次世代スペックの発現
白楼α棟の病室。
未だ眠りから覚めない仔駒雅弓の脳波状態を見つつ、現職復帰となった赤羽根はパソコンに向かい、県警の特殊査定要請を整理していた。
その件数は実に二十四件、中には理論武装だけで対応出来るものもあるが、とても納期までに赤羽根一人で処理仕切れる量ではなかった。
当然ながら、物理学視点の検証も必要だ。
赤羽根は、メールツールを開き、苛立ちを叩きつける様に、キーボードをカチャカチャと叩いた。
『増員を請う。物理博士号取得者一名、「能力者」一名、報告書作成の校正能力高い事務員一名 特殊査定班・赤羽根伊織』
宛先には県警本部長のアドレスを入力。
送信アイコンをクリック…する前に、赤羽根はもう一文言付け加えた。
『以上、超超特急で』
カチッ
「はあぁ、きっついわ。査定等級振り分けだけでいいなら1分で片付けてやるんだけどなぁ。」
愚痴をこぼしつつ、赤羽根は雅弓の脳波モニターに目をやり、持ち上げかけたコーヒーカップを、コトッとデスクに置き戻した。
…なに、これ…
心電図モニターも見る。
血圧はやや低下、心拍数は上昇。
だが、これはまだ正常値の範囲内だ。
再び脳波モニターに目を向けながら、赤羽根は内線電話の受話器を上げた。
「…あ、赤羽根です。野神さん、至急来て欲しいの。風見さんでもいいわ。」
赤羽根は内線を切ると、寝ている雅弓の様子をよく観察した。
呼吸はそれほど乱れていない。
発汗も正常。
…ん。
眼球が目まぐるしく震えているのが、まぶた越しに判る。
赤羽根は、状態の記録を開始した。
目視で確認されたことは、直接パソコンに手で書き込んでいく。
「え…」
雅弓がかけている毛布が、見る見る濡れていく。
発汗か。
再び雅弓の顔を見る。
だが、額や顔には激しい汗が見られない。
赤羽根は、ゆっくりと毛布をめくっていった。
…!
赤羽根は、思わず掴んでいた毛布を手放し、後退ってしまった。
汗ではない。
雅弓の手の上辺り、空中で、無色透明の液体が湧き出るように発生し、ポタポタと滴り落ちている。
「どうしました?」
そこへ風見が入って来た。
赤羽根は、無言で雅弓を指差した。
「え!…なんです、これ…」
赤羽根が雅弓の状態の説明をする。
「脳波、デルタ波に加え、脳の緊張を示すベータ波が見られるのは、これまでと同じ。変化は、ガンマ波が混ざってきたこと。これは興奮状態の時に見られる波形。コズカが寝ながらテレキネシスを発動する時の波形が混ざり始めた。」
「は、はい。」
「それと心電図。結論だけ言うわ。霊視の時に見られた、第三階層の潜行時の状態に酷似してる。」
「はい。」
今も尚、雅弓の手の上辺りで、液体が湧き出し続けている。
「まず、あの透明の液体を調べたい。採取するので、マユミの『光の帯』が出現しているかどうか、見てもらえる?」
「肉眼で見る限りでは、『光の帯』は見えないわ。待ってね…」
風見はそう言うと、高次元クレヤボヤンス、第二階層へクリーム色の『光の帯』を出現させた。
「出てる。これは、第三階層にいるわ、雅弓の『光の帯』…あ、え、色が…」
「色?とりあえず、あの液体周辺の空中では、採取容器と『光の帯』の物理干渉は無い、でいい?」
「ええ、ぶつかることは無いわ。」
赤羽根はビーカーを取り、液体に直接触らないよう、採取を始めた。
濡れた毛布や、掛かった雅弓の手の皮膚を見る限り、中性に近い液体のようだ。
赤羽根は採取した液体を成分分析に回すべく、ビーカーにラベルを張り、パソコンに分析要請を入力した。
そこにも『大大至急』と書き込む赤羽根。
「それで?色がどうかした?」
「はい、薄いピンクはピンクだけど、これは、黄色、いや、オレンジかしら、別の色が混ざってるのよ。」
「どんな風に?」
「ええと、見せられればいいのだけれど…ピンクを縁取るような線、と言うか、あ、いや、ピンクの内側にも…」
風見は、無意識に左手を頬に当てる仕草をしつつ、しばらく雅弓を凝視した。
赤羽根は、脳波モニターと風見を、交互に見ている。
「博士。」
「うん。」
「特査の作成データに、『光の帯』を可視化したCGデータがあったわね。」
「ええ。」
「それ、ペイントツールか何かで、グラフィックの重ね書き、出来るかしら。」
「もち。」
「ちょっとそのデータ、出して下さい。」
「待ってね。」
赤羽根はθ棟関連の研究管理センターホルダーにアクセスした。
棟は壊滅しても、データは保存されているはずだ。
「あら。」
研究管理センターのホルダーは膨大な数のホルダーに分岐していた。
赤羽根は、とりあえず『能力媒体データ』というホルダーを開き、画像データが収納されていそうなファイルを片っ端から開いていく。
「ちょっとぉ、うちのデータ、どこに放り込んであるのよ、もう…」
電子データの整理が煩雑になるのはどこも同じか、と思いながら、無駄な事はやっていられないと考え、ホルダーを全て閉じた。
そして、グラフィックソフトを起動させると、簡易的に、雅弓の薄ピンクの『光の帯』を、その場で手書きした。
「あのヌメヌメ感は出ないけど、とりあえず、これに重ね書きしてみて。」
「あの、私、こういうツール苦手で、申し訳ないけど、説明するから、博士が描いて。」
「了解。」
風見が雅弓を見ながら、その『光の帯』の色調を説明していく。
雅弓のベッドの両脇は、空中から湧き出る液体で水溜りの様になっていた。
そこへ、白楼の研究員が一人駆け込んで来る。
「検査対象の液体は?」
「そのビーカー。pHだけでも、今すぐ見て。」
「後でまとめて報告しま…」
「なにすっとろい事言ってるんですか!リトマス紙でも何でもいいわよ!今やって。ここで。」
「いえ、正確なpH値は専用の設備を使わないと…」
…この使えなさ、何なの。
赤羽根はあきれた。
そして思った。
28歳で医学の博士号は最短と言われているが、自分に言わせれば、最短でもなんでも無い。
資格を取得する為の必要期間や年齢制限があるに過ぎず、まともに研究を進めていればもっと早く技能や知識量は到達する。
選択した研究課題によっては長期間を要するものもあるが、博士号取得の目的が明白にあれば、それに合わせた課題選択も可能だ。
…要するにやる気がないのよ!あんたらは!
「わかりました。その子の皮膚に付着してるの。早くして。」
「はい。」
今思うと、蓮田班長は、研究者としては本当に優秀だった。
県警の本部長に要請した特査の増員、使えない物理屋が来たらどうしよう、と赤羽根は気が重くなった。
「こんな感じ?」
「ええ、それで、このオレンジの線は、ピンクの中を泳ぐ糸の様に、見えたり隠れたり、かな。ピンクの外側を縁取っていることが多いわ。」
「なるほど。」
「それと、空中に湧いている様に見える液体だけど、雅弓の『光の帯』の表面で出現しているわ。」
「表面…」
精神の色、と仮定した色が、二色。
男性の使い手に見られる白を含めると、一人に三色か。
これは何を意味するのか。
それを紐解くには、液体の正体と、液体が発生するメカニズムを解かなければならない。
更に、第三階層の次元理論。
こちらが厄介だ。
いや、厄介などと言うレベルではない。
第二階層すら解明されていないのに、現在の科学力で解明出来るかどうか…。
「遅い!」
「え?」
「液体の分析!」
「まだ五分くらいしか…」
「pHなんて10秒でわかる。どうせ25℃設定だの、密閉容器で攪拌だの、電極浸漬だの、ちまちまやってんのよ。こっちが今求めているのは人の皮膚への影響。詳細分析や成分分解なんか後でゆっくりやればいいの。依頼目的も判らない輩が研究員とか、どうなってんのよ、ここは。」
「でも、もしニトログリセリンとかだったら…」
「ニトロならとっくに雅弓が粉々に吹き飛んでるわよ。ビーカーで採取した感じでは、おそらくH2Oね。」
「H2Oって、水ってこと?」
「うん。」
そこへ、さっきの研究員がタブレットを持って現れた。
「赤羽根博士、分析結果ですが、純粋なH2Oです。」
「あのね、君。」
「は。」
「歩いてくる時間があったら内線で1秒でも早く報告して。」
「は、申し訳ありません…」
「で?純粋な、ってことは、不純物0%?」
「はい、結露のようなものかと。」
「どうも。」
…空気中の水分を雅弓の『光の帯』が集めているか、場合によっては、僅かな水素を酸素と化合させているか。
赤羽根は、その仮説組み立ての中で、超ひも理論の素粒子振動が次元を跨いで及ぼす影響を知る術は無いか、と考えながら、右手で前髪をガバッとかきあげる仕草をした。
そして、研究員をジロッと見上げると、言った。
「あの子のベッドの周り、モップ掛けて。」
「は?いえ、自分は仕事が…」
「いいからやって!」
「は、はい…」
雅弓の脳波はデルタ波に落ち着き、ガンマ波は見られなくなった。
それに合わせ、『光の帯』で発生していた水も、止まった。
赤羽根と風見は、雅弓を一旦別のベッドへ移し、シーツなどを取り替えながら、結露などの温度差による自然現象にしては多すぎる水量について、意見を交わしていた。
「原理は、今ここでははっきりしないけれど、問題は第三階層にある『光の帯』が発生させていたってことね。」
「そうね。使い方を誤れば、人が溺死するわ。」
「肺や気管支に直接流し込めば、あっさりと、ね。」
「第三階層の『光の帯』なら人体も透過するけど、果たして、肺の中であの量の水を発生させられるのかしら。」
「第三階層と言っても、重なって存在する次元としてあるわけだから、普通に空気がある。その空気すらも超振動によって人体を透過させて注入出来るとしたら…考えただけでも恐ろしい能力だわ。」
「早く解明してあげないと、雅弓自身の身も危険ね。」
「高次元にありながら、この三次元空間に物理作用を及ぼす、言わば高次元テレキネシス、かな。」
「ああ、博士の言っていた、高次元の住人となってしまう危険、だっけ?」
「うん…残念ながら、と言うか、マユミは既に第三階層でテレキネシスを使えるようになってしまった、と考えるべきね。」
「そう…」
雅弓に発現した、次世代能力とも言える『光の帯』のスペックが、時を同じくして喜多室の遭遇した脱走者にも発現していたなどとは、赤羽根も風見も、夢にも思っていなかった。
その頃、警察庁では、刑事局の佐海局長が、警察庁長官と次長に呼ばれ、今回の白楼における顛末の確認と処遇通告を受けていた。
「現状維持、でありますか。」
「佐海警視監。その若さでの着任辞令、その意味を考えてくれれば、この程度のことで辞任など有り得んとわかるだろう。」
「は。」
「それに、だ。あの医療だか研究だかの施設は、君が一任されているものだろう。壊れたら直せばよかろう。予算オーバーなら我々も口を出さざるを得んが、これまでの決算書を見る限り、問題は見当たらん。」
「は、いえ、問題視して頂きたいのは、尊い人材を…」
「だ、か、ら、使えなくなったら補充をしたまえ。新たな人材については相談に乗る。」
「は、ご報告を上げております通り、極めて特殊な被験者を扱う機関であります性質から、その求められる管理能力もまた特殊であります。私の現職維持は謹んでお受け致しますが、組織と人事の再構築に関しましては、上程致しました草案をご検討頂きたく、お願い申し上げます。」
「したよ。検討は。その上で、現状維持だ。」
「は…」
「国家公安の要求の本質は、超能力者による犯罪の防止、抑制だ。それを受けて配下の組織をどうするか、は、佐海警視監、君に任せると言っているのだよ。」
佐海は、内心の苛立ちを抑えられずにいた。
簡単に言ってしまえば、長官と次長は、超能力者の扱いなど知らん、今まで通り良きに計らえ、と言っているのだった。
にも関わらず、東京都の実働部隊、警視庁への人事枠に『能力者』は不適合とされたまま。
つまり、言い換えると、警視庁への能力者配備は、その権限を刑事局には与えられていないままなのである。
となると、警察庁刑事局配下の内々の組織に組み込むしか無い。
例外は、特定の一県にしかない特殊査定班への人事のみである。
これも、佐海自身が開いた人事枠と言うよりは、蓮田がねじ込んだ極めて異例な部署、その名残りに過ぎない。
警察庁に捜査課はあるものの、その本質は警視庁や府県警のマネージングである。
消えた使い手、皆月岸人。
教育課程を終えていない能力者五名、うち一名の栂井翔子は未だ消息が掴めず。
そして、脱走した能力者。
能力者関連の問題は山積みだ。
…喜多室の投入で枠を強引に広げた、あの県警を使うしか、今は道が無い、ということか。
伴瓜警視正は、査問委員会を経て、都内所轄の刑事部捜査課へ異動となった。
だが、これも、佐海にとっては、不安の種が目の届かない場所に隠れてしまったとも言えた。
遠熊と古見原が健在であれば、現状維持での再建もまた、可能ではあるのだが…。
…こうなった以上、赤羽根伊織、野神宗一、喜多室祥司、この三名の最良の使い方を再検討するしかあるまい。
だが、野神や喜多室には、統率力が備わったとしても、遠熊や古見原が持ち合わせていた『腕力』が、無い。
警察庁長官室を後にする佐海は、内心、若邑湖洲香の健在を祈るばかりであった。
キャリアの出世抗争や能力者ラボの抑圧とは無縁であり、尚且つ、能力者達を制する、有事の際の切り札となる圧倒的な『腕力』を持つ、赤い魔女の健在を。




