白の温もり
栂井翔子の首に白い『光の帯』を透過させている詰襟学ランの男、義継は、翔子の思考の読み込みを始めた。
『やる価値?』『無い?』『殺されたくない』『だから殺す』『価値?』『価値ってどういう意味?』『足が痛い』『おじさんの洋服』『馬鹿にして汚して』『価値ってなに?』『出来る』『簡単』『キラキラを出すだけ』『首を落とす』『赤い血』『偉い』『痛い』『偉い?』『偉いんだっけ?』『あれ?私も白に殺される?』『殺すの?』『私を殺すの?』『私も痛いの?』『怖い』『痛いのは嫌』『この人達殺したら』『痛いのはどっち?』『私が痛いの?』『この人達だけ痛いの?』『どっちが痛いの?』『怖い』『どっち?』…
義継は、一瞬の間にめまぐるしく駆け巡る翔子の思考に戸惑いながらも、一つの返答を、彼女の脳に投げ返した。
『こいつらを殺ったら、痛みに苦しみ続けるのは、君自身だ、栂井翔子』
『私!?』
ビクン…と翔子の身体が震え、赤紫の『光の帯』が消えた。
翔子の瞳は、義継の目を見ている。
…切った高校の先生の手みたいに、私が痛くなる…
義継も、翔子の首に透過させていた『光の帯』を消した。
カァン!…
女子高生の一人が、義継が落とした缶コーヒーの空き缶を蹴り、それは義継の足に当たった。
「だ、誰だよ、お前も土蔵西かよ!何してくれてんだよ、これ!」
義継は表情一つ変えない。
「おや、僕を知らないのか。」
「知るかよ!こんなんじゃ帰れねーよ、こんなに汚して、どうしてくれんだよ!」
「土蔵西高の裏風紀委員、五味処理太郎だ。」
「あ?うちの学校、そんなの無いし。」
義継は、咄嗟に考えた『五味処理太郎』という名が、いまいちだったな、と思いつつ、こう続けた。
「君ら、退学の覚悟はいいね?僕の仕事は、陰で弱い者イジメをしているゴミを処分することだ。君達のご家族と学校に、今見た事を報告する。」
「何言ってんのこいつ。」
「どうせ脅しだよ。あたしらの名前も知らないだろ。」
「君らの名前?」
義継は、フワリと白い『光の帯』を出し、女子高生二人の頭上へ伸ばした。
「もちろん知っている。そっちが…」
義継は二人の名前をあっさり言い当てた。
君らの名前?と投げかけた直後、それぞれ自分の名を思い描いた彼女達の思考を読む、造作もないことだ。
「ふ、ふざけ…」
「裏風紀委員て、マジあり系?…」
「こ、これくらいで、被害者はこっちだよ、制服汚されてんだよ、こっちは。」
義継は、首を軽く右に傾け、言う。
「どこを?」
女子高生の一人が、セーラー服の襟を掴んで見せる。
「ここだよ!赤いジュースみたいなの吹き出しやがった。」
「赤いジュース?見えないなぁ。」
「え、あ、おま、お前がコーヒーかけたからだろ!どうすんだよこれ!」
「裏風紀委員規定第4条、項目6、イジメや暴行の現場を目撃した際は、これを速やかに停止させること。尚、その際は、いかなる手段を用いても良いとする権限を、裏風紀委員は有する。」
もちろん、ハッタリである。
「いかなる手段って、それじゃ殴ったりして止めるのもありかよ。」
義継は不気味な笑みを見せて言った。
「もちろんだ。病院送りにしても、僕達は許される。」
「ふ、ふざ…」
「やばくね?…」
女子高生二人は、それでも、聞いたこともない裏風紀委員とやらの存在が、信じられない。
「嘘なんじゃね?」
「証拠見せろよ、裏風紀委員の。」
義継は飄々と応じる。
「一般生徒に知られては機能しない委員会だ。知られないよう、身分が判ってしまうものは一切身に付けない。」
「嘘くさ。」
「騙してんじゃね?」
「委員の役目を滞りなく遂行できるよう、僕達は全ての生徒の詳細情報を持っている。例えば、君達がこのスタジアムに来ている理由。」
義継は、自分の生徒手帳を取り出し、パラパラとめくる仕草をし、何も書いていない白紙のページを見ながら言った。
「そっちが、聖美陵学園サッカー部に彼氏がいる。そっちは、この試合の後、その聖美陵の生徒に男を紹介してもらう予定、とあるな。」
「え…」
「そんな事まで…」
女子高生二人は蒼ざめた。
義継は、ただ彼女達の思考を読んだだけである。
「聖美陵の彼氏にも、君が小学生の子を抑えつけ、ライターで火傷を負わせていた事を…」
「や、わ、わかった、やめて、言わないで、頼むから…」
「どうすれば、退学とか、許してもらえるの?」
「残念ながら、もう許されない。」
「え、や、あ、あんたが、黙ってれば済むんじゃ…」
義継は、ため息をつきながら、生徒手帳をポケットに戻した。
「そうだねぇ…ま、見かけたのは初めて、初犯だし、その子に謝れば、今回は見逃してやらなくも無い。」
女子高生二人は、顔を見合わせてから、翔子の方を見た。
翔子は、今にも泣き出しそうに顔を歪ませ、踏まれたブラウスの袖の汚れを手でゴシゴシ擦っている。
女子高生は、翔子に向けて、二人とも軽く頭を下げた。
「すいません。」
「すいません。」
義継は、足元に転がっている缶コーヒーの空き缶を拾い、女子高生の一人の頭に投げつけた。
「あたっ…」
「何だいそれは。謝罪になっていないな。土下座するんだ。額を地面に擦り付けて謝れ。」
「え…」
「制服が汚れる…」
「その子の服は、もっと汚れている。」
「う…」
女子高生二人は、土下座をし、平伏すようにして、翔子に謝った。
「すいませんでした。」
「すいませんでした。」
逃げるように去っていく女子高生二人を見ながら、義継は思う。
…命を助けてやったんだぞ。感謝しろよ。
そして、おもむろに翔子の腕を掴むと、義継は歩き出した。
翔子は驚き、抵抗する。
「や、いや、いや…」
「いいから来い。」
「やだ、やだ、やだ、やだ…」
義継は翔子の腕を放し、腰を屈めて、彼女の足の火傷を見た。
一歩後退る翔子。
「僕の兄貴が、父親に、よく背中をライターで焼かれていてね。そんな時、母さんは、流し水で兄貴の背中を冷やしていた。水道水の温度が良いらしいんだ。後の痛み方も違うらしい。」
「え…」
再び義継は翔子の腕を掴むと、彼女を女子トイレへ連れて行った。
洗面台で、義継は、ヒョイと翔子を抱き上げると、右の靴と靴下を脱がせ、水道の蛇口をひねり火傷の部分に水を当てた。
ひゃっ…
翔子は一瞬冷たく感じたが、ジンジンと痛かった患部が、水を当てている間、痛みが和らいでくる。
彼女は、自分を抱き抱え、すぐ横にある義継の顔を、チラッと見た。
…あれ。
色白で女のような顔立ちだが、何か、女とは違う。
骨っぽいと言うか、喉仏も出ている。
声も低かった。
それと、匂い。
11歳の翔子には、男女の匂いの違いなどよく判らないのだが、母や姉というよりは、父や狩野に近い感じがした。
…聞いてみようかな。
だが、翔子は、なかなか言葉を発することが出来なかった。
男なのか、女なのか、白いキラキラの使い手。
蓮田班長は、結界から逃亡した犯罪者、と言っていた。
怖い、けど、今は怖くない。
どうして優しくしてくれるのだろう。
どうして、助けてくれたのだろう…
ムームー、ムームー…
義継の携帯電話が振動している。
「ん、10分経ったか?おい、ちょっと、重いから、自分で掴まれ。僕の首に手をまわして。」
翔子は、義継の首にしがみついた。
なんだろう、この感じ…
お父さんの感じ?…
義継が電話に出る。
相手は橋石である。
「…うん。特に問題は起きてない。兄貴への連絡は不要だ。」
『そうか。それより、試合、すげぇぞ。聖美陵が、あれからもう10本はシュート打ってる。1分に1本のペースだな。点差は変わらず3対2のままだけどな。紅河はかなりすっ転ばされてるな。三人も四人も紅河を囲んでる。』
「へぇ。まぁ、僕には興味ない。ちょっと教えて欲しいんだが…」
『ん?』
義継は翔子の頭の後ろを覗き込み、クイっと襟元を指先で引っ張った。
「んーと、シルク100%、ヌメッとした質感のブラウス、地面の黒い汚れが付いた。どうやれば落ちる?」
『なんだお前、そんな高級なワイシャツ着てんのか?』
「まぁな。」
『ちと、その汚れに水かけてみろ。』
「ほい。」
義継は携帯電話を肩と耳に挟み込み、手で水道水をすくい取り、翔子のブラウスの腕の汚れにかけてみた。
翔子は目を白黒させながら、それを黙って見ている。
「かけた。」
『水、弾くか?』
「んー、と、弾いてる部分もあるな。黒い汚れと一緒に染み込む部分もある。」
『なるほど、その汚れは土とかホコリとかの固形物不溶性と、何かの油分が混ざってるかな。厄介だな。シルクなら、乾燥させて揉み取ってから、ブラッシングで更に取って、残った油分をシミ抜き、かなぁ。』
「なんか面倒だな。水道水だけで落とすやり方を頼む。」
『無理。』
「使えないなぁ、キョウ。」
『じゃあ自分の魔法で何とかしろ。』
「洗濯の魔法など知らない。」
『んじゃ諦めろ。』
義継は不機嫌そうに電話を切った。
「横に座ってたおっさん、あれ、警察関係者か?」
翔子は首を左右に強く振った。
「じゃあ、誰だ。」
翔子は数回、義継の目を見ては逸らした。
思考を読まれるだろうか、と翔子は気を揉んだが、白いキラキラは現れない。
小さな声で、翔子が言った。
「おじさん。」
…全くもって答えになって無い。
隠したいのか、それとも栂井翔子は馬鹿なのか。
軽い苛立ちを覚えつつ、義継は聞き方を変えた。
「この服は、自分のか?」
首を左右に振る翔子。
「あのおっさんのか。」
翔子が縦に首を振る。
「ふむ…」
そこへ、20代くらいの若い女性が一人、入ってきた。
ここは女子トイレだ。
彼女は学ラン姿の義継を見て、一瞬驚きの表情をした。
だが、普段女子トイレも顔パスを効かせている義継は動じず、ニコッと笑みをその女性に返した。
係員を呼ばれたら厄介だ、と思った義継と、不安に駆られた翔子が、同時にそれぞれの『光の帯』を、その女性に伸ばしていた。
『…あら、なんだ、女の子か。学ランなんて、応援団かしら。足を洗ってるのは妹?この雨だしね』
二人はホッと胸を撫で下ろす。
そして、目を合わせると、小さく笑い合った。
「くくく。」
「ししし。」
翔子が、口を開いた。
「おじさんが貸してくれた。亡くなった奥さんの、大事な洋服。」
「ふぅん。んじゃあ、とりあえず、足跡が付いてるのはまずいな。腕の汚れ、足跡がわからなくなるまで揉み落とすか。」
「うん。」
「その下は、何か着てるのか?」
「Tシャツ。」
「脱いでも恥ずかしくないな?」
「だいじょぶ。」
翔子はシルクのブラウスを脱ぎ、義継に支えられて右足を冷やしながら、手を洗い、ブラウスに付いた黒い足跡を揉み落とし始めた。
翔子は、柴山の自宅で感じた『人の温かさ』に似た感覚を、義継にも感じていた。
東側メインスタンド。
舞衣は両手とも拳を握り、中腰になっていた。
「来てる、来てる、紅河さん!」
聖美陵ゴール前、やや右寄り、距離4メートル。
聖美陵キーパーが弾いたルーズボールへ、紅河が走り込み、ジャンピングボレーの姿勢を取った瞬間だった。
「駄目!振り抜いたらファウルになる!紅河さん!」
人目もはばからず、舞衣は大声を上げている。
舞衣だけでは無かった。
フィールドの激しい攻防に、スタンド席のあちこちで、桜南の生徒が立ち上がり始めていた。
後半35分を過ぎ、残り時間は5分を切った。
ジャンプした紅河の眼下、目前に、聖美陵4番と3番が迫る。
既に紅河は、空中で身体を斜めに倒していた。
…ちっ!振り抜けねぇ!
紅河は右足を止め、地面に腹を向けるように更に身体を捻ると、左足のかかとでボールを上方へ弾き上げた。
そのままうつ伏せに地面へ落ちる。
倒れた紅河に、聖美陵5番が、勢い余ってつまづき、重なるように倒れる。
「す、すんません!」
「いいって、大丈夫か。」
手を差し出して聖美陵5番を起こす紅河。
ボールはゆるゆるとゴール前1メートルの地点へ落下していく。
聖美陵キーパーが落下地点で構える。
桜南7番須崎が、そこへ走り込む。
が、足がもつれ、キーパーと競り合う直前で転んでしまった。
…ぐあっ…ちくしょう!
選手達の足は、限界に来ていた。
転倒した桜南7番を横目に、容赦無く、キャッチしたボールを味方へ投げる聖美陵キーパー。
聖美陵のカウンターは、だが、スピードが衰えない。
ボール操作が雑になりつつも、右へ左へと小刻みにパスを繋ぎ、桜南ゴールに迫る。
紅の横で、従者が、片目を薄く開けた。
東の空に、雲の切れ目が見え、陽光が差している。
霧雨は、徐々に弱まっていた。




