局地冷戦
城下桜南高校、3年A組の教室。
ホームルームで担任の深越教師が、最近問題となっている『チャットアプリ荒らし』について注意を促していた。
「…ですから、例え言葉だけであっても、誹謗中傷された人は大変に傷つきます。携帯のコミュニケーションアプリは便利なものですが、凶器にもなるのですよ。必要以上に使わないことも…」
…クドクドと長いよ。
紅河淳はあくびをした。
「紅河君!」
「あ、はい。」
「あなたはいつも、ちゃんと聴きなさい!」
「はい、すんません。」
担任教師、深越美鈴は、35歳で三年の学年主任をしている。
女性でありながら、生徒同士のトラブルを数多く解決してきており、その親身な対応と実績が認められ、教員の間でも信頼されていた。
学校の今期方針の一つとして、受験を控える三年生の心のケアを重視しようという観点から、学年主任に抜擢されたのであった。
「いいですか?私だってチャットアプリくらい使うのよ。どこで見てるかわからないですからね。」
…嫌なら使わなければいいだけだろ。
紅河はまたあくびしそうになり、慌てて手で口を抑えた。
ホームルームが終わり担任の深越が教室を出て行った。
生徒は口々に、頼りになる担任の称賛をする。
「言おっかな、ミスズに。『速チャ』やってて、頭来ちゃってさー。」
「撃退してくれそうだよね、ミスズ。」
「弱きを助け、悪を挫くミスズ!」
「最後まで助けてくれるよね、ミスズ。」
…あんなオバサンに頼るって、自分で情け無くならんのかねぇ。
紅河は、カァーっと大きなあくびをしながら、部活へ向かった。
数日後、城下桜南高校でちょっとした事件が起きた。
ホームルームでの連絡によれば、生徒の自転車が数台、タイヤを故意にパンクさせられていた、という内容。
自転車の持ち主、被害者は、生徒から相談を受けた深越先生によって炙り出された『チャット荒らし』ばかりであった。
更に、事態は悪化し、チャットには新たなハンドルネームが現れ、
『自転車をパンクさせたのは「赤い6月」』
という、暗号のような密告まで流れた。
「先生はがっかりです。こんな報復をするなんて。私は仕返しさせるためにチャット荒らしを捜したのではありませんよ。もう、誰がやったのかは追求しません。こんな不毛なことはやめなさい。以上です。」
…条件反射的にアクビが出るこのカラダ、誰か何とかしてくれ。
退屈極まりない話に、紅河は必死にあくびを噛み殺していた。
…どんな風にパンクさせたのか、見に行ってみるかな。
紅河は、退屈しのぎに、部活の前に自転車置き場へ行った。
パンクしている自転車が3台、端に寄せられている。
「んん?」
タイヤのどこが傷だか、最初判らなかった。
よく見ると、刃物のような物でスパッと真横に切られた線が入っている。パックリ、である。
あまりにも綺麗な切り口で、パッと見判らなかったのだった。
「ほほぉ。」
…こんな斬れ味の良いカッターあるのか。
スパッと入った切れ込みは、左右どちらから切り始めたのか判らない程である。
物理系の紅河は、少し興味が湧き、部室にカッターナイフを取りに行った。
主にスパイクの手入れに使われている、事務用のA型と言われるカッターである。
「紅河先輩!しゃす!」
「しゃす。」
部室前で、訪れる先輩全てに挨拶している古藤彰良の口癖を、無表情にオウム返しすると、紅河は、
「あ、丁度良い、古藤、ちと来い。」
と言い、古藤を連れて自転車置き場に戻った。
「なんすか?」
「これ、ほら、ここ、もうパンクしてるんだが、このタイヤの別のところを俺がこれから切る。騒ぎになったら、俺がやった、と言っとけ。」
「え、まずくないすか、それ。」
「どうせチューブだけじゃなくタイヤごと交換だ、まずくねぇよ。」
紅河は、カッターの刃をペキっと折り、先端を新しくすると、切り込みを入れてみた。
結構、力が要る。
「ふん…やっぱ、こうなるわな。」
切り始めに力を要した分、タイヤの内側に向かって押されたような切り口になる。
また、綺麗な直線にするのは難しく、キコッキコッと押し引きした為、若干いびつな直線となった。
チキチキチキ…
紅河はカッターナイフの刃を胴体に戻し入れると、古藤へ投げて渡し、
「戻しとけ。」
と言って、部室とは逆の方へ歩いて行った。
「あ、あれ、紅河先輩、どこ行くんすか?」
紅河は歩きながら言った。
「腹痛いから帰る。」
「全然痛そうじゃねーし…。」
古藤は怪訝そうな顔をしつつも、部室へ戻った。
紅河は、新聞部の部室へ向かった。
「うす。部長、いる?」
「あ、紅河先輩。」
「お、紅河さんだ。」
新聞部は毎年全国大会で好成績を残すサッカー部、そのエースである紅河には『お世話』になっていた。
「部長は今いませんが…。」
「あ、そ。ちよっとさ、パソコン貸して。ネットに繋がってるやつ。」
「あ、はい、どうぞどうぞ。」
「あのさ、駅前の、車がぶった切れたやつの画像、検索してくんない?」
「ああ、それなら検索するまでも無く、ダウンロードしてありますよ。動画がいいですか?」
「静止画像でもいい。切れ目がハッキリ見えるやつ。」
「切れ目、ですか。」
新聞部員はカタカタとキーボードを打ち、良さそうな画像を選ぶと、切れ目をアップにして表示した。
「これ、どうでしょう。」
「うん。もちっと、解像度、良くなる?」
「んーと…印刷サイズは小さくなりますが、フォトショにブッ込んで……これで、どうでしょう。」
「うん。」
…あり得ねーな、こいつも。
自転車のパンク傷と、乗用車分断事件の切れ目、刃物や溶接機などで切られたものではない、と、高校生の紅河にも判るほど不自然であった。
…超常現象、か。
…確かに、な。
「どもね。じゃ。」
と言って、紅河は新聞部の部室を出た。
…京子、っていったかな、あの子。
…いや、巻き込むのは悪いな。
紅河は、超常的な能力の持ち主に聴いてみたい、と考えていた。
こういう切り方、出来るものなのか、を。
…『赤い6月』…二年生、水無月…皆月。
…なんだこのアホでも判るワザとらしい暗号は。
「切り口、魔法使い君に聴いてみるか。」
学校備え付けの電話機に向かう紅河の頭上を、青白い『光の帯』が、ゆらゆらと漂っていた…。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
県警、捜査一課資料室、その分室。
薄暗い部屋の中で、白衣の女性と、年輩の警部が、声を潜めて口論していた。
赤羽根と押塚である。
「…『光の帯』ってぇ言葉をオフィシャルにしたのはあんたら、特査班だろう?じゃあ、その『使い手』は誰だ?ってのを特定するのが、うちの仕事だぜ?」
「ですから、南條義継を調べるのは止めませんけど、引っ張るのは慎重に行って下さい、って話ですよ。」
「引っ張るのも、調査活動の一つだ。」
「アリバイ調査とか、目撃証言があるとか、確証に近いものを得てからにして下さい。」
「特査に言われる筋合いは、ないな。」
「そうですけども、だからこそこうして直接お願いしているんです。」
「『能力者』だというだけで充分、マルタイだ。」
「他にも『使い手』の存在を捜して下さい。これはそういう性質の捜査でしょう。」
「赤羽根さんよ、あんた、何を気にしているんだ?」
押塚の問いに、赤羽根は言葉を詰まらせた。
警察内部の人間、若邑湖洲香が危険分子になる、とは言えなかった。
「義継君は協力者です。被疑者ではありません。」
「参考人、だろうよ。重要な。」
「ですから、よくよく調査した上で…」
水掛け論であった。
事情聴取までなら、コズカも納得するかも知れないが、身柄拘束だけはまずい、と赤羽根は思った。
とにかく被疑者と認定さえされなければ、勾留は無い。
怖いのは、軽犯罪に逃亡が加わるパターンだ。現行犯逮捕出来てしまう。
17歳の子供に軽犯罪を犯させるなど、わけもないことだ。
…やりかねないわね、押塚警部なら。
「押塚警部、警察として、恥じるような行為は、やめて下さいね。」
「言葉が過ぎるな、赤羽根博士。」
押塚は分室を出て行った。
赤羽根は右手で前髪をグアっとかき上げ、その手を頭で止めると、コズカの平静を保たせることに全力を注ごう、と思った。
特査の事務所に戻った赤羽根は、事務所の更に奥、第二のドアをIDカードで開け、入っていった。
椅子の一つに座っている若邑湖洲香が、こちらに背を向け、肩を震わせている。
…まさか、押塚警部との話を…
「どうしたの、コズカ。」
近付いてみると、彼女は漫画本を読んでいた。
泣いているようだ。
「…えぐっ…赤羽根博士、この、主人公の男の子、勝ったんです、やっと…」
「ええ?」
「一年生の時から、努力に努力を重ねて、逆転のシュートを決めたんです…ううう…よかった、おめでとう…うう…」
…スポ根かよオイ。
赤羽根はため息をつくと、デスクに乗っている書類を取り、湖洲香の頭をポサッポサッと叩き、
「早く報告書を片付ける。さ。」
と言って、手近のパソコンに目をやった。
湖洲香の所見が記載されているファイルが表示されている。
『…以上の思考共有の結果、この第三者には南土蔵駅前コンビニ強盗に関する記憶が断片すらも読み取れず、被疑者の可能性は極めて低い…』
南條義継との面会の直後、湖洲香が赤羽根に言ったこと。
それは、『能力者』の苦悩を本当の意味で理解してもらえた人に初めて出逢った、それだけで、今まで生きていてよかったと思えた、という心境であった。
…義継君、警察の悪どいやり方に、引っかからないでね。
祈るように、赤羽根は思った。
※魔法使い…『少年の小さな迷走』参照