殺意混濁
聖美陵ボールで再開となる直前、聖美陵イレブンは自陣の中央あたりに全員集まり、短い打ち合わせをした後、円陣を組んだ。
キャプテンであるキーパーの声に続き、全員の掛け声が響く。
「聖美陵おぉ…ファイッ!」
「オウィ!」
それに呼応するように、西側メインスタンドから太鼓の連打とブラスバンド部の演奏が強く鳴り響いた。
センターサークルへ走る聖美陵11番と聖美陵9番、藤嶋。
藤嶋は、正面で屈伸している桜南10番の紅河と、そのやや後方で腰に手を当て首を左右に傾けている桜南7番の須崎を見た。
その更に後ろには、桜南4番の田所が、雨の様子を伺うように手のひらを上に向けて上空を見上げている。
…負けねーぞ、桜南の猛者ども。
まだ15分もある。
あと2点、必ず奪う。
負傷してまで積み上げてくれた仲間の得点を、決して無駄にはしない。
聖美陵9番藤嶋は、ユニフォームの短い袖でグイッと目の辺りの汗を拭った。
ピイッ!
ホイッスルと同時に聖美陵11番が軽く蹴ったボールを、聖美陵9番藤嶋はかかとで後方に弾いた。
そのままスターターの二人は左右に走り出す。
ボールは、聖美陵10番が受け取り、中央をドリブルで進む。
聖美陵10番の進む先には、桜南10番紅河が身構えている。
素早く状況を読む紅河。
…もう一回バックパス。それをどちらかのウイングに振る。
紅河が読んだ通り、聖美陵10番は紅河の目の前で真後ろに蹴り戻した。
聖美陵10番の背後で、聖美陵13番がノートラップパスを上げる。
ボールは右に走った聖美陵11番の前方へ飛んだ。
このフォーメーションの場合、センターフォワードの紅河がどうプレッシャーを与えても、ほとんど効果無くボールが運ばれる。
紅河は振り返り、ボールの行方を目で追った。
…11番がセンタリング。
だが、紅河のその読みははずれ、聖美陵11番は自ら中へ中へと切り込み、ペナルティエリアのラインの手前でシュートフォームを取った。
ボシュッ、ボンッ!
聖美陵11番のシュートは、打った直後、詰め寄った桜南4番田所の足に弾かれ、タッチラインを割った。
聖美陵のスローイン。
早い。
桜南ディフェンスがポジションチェックする間も無く、素早くボールを投げ入れる聖美陵11番。
ボールを受けた聖美陵10番が、間髪入れずミドルシュートを放った。
ボールは、ゴール枠を超えてゴール後方に飛んで行く。
…なるほど、数を打つ、か。
紅河は、これは攻守の切り替わりが早くなるな、と、腰を落とした。
桜南キーパーによるゴールキックから、今度は桜南の攻撃が展開される。
ドリブルする桜南7番須崎に、しつこく絡みつく聖美陵10番。
紅河への三人マークは、未だ解かれない。
桜南7番須崎は、右の桜南19番へフライパスを上げた。
バックスタンドで、缶コーヒーに口を付けた義継が、その手を止めた。
…ん?
今まで、桜南が攻め寄り聖美陵陣側へボールが行くと、聖美陵ゴールの後ろ辺りまで伸びて現れていた赤紫の『光の帯』が、現れない。
…諦めたか、殺人娘。
しばらく試合の様子を眺めていた義継だが、聖美陵のカウンターを凌ぎ、再び桜南の攻撃に移った時もまた、栂井翔子の『光の帯』は現れなかった。
…殺人ちゃん、お帰りか?
気になる。
義継は缶コーヒーを持ったまま、席を立った。
橋石がタブレットをいじりながら言う。
「ウンコか?」
「失敬な。僕のような美しい人間はウンコをしない。」
「了解。早く帰ってお休みクダサイ。」
「キョウ。」
「うん。」
「15分くらいして僕が戻らなかったら、兄貴にSOS出しといて。」
橋石はタブレットを膝に置き、義継へ振り返った。
「使い手が、ここにいるのか?警察か?」
「どうだろうねぇ。」
「お前なぁ、いつも一人で行って大怪我してるじゃないか。」
「うん、まぁ、今日は大丈夫っしょ。」
「待て、俺も行く。」
「キョウは試合を見ていてくれ。もし、城下桜南の選手が不自然なすっ転び方したら、電話をくれ。」
「不自然なすっ転び方?」
「頼んだよ。」
橋石はため息をついた。
「10分だ。10分したら電話するから必ず出ろ。出なかったら治信サン呼ぶからな。」
「あい。」
あくびをしながら通路を歩いていく義継を怪訝そうな表情で見てから、橋石はフィールドの方へ視線を戻した。
フィールドでは、聖美陵オフェンスと競り合っていた桜南5番が、ボールを弾き飛ばした直後、横倒れに転倒していた。
「あ、転んだ。」
…逆に、自然なすっ転び方ってどんなんだよ。
橋石は、義継が歩いて行った方向へ振り返ってみたが、既に義継の姿は見当たらなかった。
東側メインスタンド。
現れなくなった赤紫の『光の帯』に、京子はやきもきしていた。
…いたずらやめたのかな。帰ったのかな。
だが、紅河が転ばされた怒りは、京子の中では治まっていない。
ひどいことをしておいて、そのまま逃げるなんて許せない。
…反対側の二階席の方から伸びて見えた。
高次元クレヤボヤンスを使えば、ここからでも何処にいるのか判別出来る。
だが、その場合、こちらも察知される。
あの白楼にいた、人を殺した子だったら、やはり怖い。
どうしよう。
悔しいけど、怖い。
許せないけど、怖い。
自分に、湖洲香のような強さがあったら…
どうすれば相手に気付かれずに見つけられるのか。
京子はその手段が考えつかず、両手を握って合わせたまま、おろおろと下を向いていた。
すると、隣に座っている愛彩が、スッと板チョコを差し出してきた。
「あんか溶けてるけど。」
愛彩は少し恥ずかしそうに笑っている。
「え、あ、ありがと。」
京子は一欠片チョコを受け取り、口に入れた。
ほろ苦くて、甘い。
愛彩も板チョコを口に入れ、言った。
「ほんと尊敬する。」
「え。」
「紅河さん。」
「あ、すごいよね、上手で。」
「精神力も強え。」
「あ、うん。」
愛彩は京子をチラッと見て、また微笑んだ。
京子は、愛彩に心を見透かされているような錯覚を覚えた。
テレパスは、自分の方なのに。
…紅河さんの強さが判るのは、愛彩さんも強さを追求してるからだ。
京子は、もっと真剣に紅河を見てみよう、と思った。
上辺だけでなく、どんな事を考えて、どう苦しんで、どう乗り越えているのか想像してみよう、と思った。
その隣で、千恵が電話をしている。
「どもども、ありがとねー。」
千恵が電話を切り、嬉しそうにつぶやいた。
「名前ゲットぉ、ふふふ。」
舞衣、京子、愛彩が同時に千恵を見る。
千恵はキョロキョロした後、ニコッと笑って言った。
「7番は須崎さんでーす!」
舞衣、京子、愛彩は、興味無さそうに無言で再びフィールドの方へ振り返った。
バックスタンドの客席を離れた翔子は、フラフラと売店の並ぶ通路を歩いていた。
彼女は、聖美陵ゴール裏から視た紅河の挙動や表情を思い返していた。
雨に濡れ、汗にまみれながら、悔しがる紅河。
野生動物のように、鋭い目で睨む紅河。
真剣な目でボールを追う、凛々しい紅河。
そしてその熱意は、間近に魂の光を伸ばしていた翔子に、ダイレクトに伝わって来た。
サッカーはよくわからない。
スポーツの何がそんなに楽しいのか、よく知らない。
だが、赤いユニフォームの人も、白いユニフォームの人も、全力を尽くしてボールを追っていた。
その熱感に、翔子も巻き込まれていたことに気付く。
頑張らなくては、という気持ちになる。
柴山のためだったそれは、いつしか自分の熱に変わっていた。
やられたら、悔しい。
あ。
そっか。
相手も、やられたら、きっと悔しいんだ。
くれかわも、転んだ時、悔しかったのかな。
雨に濡れた芝生で、自分が転んだら、と想像してみる。
痛いだろうな。
膝を擦りむくかも知れないな。
地面で打った手や腰は、痛いだろうな。
くれかわは、どうして怒らないのだろう。
もしかして、怒ってるのかな。
赤紫め、後で殺してやる、って思ったかな。
でも、そんな感じがしない。
なんか、くれかわは許してくれそう。
でも、どうかな。
本当は怒ってるかな。
キラキラを出せないくれかわ。
でもキラキラが見えるくれかわ。
気になる。
くれかわ、あの人、どんな人なんだろう…
グイッ
不意に、翔子は後ろから襟首を掴まれ、ガクンと仰け反ってしまった。
…!
恐る恐る後ろを見ると、セーラー服の学生が二人、こちらを睨んでいる。
その一人が、突き飛ばすように翔子の襟を離した。
よろよろとよろけ、膝から前のめりに倒れる翔子。
…ああ、おじさんから借りたスカートが汚れた…
慌てて立ち上がり、スカートを叩こうとしたが、床についた手のひらも真っ黒だ。
「なにこの服。ベージュのブラウスにグレーのスカートって、ババアかよ。」
「制服、赤いの飛んだんだけど。」
「クリーニング代、払ってよ。」
翔子はチラッと上目遣いで女子高生を見ながら、無言で汚れた手を叩いた。
そこへ、女子高生の一人が、つま先で翔子の足を蹴った。
「痛っ…」
「無視すんなよ。」
「人様に迷惑掛けたら謝りなさいって、ママに教わってんだろ。」
「いないんじゃないの、ジジイと一緒だったし。」
「謝れよ。」
翔子は、黙って二人を睨んだ。
…おじさんが貸してくれた洋服、汚して、馬鹿にした。
もう一人が、翔子の頭を指先で小突いた。
「何とか言えよ。どうすんだよ、この汚れた制服。」
翔子は、チラリと女子高生のセーラー服の襟元を見た。
赤い斑点が少し着いている。
…あ、むせて咳した時だ…
自分がしてしまった事に気付いた翔子は、古見原所長の指導を思い出した。
『御免なさい、と謝る反省の心を覚えなさい』
蚊の鳴くような声で、翔子はつぶやいた。
「ご、ごめんなさい…」
女子高生が顔を近づけてくる。
「ああ?聞こえねーし。」
翔子は、おどおどしながら、言う。
「でも、そっちも、おじさんの洋服汚した…」
「知るかよ。」
「何言ってんのこのガキ。もうキレた。」
女子高生は翔子の腕を掴み、人気の無い関係者出入り口のドアの前まで引きずっていった。
「や、やだ、や…」
「キレさせたのお前だろ。」
そして、翔子を壁に向けて突き飛ばした。
ドスッと背中を強く打ち、呼吸が苦しくなって身体を屈める翔子。
「げほっ、ごほっ…」
「クリーニング代、出せって。」
「財布、見せてみ。」
呼吸を必死に整える翔子の腰を、女子高生の一人が蹴飛ばし、翔子は床に倒れ込んだ。
「ふぐっ、げほっ、げほっ、はっ、ふっ、ごほっ…」
仰向けになった翔子の両腕を、二人はそれぞれ片足で踏みつけると、翔子のスカートのポケットを弄り始めた。
「ねーし。」
「払えないんじゃ、お仕置きかなぁ。」
女子高生は、翔子の腕を踏みつけたまましゃがみ、ライターを取り出した。
そして、翔子の足を掴むと、右足のすねをジリジリと焼き始めた。
「あいっ、ごほっ、熱っ、痛、痛い、や、げほっ、やめっ、痛い、痛い、いや!いや!痛い痛い痛い!…」
殺される。
殺さないと、殺される…
翔子は掴まれていない左足をジタバタと激しく動かしながら、赤紫の『光の帯』を放出し、女子高生二人の首に透過させた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!…」
自分の足の火傷、その痛みと、相手の、首を切り落とされた痛みの想像が混同し、『光の帯』を三次元に出すと自分が痛いのか相手が痛いのか、翔子は混乱した。
…相手の痛みなんか知らない!殺す!殺す殺す殺す!
女子高生は、自分達の首に透過している赤紫の『光の帯』に気付くこともなく、暴れている左足を抑えに掛かった。
「自分が悪いんだから我慢しろよ。」
「これさ、結構長く痛いんだよねぇ。」
殺す!
出す!
キラキラを!
やる!
やってやる!
死ね!死ね!死ね!
翔子は、二人の首が飛ぶところを思い描いた。
音もなく首が切れ、ゴロンと落ち、赤い血がブシュッと飛び出す。
首は、叫んだりしない。
無言で、ごろりと落ちる。
お姉ちゃんの血は、天井まで飛んだ。
噴水のような赤い血は、しばらく勢いよく吹き出し、急にとまる。
床も真っ赤になる。
赤。
綺麗な赤。
こんな嫌な女でも、血は赤いのか。
翔子の左足が抑えつけられた。
だが、翔子は、まだ『光の帯』を三次元に出せずにいた。
今感じている激しい痛みは、一体誰の痛みなのか、この女達の首を切ると、痛みはやむのか、それとも増えるのか。
『光の帯』を三次元に出そうとすると、パニックのように、翔子の思考がスパークし始める。
殺す!
うひっ…
うひひ…
殺す殺す殺す!
うひゃひゃ…
赤くなれ!
死ね!
死にたくない…
痛いの嫌だ…
死ね!
死ね死ね死ね死ね!
嫌、嫌、嫌…
ジョボジョボジョボ…
突如、女子高生二人の頭に、茶色い液体が落ちて来た。
「うっ…な、なにこれ。」
「や、ちょ、え…」
二人が見上げると、詰襟学ランの長髪の男が、缶コーヒーを上からかけているのが見えた。
「ちょっと、何すんだ、やめろ、おい…」
女子高生二人は、翔子から離れるように立ち上がった。
二人とも、白セーラーの襟が真っ茶色である。
「それはこっちのセリフだ。お前ら土蔵西だろ。なに恥ずかしい事してんだよ。」
足に缶コーヒーが掛かり、ハッと我に返るようにパニックが治まった翔子は、上半身を起こしつつ、赤紫の『光の帯』を改めて女子高生二人の首に透過させた。
…!
翔子が『赤紫』を三次元に出そうとした時、あることに気付き、その出現を止めた。
自分の首にも、白い『光の帯』が透過していたのである。
え…
白い…
え、え…
翔子は、空の缶コーヒーをカラーンと落とした詰襟学ランの男の顔を、改めてよく見た。
あ、あ…
あの女だ!
白い使い手!
狩野が捕まえるはずだった、白いキラキラの女!
翔子は、白楼で見かけたセーラー服の白い使い手が、なぜ男の格好をしているのか不思議に思った。
金色だった髪まで黒い。
だが、間違いなく、白いキラキラの女だ。
どうしてここにいるのか。
自分はどうなってしまうのか。
震える翔子に、その白の使い手は、言った。
「もういい。消せ。こんな奴ら、やる価値も無いだろ。」




