と治信は思った。

それならば発送先を全て小林宅にして手配を済ませればもっと早いのだが、湖洲香の頑固さは治信もあきれるほどだ。

赤羽根と湖洲香の、再会して早々の喧嘩姿を想像し、治信は苦笑した。


「では、博士との合流場所ですが、第一候補を警察庁刑事局、第二候補を白楼とし、どちらになる場合でも、手配品の発送先は警察庁刑事局刑事企画課預かり、県警本部特殊査定班赤羽根宛、としましょう。」

「あら、若邑わかむら宛にして。」

「若邑、という名は、まだ控えておきましょう。」

「どうして?」


…ん、この子は洞察力が足りないな。


「刑事局の課を通る場合、中身の検閲が入るでしょう。その際、刑事局が直々に設置した特殊部署の赤羽根、という名であれば、刑事企画課も、局へ伺いを必ず立てると思いますので。京子さんの所持品が荒らされることもないでしょう。」

「そっか。そうですわね。」


本当の理由は、宛名が若邑の場合、警察庁での湖洲香の扱い如何では処分されかねないから、であるが、治信はそこまで言わなかった。

対等な視点で情報共有するには、湖洲香はまだ未熟だな、と治信は思った。

治信は携帯電話を取り出すと白楼の秘匿回線番号へ非通知発信し、仔駒太郎を名乗り、赤羽根を呼び出した。


「…南條です。かいつまんで要件だけ。博士に至急の面会を希望している方がいます。…いえ、特査業務関連のようです。…詳細は、私は、ちょっと。…ええ、ええ…明後日?」


治信はチラッと湖洲香に視線を向けた。

湖洲香は姿勢を正し、ソファに浅く座り、こちらを見ている。


「お忙しいとは思いますが、本日これからお時間頂けませんか。…はい、はあ、なるほど。…特査の新規人員の面接ですか。それよりも優先される面会、と解釈して頂いて、差し支えないかと。」


そこまで話した直後、治信は片目をキュッと閉じ、口を歪ませながら、携帯電話を少し耳から離した。

どうやら赤羽根が、電話口で怒鳴ったようだ。


「…伊織いおりさん、あの…はい、ええ…いえ、隠してるとかそういう…ええ、はい、では、面会時間は1分、それ以上はお時間を割かない、OKです。では、白楼の総合管理センターロビーで。宜しくお願い致します。」


治信は電話を切った後、湖洲香へ苦笑しながら携帯を指差す仕草をして見せた。


「なにやら、相当イライラされてます、伊織さん。」


湖洲香は、クスッと笑った。


「いつもの事ですわ。」


治信は湖洲香へサングラスを渡すと、二人は事務所を出た。

事務所マンションの前には治信が手配したレンタカーが到着しており、京子の所持品を積み込むと、治信は運転席へ、湖洲香は助手席へ乗り込む。

雨は上がっており、六月特有の湿気を帯びた空気に、治信はカーエアコンの温度を22℃に設定し、そして、湖洲香の足元に目をやった。

彼女は男性用のサンダルを引っ掛けている。


「では、まずクリーニング屋、次に靴屋、途中でハンバーガーを買って、白楼、と。」

「わーい、二日続けてビーフベジタブルですわ!」

「ははは。」


車を発車させた直後、湖洲香がニヤニヤしながら言った。


「博士にね、最初に報告するの。」

「何をです。」

「お兄さんの寝室やお風呂場、女っ気が何もなかったよ、って。」


キィッ!キュキュッ…


治信は思わず急ブレーキを踏み、車の後輪が、雨上がりのアスファルトの上、わずかに横滑りした。


「それは、いろいろな意味で、危険かと…」

「え、何が危険ですの?」

「寝室、とか、風呂場、とかのキーワードが、ですね、その、私…いや、湖洲香さんが危険です…」

「私?どうして?」


治信は車を再スタートさせた。


「もっと洞察力を磨きましょう、湖洲香さん。」


湖洲香は助手席でキョトンとした目を、治信に向けていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ほずま?」

「はい、先日お見せしたマル秘ファイルに名を連ねている、能力者ラボへの移送中に脱走した『使い手』です。」


県内、切花卸売センター。

柴山徹しばやまとおる栂井翔子とがいしょうこの足取りが掴めていない押塚おしづかは、喜多室きたむろの口頭報告に、眉をひそめた。


「確かなのか?」

「確認は取れていません。すぐにテレポートされましたので…ですが、まず間違い無いと思います。」


押塚は手帳を取り出し、パラパラと開く。

30代半ばまで昭和時代を過ごしてきた押塚は、ノートパソコンや無線タブレットに馴染めず、必要な情報は全て手帳に手書きで記していた。


穂褄庸介ほづまようすけ、五年前当時十八歳、傷害で通報されるも正当防衛が成立、病院送りになった相手は五名、その証言から『能力者』である事が発覚、か。


「能力者が社会人として仕事に就いている、これだけなら別に警察がどうこう動くことじゃねぇ。ファイルの情報だけ見れば、この穂褄は前科も前歴も無い。」

「はい。」

「だが、お前が喜多室祥司きたむろしょうじだと気付き、逃げた。どうして逃げる必要がある?」

「理由は判りません。現時点で推測できることは、私が県警の捜査課に就職した事を知っているのではないか、という事と、その事から自分が確保され能力者ラボへ連行されると思ったのではないか、ということですね。」

「お前が刑事になったことなぞ、どこから漏れるんだ。」

「刑事局や県警の内部から漏れたのではないとすれば、刑期満了後の私は彼にマークされていた、と見るのが妥当でしょう。この一月半あまり、刑事として捜査外出を繰り返していますから、刑事になったのかと気付かれるのは不思議ではありません。」

「ふん。」


穂褄が喜多室をマークする理由。

押塚の洞察は、マークされていたのは喜多室、と言うよりは、犯罪や能力発覚で浮かんだ能力者達なのではないか、という推測に至った。


…能力者達の動向をマーク?それはなぜだ。


押塚は改めて手帳に目を落とした。

手帳には12名の名が記されている。

刑事局のマル秘ファイル、脱走者及び脱走後の死亡者、そこにリストアップされていた能力者の人数だ。


…死亡者7名、うち、仔駒雅弓こごままゆみは生存を確認。


「生死未確認の脱走者が5名、そのうちの一人が、穂褄。」

「はい。」

「これな、死亡とされている、仔駒を抜いた6名、遺体が確認されている者、データは見れるのか?」

「そこまでは、私には開示されていません。」

崎真さきまからの情報だが、南條、あの私立探偵な、変死体で発見された能力者のリストを、緑養の郷を調べていて掘り出したらしい。」

「私も知らない情報を…」

「時間取って、あの私立探偵と飯でも食うか。いやさ、虚言で引っ張ることも出来たな、あいつは。」


押塚の顔は、笑っていない。

変死体で発見された脱走能力者。

緑養の郷からの脱走、ラボへの移送中の脱走。

変死体。

その死因詳細は手元に情報が無いが、同じ能力者によって殺害されたとした場合、加害者は誰なのか。

健在である別の脱走者か?

刑事局への辞令を受けた『灰色』の能力者か?

それとも、蓮田はすだ遠熊とおくまといった旧特殊研究班スタッフの手によるものか?

緑養の郷院長、佐海藤吉さかいとうきち自ら、という可能性はないか?

いずれにしても、非能力者が能力者を変死させることは考えにくい。

では、その殺害動機は?

現状、その動機が明らかなのは蓮田だけである。

だが、蓮田は、少なくとも16年間、その『光の帯』を封印し、その能力を知らない一研究者を装い、若邑湖洲香など使い手の前では発言だけでなくその思考も『非能力者視点の思考の演技』を淡々と繰り返していたと言う。

では、誰が、どんな動機で…


押塚は手帳をパタッと閉じた。


「穂褄庸介と思しき人物と遭遇、として、報告書を後で出せ。」

「はい。」

「手から火を出す、か。便利な能力じゃねぇか。」


そう言うと押塚は、タバコに火を点けた。


「車に戻るぞ。個人サイトを持つ渓流釣り愛好家を当たる。その後、県のサッカースタジアムの駐車場もチェックする。」

「了解です。」


押塚と喜多室は、覆面パトカーへ戻っていった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


サッカースタジアム、城下桜南高校選手控え室前の廊下。

栂井翔子、と名乗った少女を前に、紅河くれかわは、ブラッシングしていたその子の腕の部分を見つめたまま、思考を巡らせている。


確かに、白楼で見かけた少女、背の高さや髪型、顔、その子のようだ。

殺人を犯した少女、栂井翔子。

なぜここにいる。

いや、なぜ、自分を訪ねて来た。

京子が連れて来た。

京子が栂井と二人だけで、来た。

ということは、ここで殺傷能力を使う、というのは無い、と見るべきか。

京子が連れてくるに至った経緯は?

京子はさっき、ほら話しするんでしょ、と言った。

自分に話があるのは栂井、本人のようだ。

京子は連れて来ただけ、と解釈するのが、それぞれの立場を考えてやれば、妥当なのだろう。

でなければ、京子が要件を話し始めているはずだ。


紅河は、しばし止めていたブラッシングの手を再び動かし、そして、反対の腕も見た。


「栂井、さん、て、白楼のラボフロアにいた、栂井さん?」


翔子は頷いた。

紅河は、翔子のブラウスを一通り眺めると、制服用のブラシをジャージのポケットに押し込んだ。


「転んだだけにしては、擦り付けられた汚れもあるな。地面に押し付けられたような、それか、引きずられたような。」


紅河の、翔子を見る顔は、いつもの不機嫌そうな表情だったが、その目は、翔子には怒っているようには見えなかった。


「え、あ、押されて、蹴られて、手、踏まれて…」


紅河の表情が、少し険しくなった。


「蹴られて踏まれた?どうしてそんな事になったんだ。」


紅河は、栂井がこのスタジアムで傷害沙汰を起こしているのではないか、と疑っていた。


「ジュース、しゅわって…」

「ジュース?」


翔子の表情が歪みだし、口がへの字に曲がった。

今にも泣き出しそうである。

紅河は、清州朋代きよすともよの一件で妹の光里ひかりが恐怖に引きつらせていた顔を思い出し、翔子の表情が、それと重なった。

何があったにせよ、被害者がこの栂井なら、追求するのは気の毒か、と紅河は思った。


「まあ、怪我が無かったなら、いいんだけど。」


その紅河の言葉を聞いて、翔子に、思い出したように右足の火傷の痛みが、ジンジンとぶり返してくる。

今、その火傷の患部は、ソックスに隠れている。


「白の、よしつぐさん、優しくしてくれて…」


それを聞いて、紅河はある程度のことを察した。

ブラウスの汚れは、既に大方が落とされていた。

それをやったのは義継か。

義継が絡んでいるのであれば、もし栂井が傷害事件を起こしていたなら、野放しにはしないだろう。


「そうか、それは良かったな。」


紅河は廊下を見渡した。

スタジアムのスタッフの姿はほとんど無いが、参戦校の生徒が疎らに歩き回っている。

彼は張り紙の無いドアに歩み寄り、ドアノブを回してみた。

鍵が掛かっている。


「栂井さん、ちょっと。」


紅河は翔子へ手招きすると、一旦、城下桜南高校の控え室のドアへ行き、ドアを20cmほど開け、内側のドアノブを翔子に見せた。


「こうなってて、この縦のツマミを横にすると、こう、鍵が掛かる。」


翔子は、なんだろう、という表情をしながら、ドアノブを覗き込む。

どこにでもある、90度捻るタイプのロック式の鍵だ。

室内から桜南サッカー部員の声がする。


「なんだ、紅河、妹か。」

「ん、うん。」

「あれ、まだ幼稚園じゃなかったっけ。」

「うん。」

「じゃあ誰、その子。」

「彼女。」

「出たよ、このロリコン。」


桜南選手達の笑い声を後に、紅河はドアを閉めた。

そして、鍵の掛かっている空室の前に翔子を連れて来た。


「内側から開けられるか?壊さないように。」


京子は、心配そうに二人を眺めている。

翔子の手元から、赤紫の『光の帯』が伸び出し、すうっとドアを透過していった。


カチャッ


「開いた。」

「おし。」


紅河は京子に手招きすると、ドアを静かに開けた。

そして、翔子と京子も室内に入れると、紅河は蛍光灯を一列点灯させ、ドアの鍵をカチャッと閉めた。

三人はパイプ椅子を開き、声が廊下に漏れないよう部屋の奥の方で、向かい合って座った。

翔子は目を床に落としたり紅河を見上げたりしており、なかなか話出さない。

紅河が、口を開いた。


「外出許可とか、もらったのか。」


首を横に振る翔子。


「どうやって、ここに来た。」


紅河の言葉に、翔子は何か言おうとしている様子を見せるが、口を開かない。

翔子は、何をどう話していいのか、頭が混乱していた。

紅河は、ポン、と、翔子の頭に右手を乗せた。

京子が目を見開き、紅河と翔子を素早く見比べている。


…こんな子にも頭ポン…


京子は、紅河の手が頭にポンと触れた時の、その効能と言うか、もたらされる精神的な衝撃とでも言うか、まるで熱でも出てしまったのかと思うような、顔が熱くなる感覚を思い出していた。

だが、それと同時に、伝わってくる人肌の温もり。

なんでも許してくれそうな、全てを認めてくれたような、そんな感触。


伏せ目がちだった翔子が、紅河の顔を見続けるようになった。

紅河が、翔子の頭からゆっくりと手を放した。


「え、あ、おじさんが、サッカー見るって…」

「おじさんて、白楼の人?」

「違う。花、赤い花くれて、水切り、でも、痛くないのかなって思って、そしたら眠くなって…」


翔子の話は要領を得ない。

だが、紅河は、辛抱強く、一つ一つ聴き返しながら、昨夜からの翔子の動向を聞き出していった。

大体の経緯が判り、話は翔子が紅河を訪ねてきた理由へと移った。


「それは、つまり、その花屋さんがやれと言った、ってことか?」

「言ってない。私が思って、おじさん、悔しいって言って、赤い服のゴールを守ってるって言って。」

「んーと、花屋さんは聖美陵の失点を悔しがって、栂井さんが、聖美陵ゴールを守れば花屋さんが喜ぶ、と思い込んだ、ってこと?」


翔子が頷く。

紅河は一瞬視線を外し、再び翔子を見た。


「多分、それは栂井さんの勘違いだな。その花屋さんが聖美陵を応援していたとしても、不正で勝たせたいなんて考えてないと思うぞ。」

「ふせい?」

「うん。フィールドにいる11人、相手も含めると22人の選手。それ以外の人がボールに故意に触るのは全て不正、いけない行為なんだ。」

「いけない…」


そっか。

やっぱり、ラボみたいに規則があるんだ。

いけないことしたのか、私。


「あ、え、んと、足、地面のとこ、ボール止めたら、くれかわ、転んで、ごめんなさい…」

「ごめんなさいじゃねぇよ。腸が煮えくりかえったぞ。」


翔子の瞳が、怯えの色を伴いながら、涙を滲ませ、紅河を見上げる。

だが、紅河の顔は、笑っていた。


…あれ、笑ってる。


「い、いた、痛かった?…」

「痛かったよ。凄くな。あの1点が入ってれば、後が楽だったからな。」

「ごめんなさい…」


紅河は、ズイッと上半身を翔子に向けて倒し、顔を近付けた。


「ひや…」


ズズ…


逃げるように体を後ろに反らせた翔子の椅子が、少し床を滑った。

更に紅河は右手を伸ばし、その手の平を翔子の頭に乗せた。

そして、穏やかに笑って、言った。


「けどな、俺達の勝ちだ。」


怒ってない…けど痛かった…けど笑ってる…けど凄く痛かったって…けど、あれ、けど、けど…


どっちだ。

謝った。

許してくれたのか。

もっと嫌われたのか。

どっちだ。


パチッ…


翔子は、両手を、自分の頬を挟むように当てた。

そして、ヒヨコ唇をちょぼちょぼと動かして言った。


「ごめんなしゃい。私、嫌い?…」


紅河は、乗せていた手で翔子の頭をポンと軽く叩いてから放し、言った。


「別に。もう二度と他人の試合に手を出すなよ。」


…別に…別に…別に…別に…


別に、という紅河の返答が、翔子の頭の中を、いつまでもグルグルと回り続けていた。

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